宇宙の歩き方

The Astrogators' Guide to the Charted Space.

スピンワード・マーチ宙域開拓史

2020-10-04 | Traveller
 太古の昔のスピンワード・マーチ宙域については、今もほとんどわかっていません。帝国暦300年から一世紀以上をかけて行われた第一次大探査(First Grand Survey)によって、スピンワード・マーチ宙域(とその周辺)は、帝国の中でも特に太古種族(Ancients)の遺跡が密集し、ドロインの居住星系が多いことが判明しています。宙域内の惑星には、ダリアン人など人類も含めた動植物が宇宙各地から移植されており、ヴィクトリアに見られるような最終戦争による大破壊の痕跡の数々もあります。しかし、これら断片的な証拠の数々が本当は何を意味しているのかについては、いまだに考古学者らによる仮説と推論の域を出ていません。
 少なくともはっきりしているのは、太古種族がもう宇宙のどこにもいないであろうということだけです。

 太古種族が姿を消してから30万年間、この宙域で大規模な活動をした種族はいないと考えられています(亜光速による恒星間航行を成し遂げた種族がいたとする説もあります)。
 やがてこの宙域の彼方でヴィラニ人が「星々の大帝国(第一帝国)」を興し、その反対側でゾダーン人も宇宙に乗り出すと、-2800年頃にはヴィラニ人がヴェインジェン(3119)に入植し、-2500年頃にはゾダーン人が現在のクロナー星域に小さな前哨基地をいくつか建設しています。しかし当時の両者は国家としてこの宙域に関心は持っておらず、入植の波は起こりませんでした。
 時は流れて第一帝国が「人類の支配(第二帝国)」に取って代わられると、-2000年頃にエシステ(2313)、ノクトコル(1433)、リオ(0301)、少し遅れて-1500年にはガルー(0130)に、第二帝国を飛び出したソロマニ人が入植を行っています。また、ジャンプ航法発見前の「地球人」が亜光速船で、-1450年~-1000年にかけてヴィクトリア(1817)、イレーヴン(1916)、アルジン(2308)に漂着しています。しかしこれらの入植者はいずれも、様々な理由で星々を渡るための技術を失っていきました。
 そんな中で最もこの宙域に影響を与えたのが、-1520年にダリアン人と接触してそのまま現地に「溶け込んだ」ソロマニ人です。ダリアン人の文化とソロマニ人が持ち込んだ科学技術が爆発的な反応を見せ、TL3だった技術力は500年後にはTL16に達していました。しかしそんな彼らの高度星間文明も、-924年の恒星災害によって瞬く間に崩壊してしまいます。
 静寂の時代が過ぎて-400年頃になると、アスラン領経由で大裂溝(Great Rift)を越えてきたソロマニ人がグラム(1223)に入植を行いました。彼らは瞬く間に周辺星系に入植地を拡大すると、「ソード・ワールズ人」なる独自の民族意識を固めていきます。一方で大災害から復興したマイアのダリアン人は-275年に再び宇宙に戻ると、周辺星系の同胞と再接触して恒星間共同体を形成していきます。距離の近い両者は-265年には接触していますが、お互いの性向の違いによって友好関係を築くまでには至りませんでした。
 これまでに挙げた人類勢力は、いずれも星系単独か星域規模程度のものに過ぎませんでした。スピンワード・マーチ宙域が巨大な恒星間国家に組み込まれるのは帝国暦の時代、つまり〈第三帝国〉の到来を待たねばなりません。

 帝国によるスピンワード・マーチ宙域の探査の歴史は、建国直後に旧都ヴランドを含むヴランド宙域を併合したことにより始まります。これにより回廊(コリドー)を越えてデネブ宙域へ、そして更なる辺境へと進出することが可能になったのです。探査を担った帝国偵察局(IISS)は、50年代にゾダーン人、ソード・ワールズ人、ダリアン人と相次いで接触を果たし、その後も休むことなくこの宙域を調べ続けていきました。
 一方で入植の方は、距離の近いコリドー宙域やデネブ宙域の開発を優先する保守的なヴィラニ系資本に代わって、冒険心に富んだソロマニ系の資本や人々が「飛び越えて」成し遂げていきます。今でもどことなくヴィラニ文化が香るデネブ宙域と異なり、スピンワード・マーチ宙域にはより遠方のはずのソロマニ文化が色濃く残っています。

 帝国人による入植の始まりは、帝国暦60年にメガコーポレーションのLSP社がモーラ(3124)に入植拠点を設営してからで、それが呼び水となり75年には早くもリジャイナ(1910)やその周辺への入植も開始されました。85年にはフォーニス(3025)が入植されるなど、モーラ~リジャイナ間の「スピンワード・メイン」を辿って入植は急速に進み、モーラは帝国辺境における通商の中心地となっていきます。
 そんな需要を見越して、後に宙域規模の大企業となるアル・モーライ社(Al Morai)が75年にモーラで創業されました。当初は星系内輸送に限っていましたが、120年には星系間の貨物・旅客輸送を開始しています。

