パンフォーカスと光の回折のこと

2012-09-08 | 撮影のこと
◆パンフォーカス
先日Nikon Online Galleryでとある写真を見た。アップロードしているユーザ名などNikon D800で撮られた写真であること以外はほとんどの情報を失念してしまい、現状、探すことは困難である。
どういう写真かというと、森の中に光が差し込んでいる風景写真であり、構図もばっちり決まった印象の写真。しかし一つ残念なところがあった。広い範囲でボケている部分があるのである。理由は簡単。F5.6というかなり小さなF値で撮っていたのである。
ちなみにISO感度は3200。どうも三脚を使えない状況があったらしく、手持ちでの撮影を強いられたがために、ISO感度を上げ、そして絞りも開いた、ということのようだった。
風景写真は絞り込んで撮ることが基本と言う。私が時々のぞいている写真家吉村和敏さんの8/30のブログには、「風景は絞りF32が基本。」などとある。この意味がようやくわかった気がする。
上の写真を見たとき、心の底から「この写真で、こんなにボケを入れるなんてありえないよ」、と思った。

一方で、私自身が現場にいたら、どうだろう?とも思った。少なくとも、写真を撮り始めた頃の私であれば、同じように撮っていたかも知れない。現在の私でも、もし、一日撮影し、疲れ切っている時間帯であれば、「めんどくせー」と思いながらなし崩しにこのようにしていたかも知れない。
しかし、それではダメなのだ。手を抜く写真はあっていい。それでも、「お!これは!」という場面に出会えたときに、手を抜かずに仕事をやりきる、その余裕を常に身体や頭のどこかに残しておかなければならない。良い写真を撮りたいと思うのであれば。

パンフォーカス。写真撮影時、フレーミングの中に(事実上ほぼ)ボケている部分が存在しないこと。もしくはそういう撮り方。カメラの設定としては、絞り込む=F値を最大近くにする。
いわゆる風景写真というのは、絵画のようなものだな、と思った。絵画の世界を隅から隅まで知っているわけでもないが、少なくとも私の知る範囲のいわゆる「絵画」には、写真表現で言うところのいわゆる「ボケ」を使ったものは存在しない。逆に言うと、絵画の中にボケがあると、むしろ違和感がある。
私の「ボケを入れるなんてありえない」という印象は、そういうところからきていると思った。

◆光の回折
ところで、光の回折という現象がある。極端に狭い場所を光が通過するとき、狭められている裏側に回り込もうとする現象である。
写真の知識がある人であれば、ほぼ当たり前の知識であるが、絞り込む=F値を大きく取ると、実はこの光の回折が発生する。具体的にどういうことが起こるかと言えば、ピントが合っているはずの場所で、どう見てもボケているとしか思えない状態になる。
私も知識としては知っていたが、実感したことはなかったので、実験で確認してみることにした。
まず、これが元の写真。と言うかこのフレーミングで撮影。絞りは開放から次がF5.6あとは順に1段ずつ絞っていって、最大値のF22までの撮影を実施。撮影に使用したカメラはNikon D800。レンズはVR24-85 f/3.5-4.5。三脚使用、ISO感度は100、焦点距離はワイド端の24mmである。
ピント位置は写真のとおり。で、以下では、赤い丸をつけた2箇所について、ピクセル等倍に拡大して表示する。


ピント位置近くの方。F値は左から3.5、5.6、8
  
F値は左から11、16、22
  

端っこの方。F値は左から3.5、5.6、8
  

F値は左から11、16、22
  


ピント位置近くの方は、回折が原因と思われるぼやけがはっきりとわかる。開放から順に見ていくと、8辺りで解像力?がピークに達している。それ以外でも3.5、5.6、11辺りは特におかしさは感じない。しかし、16になると明らかに少しぼやけが入り、22になると完全にぼやけている。
ピント位置から離れている端っこの方については、この位置でもすでにカメラから数メートルは離れているため、元々若干のボケはあるが、傾向としては、ピント位置近くと同様の傾向と言える。


◆パンフォーカスと光の回折
風景写真という雑誌の中に写真家の萩原さん(ご兄弟で写真家なのだが、このコーナーではどちらの方だったか失念)が、ちょうどこのネタを取り扱っていた。
つまり、、、
・風景写真ではパンフォーカスが基本なので、当然の如く絞り込む
・一方で絞り込むと光の回折で描写が甘くなる
、、というジレンマにどう対処するか?ということである。残念ながら完全な答えはないのだが、萩原さんのまとめとしてはこのような内容だった。
・まず自分が必要とする被写界深度をはっきりさせること
・絞り込みはその被写界深度が得られるまででとどめ、それ以上は絞らない
ということであった。