ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

セガンが教育したところ(空間)は? (1)

2018年06月11日 | 研究余話
エデュアール・セガンが知的障害教育を実践した場所はどこなのだろう。1838年から1843年までの間に、1.個人教育、2.公的認可を得た私設の教育施設(学校)での教育、3.公的機関(今日でいう病院)での教育がなされている。このうち、3は明確である。
 2.については家族用アパートが住所として判明しているが、具体実際は未解明である。アパートの所有者は誰?も不明。
 1.については全く不明。とはいえ、いくつかの説がある。次の二つは根強い論説となっている。
(1)パリ聾唖学校医であったイタールの指導を受けたとあるところからだろう、セガンをパリ聾唖学校の補助教師だったとみなし、実践の場をパリ聾唖学校だった、とする研究(フランスの有力なセガン研究者複数)
(2)実践の対象児アドレアン H.(8歳、唖で知的障害児)を病弱児施療院(こども病院)の入院児童であるとみなし、同病院が実践の場であったとするのだろう研究?(日本のセガン研究者)
 (1)(2)とも、アドレアン H.という子どもの名前が学校なり病院なりに登録されていなければならないはずだが、これまでの研究で、そうした名簿検索を行ったものはいない。私の調査では、少なくとも、病弱者施療人のアーカイヴ化された関係名簿にはアドレアンの名前を見つけることができなかった。しかし、アドレアンが仮名であったなら、言葉も出ない。お手上げである。
 となると、別のことを調査しなければならないが、実際の場所を特定することは、完全にお手上げ、ということになる…。