 帝国は147年にソード・ワールズ諸国と、翌148年にはダリアン連合の発足に合わせてそれぞれ外交関係を樹立しています。両者は帝国との経済的な結びつきを深めていきますが、ソード・ワールズの常態化した政情不安も手伝ってか、より深まったのはダリアンの方でした。

 この時代、帝国中央を吹き荒れた宥和作戦(75年~120年)やジュリアン戦争(175年~191年)、ヴァルグル戦役(210年~348年)といった戦乱に比べれば、辺境は実に平和でした。特にヴァルグル戦役でコリドー宙域の安全が確保されたことにより、辺境の開発は大きく加速することになります。
 帝国暦200年~400年にかけて帝国政府は大規模な入植政策を実施し、250年にはリジャイナや近隣星系が正式に帝国に加盟しました。とはいえ多くの星々の技術水準はまだまだ低く、数少ない先進・高人口星系間を結ぶ通商路には危険がつきものでした。例えば、315年までスカル(2420)を拠点とした海賊団が脅威となっていたそうです。


帝国暦300年頃のスピンワード・マーチ宙域
(実線:国境 着色部:入植地 緑線:主要交易路
赤:帝国系 青:ソード・ワールズ系
白:ダリアン系 黄:人類系 緑:知的種族母星)


 310年代になってようやく、スピンワード・メインから遠いアラミス星域への入植が開始されますが、まだこの時はリジャイナ星域の開発の余波といった体でした。本格的な入植・開発は400年代にプレトリア星域(デネブ宙域)から大規模に行われてからで、今もタワーズ星団はその名残りでスピンワード・マーチ宙域内にありながらデネブのプレトリア公爵領のままです。
 現在のグリッスン星域方面の本格的な入植が始まるのも、300年代に入ってからです。これは、それまでに入植されたルーニオン星域を足掛かりに、ソード・ワールズの黙認を受けて彼らの領域を通過して行われました。当時のジャンプ技術では、その方が効率的だったのです。しかし星域の大半が帝国領となるのは500年代以降で、その後の開発も帝国の最果てにあることもあってか長年停滞します。

 余談ですが、380年頃からアスラン商人の間で、大裂溝を越えてスピンワード・マーチ宙域に向かう冒険航海が流行しました。なぜならここが、彼らの大好物である塵胡椒(ダストスパイス)の一大産地であることが広く知られたからです。踏破航路自体は-1044年に既に発見されていますが、もしより効率の良い航路が見つかれば、巨万の富を手に入れられるかもしれないのです。
 やがて彼らとの最初の商取引が、454年にロマー(2140)で行われたと記録されています。

 スピンワード・マーチ宙域への入植と帝国領の拡大が進むうちに、効率の良い統治機構改革も求められるようになりました。522年には宙域内の帝国領全てを一括統治していたモーラ公爵領を二分する形でライラナー公爵領が置かれ、その後も必要に応じて徐々に他宙域と同じく各星域に星域公爵が置かれていきます。
(※とはいえ現在もジュエル、ランス、ヴィリス、アラミスの各星域には星域公爵が置かれておらず、近隣の星域公爵が統治を兼務しています)
 555年には、ソード・ワールズ星域の3星系が飛び地状に帝国に加盟します。ここには-300年代からソード・ワールズ人と起源を同じくするソロマニ人が入植していましたが、本流の人々と違ってアングリックを母語としていたために文化面で断絶が起き、-102年にはソード・ワールズから独立状態となっていたのです。
 そして589年、スピンワード・マーチ宙域は隣接するデネブ、トロージャン・リーチ、レフト(の一部)と共に、帝国第7の領域となる「デネブ領域(Domain of Deneb)」に組み込まれました。この領域は星々の並び具合から「鉤爪の向こう側(Behind the Claw)」などとも呼ばれています。
 しかしながら既に存在する他の領域と異なり、統治者たる「デネブ大公(Archduke of Deneb)」は初めから空席のままです。帝国政府は辺境の変事に即応するために新たな行政区画を設定したのですが、大公を指名する前に事態が動いてしまったのです。

 200年代から続いた帝国領拡大の波は、500年代に入ると一つの壁に当たります。この頃になると帝国人の入植地域はクロナー星域を越えて隣のフォーイーヴン宙域にまで到達し、必然的にゾダーン人の勢力圏と接触、一部では入り交じる格好になっていました。両者の社会・文化の違いから摩擦が生まれ、緊張は次第に大きなものとなっていきました。
 ゾダーンは帝国を牽制するために、500年代初頭に最初の「外世界同盟(Outworld Coalition)」を結成しています。この同盟にはヴァルグルの一部やソード・ワールズの連合海軍が参加しました。ヴァルグルの間にはかつてのヴァルグル戦役を発端とした反帝国感情があり、ソード・ワールズでも470年に帝国がヴィリス星域の大半を保護領化したことで反発する声が高まっていたのです。念のためダリアン連合にも加盟を打診はしましたが、元々ダリアン人は(大災害を知りながら助けなかった)ゾダーンに不信感を抱いていたのと、帝国との良好な経済連携を保つために中立を採りました。

