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ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

セガン 史上初の知的障害児者学校の創設者 2

2017年08月27日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温28℃。
*夢に母が登場。研究室を訪問した。あれこれ世話を焼いてくれた学生数人(実在)、女性老教授(こちらは仮想)。夢の中でも母は・・・・!
71.9
125 69 48
*どうもjcomメール関係の受信が不調のようだ。ま、いいか。
*携帯の充電口関係が接続不良。買い換えの時期か?
○足裏着地訓練、足首柔軟化体操、両膝屈伸、偽装ストレッチングボード、その他。
*13時~13時50分 児童公園で運動。駆け足もどき、サッカードリブルもどき、鉄棒周辺でいろいろ。まだ足は引きずります。ギッタンバッタンです。
○【セガン 史上初の知的障害児者学校の創設者 2】
「セガンが世界で初めて白痴の子どものための学校を創設した。」
 それがいつのことなのかの確定情報は無い。それがどのような内実を伴っていたのかの確定情報も無い。となると、「へー、そうなんだ、すごいねー、立派だねー。」という世間話程度の「セガン研究の到達」でしかないわけだ。「盲学校」や「聾唖学校」のような、教育史実とはまったく違うとしか言えない。
 じつは、セガンの死後100年祭(1980年)にあわせて、在野の社会史研究者(ティエイエ)が著名な精神医学博士(ペリシエ)との共同で、「白痴学校」の基礎情報史料(の一部)を発掘し公刊していた。「セガン研究40年」の大先生をはじめ多くの人がその情報を手にしていなかっただけだ。それによると、当該の学校は、パリ・ピガール通り(現在のパリ9区)の共同住宅の屋根裏部屋2室に置かれた、との「推定」がなされていた。開設時期については明言されていないが、よく読むと、1843年以降の時期を想定している。それは明らかに史実ではない。
 屋根裏部屋2室!そういう空間が「学校」になり得るのか?(19世紀半ば以降の)パリ大改造以前の共同住宅の屋根裏部屋の、住む人にとっての劣悪な状況一般については一通りの知識があるので、この「推定」にはいささかの疑問を抱き続けており、現在の私は、別の「推定」をしている・・・。
 「聾唖学校」や「盲学校」のような寄宿型(強制収容型)か、それとも通学型(自主就学型)か。当時の白痴への処遇から考えると通学型はあり得ないのだが・・・。
 「学校」か「私塾」か。「私塾」ならば公権力によって開設認可がなされていないが、「学校」ならば公文書が残っている可能性がある・・・。
 「セガン研究」に深入りする動機も意欲も能力も無かった私にとって、「セガンが創設した白痴学校」史実の調査は、最終的に、「セガン研究40年」の大先生に、「力及ばずまったく不明です。申し訳ありません。」と報告するに、何のためらいもなかった。しかし、他のフランス近代教育史研究課題(1871年のパリ・コンミューン下の教育改革・学校創設)のためには、19世紀に私人が「学校」を創設する、ということの必要な手続き等情報については、知っておきたいことだった。「それなら、国立パリ古文書館で調べたらいいですよ。」と、フランス人知人が示唆してくれた。

 同古文書館には、2005年~2008年、勤務大学の授業休暇期間を利用して通った。同館の門をくぐった延べ日数は10日ほどになる。毎度毎度、入館手続きをし、レファレンス係に調査趣旨を述べ、関係周辺史料を出してもらう・・・。フランス文字筆記体が踊る変色した史料の束(化粧箱大の箱数個)から当事・関係資史料を選び出す作業に、絶望感が襲ってくる。
 2008年11月初旬、AJ 16 156と分類記号・番号が記された史料箱の中に、求めて止まない史料類を見いだした。心臓が飛び出る!
 公教育大臣が視学長官に宛てた諮問文書(書簡)
 視学長官が公教育大臣に宛てた答申文書(書簡)
 公教育大臣が視学長官に宛てた決定文書(書簡)
 これらを総合することによって、セガンの「白痴学校」の設立経緯、設置条件等がくっきりと浮かび上がってきた。セガンが公教育大臣に、「学校設立の許可願い」の書状を出したことに端を発している。残念ながら、その書状そのものは見いだすことが出来ていない。
 1838年にセガンの請願(直訴)がなされ、1839年12月31日に公教育大臣による設置許可がなされていた。
 これらのことを明らかにした先行研究類の存在を私は知らない。
(以上の文書詳細は、拙著『一九世紀フランスにおける教育のための戦い セガン パリ・コミューン』(2014年、幻戯書房)に、綴った。)
       (続く)

