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ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

歴史の一コマの謎解き

2018年11月30日 | 研究余話

 1839年6月20日の日付の入った『子息の教育についてのO氏への助言』(邦訳題)と題する小冊子がある。エデュアール・セガン27歳の第2著作物だ。この書の解題的なことは拙著『知的障害教育の開拓者セガン 孤立化から社会化への探究』(新日本出版社、2010年)第3章に譲る。以下は今も持ち続ける課題意識。

 書名タイトルにあるO氏とは実在の人物を指して言っているのか、それとも匿名人物か。実在の人物とするならば、それは誰のことか?未だどなたも考察なさっていないから、世界のセガン研究史上、大した問題ではないと扱われてきたのだろうな。
 「白痴の子ども」は、救済院(精神病院)に「捨てられる」か、家庭内で養育されるかしかなかった時代背景。家庭内養育事情の多数は禁治産から逃れるために「白痴の子ども」にその制度対応の能力育成が必須となる。
 セガンの白痴教育実践の「成功」(1839年発表「第1著書」)はヨーロッパ世界を驚かせ、喜ばせた。それまでは、「執事」等の手によって何とか禁治産を免れるためにあれこれ画策してきたが、教育によってそれが可能になる!という「喜び」の発見でもあった。跡取りの子ども自身に家名・財産継承宣言を公的に行わせることができる!
 そういう有資産階級の某人からの我が子の教育内容と方法とを綴ったテキストをかいてほしい、という要請がセガンになされ(当然、相当額が支払われたはずだ)、セガンがそれに応えて著したのがくだんの小冊子ということになる。

 この点から言えば、O氏は実在の人物であり匿名者でもあろう。実在の人物だとしたらそれは誰か?セガンをサン・シモン教徒として入門機あれこれと濃密な教育をしたオランド・ロドリグ最高神父であろうと、推察している。セガンが、知的障碍者の社会的自立に取り組んだ「労働者の権利クラブ」の中に、「オランド・ロドリグの息子」がいる。彼は知的障害者であったと強く推測されるのだ。

誤訳、誤読、低学力、権威主義の世界で扱われる「セガン」さん

2018年11月27日 | 研究余話
今日もうるさくセガン話

 「セガンは折檻などしてるんですよ。」
 さも悔しそうに、そう、たとえて言えば、信じ切っていた愛する人に手ひどい裏切り行為をされた風情で、私にセガン案内のレクチャーをくださった。この方をS先生とお呼びしよう。
 S先生がその論拠として使用した文献は、N先生の手になる、セガン実践記録論文(1842年)の邦訳書。

 この数年後、フランス特殊教育研究所蔵書になる原典をコピーで入手し、該当箇所を読んで驚いた。1.セガンが子どもの教育訓練を引き継いだ際に、前任者が綴っている箇所であった。つまり、セガンの言葉ではない。2.その個所の概要は、子どもがベッドのシーツをかたす作業の際に看護助手が手助けをしようとして逆に、子どもはシーツをめちゃくちゃにしてしまう。どこに虐待があるんでしょう?

 翻訳の不正確さ、あるいは誤訳、それに端を発していることは間違いないが、その翻訳でさえ丹念に読めば、セガンの言葉(記録)でないことは読み取ることができる。つまり、S先生の誤読も大きく働いている。

 こういったことをS先生、N先生に直言できない研究世界という事情が、正確なセガン研究から遠ざけてしまった。N先生はすでに故人故、S先生に直言申し上げたが、「あなたはフランス語学力が十分でないと自認しているのでしょ?プロ中のプロのN先生の訳文にいちゃもんを付ける気ですか?」と、取り上げられなかった。つまり、私のフランス語学習歴も災いしている。

 一番哀れなのは、セガンさん。やっぱり、なんだかんだと(「何をいまさらセガンか!」)揶揄する人たちがたくさんがいようとも、本当に愛するのならば、セガンさんの名誉回復の必要はあると、ぼくは思っている。S先生は学会賞を受賞されたことで、「何をいまさらセガンか!」の世界に安住しておられるのだが。

