今朝の新聞に竹下虎之助前広島県知事逝去の記事が載っていました。
ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
故人との最初の出会いは昭和56年の12月にTSSの新春番組「知事と語る」の収録で初めてお会いしました。
同年11月に県知事選挙があり、見事当選した新知事としての意気込みをお聞きする30分の番組でした。
何故私が対談者に選ばれたかと思われる方も多いと思いますので少し説明をさせていただきますと。
10月に広島県青年海外派遣団の一員としてドイツをはじめイギリス、フランスにおいて社会教育関係の研修に参加したことがご縁で選ばれたとのことでした。
番組では故人を囲んで同じ団員であった女性と私と3人で話をいたしました。
内容は今後の県政全般に関わるもので、ある程度シナリオがありましたが司会進行役ということで、収録を終わった際には安堵したことを覚えています。
番組の収録前にテレビ局のティールームで打ち合わせをした際に番組内では出なかった話で心に残ったものがあります。
一つは講演等における話です。
故人のお話しでは例えば30分の時間が与えられた場合、「宮沢前知事は29分で話が終わりますが、私はきっちりと30分話をいたします。」とおっしゃっていました。
これは今日私が講演等を頼まれた際に心がけるきっかけとなりました。
もう一つは数字の説明です。
例えば「おたくの町の高齢化率は何パーセントですか?」と聞かれた場合に「30パーセント」ですと言った場合と「30.04パーセントです。」といった場合にどちらが信憑性があるかということでした。
但し、誤差は僅かであることが必須条件です。
収録前のエピソードでしたが、今でも心に残っています。
このご縁を機縁として県の関係の委員会に選任されることが多くなりました。
県知事退任後は広島県社会福祉協議会長として地域福祉推進を積極的に進められ、こちらでもご縁があり、会長室に何度かお邪魔をしたことがありますが、その際にも大崎町の状況をよくご存知であったことを覚えています。
県社協の会長を在職時に当時の商工会関係で講演を依頼された際に今井会長(当時)が島内を案内されている際に「松浦君は元気にしているかね。」と尋ねられ今井会長さんが「あなたの名前が出たのでびっくりした。」と後日事務所にいらっしゃったときにお聞きしたこともあります。
卓越した記憶力のあった方でした。また、お会いした際には素適な笑顔で迎えていただきました。
現在、私が地域づくり等へ強い関心を持つきっかけをいただいた方であったと思います。
生前のご功績を偲び、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
後日、「お別れの会」が営まれる予定と聞いております。合掌