わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

明日へ走れ

2010-03-08 21:00:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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徳永英明「夢を信じて」

テレビアニメ『ドラゴンクエスト(勇者伝説編)』(1989~90年)の主題歌であり、徳永英明の9枚目のシングル曲では最大の売り上げ枚数を記録した。

当初1990年1月15日に発売の予定であったが、当時、祝日(成人の日)であったため、発売はドラクエファンの小学生達がレコード店に殺到する恐れがあるとして、翌日(平日)の発売に変更された。

この曲は、作曲は本人、作詞はTVドラマ「大都会」のテーマ曲「ゼロの座標」の作曲、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」の日本語詞を手がけた篠原仁志、編曲は吉田拓郎、中島みゆき、長渕剛、初期のCHAGE&ASKAなど手がけた瀬尾一三が担当している。

PVでは立体的合成は当たり前であるが、リリース当時の合成は平面的で、ベンチに座る徳永さんが斜めに滑るシーンが面白いです。



何を駆けるのか、何を残すのか?

2010-03-08 20:45:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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井上大輔「哀・戦士」

1981年、映画「機動戦士ガンダム-哀・戦士たち-」の主題歌として、おなじみである。

そんな、井上さんですが、もともとは井上忠夫として、1960年代、グループサウンズで一世を風靡したジャッキー吉川とブルーコメッツのリードボーカルとサックスとフルートを担当、1966年のビートルズ日本武道館ライブの前座、「ブルーシャドウ」で日本レコード大賞受賞、美空ひばりとのコラボなど大活躍するも、1970年代に入り、グループサウンズの衰退とともにグループは解散状態になり、彼は作曲家として、フィンガー5「学園天国」、シャネルズ「ランナウェイ」など大ヒット曲を出し、1981年、バンド再結成を機に、名前を~大輔に改名し、そのころ大学生時代の友人富野由悠季から依頼され、作ったのがこの曲である。以後も富野氏の依頼で「めぐりあい」を作ることとなる。

この曲聴いて、当時流行っていた音楽より先の行った感じがして、今聴いてもよく、彼が聴き入っていた「キンググリムゾン」のようなプログレシブロックの要素を取り入れた仕上がりになっている。それまで、自分がしたいビートルズやローリング・ストーンズのようなロック音楽をレコード会社の都合でできなかったが、アニメという当時コアな世界での音楽制作は大衆に求められるヒット曲意識もなく、自由な環境で自分の実験的やりたいことがこの曲を通じ反映している気がする。

その後、井上さんはシブがき隊などのアイドル歌手への楽譜提供、山下達郎「悲しみのJODY」、「スプリンクラー」のサックスを担当、時代が進んでいって、2000年に他界し、今年没後10年になる。彼の功績はいち早くロックやR&Bを日本の音楽に取り入れて、市場に広めたことが大きい。



YMOと書いてイモというなら勝手にいいな

2010-03-08 20:30:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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沖田浩之「燃えてヒーロー」

PM3時にアップした「翼よ走れ」に続き、アニメ「キャプテン翼」のテーマ曲としておなじみのあるナンバーですが、ここでは歌っている沖田さんについて書きますと、

1980年ごろ、渋谷歩行者天国(今はない)で、当時流行っていたディスコに行けない若者が服飾店「竹の子」で購入した衣装で踊っていた集団「竹の子族」の一員で、そこでスカウトをし、芸能界入りし、「3年B組金八先生(腐ったみかんの原理)」で、クラス一のワルを演じ、人気を上げ、1981年「E気持ち」で歌手デビュー、親衛隊が結成されるほどアイドル的人気を博した。ちょっとひと段落した時にリリースしたのが「冬のライオン」(キャプテン翼の第1エンディング)で、そのB面に収められているのがこの曲である。

