ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

「折檻」とはあまりにもご無体な

2018年06月01日 | 研究余話
 清水寛先生がかつて、「セガンは折檻をするなど、問題はあるけれど・・・」と、セガンの「歴史的制約」の部分についてお話してくださったが、ドンピシャの箇所が、中野善達邦訳書にある。写真は邦訳された原典。

「力づくで折檻しようとしたりすると、ベッドをめちゃくちゃにする。」
 オーギュストという14歳の子どもに関する「習慣」についての記述部分からの抜き出し。
 しかし「折檻」というのは合意で行うものではなく力づくの行為だから、この訳文?そのものが奇妙なのだが、それはともかくとして…・・・・。

 セガンの原典から当該箇所を訳してみると、
「ベッド・メーキングを無理に手伝ったり直してやったりすると、ベッドをめちゃめちゃにする」
となる。ここからは、セガンが「折檻をした」という「歴史的制約」は生まれてこない。語訳に素直に従うと、とんでもない世界へと導かれてしまう、という悪見本。

 しかし、セガンの原文にある当該箇所は、セガンが綴った記録ではない。セガンが「男子不治者救済院」の「白痴の教師」として着任したときに、同救済院の精神科医が付けていた観察記録なのである。セガンはその記録を受け継いで「白痴教育」をなしたのである。セガンの原文を詳細に(ていねいに)読めば一目瞭然のことにもかかわらず、セガンの「歴史的制約」つまり「セガンともあろう人が折檻をしていたのです!」という大きな落とし穴に落ち込んでしまったわけである。
 不治者救済院の精神科医も、セガンも、「折檻」という処置は導入していなかった。
 「不治者救済院」のかつての表玄関写真

 現国際交流センター等利用施設(旧「不治者救済院」)の表玄関(かつては修道院建築物の回廊の一部)