善光寺。

開びゃく1400年。その始まりは7世紀半ばというから驚きです。

阿弥陀如来をご本尊として、人と極楽浄土を結ぶ教えを説き、
当初から女性の参詣を許可して女人救済をとなえていたところから、
江戸時代には全国からの旅人が引きもきらず、だったそうです。

その人気のひみつともいえることは、教えを「体感」できるイベントがあることではないかしら。
座禅や写経といった頭で考えるものではなく、もっともっとわかりやすいイベント。
そのひとつが、本堂の伽藍巡りです。堂内は写真撮影不可なので、ここからはことばだけで説明します。
伽藍巡りとは、本堂の中にある伽藍の下にはいって極楽浄土の鍵をさがしながら通路を巡るという単純なもの。
なあんだ、くだらねえ。
と思った人はぜひどうぞ体験してくださいませ。
このイベントには約束があります。
中は真っ暗闇ですが明かりをつけてはいけません。
近年その闇に耐えきれずスマホの懐中電灯機能を発動させる輩がいるそうで、入り口にはわざわざ絵入りで注意書きがありました。
その上で右手で壁を触って進む、というのがルール。
すぐ前の人の背中も全く見えない漆黒の中で心に思う諸々とひたすら対話しながら進むのです。
出口を無事に見つけたらそれぞれの心にその人なりの思いが残るでしょう。
本堂前にあるお百度参りををカウントするそろばん


むずかしいことばはひとつも使わない。
わかりにくい造語も横文字もなし。
善光寺本堂の周りには大小のお寺が集まっていますが、そのひとつの門前にあった掲示板。

うむ、無学のわたしにもわかる。
叱ってくれる人がいないなら、この人におねがいしましょう。


開びゃく1400年。その始まりは7世紀半ばというから驚きです。

阿弥陀如来をご本尊として、人と極楽浄土を結ぶ教えを説き、
当初から女性の参詣を許可して女人救済をとなえていたところから、
江戸時代には全国からの旅人が引きもきらず、だったそうです。

その人気のひみつともいえることは、教えを「体感」できるイベントがあることではないかしら。
座禅や写経といった頭で考えるものではなく、もっともっとわかりやすいイベント。
そのひとつが、本堂の伽藍巡りです。堂内は写真撮影不可なので、ここからはことばだけで説明します。
伽藍巡りとは、本堂の中にある伽藍の下にはいって極楽浄土の鍵をさがしながら通路を巡るという単純なもの。
なあんだ、くだらねえ。
と思った人はぜひどうぞ体験してくださいませ。
このイベントには約束があります。
中は真っ暗闇ですが明かりをつけてはいけません。
近年その闇に耐えきれずスマホの懐中電灯機能を発動させる輩がいるそうで、入り口にはわざわざ絵入りで注意書きがありました。
その上で右手で壁を触って進む、というのがルール。
すぐ前の人の背中も全く見えない漆黒の中で心に思う諸々とひたすら対話しながら進むのです。
出口を無事に見つけたらそれぞれの心にその人なりの思いが残るでしょう。
本堂前にあるお百度参りををカウントするそろばん


むずかしいことばはひとつも使わない。
わかりにくい造語も横文字もなし。
善光寺本堂の周りには大小のお寺が集まっていますが、そのひとつの門前にあった掲示板。

うむ、無学のわたしにもわかる。
叱ってくれる人がいないなら、この人におねがいしましょう。

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