その後は、ドッキリ番組でのトラブルでアイドル絶頂期に所属していた事務所を辞め、雲隠れの時期もあったが、津川雅彦氏が作った事務所に移籍、津川氏のもとで、俳優業をこなし、1999年TVドラマ「サラリーマン金太郎」では悪役を演じ、健在を見せつけ、また取り上げる「燃えてヒーロー」を歌い、涙ながら復帰を誓ったもの、「~金太郎」放送終了6日後に自殺による他界をし、師匠の津川氏、恩師「金八先生」役の武田鉄矢や3Bのクラスメイトが駆けつけ突然の死に「バカヤロウ」と叫ぶ金八先生や窓ガラス割った悪友加藤が印象的だった。原因が不明で、彼の家系では祖父、父、兄が彼と同じ形で亡くなっている。

亡くなって11年になりますが、この曲は元気に出るアニメソングの一曲として親しまれている。声優の置鮎龍太郎は彼の親戚にあたる。


唇と唇、目と目、手と手

2010-03-08 20:15:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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川本真琴「1/2」

1997年TVアニメ「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」のテーマ曲として起用され、3枚目シングルとしてリリースし、オリコンシングルチャート最高2位、年間(1997年)29位とヒットしたナンバーで、以後は中川翔子、中村知世がこの曲をカバーしている。

こちらは「るろうに剣心」のこの曲が使われたオープニング


にしおかすみこ、稲川淳二と同じ潜在能力の川本真琴さんですが、1996年「ソニーミュージックSDオーディション」に合格し、シングル「愛の才能」でメジャーデビュー、プロデューサー岡村靖幸を迎え、彼のファンであった彼女は彼の節に歌いこなし、スマッシュヒットし、今後が期待されるアーティストとして話題になった。

音楽活動は好きであるが、プロミュージシャンとしての役割を認識してなかったためか継続的音楽製作が苦手で、2001年以降新曲を発表せず、所属事務所を辞め、以後は別のアーティストとのユニットで活動、2005年山田優化粧品CMソング「涙の太陽」を歌ったりとひっそりとした状態が続き、2010年2月19日に「川本真琴」名義として3枚目のアルバム「音楽の世界へようこそ」をリリースした。

もともとはピアノがメインであり、ギターはほとんど弾かないので、PVではギターを弾かなければいけない状態になり、一生懸命練習したエピソードがある。

その成果?が出ている模様を。



ちょっと待ってと言われちゃって

2010-03-08 20:00:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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Mr.Children「Fanfare」

昨年末公開された映画「ONE PIECE」の主題歌でおなじみ。

映画のほうも好評でアニメファンでなく、めったに見ない人まで巻き込んでのヒットで、映画の元になっている尾田栄一郎「ONE PIECE」の単行本も、インターネットの影響で売り上げが下がっている出版業界の中、今まで出した巻では過去最高の売り上げになったり、主人公ルーフィーがファッション雑誌「MEN'S NONNO」の表紙になったりと漫画、アニメの粋を超えているのも事実。

これからどう展開するのか・・・

目が離せないものです。

で、アップしたものはこの曲とアニメ「ONE PIECE」画集をミックスしたもので、最高傑作なものですので、ご覧ください。

映画のために書き下ろし、映画のために歌った桜井和寿さん、お誕生日おめでとうございます。


ネサーランド・ドワーフ

2010-03-08 19:00:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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大貫妙子「ピーターラビットとわたし」

この曲は「ひらけ!ポンキッキ」内の「ピーターラビットとなかまたち」のテーマ曲として使われたもので、編曲を坂本龍一が担当している。

ピーターラビットの種類を紹介すると

ネザーランド ドワーフ(Netherland Dwarf)で、オランダに起源を持つカイウサギの一品種である。ネザーランドとは英語でオランダの意味で、ドワーフとは小型を意味する。

