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伝統文化★資料室

東京成徳大学・日本伝統文化学科の学生と教員が「伝統文化資料室」から、情報発信します!

千葉県立中央博物館大利根分館「あなたの知らない世界」ポスター

2014-07-01 06:13:04 | 日本文化

8月16日の林家正雀師匠の怪談噺の会を含む「あなたの知らない世界」のポスターが完成しました。

「林家正雀 怪談噺の会」
 
日 時
 
平成26年8月16日(土) 13:30~15:00 
 
内 容
 
怪談の名手,林家正雀師匠による本格的な怪談落語の会。隣接会場では「あなたの知らない世界」の展示も開催しています。 
 
演 目 
①「お血脈(おけちみゃく)」・・・
善光寺のありがたいハンコ「お血脈」を地獄から盗みにきた大泥棒は…?
②「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」・・・
下総羽生村で起こった実話をもとに三遊亭円朝が創作した怪談噺。
 
会 場   千葉県立中央博物館大利根分館
〒287-0816 香取市佐原ハ4500
電話:0478-56-0101  
 
木戸銭    1,000円
 
対象    小学生以上
 
定員    80名(当日受付・先着順) 
 
※「あなたの知らない世界」の展示をご覧いただくには,別途入場料が必要です。

八條忠基先生「装束で読む源氏物語」ご講演

2014-06-16 10:07:41 | 日本文化

江戸川区中央図書館で行われた、八條忠基先生の「装束で読む源氏物語」のご講演に、勉強のため装束班が参加してきました。前半は末摘花のお話、後半は、直衣、狩衣、十二単の着装でした。本日はお手伝いではないので、いろいろ勉強ができました。

十二単の着付けで、皆さんに必ず感心してもらえる「装束紐の引き抜き」を見事にとらえた写真です。

 さっと描かれる絵も大変お達者でした。 


御用酒

2014-06-04 06:05:17 | 日本文化

「殿上淵酔」の勧盃におきましては、実際に酔ってしまわぬよう、お酒の代わりにスポーツドリンクを使用致しましたが、本来ご用意いただいておりましたのは、皇太子殿下からのお下がりの「御用酒」でございました。

「御用酒」には「日本盛」の「惣花」をはじめ、「菊正宗」「櫻正宗」など名だたる銘酒が名を連ねますが、東宮御所のお下がりは「月桂冠」純米吟醸でございました。幾重にも包まれたなかから現れた高雅な意匠のラベル、淵酔ならぬ直会にて、皆様お裾分けあずかり、ご配慮により青柳が頂戴いたしました。まだ中身がございますので、じっくり賞味したのちに、伝統文化資料室に展示いたします。


装束班奮闘記

2014-06-03 09:21:53 | 日本文化

「歌会ならびに殿上淵酔」には装束班が全面参加。八條先生のご指導を仰ぎながら着装をいたしました。よい勉強になりました。

実に美しい仕上がりでございました。

まへつぎみたちも、うるはしく装束きたり。


平成殿上淵酔顛末記

2014-06-03 04:10:11 | 日本文化

6月1日、江戸川区行船公園、源心庵におきまして、星と森披講学習会、水無月の歌会(兼題「雨」)ならびに殿上淵酔を催行いたしました。

歌会では、甲調六首、乙調六首、上甲調二首、甲調一首、乙調二反一首の計十六首を披講いたしました。わたくしは発声の役をあい務めました。

拙詠 とつ国のちまたに雨のふるごとくわが心にもふるなみだかな

偶然にも読師、兼築信行先生と本歌(ヴェルレーヌ「ことばなき恋歌」)が重なってしまいました。むろん、御作の方が数段格調高く上等であります。

街に降る雨のごとくに我が心のうちにも雨といひし人はも 信行

歌会が終わり、後宴として、今回は「殿上淵酔」の再現を試みました。

「殿上淵酔」とは、正月および十一月の五節に、清涼殿殿上の間に天皇が出御し、蔵人頭以下の殿上人が出席する、慰労会的な性格のある私的な酒宴で、殿上人たちによる歌舞があり、いわば芸の見せ場でもありました。正月には二日もしくは三日中の吉日を選んで行われ、五節では中の寅の日に行われました。蔵人頭以下が殿上の間の台盤の周辺に着し、六位蔵人が三度献杯する間、朗詠「嘉辰令月」「東岸西岸」・今様「春の始めの梅の花」などが歌われ、皆が装束の紐をとき、上着の片袖をぬぐ肩脱ぎ(袒褐)となります。ついで「万歳楽」が奏され、拍子をとって人々が立ち並び袖をひるがえして舞う「乱舞」となり、終われば再び装束の紐を結んでお開きとなります。 