思い出:フランス・パリ生活、初めのいーーっ歩。「パリ生活って、何を食べたらいいんだろう?」

2018年11月25日 | 研究余話
 長期間取っての海外生活経験が2000年4月1日から1年間のパリ生活。読み書き言葉、聴く話す言葉、その他フランス・パリを説明するあらゆる文化について、何も知らないままに、知人のお世話をいただいて、パリ入りし、11区の教会すぐ側のアパートを借りて住み、生活を始めた。
 翌朝目覚めてすぐに独りごちたのが、冒頭の言葉。アパートに備え付けの冷蔵庫は空。
 何とかなる、いや、何とかせねばならぬ、とアパートを出ると、目抜き通りの木立のある広い歩道にテントが張られ、人の声で賑わしい。数日後知った言葉「マルシェ」。日本語では「朝市」というらしい。

 人混みに押されながら店をのぞき込む。生鮮食料品店が圧倒的。ハハーン、ここで買い物をして、アパートに持ち帰って調理をすれば、レストラン代、スーパー代はいらないな。
 肉屋をのぞき込む。一番安い値札のついている肉にはlapinと書かれた紙がおいてある。頭上を見ると、ウサギさんがつり下げられている、何羽も。ウサギはラピンというのか?子どもの頃の食材だったから、食べるのに抵抗はない。
 人差し指をかざし、「ラ・ピ・ン、頂戴!」 店のマダムは高笑いをしながら、「ムッシュ、・・・ア・ン・ラ・パ・ン・シ・ル・ブ・プ・レ!OK?」。復唱しろと言っているらしい。おいおい、この人混みの中、お客が多いのにいいのかよ、と人ごとみたいにブツブツ言いながら、マダムの言葉(らしいと思った言葉)を、意識としては繰り返した。・・・ノン!ノン・・・何度か復唱させられて、やっと念願のウサギ肉を手にすることができた。狂牛病の前のこと、ウサギ肉は安価な安定食材だった。
 ついでに、香辛料(グラム量り)、日用雑貨、その他をのぞき込み、調味料、調理道具(鍋、フライパンはどうしても欲しい)、などなどを購入。背中とお腹のリュックはぱんぱんにふくれあがった、両手ももちろんふさがります。パリ生活2日目。
 この日作った、つまりパリ生活で初めて創った料理がラパンスープ。もちろん自分勝手の調味加減。トマト、安いオリーブオイル、安い白ブドウ酒、コショウ、塩・・・。でも、これは旨い!。パリ生活で来客の際に作って提供した。

 ラパンの骨は、カレー作成の際のだし取り用と、猫たちの食事に供した。


「行間読みで妄想する」セガン研究あり

2018年11月24日 | 研究余話
 セガンが男子不治者救済院で実践開拓した「梯子の昇り降り訓練」はとても面白い。立て掛けた普通の梯子の昇り降りを、手足を使って行う。この実践に関しては、セガンのアメリカ時代の著書にも記述されているから、セガンの「生理学的教育方法」の本質を見るものであろう。丹念に分析的に理解する必要がある。
 ところで、梯子く訓練を終えた直後に、セガンは、子どもたちの掌に、リンゴを乗せている。直接的には火照った手のひらを冷ますツールとしてリンゴが使われている。それだけではなく、アメリカ時代の著書では、リングを握るという手指の訓練に導入されるとしたためられている。アメリカ時代の著書では、リンゴでなくてもいい、冷たくて手の平に包み込みやすいもの、水晶玉なども推奨されている。
 梯子の訓練を終えて戻ってきた子どもたちの掌にリンゴを渡すとき、セガンは何か言葉かけをしたのか?綴られていないから、そこは推測の段階だ。某人は「えらかったねー、これはご褒美だよ。」と言った、とする。しかしそれでは、水晶玉でもよし、とするセガンの主張は説明できなくなるのだが、某人は、そのことについての納得のいく説明はしていない。「このように、セガンは、心優しい教師だったのです。」という彼のセガン像の伏線として、この個所が読まれている、としか思えない。
 すなわち、それは、某人が「行間読みで妄想する」にしかすぎないということだ。やはり、セガン研究者の名札は胸から外していただきたい、「セガン教の教祖様」なのである。
★セガン1866年著書薬師川邦訳書『障害児の治療と教育』ミネルヴァ書房、昭和48年、83ページ参照。

