ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

久しぶりの浅草行き

2016年02月03日 | 日記
○7時起床。起床時室温8度。夜中の目覚め2回。2回目はトイレだったが、左足が思うに動かず、部屋を出たところで左脚が体を支えられなくなり、玄関たたきへ崩れる。頭を打つことだけは避けなければと必死になって首をもたげて転げた。強くからだを打ったわけではないが、1分ほど、もがいて起き上がろうと努力。その姿、まるでゴキブリがあおむけになってバタついているごとくであったろう。午前1時半。ちょっとぞっとした。健全な体ではないことを十分に思い知った。
○ビニールゴミ出しも夜中の再現はあってはならないとヒヤヒヤの思い。慎重に慎重に杖をついて足を運んだ。
○幻戯書房へゆうパックにてゲラ直し等を送る。とうとう最後だ。
○佐藤さんへ書簡。パリエッセイを一編同封。
○雷門には約束の時間より1時間早く着き、いろいろとめぼしいものをあさる。一番の大物は細君の誕生祝の品。遅くなってしまったけど、鹿皮のハンドバッグ。二番目の大物は、値段的には一番高いが、頑張ったご褒美に自分用の銀製の万年筆。これからはなるべく{書くこと}を心がけようと思う。その次は、今日の主賓の久田さんにお祝いの品。ミミズクがあればよかったのだがフクロウで代用していただきましょう。タイタック。

○紙ふうせんは2月20日で閉店するとか。残念。今日もおいしくいただきました。トドちゃんに連絡し、相談のうえ、2月7日に二人そろって最後のもんじゃを食することにした。

○浅草寺境内の孤立ハト


○銀製品のお店で品を選んでいたときに、ふと、脳内を次のエッセイ(紀行文)が流れた。

くれぐれもご用心ください
 恒例のアメリカ研究旅行は、今年は、次女のイギリスでのホーム・ステイが急遽入ったため中止。やや傷心の細君に、「それじゃ、金沢・能登小旅行をプレゼントしましょうか。」ということになりました。
 地元の人に言わせれば、本当の金沢・能登の良さを知らない、というお叱りを覚悟の上で、以下、とっくにフル・ムーン年齢を過ぎた夫婦の「ご用心下さい」の旅のご案内、とございます。
1.くれぐれも地図にはご用心下さい

