ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

研究生活継続宣言

2017年11月13日 | 研究余話
 あるものを無いと言い、無いものをあると言う。
 普通の感覚だったら、それはおかしい、と思い、さらに、その間違いは正されなければならない、と思い、行動に移す。
 こんな当たり前(だと思われる)のことを研究方法論の基本においてきた(つもりの)我が研究者人生。
 そのとっかかりが「生活綴方」教育史研究。これで随分鍛えられた。先人・先哲の言説にもの申す(研究論文で実証的に批判する、ということ)、という恐れを知らぬ行動に。
「おまえには敬意を払うという人としての礼節がないのか!」
「だって、先生、先生たちが「間違っていることは間違っていると言わなければいけないんだ」と、指導する子どもたちにおっしゃってきたのではないですか?」
「常識というものがあるだろう!」
「常識を疑えと綴っておられますね。」
「すこし黙ってろ!」と言われんばかりの境遇に入り、発言する場も少なくなり、言われなくても黙るしかなくなって、いつしか「たこつぼ」に入り込んでしまっていた。長かったなぁ。
 フレネに出会ったことをきっかけに、パリ・コミューンに出会い、そしてセガンに出会って、「普通の感覚」で対象と向かい合うことの自由を再び得、フィールドワークという教育史研究方法に没入することができるようになった。ただし、発表の場は得にくいことには変わりが無い。
 幸い、世はインターネット時代に入った。綴り表明する機会と道具は存分にある。同僚から「宇宙のゴミの量産」と揶揄されようと、「死が我々を分かつまで」、生活綴方人として、事実をありのままに捉えありのままに表現することの喜びがある。