他宗のお坊さんの話だが、恐ろしく声の良い方がいる。たくさんのお坊さんがお経を唱える中でその方の声だけが際立って聞こえてくる。思わず誰の声、どこから聞こえてくるのと探したくなるほどだ。声がずば抜けて大きいとか特徴のある声というのではない。ともかく心地よい聞き惚れてしまう声としか言いようがない。
普通、たくさんのお坊さんでお経を唱えるときは音程は違えどもそれぞれの声で斉唱をしてそれなりにハーモニーを醸し出す。しかし、その方が入った場合、たとえて言うならば合唱団の中で一流のソリストの歌手が歌っている、バレエの群舞の中にプリンしパルが踊っている、素人の集団の中にプロが混じっている、それくらい飛びぬけて目立つ。
本人はごく普通にお経を唱えているだけなのに。お経の読み方がうまいとか、技巧的というのでなく、声そのものに魅力がある。
余計なお世話だが、なぜこの人が坊さんなのか?この声ならオペラ歌手になった方がその才能を生かせるのでは、お坊さんにしておくにはもったいない、声を生かすことが天職なのではないかなどと思いたくなってしまう。
また、別のお坊さんの話だが、普段の話をする際にその間の取り方、登場人物の演じ分け、しぐさなどまさに落語そのもの、こんなに話が面白いのに、本人は法話が大の苦手だそうだ。たしかにその方が法話をしているときはものすごく緊張して普段の話の面白さはない。苦手意識がそうさせるのだろうか。
落語家になったらすごい真打ち、平成の名落語家といわれるかも知れないのに。これも余計なおせっかいなのだが。
才能を生かすのが天職なのか、自分が信じるやりたい道を行くことが天職なのか。
人生いろいろですね。だからおもしろい?
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