通所リハビリ

2017年08月26日 | 日記
○6時起床、起床時室温30℃。雨戸を立てずに寝てこの室温。腰痛に悩まされた。
*久しぶりに夢。電車に乗り乗り換え。何線?秩父線のような気もするが。乗換駅ホームで喫煙行動。
71.9
129 72 54
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ
*訓練開始前に、所長さんのご案内で、百日紅の林、所長さんのご実家、上娘が在学した中学校、農村光景、そしてカタクリの群生地を、車窓から楽しんだ。いつもながら、ありがとうございます。
*今日は腰の痛みがあるので、マッサージ、あったか姫をプログラムのはじめに設定していただいた。すっきりした体で、
*バードル歩行訓練、踏み台、足裏着地訓練、足首柔軟体操、ステップ、レッグマジック、ストレッチングボードなど。
○やっと色気づいた!】
 庭の「桃」がやっと色気づいた。去年は8月15日に初もぎをしているから、10日以上の遅れ。
 君のその恥じらいのポッ、その色気を待ちに待ったのだよ。
 さっそく皮を剥いていただきました。みずみずしい!甘い!

○【ある旅の思い出】
 この時期、記録を見ると、毎年のごとく、あちこちに出かけている。昨年は嵐の北海道。研究仲間であり、FBFでもあるお人たちと歓談の一時をいただくという幸せがあった。
 今年は残念ながら、無い。
「過去帳」をひっくり返すと、なかなか味わえない旅がある。あれはもう5年も前になるのかー。
 この年のぼくの授業「道徳教育の研究」でM君という数学科の学生がいた。全盲者。研究室には週に1度顔を出していた。夏休み前7月の頭に、彼が言う、「マジでよ、先生と、外国に旅してえんだなぁ」。以下の会話文言はその時のそのままの略記である。
 私(難聴老人)「観光ってのは風光明媚、歴史遺産の観賞だよな。目で楽しむのが基本だろ。失明者が観光って、俺の人生で無いことだから、何すりゃええんかいな。聾のオレは観光ガイドは、お断り、だしな。」
 M君(4歳頃からの完全失明者)「触れりゃいいっす。」
 私「あのな、大抵、お触りお断りだぞ、ストリップと同じ。」
 M君「じゃ、食い物がいいっす。」
 私「いちんち中、食ってるってのか?」
 M君「いいっすねぇ」
 私「おめーはいいたろうが、こちとら、どうせオレにたかる気だろうが、財布が干上がってしまぁな。それに、血圧が上がって動けなくならぁ。」
 M君「えへへ。楽しみっす。」
 結局、M君と、しばしば研究室に出入りしていた他大生のK君(やはり完全失明者)、それにM君の同級生のS君がサポーターとして加わり、S君の母親がボランティア通訳者として、加わった。釜山及び慶州。私が行き慣れている、ということで決まった。
 ・・・観光本の意味不明記述と格闘しながら、若者のお触り観光に適う名所旧跡を捜し続ける・・
2泊3日。原則自由行動のパックもの。旅のタイトルは、カニ大食らいの旅。観光ガイド的なことはS君のお母さんが務めてくれるというので、ぼくの役割は、若者たちが満足!というまで食べるに値するカニの安食堂探しと、観光タクシーの手配。後者はこれまで何度も務めていただいた方に、格安でお願いした。カニ食堂の紹介もいただくという。ぼくの役割は、M君とK君の何でもやってやろう!という冒険の行き過ぎ行動と、彼らの見事な食べっぷりとに、やきもきするぐらいのことだ。
 彼らが、まるで幼子のように歓喜の声を挙げて、何度も何度も「経験」を求めたことは、ぼくにはまったく予想できなかった「風を感じる」ことであった。
 海から吹く風が埠頭の建築物の間を抜けていく・・。
 強く吹き抜ける風は、彼らを吹き飛ばす、あるいは引き戻すほど。風が通り抜ける空間(ビルの狭い谷間)で、二人は、体をくるくる回して楽しんでいた。30分ほどもそうしていたろうか。S君もつられて二人の仲間入りしたが、すぐに抜けた。「たんに強い風が吹いているだけですけれどね。」
 何度も何度も「経験」を求めたことは、もう一つある。埠頭の歩行空間脇に建てられている「オモニ像」の「お触り」行為である。S君のお母さんに、触って確認してよいと聞いたとたん、台座に上り像の頭の頂上を確認することから始まり、足先まで、しっかりと「お触り」していた。「どうだった?」と感想を求めたら、「満足です!」と、二人同時に返答した。もう少し詳しい感想を聞き出したかったのだが。S君が、後刻、「お触り観光がもっと楽しめればいいのに、と言っていましたよ。」と報告してくれた。そのお楽しみは、翌日の慶州観光で味わうことになる。明き目のぼく(たち)も大いに楽しんだ。
 こうした観光も新しい経験でステキだったが、夜、寝室を同じくして語り明かしたことは、さらにステキだった。それぞれの生育史や出自についての語り合いは、詳細を書くとしたら虚構表現でしかすべきでないので、この場では綴らないが、ぼくの人間観、歴史観、世界観をさらに広げてくれたことはたしかである。
 M君はコンピュータ・プログラミングの世界で、K君は大きな企業の社員として、S君は公立中学校教師として、現在を生きているはずである。K君は、最近、スポーツ情報に華々しく登場していたが、これからはそうもいくまいが・・・。 