 金沢の一番暑い時期を選んでしまったとは後で気がついたこと。とにかく暑いこと暑いこと。東京じゃ涼しいっていうのに、ねえ。とはいえ乗り物があまり好きでない我が細君。30分程度の距離などは徒歩を選んでしまいます。しかし、それは歩く先に対象があってのこと。もしその対象に期待をはずされたときには、とたんに、心身症かつ全身疲労が襲ってきて、ダウンと相成り果てる御仁でもあります。
 輪島に宿泊予定の日、金沢での特急バス時間待ちの間に、「絵本・おもちゃの店があるから、そこへ連れてって」とのたまうので、「タクシーで行く?それとも歩いて行く?」と尋ねたら、「もちろん、歩いて!」と元気のいい声が返って参りました。とほと、とは僕の内心。だってさ、このところ、ぼく、腰が痛くて、足がしびれる状態が続いているんだもんね、それに、とても暑いんだもんね、おまけに、そのお店って、兼六園よりもっと先にあるんですもの。.....
 とにかく、町の人に、車の排気ができるだけ少ない道を教わり、白鳥路などでお堀の蓮の花などを鑑賞しながら、行きはヨイヨイ、の調子で歩いて参りました。およそ一時間ほども歩いたでしょうか、どうもそれらしい店がありません。たばこ屋のおばさんに聞いたら、逆に何度も聞き返されてしまいました。地図に書かれている一版書店の名前をいったら、それは知っている、もっと上がったところだ、というではありませんか。上がったところ、というのは、遙か前に通り過ぎたところであるわけです。で、戻りつつ目的のお店を探したのですが、結局見あたりません。お店の跡らしきとおぼしき建物は託児所が構えられておりました。
 そこで、「その地図、何年の発行?」と尋ねたところ、アメリカにて私はライブラリアンだと胸を張ってコミュニケーションを試みている細君、「あらイヤだ、二年前だわ。」というではありませんか。この二年間に、児童文化財の店は消えてしまって、幼児保育施設に衣替えをしてしまっていたのです。
 その日、細君からは元気が消えてしまい、輪島の宿では、ひたすら肩もみと腰揉み、胃のあたりを押す、という作業が、ぼくに命じられたのです。
2.くれぐれもタクシーにはご用心下さい
 そんなこんなはありましたが、金沢、輪島、和倉温泉の温泉の旅は、総じて、「温泉以外に何もない。あるのは、輪島塗だとか金箔だとか、お金のかかる工芸品ばかり。」という発見をし、どうも観光旅行にはふさわしくないなあ、などとひとりごちたわけです。お酒飲まないでしょ、お風呂嫌いでしょ、お金ないでしょ。こういう人間って、あっちこっと団体さんで寄って、ほい次ほい次ってな調子で連れ回される観光地巡りよりも、一つん所でじっくり一日かけて楽しむ、そう金沢の江戸村ぐらいが絶好なんだけど、これなどは、人によっては30分もかからないつまらないところらしいですねえ。といっても、江戸村まで行くのにタクシーで数千円---多い方の数千円---かかるんだから....。もっと近くになんかないの。
 初日、奮発して1時間5000円也の観光タクシーを利用したけど、寄ったところは、金箔屋さん(トイレが黄金!)、西陣織屋さん、そして郭跡...。郭は生涯利用することはないからお金はかからないけど、そのかわり通り過ぎるだけ、そのほかの所はみ-んな、お金をたんまり出さないと、値打ちがない。
 そうそう、和倉温泉では、おもしろいというか、財布の紐がこんなにゆるめさせられたことはない、という経験をいたしました。
 とにかく交通の便の悪さには驚きました。それにまつわるお話です。
 輪島から和倉温泉までは、一時間ほど、第三セクターの列車に揺られていくわけです。降り立ったはいいのですが、宿のチェックイン・タイムまではまだかなりの時間があります。目の前に能登島が浮かんでおりましたので、そこまでいこうか、ということになりました。宿の人に訊ねると、「ここから橋のたもとまで1キロ、そして橋が1キロ。計2キロですが、それだとただ橋を渡ったというだけですね。」と言われます。後の文言「ただ橋を渡っただけ」の意味の真意をはかりかねたのですが、やがてそれは、タクシーという交通機関を選んで後に分かるわけです。
 能登島に水族館があると聞きました。宿からも入場に際しての割引券を戴きました。水族館といえば、その名を聞いただけで、疲れが飛び、目がランランと輝いてしまう細君のこと、地図を見て、水族館に行きましょうよ、と言います、しかも、歩いて、と。しかし、ここはまあ、宿の人の「ただ橋を渡っただけ」という言葉をはかりにはかって、タクシーで行った方が後々の腰もみ作業などはないだろうと思ったぼくは、おもむろに、タクシーで行く、と亭主関白風宣言をいたしました。
 ....タクシーが能登島への有料橋を渡り終わりました。目の前に交通標識が見えて、水族館という案内文字が見えます。....ちょっと待て、その下に書かれていた数字は、確か、8.5kmとあったぞ。いったいタクシー代はいくらかかるんかいな。地図では、水族館は、橋を渡ってまっすぐ行った島の反対側で直線距離でも3キロはないはずなのに、8.5キロとはいかなることか。
