5月の連休中、美郷町(みさとちょう)にある百済の里に行きました。お目当ては『百済の里春祭り』です。
この美郷町には1500年前に朝鮮半島にあった百済(くだら)の王族『禎嘉王』がこの地に逃げ延びてきたという伝承が残っています。
写真右側の建物は『西の正倉院』
日本最古の木造建築物である奈良の「正倉院」原図を元に忠実に再現された。1996年完成。総工費16億円。
(1996年は住宅金融債権管理機構が発足した年。初代社長は中坊公平)
※「百済の館」「神門神社」「南郷温泉山霧」いずれもこの近くにあります。
「お祭り」と名乗ってはいますが、実際は観光客向けの小規模なイベント。
民族舞踏など 韓国からの出演も。右側の建物は『百済の館』
『百済の館』は1990年の建設。百済最後の王都となった大韓民国の古都「扶餘」の王宮跡に建つ「客舎」がモデル。瓦や敷石は、韓国から取り寄せられ、梁や軒を埋め尽くす赤、青、緑といった極彩色の丹青(タンチョン)は、本場韓国の名工によるもの。
館内には、百済時代の国宝・重要文化財のレプリカなどが数多く展示されており、日本全国の百済文化の足跡も詳しく紹介されています。
韓国敷石チョンドル染め体験
チマチョゴリ試着体験
718年の創建と言われる 『神門神社(みかど・じんじゃ)』
百済の王族『禎嘉王』もここに祀られています。
美郷町の位置は太平洋に面した日向市から西に40km。
宮崎市内からだとクルマで約2時間。
百済の里
宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区神門62−1
今回は「日向市」を経由して「小丸川(おまるがわ)」に沿って西進するルートで「百済の里」を目指しました。これは1500年前に百済の王族『禎嘉王』が辿ったのと同じルート。ここなら、さすがに敵勢力も追いかけては来れない。それにしてもずいぶん奥地まで・・・と感じました。大陸では王朝が刷新されるたびに旧勢力は皆殺しされたらしいので、禎嘉王の臆病ぶりを笑うわけにはいきません。
美郷町が今も地味な田舎町でしかないことから察すると、ここに身を潜めた禎嘉王たちが その後も質素に暮らし、土地に同化していったであろうことが伺えます。
※飛鳥奈良時代、日本の政治や文化に多大な影響を及ぼした朝鮮半島。日本最古の会社組織として知られる「金剛組(宮大工)」の創業者は百済からの帰化人です。(金剛組の創業は578年。百済が滅ぼされたのは660年。)
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