戦前生活綴方史考

2018年11月21日 | 研究余話
戦前生活綴方史考ー「戦前生活綴方は反権力の民主教育実践であり理論であった」と強弁なさる先生への書簡

 戦前の初等教育界に「生活」ということばが持ち込まれた。身近なことから訓育陶冶(教育)すべきという国民(臣民)教育政策に端を発してはいるが、教科書一辺倒の効率的伝達と異論なき価値指向の教育を行っていたそれまでの教育現場に、教科書以外の「価値」が教室の中に流れ込んできた。子どもたちが自分の「生活」を語り出したからである。
 ところが、昭和期に入って、これがいかんと、内務官僚達は考えた。統制的価値体系に風穴が空くと恐れたからだ。それで、子どもたちに「生活」を語っている教師を「治安維持法違反容疑」ないしは「治安警察法違反容疑」で取り調べ始めた。
 もともと日本の小学校教師は、気が小さい、世間体を気にする、従って「お国」に忠実な人々が多かったのだが、警察に取り調べられる、それはイコール、「お国」に疑問を持たれるような人なのだ、という烙印を押されるのを恐れた。それで、先走りして、「取り調べられるようなものはこれだろう」と自己判断をして、慌てて焼却処分をし、身ぎれいにした。こういう教師群の中にはとても有名な「生活綴方教師」と言われる人も存在する。長崎の近藤益雄は自身がそう文書で公にしているから、ここに書いていいだろう。
 さて、どんなことを教師達は恐れ、内務官僚達が目を向けたのか。農業労働場面を綴った作文や詩などは特に目を付けられた。「農民が一揆の相談をしている、子どもをそういう非国民農民に育てようとしている赤い教師だ」というレッテルを貼るために(三重の実践家T氏の取り調べ例)。内務官僚にとっては、それが事実でなくていい、国民(臣民)がそういう事例を知り、反ないし非国家的感情とはこういうことなのだ、と知らしめることであり、同時に、公言させないことが狙いだからだ。この風潮は現代も生きていますね。「人がどう思うかと考えるとものが言えない。」と。
 あと、N研究会で私は、なぜ「生活綴方」と言わないのですか、この研究会で実践・討議されている「自由作文」は、理論的にも実践的にも、生活綴方と同じですが、と、その研究会の副委員長様に尋ねたら、「生活綴方はイデオロギーで満ちているから」との回答がなされた。はぁ~、特高と同じジャン、この先生の頭んなか。
 生活綴方は子どもの自由で柔軟な思考を最高の宝物にした(している)のですがね。

批判「セガン研究における現代的意義と課題は何か?」について

2018年11月20日 | 研究余話
「セガン研究の現代的意義と課題」という問いが出され、ほとんど無い髪の毛を毟りながら、考えている。その問いには正面からは答えられないなあ、という大きな逃げ前提を起きながら。

1.まず、批判者の言う「セガン研究」とは具体的に何をターゲットとしているのか。
2.俗に言われる「セガン研究」が内意ているのは、セガンの知的障害教育実践ならびに理論、さらには教材・教具文化にかかわる研究のことだろうが、ぼくはそれらの研究を進める資質を有しないがゆえに、手を付けてきていない。したがって、この意味で批判を出されても、答えようがない。
3.19世紀という時代に実態を持っているセガンにかかわる2.を除くとしても、先行研究は事実誤認という些細なことを含めて、方法論、成果ともども、でたらめである。資料発掘さえ極めて不十分である。つまり、19世紀に生きたセガンは未解明なままである。
4.そういう点におけるセガン研究は、現在という時代においては無意味である、というのならその意味をまず提言してもらいたい。議論はそこから始まるだろう。

以上、現時点における問題返しである。

 ・・・・なんちゃって・・・・・・・・

おもひでぽろぽろ・・・セガン教

2018年11月19日 | 研究余話
 「神聖にして犯すべからざる存在」としてのみぼくの前に現れた「セガン」も、拝し奉りながら、ちらっと指の間から覗き見る「不敬」を繰り返していくうちに、指の隙間がだんだん広くなっていき、それとともに、「あれまあ、セガン君、どうしちゃったのさ、兵隊検査に乙種合格して徴兵されながら兵役についてないじゃないの」というような、「兵役逃れ」青年である実相が見えたり、世間様がうらやむような秀逸だったのに、ぼんくら青年以下の怠け大学生であることが公文書にはっきり記録されていたり、という、とてもじゃないけれど、初期の神々しさはすっかり消え失せ、よっ、ご同輩!と、わが身来し方のヨレヨレぶりが、それもまあ、あっていいのかな、セガンさんもそうだし、などという開き直りを生み出してもくれた。