 答は簡単。島をぐるりと半周するコース、要するに観光コース案内してるんですわ。絶対、あれ、観光行政と交通会社とが結託しているぜ。そんな内心のグチグチに関わらず、メーターはどんどん上がっていきます。やれやれ着いた、と思ったら、約1万円でありました。ちょっと時間を過ごそう、ということが1万円とは、ずいぶんと高い、まるで、暇を持て余して入ったパチンコで、ほんの数分でスッカラカンに負けてしまい、残りの大半の時間を再び暇の持て余しすぎ、というような気分でありました。
 で、水族館では、イルカと鯨ショーなるものがメインで、確かに鯨さんの芸なんか、生まれて始めてみたものですから、それなりに感動いたしましたが、その他はあまり整っていない。付設の、子ども向けのあれこれの乗り物の方がずっと整っておりました。確かタクシーの運転手も言っておられましたぞ、ここへ子どもを連れてくると、父ちゃんは一日で破産しかねない、一つ一つにお金がかかるから、って。そういうあなた、タクシーも、破産への強力な助っ人だすがな。
 さあて、行きはヨイヨイ、としておくとして(少しもよくない!)、帰りはどうするか。タクシーに乗って帰ったらまた1万円かかるわけですね。本当に帰りはコワイ。何とかバスの足を見つけたからよかったものの、それとて1時間に1本程度、最終バスの時刻をしっかりと確かめ(17時台)、近くのガラス美術館に足を運び、ここでもおアシがたくさん使われたのでした。
3.くれぐれも歴史にはご用心ください
 金沢小旅行の最終日は再び金沢市内徒歩
観光。「兼六園以外ならどこでもいい。」とやけ気味にのたまう細君をご案内申し上げようと思い立ったのは、武家屋敷跡の街でありました。すでに過日、江戸村にて、武家屋敷そのものについては拝見いたしたわけですから、「野村家」など、入館料を払って内部見学をする、ということはいたしませず、ただひたすら、土塀と立派な屋敷門などを眺めつつ歩を進めます。
 時折、「ねえ、この建物など、あなたの実家の町にあるのと同じね」と言われて、ふと「ふるさと」の町並みなどを思い浮かべます。なるほど、我が実家の存在するところは、小さな大名分家知行地の中間管理職の武家屋敷跡地付近なわけです。金沢市のように歴史を保存する文化的環境などはまったくなく、我が学びし中学校などは、平城ながらその城跡にあり、在学中には、絶好の遊び場で、戦時を想定したる迷路などもそのまま残っており、業間の折りにはそこにてしばし身を隠したものでしたが、昨今は実に立派に切り開かれ、市民体育場と成り代わっております。市民体育場と言うからには市民には開かれているのでしょうが、昨年帰省した折りに訪ねてみると、閑古鳥が鳴いておる有様でした。
 かくかく左様に、我が古里なる町は、土建屋市長の「金にならない物など残しておく必要がない」という言葉に象徴されておりますように、歴史文化遺産は次々と破壊され、古びた、今にも倒れそうな旧家が個人の意志によって数件残されているのみ、それとて何の案内もございません故、名古屋大阪あたりへ通勤される方々のベッドタウン化が急速に進んでいる我が町であります、その新市民などから見れば、「まあ、汚い家ね、早く建て替えればいいのに。危険だわ。」との感想を持たれる、まさしく思想そのものも倒壊しようとしている現実に晒され続けております。
 話は元へ。武家屋敷街をそぞろ歩きをしているうち、我が連れ合い、「ねえ、老舗博物館に行って見ようよ。」とおっしゃいます。武家屋敷街のはずれにそれはあるわけですから、さほど苦痛ではありません。ただし、地図を読み間違えて、しばし別の方角に進み、細君のややふくれた顔がちょっと大きく拡大された場面との遭遇はありましたが。
 老舗博物館とは薬事問屋、今でいう大きな薬屋さんですかな、そこの主は町名主などをお務めになったそうですから、千葉県松戸市のマツモトキヨシみたいなものかもしれません、「すぐやる課」なんてものを設けたかどうかは知りませんけど。老舗博物館の一階は建物内部のご案内、贅沢三昧という表現しか思い浮かべることができませぬ。木綿生地の衣をただ一枚からだに巻き付け、その日のおまんまにありつけるかどうか分からなかった多くの庶民たちは、この薬屋さんから薬を買うことができたのかどうか、その辺についての案内はなく、逆にお殿様専用であった風なご案内、とにかく立派な社会階層であったとの案内板にため息がでてきます。これも歴史の一部事実だけど、すべてではない、ということだけはきちんとご案内いただきたいものだと、いずこの町の同種の案内を見る度に思わされます。
 二階に上がると、まさに、上層商人たちの本質を知らしめられる展示物がありました。全国お菓子博覧会にディスプレーされたというお菓子の木は、ぼくの脳裏に刻まれている町・金沢らしい風情を味わうことができましたが、その向かい側には婚礼に関わる結納の数々が展示されております。ご案内いただいた老舗の主らしき人が「金沢の結婚は金がかかります」と仰せられたように、婚家の家族一人一人に当てて結納の品が出されるなど、水引は幾重にも積み重ねられておりました。こんな、大商人たちの財産がある---それは社会的地位の誇りでもある---という証の婚礼の儀を、まさに商人たちの活動を社会制度の基本とする時代に成り代わって後には、一般民に至るまで、「これを婚姻の儀礼となすべし」との風習が成り立ったその歴史的痴呆状況に、しばし目を奪われ、深いため息をついたのであります。