(回想エッセイ)白痴学校の創設者セガン 1

2017年08月25日 | 日記
○6時30分起床、起床時室温30℃。
*ぎっくり腰風の腰痛。
71.4
116 70 52
○車庫屋根塗装工事、今日から後半に入るとか。室内でさえ30度を超えている暑さ、職人さん、本当にご苦労様です。
○足裏着地訓練、足首柔軟体操、つま先立ち訓練。偽装ストレッチングボード。根っからの体の硬さを根気よくほぐしていきましょう。
○昼前、細君と上娘が揃って、昔の活動家女子学生風ファッションで、出かけた。「夜遅くなるからお願いね」という言葉を残していった。どこに何しに行ったのやら・・・。
 ということで、今夜も孤食。
 山羊肉タイカレー。あまり辛いのはちょっと心配なので、辛さは控えて作成中(写真)。山羊肉は時間を掛けて煮込みしばらく漬けおかないと硬いので(それはそれでステキな歯ごたえなんだけど)、ご婦人方がルンルンとお出かけになった直後から仕込み開始。
 初の試み故、おいしいかなぁ~?

☆☆じつにおいしい!隠し味のリンゴの甘さとタイカレーの辛さとが絶妙なハーモニー♫ もう一回作れますでしょうか?なんせ「出来心」と「勘」が選ぶ素材です。
○【セガン 史上初の知的障害児者学校の創設者 1】
 エデュワール・セガンが世界初の白痴学校(知的障害児者対象の学校)の開設者であることは、しばしば語られるが、その経緯や実際については、ほとんど語られていない。そのことを直接語る史料の発掘・発見がなされて来ず、セガンの実績をよく知ると思われた人の語りだけが根拠となってきたからだ。
 「セガンを研究して40年」を口癖にしておられた先生から、「セガンが開設した白痴学校の実際を知るべく詳細な調査をせよ」とのご下命をいただいたことを直接のきっかけとして、上記の語りがなされている原典、セガン自身の著作そして公文書の類いを探索した。
 その結果、驚いたというか呆れた実情を知った。それは、セガンは著書に明確に綴っているにもかかわらず、誰も、それを確かめることなく、言いたい放題だった、ということだ。もちろん、「セガンを研究して40年」の大先生もその一員でしかない。
 セガンは、創設年月は明記していないけれども、白痴の子どもの個人教授に続いて、小規模だけれど白痴学校を創設した、と書いている。続けて、妨害する者がいたので、白痴の子どもが収容されている公共機関(今でいう病院の付置施設)に身を移し、白痴教育を引き続き実践した、しかしそれも、ひどい処遇を受けることによって実践が出来なくなった、としている。
 セガンのこの「回想」の検証こそが研究の出発でなければならない。しかし、誰一人として、それを手がけていない。世界のセガン研究の実態である。
 歴史研究ともセガン研究とも障害児教育ともまったく無縁の、私の研究者人生への導きの、故倉澤栄吉先生(国語教育)が、「いつも、何度も、元のところに戻れ、足を運べ、繰り返し運べ、そして目線を変えてみよ、無駄紙だと分かるのは結果であってプロセスではない、無駄紙を可能な限り掴む努力をせよ。」と、修士論文作成にあたってご指導いただいた言葉を再び噛みしめて、「世界初の白痴学校」の事実を求めて、フランス・パリをさまよい歩いた。2005年から2008年のことである。 (続く)
 余計な付記
 「セガン研究40年」の大先生と私とは師弟関係でも、研究分野を同一にする先輩後輩関係でもない。自分の足を使わないで研究業績を積み重ねてこられたお方に、断る勇気さえ持たない気の小さな私が、奴隷のごとく服従し続けた、ということなのだ。
○【フランスの旅 こぼれ話  「泥棒サン気分」】
 ブルゴーニュ地方の小さな町クラムシーの教会に入った。ここの教会はロマン・ロランの文学にも登場する歴史の香りある建築物、ロラン自身の葬儀もここで行われている。(Romain Rolland 1866-1944)
 教会事務所もなく、人気が全くない聖堂内を、キョロキョロウロウロ、気がすむまで見学をし、なおかつ、演説台に上りひとかどの弁士気分を味わった。