カイウサギの中では最小のウサギで、体重は約0.8 - 1.2kgである[1]。アメリカのウサギのブリーダーのクラブの『スタンダード・パーフェクション』ではプロポーションが規定されており、それによると体重は1134gを超えてはならず、理想は907g。しかし、これに当てはまらないからといって、ウサギとして何ら問題はない[2]。プロポーションにより、大別して、ショータイプ、スタンダードタイプ、ペットタイプに分けられる。ショータイプとは、ラビットショーに出展する規定を満たし、ラビットショーで上位入賞の可能性があるウサギのことである。

この種類のウサギは小さいため、一般的に毛皮や食肉用途に用いられることはない。

ペットショップで売られているほとんどのウサギはネザーランド ドワーフか、その派生種、交雑種(単に雑種)である。この品種の人気の根底は、子供っぽい外観や、大型ウサギに比べて小スペース、小型ケージで飼育できることにある。

アップした模様は、チョロットだけキーボードに小林武史氏が登場してます。


KEYがあるから、つらいことばかりあったら、かえっておいで

2010-03-08 18:00:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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矢野顕子「ごはんができたよ」

この曲は、1980年にシングルリリースし、アルバム「ごはんができたよ」に収録されている。

この曲にはピアノとボーカル;矢野顕子、エレクトロピアノとシンセサイダー;坂本龍一、ベース;細野晴臣、ドラムス;高橋幸宏、ギター;大村憲司というイエローマジックオーケストラファミリーで作られたものである。

後に矢野さんは「細野、高橋、坂本のYMO以降、彼らと同等の音楽的業績を上げた日本のバンドは存在しない」との立場を採り、その理由の一つとして、「YMOの3人がいずれも演奏家としても超一流である」ことを挙げている。

PVは

鳥山明と同じ潜在能力で、物事には好き嫌いがはっきりしている北乃きいですが、

彼女は重度の潔癖症。帰宅後カバンを置く前に掃除機をかけ、髪の毛1本が落ちているのも許せない。温泉や銭湯などの浴場では、常に爪先立ちで歩く。他にも、友達が家に来たら、靴下まで脱いでタオルで足を拭いて自分が用意したジャージに着替えてほしい、どこに座ったかわからないジーパンで私のベッドに座ってほしくない、トイレでは口で息が出来ないと語っている。

また、秘密が無い状態では暮らせない、不潔で当たり前のことが出来ない人とは暮らせないと言っており、結婚しても寝室は別で鍵も付けたいという。年齢と共に結婚はしたくないと思うようになっている、とも言っている。

1人カラオケにハマっており「カラオケの楽しみを超越した楽しさがある」と語っている。1人で入店するのが恥ずかしいので、大量の勉強道具を持ち、あたかも勉強する感じで入る。レパートリーに、プリンセス・プリンセスの『Diamonds』や広瀬香美の『ロマンスの神様』など、彼女にとっては古い楽曲も含まれる。また、おばあちゃん子だったせいか『リンゴの唄』まで歌える


ご本人が熱をこめて歌っている模様


鮮やかな出会い

2010-03-08 17:00:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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白井貴子 「Chance」

ウサイン・ボルト、こはまもとこ、滝川クリステルと同じ潜在能力の彼女でありますが、この曲は1984年にリリースしたナンバーで、ロック調な仕上がりで、元気の出るものになっている。
現在は、レポーター、コメンテーター、啓発活動を行いつつも、バンド形式の音楽活動をしている。



悪魔したくなる

2010-03-08 16:00:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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Epo「う、ふ、ふ、ふ」

今年人生半世紀を迎える彼女であり、歌手生活30年を迎える。

芸名の由来は子供時代のあだ名から。

大学在学中の1980年、『DOWN TOWN』でデビュー。1980年代半ば「RCA三人娘」の一角として、竹内まりや、大貫妙子と並び称された。竹内の独身最後のアルバム「portrait」にもバックグラウンドボイスとして参加している。デビュー以来現在までオリジナル作品だけでなく、テレビコマーシャルや番組の主題歌なども提供し、多くのヒット曲がある。過去には雑誌のグラビアに水着で登場した経験もある。