 連れ合い曰く、「私は、このうちのどれ一つとてもらわなかったわ」。略奪結婚?であっても、共同生活20数年を重ねると、こんな言葉が出てくるわけでありますな。げに、歴史とは恐ろしい。
 それにしても何ですな、その結納の品々をしばし眺めるために、ぼくは立ち居から正座の姿勢をとったのですが、その他の見物人数人も、ぼくの姿をまねてか、ぞろぞろと正座を始めたのです。別に正座の必要など求められておりませぬ、お茶室ではあるまいに、ただぼくはその方が落ち着くし、足の疲れが癒せるから、そう内心でつぶやきながら、こんなところにも、「右ナラヘ」の社会的風潮が見られるニッポンコクを実感したのでありました。
4.くれぐれも英語にはご用心ください
 老舗博物館を出て、そろそろ金沢駅に向かいましょうかと、小堀側伝いに武家屋敷跡へと戻っていくと、堀川の向こう側に細君の目を引いたらしい看板がありました。---民芸品云々----。「ねえ、あそこに行っていい?」「そうしましょうか」と、そこで子どもたちへの土産を買おうと思い立ち、橋を渡って店に入ろうとしたら、かの君は、そこを通り過ぎ、隣の銀製品を売っているお店に、「こんにちわ」と入っていくのであります。あれま、老舗博物館は金まみれだったが、今度は銀かいな。
 お店には、銀製品の小物から大物まで---あくまでも金額のこと---、ずらりと並んでおりました。銀という輝きは派手ではありませんが、何か底光りをしており、気持ちを落ち着かせる雰囲気を漂わせております。ぼくは、あくまでも小物の品をあれこれ手にとって、眺めいっておりました。
 すると、店の主、なかなか恰幅のいい、しかし若々しい、そう30代でしょうか、我が側に近寄りて、○印の紙と無印の紙を提示し、○印の方ではin silver、無印の方ではno silverと仰せになられます。ぼく日本人だから、この印のある品物は銀が混ぜられております、無印の方は銀が入っておりません、どうぞごゆっくりご覧ください、という日本語の案内で十分に理解できる、いや、その方が理解度はほぼ100パーセントになります、てなことを心の内でつぶやきながら、なぜか外言は、Ya.... yes. OK.などとご返事申し上げたわけです。店の人は、明らかに、ぼくを、日本語が理解できない人、という感じの扱いで、単語数列英語によって接客いただきました。逆にぼくの方は、このご主人、きっと中国人で、日本語ができないのだろう、また、英語も不十分なのだろう、でも日本語よりは英語の方が意思を伝達できるのだろう、と思ったわけですね。
 このことに端を発して、とうとうぼくと店のご主人とは、この店において、互いに「謎の東洋人」---おそらく---に変身いたすことになってしまいました。一つ一つの品を手に取る度に、in silver, no silverに始まり、品物の説明をしてくださいます。ペーパーナイフを手に取ったときなどは、ほぼ興奮の面もちで、「それはたいそう優れたデザインで珍しい品物です。」と、たどたどしくご説明いただきました。また、干支を形取ったキー・ホールダーを眺めておりますと、It's in four nine silver.と、よく分からない内容のご説明をくださいました。そえられた製品説明書によると、銀含有量が999.9とありますから、純度ほぼ100パーセントということです。
 方や細君は、不自由な英語から解放されて、のびのびと、大物小物に関わらず、あれこれ品物を物色しておられました。ぼくの方からのプレゼントの旅ですから、ここでの買い物に関わるものも、当然のことながら、ぼくの財布からおアシがお出ましになられるわけで、互いに不自由な英会話を交わしているその目を、互いにちらりと細君の方に向けあうわけです、ぼくとご主人とが。方や「出ていく出ていく」、方や「入ってくる入ってくる」....。
 しばらくあれこれと好みを探していましたが、やがてレジへ。レジのところにはご主人のご父君と見られる方が出てこられ、レジを挟んで、4人が対峙いたしました。レジを挟んで向こう側では購入された品々の包装と計算、レジを挟んでこちら側では支払いの予測計算が始まります。そこで交わされた会話言語は、しっかりと、日本語だけなのでありました。
 それにしても、店の中で、ぼくと細君とは、しっかりと日本語で、「ねえ、これ見て、すてきね」<内言語では「買って買って」を意味しているのでしょうねえ>とか、「ふーん、銀って思ったより安いんだね。でも、それはちょっとデザインがねえ。」<あまりにも高額なので、内言語で「買うな買うな」を明確に意味しております>とかの言葉を交わしているのですから、ご主人、とっくに我々が日本人であることを見破っており、からかっておられたのかもしれません。
 でも、今年も、Englishの旅を楽しみにしていた夫婦でしたので、旅の最後にそれを楽しむことができたのは、テンからの贈り物であったのかもしれませんね。