 さあ出ようと、粗末な潜り戸を押したが、開かない。んと、引くんか? 開かない? もう一回押す 開きまへん!!
 ということは、閉じ込められた?!誰が、何のために? いや、たんにオレがドジなだけで誰の益にもならない現象を引き起こしたのだろう、との解釈結果に行き当たったが、さて、どうする。どうすればいいか? 粗末な潜り戸を蹴破る?いいや、現実はターミネーターのごとしではない。外を通りかかる人にと、取り敢えず強めにノックしてはみる。 無駄。 さあ、どうする、どうする。
 戸は親指ほどの太さの棒が横に差込まれていた。くだんの棒は戸の手前もしくは戸の外側に据えられているのではなく、厚みのある戸の中程にえぐられた空間にあった。戸本体と戸を囲む部位とのかろうじて存在する隙間を利用して、棒を左右させた。
ゴニョゴニョ、ガチャガチャ。
 開いた!!ちょいとした泥棒さん気分、ね。
追記 つい先日、この教会は、フランス革命以降、クラムシー・コミューン(市)の所有物であることを知った。荘厳なゴチック建築様式を12世紀以降保っているカトリック教会であったが、今は、市が主催する儀式や演説会会場として要務を持っている。
 添付写真のように、教会塔の最先端に三色旗がはためいている謎はかくして解けたのである。

*注記
 フランスの教会の扉はたいてい半開きになっている。誰でも自由に入れるようにとのことからの配慮だと思っている。クラムシーの教会へは、半開き状態で入って、習性からすぐドアを閉めてしまった。これがことの始まり・・・。「ドアはちゃんと閉めましょう!」という日本のお節介ご指導は、不幸を招きかねないこともあるんだなあ。



朝食忘れて、通所リハビリ

2017年08月24日 | 日記
○5時45分起床、起床時室温29℃。
71.6
121 71 55
○燃えるゴミ出し。左脚、やや脱力感。
○粋生倶楽部通所リハビリ 振替日
*つま先立ちや足踏みなどが出来ることを所長さんはじめスタッフの方々に披露。驚かれ、喜んで下さった。帰り際、伊藤さんから、「後退することなく現状を維持して下さいね。」とのお声掛かり。これからの季節で寒気のために筋肉の働きが硬くなる。それに負けない筋肉の柔軟性を保持していきましょう、との暖かいお気持ち。頑張ります。
*朝の体調検査の時に朝食を摂っていないことに気づいた。ということは、服薬もしていないということ。初めてのこと。しっかり気をつけましょう。
*自転車、ハードル歩行、踏み台、足裏着地訓練、ストレッチイングボードなど足首柔軟化訓練、ステップ、レッグマジック、バランスボール、マッサージ、あったか姫。
○今日のお昼は、豚脛肉シチュー、たっぷりのニンジンとブロッコリーを添えて。

