香北町立河野小学校
2015/9/24(木) 午後 10:27
場所はここ!!
http://maps.gsi.go.jp/#17/33.704706/133.763824歴史
明治5年(1872年) 氏神山祇神社の拝殿を利用し学校を開く
昭和23年 暁霞村立河野小学校として独立
初めて秋季運動会を開催し地区民を喜ばせる
在所村立→香北町立となり
昭和52年(1977年)廃校、大宮小学校に統合(現存)
今から180年程前に高知の桜屋・虎屋などの商人が河野に事務所を設け林産資源の開発に当たっていた。河野地区での心ある者はここの事務所員について読み書き計算を習っていた。。と、香北町史に記載されている。
林業が盛んだった頃は30人程の生徒がいて、廃校時も10人程いたそうです。
美良布から暁美橋(きょうびばし)を渡る。暁とは旧暁霞村から由来するものなのだろうか!!!
素晴らし自然の横を走っていく。
道の下に旧道を発見!!
かなり古い。はたしてこんな場所の奥に旧小学校があるのだろうか。いつもの事だが
昔本当に小学校があったのだろうか??という気になる!!
林を進む。各地に石垣がある。確かに昔、ここに産業があり、人が住んでいたいう形跡はある。
橋を渡る。民家が二軒ある。一軒は爺さんが黒い犬を飼っていた。もう一軒は、塗り替え済みの家。そしてさらにその奥に一軒、爺さんが何か作業をしていた。
かわのうちはし
昭和19年拡張と見える。
そしてさらに奥に進む。もう通り過ぎてしまったのか、解体してしまってもう無いのか、いつもの事ながら、少し不安になる。(本当いつもの事)
そう思いながら走っていると、いきなりログハウス出現!!
しかもこの直線道路にカーブミラーがついている。もしかしてそこを左に曲がれば・・・
俺の小学校跡地レーダーの反応どうり、そこに跡地発見!!!
廃校後の様子(年代不詳)
撮った方向が分からないが、右が校舎だと思う。そして、正面は右の建物の写ってる反対側だと思う。そして、奥に屋根が見える建物は完全に崩壊していた。
そしてその下の写真がその、奥に屋根の見えてる建物だと、勝手に推測!!!
これが2005年3月に訪問された方の写真。はたしてその10年後は!!
2015年9月23日、季節は違うが、やはり劣化が進んいるのがわかる。
しかしこの校舎、驚くべき事にとても保存状態がいいのだ。周りを山に囲まれ強風から守られているからだろうか!!
門扉に昭和9年4月とあるが、建て替えの日付の事だろうか??
ここから入っていく。
玄関から廊下を
反対側から
昭和44年度の表彰状
写りは悪いが、学に寄付された方の名前!こういう事から分かるように、学校はその地域のシンボルであり、地域の方に愛されていて、そしてそれは昭和の時代に始まった話ではなく、尋常小学校設立時も同じように、地域の方々が土地お金を出し合って協力しあって設立されていった事だと思う。以前の越知の小日浦小学校の時もその話は聞いた事があるし、それはここでも同じ事だと思う。歴史の教科書では戦前は日本は暗黒の時代だったみたいに書いているが、あれは嘘で、小学校の設立は明治維新以降、地域の人達が自分たちの地域に小学校を!!!!と、積極的に設立していったものだと思う。そして明治5年に尋常小学校設立となると、ある日突然小学校が出来上がる訳もなく、それ以前からそういう動きがあり、地域の多くの人々がそれを望み、そして明治5年に念願の尋常小学校設立へと至った訳だと思う。
手を洗いましょう。
昭和50年度の年間計画表。そしてこの2年後に廃校となる。
黒板の落書き!
廃校から40年以上、保存状態が素晴らしい。
当時の机もこのとうり!!
相変わらず格子窓からの景色は絵になる!!
そして何より驚いたのが、この本棚!!まだ読める!!!
校庭のブランコ。その横は給食室かな??
うんてい
鉄棒
校舎の西側の建物は完全に崩壊していた。
南側から2枚。繋がるかな??
校舎の東側には講堂らしき建物が。
昭和40年台、30年台、20年台、そしてそれ以前、車もなく道路事情もかなり悪かった時代、子供達も村道を歩いて登校していた時代。教員はこの中に宿舎があり泊まり込みで仕事をしていたんでは?と想像する。
在りし日の河野小学校
河野小学校の配置図
現存する貴重な木造校舎跡に一つである