わたくしは、がんらい「朗詠」の研究が専門ですので、朗詠が歌われる場について多年関心を持っておりました。「臨時客」と並んで演奏機会の多い「殿上淵酔」については、歌われる曲目こそ熟知しておりますが、しかし、実際の宴の進行や作法については、寡聞にして知るところなく打ち過ぎておりました。今般、歌会の披露に伴う趣向として、芸尽くしである「殿上淵酔」は面白かろうという思いつきから、今般の仕儀と相成りました。

殿上淵酔については、「殿上淵酔部類」をはじめとして、記録や作法書が多く残っており、かなり精細な説明がなされています。しかし、いざ「再現」ということになりますと、これがとにかくわからないことだらけ。例えば、献盃の「お流れ」の作法は具体的にどのようにすればよいのか、とか、台盤(テーブル)の下で盃を巡流させるとはどういうことなのか、など、首をひねってしまうことばかりです。

かかる時、昔の人はどうしたか?諸家の家乗(日記)等を見れば、困った時は、有職の人に箇条書きで質問状を送り、回答をいただく、というのがうるわしい習慣でございました。わたくしもその顰みにならい、日頃敬してやまぬ平成の有職家、八條忠基先生に借問いたし、お答えをいただきました。後学のため、ここに記します(丸数字がわたくしの問い条々でございます)。


➀用いられた盃はどのような形状のものと考えられるでしょうか。

「酒つ器(さかずき)」は一貫して、深草土器と呼ばれる素焼きの小皿です。いわゆる「かわらけ」ですね。

『類聚雑要抄』
「宇治平等院御幸御膳
「御酒坏 御酒」

「仁和寺殿競馬行幸御膳
「次御酒器 深草土器」

『源氏物語』(宿木)
「主人の頭中将、盃ささげて御台参る。次々の御土器、二度、三度参りたまふ。」

➁盃を載せた「盤」ははどのような形状のものと考えられるでしょうか。

上記『類聚雑要抄』の「中盤」のようなものだとしますと、丸いお盆のようなものです。

➂澆濁(ぎょうどう)を棄つ、とはどこに捨てたのでしょうか。盃洗のようなものを想定すべきでしょうか。

『園太暦』(院御薬事)には、「澆濁器」「澆濁盃」などとありますから、盃を建水のように用いたと思われます。大型の馬上杯形盃洗がよろしいかと思います。

➃作法的には、まず勧盃者が飲んでから、残った酒を棄て、主殿司が再び注いでから貫首に飲んでもらう、ということでよろしいでしょうか。

はい、その順番です。自らお毒味してから貫首に勧盃します。

➄以下は、飲んだ者が残った酒を棄て、酒を注がせてから次の者に盃を渡す、ということでよろしいでしょうか。

はい、「更受酒伝盃」酒を受けてから盃を伝える、ですので。その後は同じ事の繰り返しです。

➅台盤の反対側にいる相手に盃を渡す際、「台盤の下より伝ふ」とは具体的にどういうことでしょうか。盤に乗せて台盤の下を通したということでしょうか。また今夜条々には「扇に据えて」とありますが、この方がよいでしょうか。衣紋を損じないためとありますが、やや不安定な気がいたします。

ここは安全を考慮して、可依便といたしましょう。前記『園太暦』(院御薬事)には、「御盃」とあります。また、「予又起座進御前、跪取御盃、執行置座上。」などとありますので、折敷あるいは上記「中盤」の上に盃と盃洗を乗せて、台盤の下を行き来させることが妥当かと思います。こぼすことを考えると、塗り物の中盤のほうが良いかもしれませんね。