○17時現在室内温度32℃。これまでの最高気温だ。でも、というか、やはり、扇風機を使う気が起こらない。使わないで済むのなら使わないで済ますぞ。
○亡き義父の家(弘美君の実家)処分によって弘美君が持ち帰ってきた義父とのソ連(当時)の旅写真とロシア語修了証書が、リビングに置かれているのを、今朝ほど見つけた。
 義父のシベリア抑留生活を親子で検証したい、との旅であったが、我が母の「私も連れてって~」というまったくわがまま放題の要求を受け入れた旅でもあった。つねに猜疑心でしか人の行動を見ない母であったから、弘美君はこの旅のことを、その後一切語らないのも、たぶん、我が母の「目」と「口」のせいだったろうと確信している。それにしても、義父の若々しい整った顔立ちは、いつ拝見しても、うっとりするほどだ。
 ロシアの学習・・・。弘美君の旺盛な学びの姿勢とその成果は、賞賛を超える。図書館司書資格、運転免許取得、手話・点字修得などなど。ぼくはこのどれも資格を有していないし、学習もしたことがない。
 改めて、妻君のすごさを知った今朝。

ついに、誘惑に負けた

2017年08月23日 | 日記
○7時起床、起床時室温28℃。
71.3
119 71 56
○ビニールゴミ出し。車庫内にあった2袋と朝整えた1袋とを出す。坂の上り下り、膝が不安定を覚える。
○今日から工事が本格的に入った。
○偽装ストレッチングボードで直立並びに前屈訓練。足裏着地訓練、足首柔軟体操、つま先立ち静止、足踏み。左膝ががくんがくんとなることが多い。体が崩れてしまうことはない。まだ膝周り筋力が未発達段階ということか。にもかかわらず、左つま先立ち試み。1分間は耐えられる。いろいろと試みて、無理ならば当分の間実施しないことを心がけていく。焦りは禁物
*外階段昇降運動。暑い、とにかく暑い。
○10時30分~11時40分 新柏東武ストアに買い出し。
*歩行状態の確認のため。左爪先が上がりにくいときがあるが、おおむねびっこ状態は改善の方向にあるようだ。
○夜7時になっても室温が30℃を切らない。これから数日は車庫屋根塗装工事のため南側雨戸の立て閉めが困難になる。それらを考えて、ついに、仕舞いこんであった扇風機を引っ張り出して稼働させた。とりあえず27℃設定で部屋を少し冷やし、就寝時には電源を切る。長い間使用していなかったせいか、故障箇所もあるようだ。足首から先の冷え感覚が強い。氷の脚になるぞ、気をつけよう。
○ハナモモの現状。 実の色は変わらず青いまま。そして熟しないまま落果。雨続きの天候のせい。

○【毎度お騒がせ、セガンです】
 セガンの生育を綴るさる研究論文に「(セガンは)父母の愛に包まれて、幸せな幼少年期を過ごした。」とあった。そのことの前段に、セガンは「父母、とりわけ父親の、『エミール』に倣う子育てを受けた、と綴られている。セガンが最晩年に幼少年期を回想して綴った短文情報を根拠としている。そうなのか、『エミール』に倣った子育てを受けることは「幸せ」なのか!ふ~ん、というのが、当該論文を目にしたときの第一感想である。
 時は1810年代だ。セガンが生まれたところはクラムシーという独特な産業文化を有することで名は知られていたが、大半の住民は強い貧困階級であり、特権階級による搾取と抑圧に苦しめられていた。その特権階級とて、未だ『エミール』を手引きとした教育をするところはなかったと判断しうる。セガンの回想以外に、当該地の諸記録には、『エミール』準拠の子育て記録はまったく見受けられないからだ。
 上記のことを「セガン研究」の先達に申し上げると、次の反応が返ってきた。
1.セガンが嘘つきだというのですか!何でもかんでも疑って掛かればいいってものじゃないでしょ!
2.それだけセガン家が進歩的だったということでしょう。だからこそ、セガンが白痴教育を開拓することに繋がったのです!
 1.はもう、セガン盲信の立場でしかないので、ハイハイ、と聞き置けばすむ。
 しかし、2はそうはいかない。「進歩的」?そのことが「白痴教育の開拓」に結びつく?果たして、そうでしょうかねえ。2の立場を貫こうとすると、「ガセネタ」を生み出して歴史を偽造する、ということに行き着いてしまいませんか?