フジテレビ系のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』のエンディングテーマにデビューシングル『DOWN TOWN』が採り上げられた縁から、同番組のタケちゃんマンのテーマ曲「THE TAKECHANマン(タケちゃんマンの歌)」の作曲(佐藤エポ子名義)と番組のアイキャッチを手掛けた。番組に出演した事もあったが、当時はこの番組に出演する事が精神的にも苦痛だった事を後に明かしている。

1983年に資生堂のキャンペーンソングとして発表した『う、ふ、ふ、ふ、』がヒット。同曲はキャッチーなポップソングとして非常に完成度が高く、資生堂キャンペーン期間の終了後もたびたび別の商品のCMソングとして採用され、エポを代表する一曲となった。(しかし、それによって固定された“ポップシンガー”のイメージが一時期は重荷でもあったと、本人が後年語っている。)

1990年代になって、一時ヴァージン・レコードと契約してイギリスに住み、アルバム『FIRE & SNOW』、シングル2作品をリリースし、その後帰国。ショーロ・クラブと出会い、彼らの持つブラジル音楽のエッセンスも吸収するとともに、コマーシャリズムと距離を置いた、よりオリジナリティにあふれた作品を送り出している。

セラピストの資格を持つ。最近では音楽をベースにした、障害者・老人・子供向けのワークショップを開催したり、心理カウンセリングを行うなど、音楽の世界にとどまらない多様な活動を積極的に行っている。

2008年12月、催眠療法などをともにやっている俳優兼セラピストの宮川雅彦と入籍したことをコンサートで告白した。



走るんだ、どこまでも走り抜くんだ・・・

2010-03-08 15:00:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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キャプテン翼応援団「翼よ走れ」

高橋陽一原作のTVアニメ「キャプテン翼」の第二エンディングテーマとして起用され、挿入でも大きな大会で翼君が駆け抜ける場面を思い出すナンバーである。

この作品は1981年「週刊少年ジャンプ」で掲載開始、アニメは1983年から2年半わたり放送され、テレビ東京では開局以来のヒットとなり、系列(テレビ東京系列は全国で3~4局)のない県でも放送されるほどで、漫画、アニメを通じ、サッカーをやりだす少年たちが増え、日本だけでなく、漫画、アニメの世界的評価で、海外でもこの作品は高評価し、多くの少年たちが見て読まれ、世界の舞台で活躍するファンタディスタがこの作品を通じ次々と誕生しているのも事実。

この作品がなかったら、日本のJリーグ開幕、日韓ワールドカップは実現してないほどの影響力があり、主人公大空翼は日本の静岡を飛び出し、世界中を飛び回り、現在はスペインリーグ「FCバルセロナ」に所属している。その前が最強ライバル「レアル・マドリッド」に所属していたから、移籍の際、双方の重役が翼君をめぐり喧嘩したほど世界でも影響がある。

登場する人物で「若林」、「反町」、「大空」、「日向」などがいるが、1990年代反町隆史が登場した時、「反町」という名前聞いたとたん「サッカー」やっていたんじゃないかと思った人は「キャプ翼」の影響は大きい。そのころの反町さんは日向小次郎を意識し、Tシャツのそで上げをしていたのは言うまでもない。また、「若林」も同様で、その名を聞いて「サッカー」を思い浮かんだら、「キャプ翼」の影響は大きい。特に、お笑いコンビ「オードリー」、ツッコミ担当の名は「若林」であるが、彼の存在は相方春日の信念深く「トゥース」な出っ張りで阻まれ、薄い状態でなく、「キャプ翼」の影響でさらに地味になっているのも事実。一生懸命ネタで「若林」と言っても・・・頑張れ!「若林」GO!。

取り上げたきっかけは「アメトーーク」の「キャプテン翼芸人」の影響です。


ありかとう!おおきに。

2010-03-08 13:00:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
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BOφWY「NO NEW YORK」