➆勧盃者たる蔵人は、三人目のあたりでいなくなっていますが、あとは主殿司が酒を注いで回っていると考えてよいでしょうか。

「蔵人勧盃。主殿司取銚子相従。貫首取盃之後取続酌。」
まず蔵人が貫首の盃にお酌し、

「殿上人取盃之後。蔵人返給銚子於主殿司。退下着本座。」
ですから、蔵人が酌をするのは公卿までで、殿上人には主殿司が酌をした、ということになりますね。


【殿上淵酔次第】八條先生より(上写真の長柄銚子と盤も、八條先生の御所持品でございます)

次勧盃三献。

 先一献。蔵人自下臈勧盃。主殿司取銚子相従。其儀於小板敷取盃参進。就貫首之座上。気色畢受酒。飲之棄澆濁。更受酒献貫首。動座取続杓入酒。次貫首気色于下臈人。取盃飲之。棄澆濁。更受酒伝盃。伝盃之時。自台盤下取渡之。殿上人取盃之後。蔵人返給銚子於主殿司。退下着本座。次第流盃如此。最末人留置盃於座下方。蔵人在横敷者可伝盃。
 次二献。先之立箸於饗。先貫首立之後。殿上人応之。勧盃巡流如前。次抜箸置之。貫首抜之後殿上人応之。
 次三献。勧盃蔵人。有饗応。其儀数盃令飲之。貫首解蔵人之紐。蔵人置盃肩脱。次貫首以下皆肩脱。次猶両三盃令飲之後。貫首取盃飲之。流行如前。饗応浅深依時不同。是近代中品儀也。

先達はあらまほしきかな、ご教示を辱うし、勇を鼓して、わたくしなりに次第を作ってみました。

一、  蔵人頭両名、上戸ヨリ参入シ、奥座・端座ニ着ス。

二、  女房、上戸ノ辺ニ着ス。

三、  殿上人等、下侍ヨリ参入シ、奥座・端座ニ着ス。

四、  蔵人➀、神仙門ヲ通リ小板敷ニ着ス。

五、  蔵人➀、上戸ヨリ貫首(奥座ノ蔵人頭)ノ前ニ進ミ跪座ス。主殿司、銚子ヲ提ゲテ続ク

六、  蔵人➀、貫首ニ献盃ス。貫首、盃ヲ取リテ飲ム。終リテ台盤ノ下ヨリ盃ヲ伝フ(以下巡流ス)。

七、  楽人等「越天楽」ヲ奏ス。

八、  一献了。末座ノ人ハ座ノ下ニ盃ヲ置ク。

九、  蔵人➁、上戸ヨリ参入シ、傍頭(端座ノ蔵人頭)ニ献盃ス。以下巡流ス。

十、  楽人等、朗詠「嘉辰令月」三反ヲ奏ス。一反「勧無極」二反「令月」三反「勧無極」。

十一、  二献了。末座ノ人ハ座ノ下ニ盃ヲ置ク。

十二、  蔵人➂、上戸ヨリ参入シ、貫首(奥座ノ蔵人頭)ニ献盃ス。

十三、  傍頭(端座ノ蔵人頭)、蔵人➂ノ紐ヲ解ク、蔵人➂、盃ヲ置キテ肩脱グ。

十四、  蔵人、貫首ノ紐ヲ解ク。貫首、肩脱グ。一同肩脱グ。

十五、  楽人等、空拍子三度シテ「越天楽今様」ヲ出ス

十六、  続キテ楽人等、「萬歳楽」ヲ奏ス。一同扇ヲ以テ台盤ヲ叩キ拍子トル。

十七、  楽人及蔵人、上戸ノ辺リニテ「「萬歳楽」ヲ舞フ、殿上人本座ニテ舞フ。

十八、  一同、傍頭ノ方ヲ向キ、「萬歳楽」三反舞フ。

十九、  貫首、「萬歳楽」ヲ舞フ。

二十、  一同、紐ヲ差シ退出ス。

 まずは、盃・澆濁盃・盤を用意いたしました。盃は大きめの素焼きかわらけ、酒を一口残して飲み口を洗い、棄てるための澆濁盃には、金鋺(かなまり)ふうのものと、馬上盃型の須恵器(発掘品)を持参しましたが、一献で一巡するとかなりの量の飲み残しが入りますので、大きめの金鋺の方を採用しました。盤はふつうの丸盆です。先生のアドバイスのおかげにて、台盤の下のやりとりはスムーズにできました。 