クラムシー、サン=マルタン教会

2017年08月22日 | 日記
○7時起床、起床時室温27℃。目覚め1回。
*元は一大工業地帯を思わせる土地に弘美君と夢さんを伴ってさまよい歩く。モントレーの沿岸をモザイクしたのだろうか。工場引き込み線路を越え廃墟を見る。19世紀のあらゆる映画のセットのような光景でぼくは興奮状態。和風の家屋が続く地帯は飲食店をはじめとして混み合った商店街。護国寺近くの一角を偲ばせた。やっと職務から解放された夢見だ。
71.2
123 69 44
○資源ゴミ出し。坂の上り下り歩行は相変わらずノロノロ。
○ストレッチングボード訓練。足裏着地訓練、足首柔軟訓練、両脚腿筋力強化訓練、両脚屈伸訓練。今日はやや体が硬いようだ。ゆっくりやっていきましょう。
*つま先立ち足踏みが出来る!捕まらないでつま先立ち(静止 10秒ほど)。その勢いを借りて、つま先立ち歩行を試みた。左脚がガクンガクンとなるが、歩けなくはない。左足首先強化の課題がはっきり見えた。
*ストレッチングボード用の読書スタンドが壊れた。大体のものは大型のハードカバー本をメインに書物利用が可能。引き続き、訓練が出来ます。
○FBFのカトリック信者から、クラムシーのサン=マルタン教会聖堂写真について、「ルター派のプロテスタント教会ですね。」というコメントをいただいたので、朝から、関係資料を閲覧。サン=マルタン教会がクラムシー市所有の史跡保存対象建築物であることを知った。それで、教会塔の上に翻る三色旗に対する疑問は解けた。しかし、ソフト面、つまり宗派等についてはまったく不明。カトリック教会だと思い込んできたが、聖堂の椅子の様子などからカトリックではないのだ、と。
*多少の調査結果:
 11世紀初めに、ロマネスク建築様式の教会コレージュ(参事会)として設立され、12世紀には現在のゴチック様式の建築物として建て替えられています。ローマ・カトリック教会を起源に持っているということです。/次に張りつけた写真の聖堂内部の様子は、現在すでに宗教団体による宗教的儀式を主とするところではなく、公的な講演会会場(市主催の諸儀式)などに使用されています。それで、祈りの場としての様式を持っていないわけです。プロテスタント教会という性格を持った時期があるかどうかまでは不明です。なお、この教会に関する記録を見る限り、タンプルと称することは一度もなく、エグリーズを貫いています。(
*サン=マルタン教会とその塔

*サン=マルタン教会聖堂正面

*サン=マルタン教会聖堂マリア像

*サン=マルタン教会聖堂フロアー

*サン=マルタン教会聖堂ステンドグラス(一部)

通所リハビリ

2017年08月21日 | 日記
○6時45分起床、起床時室温27℃。幾たびも目覚め。
*氏も素性も分からない見目麗しいのであろう若い女性、その連れ合いに誘われて、湖畔で一時を過ごす。シーンは変わって、その女性に誘われて新興教育運動関係の研究会に参加。会場に、元職場の同僚S氏が顔を出し、「井野川先生にはご連絡しましたか。」と問う。シーンは三度変わり、井野川先生を囲んで賑やかな研究集会。ぼくは隅で小さくなっている。このところ、謎の美女が夢に現れる。同一人物なのかどうなのかは不明。
○燃えるゴミ出し。左脚ブラブラ感があるため、ノロノロと坂を上り下る。 48
71.2
128 73 48
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ
*ハードル歩行訓練、踏み 73台、バランスボード、ステップ、レッグマジック、足裏着地訓練、爪先上げ踵上げ訓練、ストレッチングボード、ボディケア、あったか姫、その他。
*【「足首、柔らかくなってきたよ。」】
 今日はデイの日。体調は良好というわけではないけれど、休まず通所。
 ボディケアの施療が終わったとき、今日の担当者(施設管理者)が、「川口さん、左足首、柔らかくなってきたよ。この調子でね。」と声を掛けてくれた。「自作ストレッチイングボードでの訓練が効いてるのかな?」「それもあるだろうね。」「いろいろ、全部、頑張りまーす。」
 左脚は、膝から足先に向けて麻痺があり、足首から先の麻痺は強い。それで、O脚となり、足裏全体が右脚方向に傾斜している。そのため、生活行動に支障を来しており、補助具(杖、介護棒、時には人間)が必要である。
 デイで歩行訓練等を受けることによってO脚状況はかなり改善してきている。加えて、「足首が柔らかくなってきている」ということは、たとえ遠い先のことであるにしても、自力歩行に向かっている、ということだ。
 希望を捨てずに、しかし気張りすぎずに、頑張りましょう。
○今日のお昼
*豚脛肉煮付け(角煮の甘さを抑えたような味付け)。湯通ししたキャベツ、ミニトマト、マッシュルーム。時計草のような盛り付けにしてみた。とてもおいしい。しかも柔らかい。


