まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

パチスロ2号機・3号機全リスト

2012-03-15 02:42:29 | 昔のパチスロ台

★パチスロ2号機&3号機の全機種リスト★

 
機種名の後ろに(2-1)(2-2)(3-1)(3-2)の別を記した。
(それぞれ、2-1号機、2-2号機、3-1号機、3-2号機を意味する。)
 
ユニバーサル販売
アメリカーナX2(2-1)、リバティベルⅣ(2-2)
アメリカーナマグナム(3-1)、コンチネンタルⅡ(3-2)
 
メーシー販売
トロピカーナA(2-1)、リバティベルⅢ(2-2)
コンチネンタルⅢ(3-1)
 
瑞穂製作所(ミズホ)
ファイアーバードEX(2-1)、センチュリー21(2-2)
コンチネンタルⅠ(3-1)
 
山佐
アストロライナー(2-1)、ビッグパルサー(2-2)
スーパープラネット(3-1)、ホールインワン(3-2)
 
オリンピア
バニーガール(2-1)、スーパーバニーガール(2-2)
バニーXO(3-1)
 
高砂電器
ウィンクル(2-1)、スーパーウィンクル(2-2)
ドリームセブン(3-1)、ドリームセブンJr(3-2)
 
大東音響(現・藤興)
ベンハー(2-1)、ゴールドベンハー(2-2)
ビッグベンハー(3-1)、マジカルベンハー(3-2)
 
ニイガタ電子
フラッシュ(2-1)、アラジン(2-2)
リノ(3-1)
 
パイオニア
スーパーセブン(2-1)、ムサシ(2-2)
ムサシⅡ(3-1)
 
アークテクニコ
アニマル&G(2-1)、クレイジーバブルス(2-2)
ワイルドキャッツ(3-1)
 
バルテック
ジャンプ(2-1)、タッチダウン(2-2)
セブンボンバー(3-1)
 
パル工業
ペガサスラビット&2(2-1)、F-1(2-2)
ペガサスEXA(3-1)、ペガサス412(3-2)
 
興進産業(現・テクノコーシン)
デートラインZ-1(2-1)、デートライン銀河(2-2)
デートライン銀河Ⅱ(3-1)
 
日活興業(現・ネット)
フルーツチャンス(2-1)、ビッグバン(2-2)
スペースバトル(3-1)、スペーススペクター(3-2)
 
サミー工業
アペックス301&EX(2-1)、キューティフルーツS(2-2)
アラジンⅡ(3-1)、ミスターマジック(3-2)
 
北電子
ガリバー&2(2-1)、ガリバースペシャル(2-2)
スーパーコップ(3-1)、アポロン(3-2)
 
タイヨー
ガルーダ(2-1)、リスキーダック(2-2)
ミラクルUFO(3-1)、トライアンフ(3-2)
 
エーアイ(現・大都技研)
サファリラリー(2-1)、ロックンロール(2-2)
ハンター(3-1)、グレートハンター(3-2)
 
尚球社(現・岡崎産業)
チャレンジマン&2(2-1)、チャレンジマンAZ(2-2)
ミラクル(3-1)、チャレンジマン7(3-2)
 
⇒全19社の合計…68機種(お蔵入りになったモノを除く)
 
・お蔵入りになった3号機
 
コンチネンタルIV(瑞穂製作所)、アンクルサム(バルテック)、アラジンゴールド(ニイガタ電子)
 
「検定取消処分」を受けた各社が、3-2号機として登場させる予定だった幻の機種。 
 
コンチネンタルIV(瑞穂)
 
アンクルサム(バルテック)
 
アラジンゴールド(ニイガタ電子)
 
 
(その他)
 
幻の2-1号機「シーザー」(エーアイ)、アークテクニコ3-2号機「スパイス」(当初は「BEE」と紹介されていた。)
 
 
 
 
(当時の流れ)
 
・最初の2号機…ウィンクル(高砂、1988年2月)
・最後の2号機…サファリラリー(エーアイ、1990年9月)
・最初の3号機…ドリームセブン(高砂、1990年6月)
・最後の3号機…グレートハンター(エーアイ、1992年11月)
 
⇒当時、新機種が早かったのが高砂、遅れを取っていたのがエーアイである。
 
 
2号機初登場から3号機が出揃うまでの期間は「4年9か月」。この間、全メーカー(19社)が出した全機種は、合計で「68機種」。平均すると、新台の登場ペースは、全社合わせても、年間で「14~15機種」であった。
 
これは、2号機、3号機とも各社「2機種」までという販売制限があった為である。非常に厳しい制約があった中で、1990年代初頭に空前の「パチスロブーム」が到来したのだ。当時のパチスロ機一台一台が持つ「存在感」は、新台乱発の現行機とは比較できない程に大きかった。
 
 
ただし、3号機時代においては、規定に反する「仕込み連チャン機」(裏モノ)が激増、当局の監視の目もかなり強くなっていた。簡単に検定をクリアできない状況下で、オリンピア、パイオニアなど数社は、3-2号機を出さずに新基準の「4-1号機」をデビューさせた。
 
 
ご存じの通り、当時は液晶画面や告知機能は存在せず(フルーツ当選時の「インジケーター告知」は存在)、ボーナスの成立は、専らリールのスベリやリーチ目で察知した。一定のリズムで淡々とプレイする中で、ふいに訪れる大スベリや単チェリー、ハサミ目、ズレ目に心地よい「違和感」を感じる。こういったアナログなゲーム性こそ、当時のパチスロの醍醐味だったといっても良い。
 
 
3号機の「連チャン」に重きを置いたゲーム性も、大いに魅力的ではあった。しかし、「遊技機」というパチスロ本来の側面からいえば、たとえ爆裂せずとも、リール制御の妙が楽しめて、「フルーツゲーム」という魅惑的なシステムも付いた「2号機」は、特に優れていたと思う。むろん、リール制御が秀逸な3号機も、多数存在した。
 
 
個人的には、「アニマル」の独特なボーナス抽選システムが好みだった。「完全確率」というルールに反するものの、あの独特なシステムが生み出す連チャンとハマリ、そしてフルーツゲームというメリハリのついたゲーム性。打ち手を台から離さない魅力が存分に詰まっており、「名機」と呼ぶに相応しい。ああ、懐かしき高田馬場・さかえ通りの「ビッグプレイ」…。
 
 
 
以上の見解は、個人的な意見が多分に含まれる。お気に入りの機種が、人それぞれに違うのは当然であろう。いずれにせよ、当時のスロをガッツリ打ち込んだ諸氏にとっては、リストに登場する2号機、3号機に特別の思い入れをお持ちの筈である。
 
名機、迷機、メジャー台、マイナー台…これら一台一台が、平成初頭のパチスロブームの「立役者」であった事を、もう一度思い出して頂ければ幸いである。