 超凡人セガンに潜んでいた、教育や実社会に対する俊逸なる知性と技とにあいまみえるようになって、ぼくは、やっと「セガン」にほれ込むようになった。12月9日の講演会ではそんなことをしゃべろうと準備中。

 ぼくに、セガン今日のすばらしさを熱っぽく説いてくださった教祖様は、すでに、素知らぬ顔で、ほかの信仰対象に入れ込んで、新興宗教を熱心に説き、信者をお集めになっておら得る…。ああ、素晴らしきかな。

昔のゼミの有志集まり食事会

2018年11月18日 | 研究余話
 保育園の園長さんが川口ゼミ・ランチ会に加わった。今日はあまり話を伺うことができなかったが、これから集まりを持つことの大きな楽しみを期待できるのは、とてもうれしい。
 ぼくは幼児が苦手だが(ぼくの精神構造は幼稚だから)、幼児たちと接し、成長・発達の見守りと手助けをすることができるなんて、素晴らしいじゃないですか。

 わがゼミ生たちも、セカンド・キャリア・ステージ(ちょっと小難しい言葉だよな、第二の労働者・勤労者生活の世界に入るようになったのね。いいなぁ。おらぁ、いきなり闘病生活だがや。 

和歌山大学時の若き友と議論を交わすことになった

2018年11月17日 | 研究余話
 たった2年半しか勤めなかった大学でのゼミ生から、会って議論を交わしたい、という申し出と議論素材資料が送られてきた。先に「たった2年半」と書いたが、ぼくの40年間の大学教員生活では、天の楽園にいるような、学生諸氏との出会いと交わりがあった。

 この君は、ぼくが住まっていた堺の国家公務員宿舎に「先輩」とともに訪ねてきて、議論を吹っかけてきた。頼もしいなあと感嘆したものだ。その議論の第一命題は「人類最初の職業は売春だと言われるが、どう思うか。」であった。ぼくは「その買うお金はどうやって稼ぐのかな。」と答えた。などなど。次年度、この君は開講するゼミの一員となった。カラオケコンパの時に、この君から「和歌山ブルース」なる歌があることを、教えられた。「お前、和歌山に定着しろよ。」というシグナルだと思って、胸にきざんだ‥‥。

 来る22日に、こちら柏までおいでいただく。間に挟んで議論する資料をしっかりと読みこんでおきますね。

言論弾圧

2018年11月15日 | 研究余話
 言論弾圧は、なにも、政治の世界だけにあるゆゆしき事件なのではない。

「褒めるのは誰でも出来る。研究者らしく批判的な書評文を綴ってほしい」という著者先生のお言葉を真に受けて(この業界では、その言葉を正面から受け止めてはいけないんだ、という暗黙の了解があるなんて、「アホな川口」は知らないから)、誤字脱字はさすがに具体は目をつぶり、短歌・俳句に関する基礎教養に関わる問題指摘、そして著書主題人物礼賛一辺倒でいいのか、という歴史認識批判、主題人物評価として、国権主義者であって生活教育教師という評価は困難ではないか、などという「研究批判」を混ぜはしたが、教養書としては良書である旨、濃厚なリップサービスを綴った。
 原稿を編集部に送る前に見せろ、とのお声が先生様よりあり、ファックスでお送りしたところ、激怒の返電。「まるでぼくが低学力者みたいじゃないですかっ!ぼくをおとしめるつもりですかっ!書きなおして再度送ってください、早急に!」
 好きですね、この人、言論弾圧が。かつてぼくもやられているし、けっこう、いろんな人に、やっているという話を伝え聞く。弾圧対象は学界力関係でいえば「無名」ないしはそれに近い人。
 周りでちやほやされて脂下がっているけれど、本質は、底の浅い浅い人物でしかないことを、痛いほど知りました。