90年代パチンカーにとって忘れ得ぬアイテム…それが、台間の玉貸機であろう。
100円玉を投入し、下に付いた金属筒をグイッと押し上げて玉を借りる、あの銀色の玉貸機である。
最近では1パチも普及し、昔のように100円単位で玉を借りる事も珍しくない。
それでも、上皿に自動補給される今のシステムより、自分の手で玉を掴んで上皿に入れる「作法」に、やはり郷愁を覚える。
ちなみに、「玉貸機」でネット検索を掛けると、あの筒をグイッとやるタイプの画像が、ほとんど出て来ない。もはや「過去の遺物」として、忘れ去られようとしているのか…。
という訳で、今回は、昔懐かしい台間玉貸機を、可能な限り忠実に再現したものである。
ただ、記憶に頼る部分も大きいので、若干の誤りはあろうが…その辺はご容赦願いたい。
うん、我ながら、良く再現できたと思う(笑)。確か、返却口が一番下に付いているものもあったな。「貸出」の部分は、玉詰まりになると「中止」に変わったハズ。
やはり、「百円玉から玉が借りられる」というのが良かった。 これこそ、庶民の娯楽であろう。
現在の1パチなども100円で玉を借りられるが、その分戻ってくる金額も小さい。一方、かつてのパチ屋では、一発台のシマなどに行けば、たった100円分の玉で一撃6000発(2.5円交換で15000円)を手にする事も出来た。やはり、この差は大きいといえる。
玉貸機のバリエーションは様々で、100円玉しか受け付けないもの、500円玉が使えるもの、1000円札が投入できるものなど、複数のタイプが存在した。
1000円対応型には、100円・300円・500円のボタンが付いていて、キチンとお釣りが出てくるタイプの他、お札を入れると1000円分の玉がドバっと出てくる、豪快なものもあった。これは恐らく旧型で、一発台のシマなんかに結構置いてあった。当然、換金率が悪い店では、非常に不便である。
もちろん、90年代初頭にもプリペイドカード導入店は存在し、現金ではなくカードで玉を借りるシステムもあった。ただ、当時はカード導入店も少なく、平成2年8月時点にカードシステムを導入していたのは、首都圏では「日の丸」「ピーアーク」「日拓」「ダイナム」「宇宙センター」「やすだ」「ジャパンニューアルファ」などの店舗の一部で、僅か19軒のみであった。
さて、当時この「台間玉貸機」があった事で、遊戯中に色々と気を遣った事を思い出す。
まず、玉貸機の取り付け位置について。
自分が打つ台の両側に玉貸機があれば問題ないが、左右どちらか一方にしかないケースも多かった。
通常、ハンドルは右手で持つので、台の左側に玉貸機がある事が望ましい。空いた左手で100円硬貨を投入し、筒をグイッと押し上げて玉を掴むのがベストだ。
しかし、玉貸機が右側(ハンドル側)にしかないと、左手で玉を借りる時、必然的に体をひねった変な姿勢になる。これが結構疲れる為、玉を借りる時だけハンドルを左手に持ち替え、右手で玉貸機に手を掛けたりした。まぁ、一旦ハンドルから手を放せば、何の問題もないが。
また、一回に付き玉貸機に100円を何枚入れるかも、人によってバラバラだった。
律儀な人は、毎回100円一枚で、キッチリ25発ずつ玉を借りていた。チマチマした事が嫌いな人は、一気に500円分くらいは補充する。
まぁ、一番オーソドックスなのが、200円ずつ借りるパターンではなかったか。それくらいが、片手で玉を借りるには、適当な量だったと思う。
次に、一台の玉貸機を挟んで、その左右で客が遊技するケース。正直、これが一番気を使う。
(こんな状況を思い浮かべると判り易いw)
玉貸機を二人で共有している状態なので、互いにバッティングしないよう、常に相手の上皿をチェックする必要があった。正面の台を睨みつつも、横目でチラチラと相手の「持ち玉チェック」をしていた事が、懐かしく思い出される。
ただ、中にはちっとも気の利かない「マイペース」な客もいた。コチラが一生懸命に気を使っているのに、お構いなしで玉貸機を独占する奴には、無性に腹が立ったものだ。
そして、遊技中に最も焦らされたのが、「玉貸機から玉が出て来ない」ケースである。
当時の玉貸機は、店によっては使い古されたものも多く、硬貨を入れても玉が出て来ない…なんてトラブルが良く起こった。
そんな時、大概は硬貨投入口や筒をガンガン叩けば、ジャラッと玉が落ちてくる。しかし、玉詰まりなどで、何度叩いても玉が出て来ないと、かなりイラッとしたものだ。
また、機械が百円玉を受け付けず、何度入れても返却口に戻ってきてしまうケースも、大いにストレスが溜まった。
デジパチの大当り時に玉切れしたような場合、こういった玉貸機の不具合は、まさに「死活問題」である。とりあえず呼び出しランプを押すが、そのままパンクしては堪らないので、慌てて2台隣りの玉貸機にダッシュして玉を借りる…なんて事も良くやっていた。
それから、釣り銭が出てくるタイプの両替機だと、前の客が取り忘れた小銭が、返却口に残っている事もあった。思わぬ収穫にニンマリするのだが、結局はその金も台に吸い取られる…まさに「悪銭身に付かず」である。
平成3年の終わり頃から、旧型の台間玉貸機に、プラスチックの補給レールを取り付ける店が増殖し始めた。これは現在の自動補給の原型ともいえるが、慣れない頃は、隣の台の上皿に玉を補給するミスが続出した。
そういえば、1988年に公開された「ほんの5g」というパチンコ映画で、主役の女子大生(富田靖子)が就職面接前にパチ屋で一勝負…というシーンがあった。
彼女は止める直前にデジパチで大当りするのだが、玉切れで慌てて財布から小銭を取り出す。しかし、玉貸機が古くて何度も返却口に100円が戻ってしまい、ガンガン叩くとようやく玉が出てくる。すると、今度はハンドルが不調で玉が飛ばない。そんなこんなで、結局は大当りがパンクしてしまう。台に向かって「私にどうしろっていうのよ…」とポツリとつぶやく富田の姿が、とても印象的だった。
ちなみに、この場面は、東京・神田の「パチンコ明星」(閉店)という古いパチ屋で撮影され、ロケに使用されたデジパチは、マルホンの「スリープP-3W」である。
千円札投入、玉が払い出されている時に百円投入するとタレ流しになります。
もう百円追加で止まったはずです(^^;;
このブログ読んでるとついついコメントしたくなっちゃうんですよU+1F4A6
いつも楽しく拝見しています。
玉貸機懐かしいです。
子供の頃親に連れて行かれた時によく見てました。
古い玉貸機だとすぐ小銭が下に落ちてきて
鉄の所でこすってから入れてたのを覚えています。
自分も玉貸機一個持っていますが壊れてしまい島から外してしまいました。
子供の頃見ていたパチンコ屋がとても好きで懐かしく拝見させてもらっています。