背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

『舟を編む』

2013年08月10日 06時00分49秒 | 日本映画


 下高井戸シネマで新作『舟を編む』を観てきた。今年4月に公開され、話題になった映画らしい。午後3時半からの一回上映だったが、お客さんがたくさん入っているのには驚いた。下高井戸シネマは定員120名程度の小さな映画館だが、80名ほどいたと思う。客層は年配の方から若い人まで幅広かった。
 最近私は予備知識をほとんど持たずに、近年作られた映画を観ることにしている。この映画もそうだったのだが、実は昨年の夏、座・高円寺の小劇場で渡辺美佐子さんの朗読会があって、誘われて聴きに行った時、終った後のパーティで美佐子さんから今度出演する映画の話を聞いた。ちょうどパーティが始まる前に監督とプロデューサーが来て、打ち合わせをしたとのことだったが、内容はファンタジーで、宮崎あおいと共演すると言って、美佐子さんが楽しみにしているとおっしゃっていたのを覚えていた。それで、この『舟を編む』に美佐子さんと宮崎あおいが出演しているのを知り、封切りの時は知らずに見逃していたので、昨日観に行ったわけである。が、どうも映画が変更になったようで、ファンタジーでもなければ、宮崎あおいとの共演場面もなかった。

 最初、タイトルの『舟を編む』とは何のことだか分からないまま映画を観ていたが、大海のような言葉の海を、辞書という舟で渡っていくということで、舟を辞書にたとえ、日本語の辞書を編纂する編集者の話であった。出版社の営業マンとしてはウダツの上がらなかった主人公の若者が、陽の当たらない辞書編集部に異動になって、新しい日本語辞典の編纂に情熱を傾け、長い年月をかけて完成させるというのがメインストーリー。そこに、同じ編集者でタイプのまったく違う同僚との友情、下宿屋のおばあさんの孫娘との恋愛をからませている。
 この映画、前半は大変面白く観ることができた。が、後半の一時間は、なんだこれは!と思うシーンが目立ち始め、急につまらなくなった。140分近い映画で、ともかく長すぎるし、なぜこんなにダラダラ、話を延ばしていくのかと思う。最近の映画はどれもこれも長すぎる。90分から100分の間に映画はおさめるべきではなかろうか。だいたい人間の集中力が続くのは90分がいいところである。そして、私が観た新作のほとんどが、一時間を越えると、退屈するか、不自然さを感じないわけにいかないのは、まとめ方とラストに至る収束の仕方が下手なのだと思う。『舟を編む』も同じで、前半は90点くらいの高得点だったのが、後半は60点くらいに下がってしまった。
 監督は石井裕也という人で、調べてみると30歳の若手の映画監督である。女優の満島ひかりと結婚したようだ。有望な監督のようで、この映画の前半の面白さから推察して、きっと今後を期待できる監督のように私にも思えた。
 主演は松田龍平、相手役は宮崎あおい。『北のカナリアたち』に出ていた二人で、私もようやくこの二人の顔と名前が一致するようになった。主役の松田龍平の無口で人付き合いの苦手な変人ぶりは、初めのうちは大変好感が持てて良いのだが、最後まで変わらないので、いい加減見飽きてしまった。途中からもっと変化をつけるべきだろう。最後まで挙動不審な目をしていないで、時には目を輝かせるとか、喜怒哀楽を表情に出すとか、饒舌になるとか、変えていかないとダメだろう。彼の演技プランにも、監督の演出にも工夫がほしかった。この映画は松田龍平が宮崎あおいに恋をして、彼女に求愛するまでは面白いのだが、そのあと、映画が違う方向に行ってしまい、二人の描き方が急に付け足し程度になっていた。後半は確か12年後(10年後だったか)の話になるが、二人が夫婦になっても他人行儀のままで、これではなんのために求愛して結婚したのか、納得がいかない。見ていて疑問に感じた。宮崎あおいという女優はカエルみたいな顔をしていて、演技もとりたてて良いとは思えないのだが、後半は彼女もどう演技していいのか分からなかったにちがいない。12年後には、子供が出来て松田龍平がマイホームパパになって、彼女と幸福な家庭を築き、辞書編纂の仕事に打ち込んでいるようにするか、あるいは折角結婚したのに松田が辞書編纂の仕事を優先して宮崎をかまわないので、離婚の危機に直面しているとか、どちらかにするべきだった。この映画は、多分後者のような方向に描こうとしたのだろうが、あれでは中途半端だった。
 同僚のオダギリジョーとその恋人の黒木華の二人は役にはまって、非常に良かった。とくに主役の松田と同僚のオダギリとの二人の場面は、そのコントラストと不思議な友情がよく描けていて、感心した。松田と宮崎の二人の場面よりずっと良かった。
 ほかに助演者では、加藤剛(大岡越前もずいぶん年をとったなと思った)、小林薫(あの無精ひげは良くない)、伊佐山ひろ子(手堅い演技で良かった)、鶴見辰吾(まあまあ)、渡辺美佐子(下宿屋のおばあさんではどうもぴったりしない感があった)、八千草薫(加藤剛の奥さん役で、後半に急に出て来て重要な役を演じる)などが私の知っている顔ぶれ。後半から編集部に配属になる若い女の子(池脇千鶴という)もまずまず良かった。
 後半は60点くらいだと書いたが、映画が迷走してしまったとしか思えない。原作があって、三浦しをんという人気作家のベストセラー小説とのこと。脚本は監督ではなく、渡辺謙作という人が書いたようだが、原作に忠実に描かざるを得なかったのだろうか。ともかく、後半で、辞書監修者の加藤剛の病死とその妻の八千草薫にスポットを当てて、ここをくどくど描いたのが良くなかったと思う。それと、辞書の編集作業中(四校)にドラブルを起こして、発行が遅れそうにしたのもわざとらしく、作為が目立っただけで、効果がなかった。編集部の人員を増やして、徹夜で作業を続ける場面も不自然。みんな無精ひげを生やし、インスタント食品を食べ、ゴミを散らかしたままにするのはやりすぎだと感じた。辞書の編集は、地道で計画的なはずだから、最後にあんなにあわただしくなるわけがない。ドラマを盛り上げようとしたのだろうが、観ている方が乗っていけないのでは意味がない。後半は、夫婦生活と同僚との友情にウェイトを置いて、30分くらいにまとめ、あっさりと終った方がはるかに良い映画になったと思う。前半が面白かっただけに残念に感じた。