まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

タッチダウンI(三共、普通機)

2014-06-28 16:36:20 | アレパチ、電役、普通機

1992年(平成4年)に三共から登場した普通機(チューリップ台)「タッチダウンI」


・賞球…オール10
・台枠…ステラ’92モデル(ステラ枠)


センターヤクモノとチューリップの連動がアツかった、アナログ感タップリの平台。モチーフはアメフト。

新宿・西口大ガードそば「ニューミヤコセンター」で、小銭を元手に戦った日々を思い出す。向ヶ丘遊園南口の「ぱちんこ遊園」でも打ったな…。


(在りし日のニューミヤコセンター…跡地は「カレイド」に)
夜ともなると、5×4の丸い電飾がクルクルと回ったり、赤・青・黄のネオンが上⇒下に点滅したりして、たいそう目立った(電車からもよく見えた)。
間口は狭いが、一歩店内に入ると意外なほど広く、設置機種も豊富だった。また、景品コーナーの充実ぶりは、都内でも屈指の品揃えで知られた。



サイフに余裕のない時、「波の荒いスロやデジパチ連チャン機を打つのは不安だな…」と思うことがよくあった。そんな時、新宿ニューミヤコに足を運び、本機でマッタリと勝負した。

元手が2000円くらいあれば十分楽しめたし、最初に買った100円分の玉がジワジワ増えて、気づけば1500発ほど溜まっていることもあった。

ハネモノも投資がかさみがちだった当時、本機は自分にとって「超ローリスク」「ロー(orミドル)リターン」的な位置づけの台で、かなり重宝した。

ただ、空き台で右端のチューリップが1個だけ開いている台が落ちてたりすると、「ラッキー」とばかりに拾うのだが、幾ら右打ちで狙ってもチューリップには入らず、結局数百円を無駄に費やしたりもした。まぁ、そういった「トラップ」に引っかかった事も、今では懐かしく思える。


新宿ニューミヤコは、入口左の2シマが普通機コーナーになっていて、タッチダウン、ハイパーボール、トリプルパワーといった、三共の普通機が並んでいた。これら3機種の中でも、個人的に一番楽しめて、かつ相性の良かったのがタッチダウンであった。逆に、ハイパーボールとはあまり相性が良くなかった。


(三共「ハイパーボールI」、1992年)



(三共「トリプルパワーII」、1992年)


ニューミヤコの普通機シマの年齢層は高く、オッチャン・オバチャンがメインのユルい雰囲気が漂っていた。だが、中にはパチプロ然とした人達も混じっていて、彼等が足元に1500発用のドル箱(デジパチ用より少し小さい)を2箱、3箱と積む光景をよく目にした。また、スロやデジパチとの戦いに敗れた「負傷兵」の若者が、最後の力を振り絞って座りにくる事もあった(笑)。



本機はいわゆる「普通機」であり、デジタルや電動ヤクモノの類はいっさい存在しない。純粋に、盤面下段のチューリップとセンターヤクモノ、その他の入賞口で出玉を稼ぐタイプだ。特に、センターヤクモノとチューリップの「連動」が秀逸で、長時間打っても飽きなかった。


センターヤクモノは3層構造の「振り分け式」になっている。左右の命釘を抜けてヤクモノ上段に入賞した玉は、中段で左右の穴に飛び込むか、下段の中央穴に入る。各穴への入賞に応じて、特定のチューリップが連動して開く仕掛けだ。

※以下の説明を簡潔にすべく、各チューリップに「A~G」の記号を付ける。

                            A      B
                        C             D
                            E  F  G

少々記憶が飛んでいるが、確か、連動の仕組みは以下のようだったと記憶する。
(誤りあればご指摘を)

・ヤクモノ左穴に入ると、AとFが開放。
・ヤクモノ右穴に入ると、BとFが開放。
・ヤクモノ中央穴に入ると、そのままヤクモノ真下のチャッカーに入り、A・B・Fの3か所が開放。
・Aに入賞するとEが開放。
・Bに入賞するとGが開放。
・天下の3か所とヤクモノ両サイドにも入賞口があり、左サイド入賞でC、右入賞でDが開放。
(CとDにも連動性があった気がするが、失念…)

このように、本機は各チューリップや入賞口へ直接放り込む以外に、メインヤクモノの振分け穴入賞で特定のチューリップが開き、さらに開いたチューリップに入賞して他のチューリップが連動する…という具合に、気持ちのよい「連鎖反応」で出玉を増やすことができたのだ。