○車庫屋根が雨漏りするので防水工事に入った。今日は屋根上のさまざまなものの移動と排除、廃棄作業。デイから戻ったら、道際の雑草が引き抜かれ(これはありがたい)、塀に絡ませてあったアケビの蔓がきれいに刈り取られていた(これは悲しい)。塀が腐ってしまいかねない、とのこと。蔓を別に伝わせる工夫をしなければ。

自作「ストレッチングボード」

2017年08月20日 | 日記
○7時起床、起床時室温25℃。今朝はぎっくり腰のような腰の痛みは無い。
71.7
127 72 46
○足裏着地訓練、足首柔軟体操、階段を使って踏み台、廊下を使って歩行訓練、ゴム紐を使って左脚筋力強化訓練、左脚屈伸運動、そして・・・
*【ストレッチングボード「自作」】
 左脚のけっこう強い麻痺を和らげ、足首の可動性を強め高めるにはどうしたらいいか。
 ストレッチングボードなる存在をデイで知って久しい。が、通販は嫌いだし、関連商品を店頭で購入しようにも遠隔地で不便だし・・・。動的なストレッチは多動させることになり「それ、嫌い」だし、静的なストレッチで十分ではないか・・・。
 ということで、自作ストレッチングボードの誕生となった。積ん読本で角度を自在に変化させ、不使用読書スタンドはけっこう頑丈でぼくが乗っかっても壊れない。
 「アフター」の脚の感覚。痛み、痺れ感がなくなっている(もちろん一時的なもの)。これで腱の柔軟性が増していくだろう。そうすれば足首の動きもよくなる・・・・ハズ。
「お尻を突き出さない!」
「腰を伸ばして!」
「背筋もシャンとしなさい!」
「目線はまっすぐ前!」
・・デイに入所当初、何ヶ月にもわたって、何度も何度もご注意いただいたことを、今、ぼく自身がぼく自身に命じている。
*とりあえず試みた実感は、「悪くない」。歩くのに、ギシギシという感覚が残るが、左足首の関節部が動く感覚がある。久しく忘れていた感覚だ。


○豚のスネ肉の煮付け 試食用作品 梅干しを添えて。
*魚醤、醤油、みりん、砂糖、日本酒、赤唐辛子、ごま油、タマネギ、仕上げに鰹だし。 約2時間煮込みました。


○【今日は、ちょっと、自分の存在がうっとうしいのであります。】
 青少年期に、しつこいほどに、「計画性を持って生きろ」と注意・叱咤されたその計画とは、所与のものを、自分自身の要求から生じたものだと思い込みどう実行・実現するか、でしか無かった。自分自身で立てた計画は、「くだらん!」「もっとましなことを考えろ!」と一顧だにさえされない「教育的環境」で育った私にとって、「計画性」は、じつに長い間、私の人生を呪縛し続けてきた。
 1910年代初めに、田上新吉という広島高等師範学校の教授が、ベルグソン哲学を基盤として「破壊と創造」を教育界に提唱したことがあるのを知ってーついでながら、私の戦前生活綴方研究の起点ともなっているー、「そうか、オレは所与価値を破壊することを知らなかったのだ!」と、ある種の「目覚め」を得た。
 それが私をして、批判哲学に導き入れた。研究者として生き長らえてきた基盤である。あ、「哲学」とは恐れ多いか。私を「計画性を持て」と言って育てた人々からは、「もっと謙虚になれ!」と口撃されるようになった源だ。
・・・なんで、こんな思い出がふっと沸いてきたの?
・・・いや、「今日は何すっかなあ」と考えていたら、今の生活には、すべきことの所与の計画性もないし、破壊対象もないし、批判しても創造性に構築すべき身体機能を有していないからむかつき、むなしくなるだけだし、障害とっしょりは、まあなんと、生きづらいものよなあ、と、ね。
 ちょっと、自分の存在がうっとうしいのであります。