責任上、わたくしが解説役と一献の蔵人役をあい務めます。なお、武官にもかかわらず縫腋の袍なのは諸般の事情(!)によります。

 兼築先生が蔵人頭(貫首)のお役です。黒袍衣冠。

林先生は、もう一人の蔵人頭(傍頭)役です。赤袍衣冠。

公卿役、大原卿、おろしたての縹色夏直衣姿です。

楽人は、上野雅楽会より、野田知宏(篳篥)、小藤倫子(笛)、嶺岸瑳南(笙)の各氏にお願いいたしました。また大原卿は篳篥、そしてわが装束班も素人ながら持ち管で参加です。

三献のうち一献めは、儀軌によれば、音楽もなく粛々と盃が流れてゆくのが定めなのですが、「ものの音のなきはさうざうし」と考えて、平調越天楽を奏しましたら、バッチリでした。いいんです。殿上淵酔は古来「定法なし」なんですから、なんでもあり。年中行事なのにここまで自由なのは珍しいですものね。

二献めは、朗詠「嘉辰令月」。三反歌われるのですが、殿上淵酔の場合に限っては、歌い出しが「勧無極」というところからなので、それでやってみました(音頭、野田氏)。伴奏は笙の一竹です。楽人の皆さん以外にも、歌える方々が合わせてくださったので、結構盛り上がりました。わたくしは二反目の「令月」の歌い出しを務め、さあ、三反目というところで、音頭の野田氏に盃が回ってしまい、すかさずわたくしが代わって「勧無極」を歌い出しました。こういう、アドリブが全開なのも、儀式ばらない、気軽な宴席のよいところだと思います。

さあ、三献め、まずは今様尽くしです。今回は「越天楽今様(春の弥生のあけぼのに)」からですが、ここは、ご参会の皆様と一緒に歌っていただきたく、一節ずつ鸚鵡返しに歌っていただく「サンハイ、チイチイパッパ」方式を採用いたしました。こういうグルーブ感が、この淵酔にはあると思うからです。写真のように、扇で台盤をたたいて拍子を取るのも作法となっていますが、三献では相当酔っ払っていますから、もう「お箸でチャンチキ」のノリになっているわけです。音頭はわたくしが務め、「春の始めの梅の花」「遊びをせんとや生まれけん」「古き都を来てみれば」と次々に歌い、ネタ切れになったので、お遊びで、昭憲皇太后「金剛石」を今様にさせていただきました。

 金剛石も みがかずば
 玉の光は そはざらん
 人も学びて のちにこそ
 まことの徳は あらはるれ

どうです。見事な四句神歌になっておりましょう?

続いて、「萬歳楽」による乱舞、ここは落語「本膳」ふうに、皆で舞人の所作をまねる、という感じにしてみました。肩脱ぎ(袒褐)はいろどりも美しく、皆で舞うと華やかです。野田氏には、舞の手を口で言ってもらい、それにあわせててんでに舞いましたので、いかにも「乱舞」(ラップ)な感じになったのではないでしょうか。頭の弁、林先生もノリノリです。

なお、実は肩脱ぎは、三献のはじまり、今様の始まる前に行うべきだったのですが、失念してしまいました。今様から萬歳楽へは、連続してスムーズに移行することになっているので、次にやるときには気を付けたいと思います。

今回の決定的違式。この写真でおかしいところはどこでしょう(わたくしの舞いがおかしいのは別として)。

そうです、貫首さまが「左袒」なのです。肩脱ぎは「右袒」(右の肩を脱ぐ)と決まっておりますが、兼築先生のみ左脱ぎです。犯人は・・わたくしめにございます。紐を解きましたとき、うっかり逆の肩を抜いてしまいました。「右袒」であることは諸書にも強調され、たまに「左袒」の人がいると咎められていることはよく知っていたのですが、現場で舞い上がっておりまして、写真を見るまで全く気づきませんでした。貫首さまに深くお詫び申し上げますと共に、皆様どうか他山の石としていただきますよう伏してお願い申し上げます。

殿上淵酔再現の顛末、まずはかくの次第にございますが、いずれ、装束・諸道具・饗饌をあい整え、然るべく「正しい」再現を行いたいと考えてございます。その節は、八條先生ならびに皆様に、何卒ご協力を賜わりますようお願い申し上げます。