また、開いたチューリップにタイミング良く「ダブル」で入賞して(チューリップが2個続けて玉を拾うと、いったん閉じたチューリップが再び開く)、ツボにハマると短時間にワッと出たりした。「ワッと」とはいっても、元々の賞球が「オール10」なので、すぐドル箱が満タンになる訳ではないが…。



さて、当時を思い返すと、本機を打つときには、微妙な「ストロークの調整」に気を使っていた。

チョロ打ち、ブッコミ弱め、ブッコミ強め、天釘狙い、右狙い…と、台によって狙いは違うものの、ある特定の箇所に「ミリ単位」で狙いを定めると、今までの低調さが嘘のように台が好転して、ポンポンとヤクモノやチューリップに連続入賞する事があったのだ。

そうやって台の「ツボ」を見つけると、何か「クイズの答え」に辿りついた気がして、妙に嬉しかった事を思い出す。

しかし、そんな好調台でも、暫く打ち続けていると、ストロークは変えていないのに、全く穴に入らなくなったりした。そこで、ハンドル位置をほんの数ミリずらしてみると、その途端に再び息を吹き返して、ジャンジャン出始める事があった。

もちろん、単なる「遊び台」に過ぎず、いくらストロークを変えても死んだまま…のケースも多かったが。


そんな感じだから、タッチダウンと対戦する時は、細かいストロークに気を付けつつ、ハンドル固定も行わず、右手に左手を添えたりして、あれこれと神経を使った。同時に、玉の打ち出しの小さな変化も見逃すまいと、玉が当たるブッコミ辺りを目が痛くなるほど睨みつけて、自分でも驚くほど真剣に台と対峙した。この時ばかりは、まさにいっぱしの「パチプロ」気分であった(笑)。

そうしてスランプを乗り越えながら、500発、1000発、1500発と出玉がゆっくり伸びていく。朝から甘釘台を掴んだ本当のプロならば3箱、4箱と出すだろうが(ニューミヤコの普通機コーナーは無制限営業だった)、授業終わりの「午後から参戦」の私にとっては、たまたま座った台が1500発も出てくれれば、ほとんど「打ち止め」気分となり、出玉量以上の充実感があった。

そこまで出たら即・出玉交換して、換金所で三千数百円(2.5円交換)の「貴重な」現金を手にする。また、文庫本小説や雑誌などの書籍(ニューミヤコは書籍コーナーも充実していた)に交換して、帰りの小田急線でしばし「戦いの後の読書」に耽ったりもした。

その他、靴下、Tシャツ、CD、ファミコンソフト、カセットテープ、レトルト食品、菓子、缶詰など、新宿ニューミヤコで「チョイ勝ち」したときは、まさにコンビニ感覚で景品交換を楽しんだ。そういや、パチンコ小冊子の「王様手帖」も、よくあの店で貰っていた。

数百円の投資で4000円弱の勝ちを収めただけで、「打ち出の小づち」でも振ったような感覚に浸ったものだ。あの当時は、随分と安上がりな人間だったと思う(笑)。




(参考)首都圏で長く本機を置いた、「みなし機設置店」
・ニューアラスカ(蕨・塚越)
・ムラキヤ(江戸川・松江)
・三ツ又(豊島・池袋本町)
・一兆(大田・大森)
・コンドル(練馬・上石神井)
・大丸ホール(相模原・上鶴間)
など



3 コメント

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Unknown (えむ)
2014-06-28 21:21:56
普通機は浅草でちょっとこすった位でした
入賞のたびに音楽がなる台がありましたね
ニューミヤコはときどき行ったことがあって記憶にある機種は空母、ルーピングスター、エンパイア2(個人的なイメージが極悪ビッグシューター)かなあ
隣のゲーセンのメダルゲームもやったなあ
こんにちは (黒猫)
2014-06-30 12:36:36
タッチダウンU+2160の役モノは色々なメーカーの平台に使われてましたねぇ…

ハイパーボールU+2160も三共の伝統ある平台の血を受け継いでいてこれは三代目に当たります。

ちなみにタッチダウンU+2160の大同Verもありました(汗)

三洋・平和も平台を沢山リリースしてましたね。

Unknown (進歩は馬並)
2014-06-30 22:52:28
熊本では、トリプルパワーⅡはよく見かけました。
負傷兵という表現に、痛く共感しました(笑)普通機や遊べる羽根物は、デジタルに疲れた時の癒しでしたね。
余り玉をなくすつもりで打ったら、いつの間にか本気勝負になってしまっていたことがあったことも懐かしいです。

タッチダウンの設置は確認していますが、残念ながら一度も打ったことがないです。
パチスロにタッチダウンって機種ありましたよね、バルテックだったっけ・・・集中があるやつです。パチンコのこの盤面見るとパチスロを思い出します。