1980年代を代表するロックバンドで、1988年解散後、人気は衰えることもなく、いまだに再結成を願う往年のファンも数多い。

まずは

彼らの逸話から

テレビ番組への出演は少なかったが、デビューして間もない頃に、ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ)に出演している。その後も音楽番組としては『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)や『いきなり!フライデーナイト』(フジテレビ)、名古屋のローカル番組『5時SATマガジン』(中京テレビ)などに数回出演している。

『夜のヒットスタジオ』の”ご対面シリーズ”では、氷室の初恋の女性が登場して氷室が喜び「さすがフジテレビだぜい!」としゃべるという微笑ましいシーンが見られる。

『いきなり!フライデーナイト』ではメンバーが酔っ払ったまま出演している。

バラエティ番組である『いきなり!フライデーナイト』にしばしば出演したのは、司会の山田邦子がBOØWYのファンであり、氷室によれば、山田が「楽曲をよく理解してくれていたから」だという。

『5時SATマガジン』では”ロックスターボウリング大会”という企画に出演している。

『夜のヒットスタジオ』に「ONLY YOU」で出演した際に、司会の古舘伊知郎から、「(氷室の衣装が)銀座の買い物帰りのおばさんみたい」と言われ、また布袋に対しては殿さまキングスのモノマネを強要させられた事等が原因か、テレビ出演は1986年12月を最後に途絶えている。

氷室は当初、“狂介”という芸名だったが、京都の占い師に「“狂”という文字は絶対に使ってはいけません」と言われ、現在の“京介”に改名した。改名後売れたため、以後、もう占いをしないと決めたらしい。

氷室はバンドを結成した当初は、英会話教材のセールスマンをしていた事もある。営業成績も優秀だったという。しかし、車の誘導のアルバイトでは車をぶつけ、パチンコ屋では台を壊し、ゲームセンターでは出勤3日目には先輩を見切り一日中ゲームをして遊んでいたというエピソードもある。氷室と布袋はなかなか定まった仕事に就かず、女性のヒモ同然の暮らしをしつつ、バンドの活動資金は高橋と松井のアルバイト代で補っていたそうである。

布袋は本当は別のバンドに加入したかったが、地元で有名な不良少年の氷室が怖くて断りきれなかったと告白している。

松井はロンドンへ行った際、帰りにデパートで土産物を買おうとしたが英語を全く喋れず、意地になって日本語を貫き通した。

ロンドン マーキークラブ(MARQUEE CLUB)でのGIGは「下手くそ」「止めろ」等の客の野次や、演奏中に酒のボトルが飛んできたりと、かなり酷い状況であった。録音が存在しているにも関わらず公式なリリースがないのはこのためだと言われるが、ブートレッグで聴く限りでは日本同様に盛況である。(このGIGの一部は、2007年発売の『“GIGS”BOX』において映像化されている。)

高橋が他の5人と初めて「IMAGE DOWN」を演奏した際、演奏開始のカウントがあまりにも大声だった為、松井が笑い出してしまい、演奏が中断してしまった。

デビューして間もない頃、九州の佐賀県で3万人規模のコンサートがあるという話を聞き出演のために駆けつけたところ、それは村の夏祭りでギャラは村で収穫された野菜や酒だった。

松井は高円寺にあった「ミント」という喫茶店のマスターをしていたが、店がバンドの連絡所も兼ねていたため、熱心なファンが通いつめ、売り上げが上がらず潰れてしまった。

『Marionette』のプロモーションビデオのアニメ・バージョンはガイナックスが制作した。当時ガイナックスの社長を務めていた岡田斗司夫は、後に自著の中で「当時は誰もがあれをやりたがった」と回想している。

日本テレビの番組『メリー・クリスマス・ショー』で吉川晃司とビートルズの『HELP!』をカバー。氷室はサザンオールスターズの桑田佳祐と共演した事もある。

『BEAT EMOTION』発売前にラジオで「次は売れる曲出します」と発言したが、その通りに売れた(オリコンチャート1位)。

「JUST A HERO TOUR」の沖縄公演で、煽っても煽っても縦ノリにならず横揺れなオーディエンスに腹を立てた氷室はステージから下がってしまった。結果的には戻って最後まで演奏した。