通所リハビリ

2017年08月19日 | 日記
○6時50分起床、起床時室温26℃。1度目ざめ。
*目覚めてすぐ左腰の痛み。膝曲げ、横臥でまず、続いてあれこれの動きで。久しぶりに布団上げ動作で腰をかがめるときに痛み。
71.2
120 73 49
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ
*Sさんと会話。愛知・守山のご出身、長男でありながら20歳で故郷を捨てた、とのこと。ぼくが18歳でそうしたように、似たような境遇。ますます、物言いやすくなった。
*Sさんの左手を取り、腕全体、指それぞれのマッサージをして差し上げた。「自由な右手を使って、テレビでも見ているときに、是非、左手のマッサージをなさいまし。私の氷の左手と違い暖かく血の通っているお手です。粘り強くなされば、きっと、稼働するようになりますよ。」と、お話しした。動くようになりますように!
*この間の体・足の痛みを訴えたら、「この気候だからねえ、」とのお答え。そうだったか、もう、そういう覚悟をしなければならない季節に突入か。少し、気持ちが楽になった。改善を求めながら受け入れていきましょう。
*ストレッチングボード、ハードル歩行練習、左脚後ろ上げが十分ではないことを思い知った。スキップ、レッグマジック、踏み台、左足裏着地訓練、その他。
○今日のお昼はげてものうどん。げてものって下手物って書くんだ。だとしたら、下手だったとは思わないんだけどなあ。
*うどんは乾麺から。
*トッピングというか、うどんの具は、ゆで卵、山羊肉、タマネギ。1時間ほど煮込んだが、肉は、やはりまだこりこりと固い。好きだからこそいただけるが、もっと歯が立てば嬉しいな、と思う。
*汁はいただき物の魚礁をべーすに作成。
*華がそっと忍び寄ってきて、ちょいちょいと指先を突っ込んではぺろぺろとなめていた。人間と同じになりたいのか、卑しいだけなのか。




○アヒージョなるものを作ってみたい。オリーブオイル、ニンニク、あと具材いろいろ。難しくなさそうだ。もう少し、他人様のレシピで勉強しよう。

中山へ、買い物♫

2017年08月18日 | 日記
○6時50分起床、起床時室温26℃。目覚め1回。起きるときに左腰に痛みが走る。
*入学試験の受験生座席チェック。受験票と合わせるため、監督者が列をなして机間をぐるぐる回る。ほとんどの人がやる気無し故、大ミス続出。まあ、夢だから許されるけどね、気持ちはまったく同じだわ。
71.2
125 72 52
○9時30分~14時30分 脚が痺れ、痛い外出だった。
*下総中山のアジア食材の店で、ブタすね部、山羊肉、タイカレー・ルー、ココナッツパウダーを購入。いろんなカレー作成が頭にある。
*その隣の千葉せんべい屋さんで、おやつ品。ピーナッツせんべいとあられ。
*船橋西武10階でランチ。にぎり寿司。ここのはおいしいから、寿司が食べたくなったらココ。昼でも混雑は無い。
*船橋西武地下1階で、ライ麦パン、玄米パン、鰹だし、その他。
 楽しいお買い物でした。それにしてもこの脚の疲れ、痺れ、痛みはどういうことなのだろう。
○今夕も孤食。せっかくかってきたから、豚脛の煮込み。今仕込み中。どんな風に仕上がるやら。いろんな含み味。生姜漬け、梅干し漬けなんてのも入っています
*昨日のカレーの残り 新たに、タマネギ、みりん、白ワイン、鷹の爪、生姜、梅干し、魚醤、そして豚脛。生姜、梅干し、魚醤は河内信子先生の手土産でいただいたもの。

*2時間ほど煮込みました。豚足のあのシコシコ感と歯ごたえのある肉の塊にかぶりつき、梅干しの酸味がほどよく行き渡った野菜スープ。絶品です。さあ、もう一回、作れるか?