2008年5月10日放送のテレビ番組『SmaSTATION』(テレビ朝日系列)での1980年代邦楽ベスト20というランキングにおいて、X JAPAN、尾崎豊、オフコースなど数多くの著名アーティストを抑え堂々の1位を獲得(解説の小林克也によると、都市部だけではなく全国全てにおいて圧倒的な票数で1位であったらしい)。

初期メンバーの諸星(G)と深沢(sax)の脱退理由は書籍によって「音楽性の違い」「今後の不安」「事務所の命令」など諸説書かれており、真相は不明である。しかし、二人のラストライブで氷室がMCしたところによると、

諸星は「もっと黒っぽい音楽(ブラックミュージックのことか?)をやりたくなったから」、

深沢は「アクター(俳優)になりたいから」

が脱退理由とのこと。

二人のラストライブで、深沢は自作詞の曲「NO.NY」とデヴィッド・ボウイの「Suffragette City」でVo.をとっている。深沢は現在も俳優として活動中(舞台でサックスを吹くことも)。諸星はBOØWY脱退から約1年後に音楽業界から引退したが、1983年11月27日のライブのアンコールに特別出演し、「MIDNIGHT RUNNERS」を演奏した。深沢脱退が氷室の口から告げられた瞬間、会場内の女性ファンが悲鳴を上げた。

国産バンドとしては桁外れにブートレッグの数が多い。大半の公演についてブートレッグが存在すると言う説もある(初期の頃は、営業戦略からバンドがライブの録音を許していた)。

ファンの間では、マスコミに一切公表していないにも関わらず「渋谷公会堂」で解散という事が事前に伝わっていた(パソコン、携帯はもちろん、ポケットベルさえ流行る前であるため、情報源は実際に会うか家電話の当時では、異例)。

これは、「活動後期の歌詞や活動内容の加速度・充実度やエピソードから一部ファンと音楽ライターが年内解散を予測しており、複数発生源の口こみとして広まった」ということが、音楽誌・BANDやろうぜの編集後記にこぼれ話として書かれたことがある。


この曲について

ファーストアルバム「MORAL」に収録されている。

作詞:深沢和明/作曲・編曲:布袋寅泰

原題は「NEWYORK NEWYORK」。ほぼ全てのライブで演奏されている。歌詞は、1980年に起きたジョン・レノンの射殺事件に触発され、当時メンバーであった深沢が書いたもの。間奏部分での英語のMCは、彼の死を告げる当時のラジオ放送の音声である。6人最後のライブでは深沢がボーカルを担当した。後に再録音され、「BAD FEELING」のカップリングとしてリリースされた。MORAL+3リリース時のカードに書かれたレビューに「Nadeshiko Yamato」(やまとなでしこ)の略であることを思わせる言葉が書かれていたため、長らくそのことが信じられていた。現在では、「そういう意味ではない」ということが、マネージャーだった土屋の口から語られている。

1985年、宮城県村田町スポーツランドSUGOで行った「ロックンロールオリンピック」より


パタパタママ

2010-03-08 12:00:00 | わしやま音楽祭VOL.5~6
のこいのこ「パタパタママ」

もうすぐ62歳になる彼女ですか、高校生の頃からフォークソングを歌い、中津川フォークジャンボリーに出演経験も。隠れCMソングの女王と呼ばれ、800曲以上を手がけた。

また、『ひらけ!ポンキッキ』の楽曲や既存曲などの童謡も数多く録音している。

2006年6月21日に、アルバム『のこいのこ大全』をビクターエンタテインメントから発売しワイドショーなど各種メディアで取り上げられた。発売前の同年5月にはAmazon.co.jpのランキングで予約件数1位となった。累計で4万枚以上を売り上げている