 そして589年、デネブ領域が設置されたその年に、ゾダーン軍がフォーイーヴン宙域の帝国入植地を一掃したことで「第一次辺境戦争(First Frontier War)」が勃発します。同時にかねてからの計画通りに同盟の艦隊が帝国国境を襲撃する手筈になっていたのですが、ヴァルグルの攻撃は大失敗に終わり、ソード・ワールズ諸国の足並みが揃わなかったために呆気なく外世界同盟は瓦解してしまいました。とはいえ帝国が戦争を予期しておらず、中央との連絡に時間を取られたことで対処が遅れ、結果的にゾダーンは独力で戦争を続けることができました。
 ところがゾダーン軍による領域侵犯事件と、593年にソード・ワールズ軍がアントロープ星団を占拠したのを切っ掛けに、ダリアン連合が帝国側で対ソード・ワールズ戦線に加わったことで戦いの流れが変わりました。
 帝国暦604年、スピンワード・マーチ宙域艦隊の大提督オラヴ・オート=プランクウェル(Grand Admiral Olav hault-Plankwell)は、ジェ・テローナ(2814)を襲ったゾダーン・ヴァルグル混成艦隊をジヴァイジェ(2812)で捕捉して壊滅的な打撃を与えました。しかしながら、この戦いで帝国海軍も深刻な打撃を受けたために双方は戦争継続が不可能となり、停戦条約に調印することとなります。
 条約によってゾダーンはクロナー星域に橋頭堡を確保し、一方で帝国はフォーイーヴン宙域の入植地を失ったものの、帝国に未編入だったスピンワード・マーチ宙域の入植地を領土として獲得します。この事由をもってプランクウェル大提督は帝国の勝利を宣言し、戦争に援助を行わなかった帝国政府を強く非難しました。大提督は自ら宙域艦隊を率いて帝都キャピタルに「凱旋」し、皇帝ジャクリーン1世への「謁見」を要求しました。抵抗を排除したオラヴは最終的に「皇帝暗殺規約(Right of Assassination)」に則って自ら皇帝にとどめを刺し、そのまま即位を宣言しました。しかしそれは、帝国を吹き荒れた内乱(604年~615年)で誕生した「軍人皇帝(Emperors of the Flag)」の最初の一人となっただけでした。609年には参謀長だったラモンが反旗を翻し、その後は日常茶飯事のように分裂と抗争と簒奪が繰り返され、栄光のスピンワード・マーチ宙域艦隊もいつしかコア宙域の塵と成り果てていきました。
 ちなみに、オラヴは今でも故郷スピンワード・マーチ宙域で人気があり、未命名のままとなっている第268区を「プランクウェル星域」にしようとする動きも一部であります。

 609年、ゾダーン・ヴァルグル・ソードワールズによる外世界同盟が再び結成され、入念な準備の末に615年にゾダーン艦隊によるシパンゴ(0705)攻撃から「第二次辺境戦争(Second Frontier War)」が勃発しました。核方向国境には戦力の増強目覚ましいヴァルグル艦隊が、ヴィリス星域にはソード・ワールズ軍が、ジュエル星域やダリアン領へはゾダーン軍が侵入しました。
 しかし、過去の戦争から学んでいたダリアン人はアスラン艦隊を正規軍として組み込むなど国防力を強化しており、加えてダリアンが「いくつかの星を超新星化して抗戦しようとしている」という噂が流れたため、ゾダーン軍はこの方面から撤退しました。
 開戦の報を受けた当時の皇帝クレオン5世は、ライラナー公爵アルベラトラ・アルカリコイ(Duchess Arbellatra Khatami Alkhalikoi of Rhylanor)を宙域艦隊大提督に任命して迎撃を命じました。彼女はライラナー公爵位を継承した翌年の603年に、自領の惑星防衛艦を率いてゾダーン艦隊に勝利して既に頭角を現していましたが(この功績によりプランクウェル大提督から海軍大佐の階級を授けられています)、開戦当初の貧弱な宙域艦隊で外世界同盟の攻勢を食い止め、逆に後方撹乱で時間を稼いだことからも非凡な指揮能力が伺えます。そして3年間の忍耐の末に弩級戦艦の量産とデネブ宙域艦隊の半数に及ぶ増援を得て、ようやくアルカリコイ大提督は膠着した戦争を620年に決着させることができたのです。
 休戦条約によって帝国は要衝シパンゴを含む4星系をゾダーンに割譲し、ケリオン・ヴィリス星域の11星系が中立化されました。一方で帝国は戦争末期にソード・ワールズ星域の11星系を占領しましたが、これは単にソード・ワールズ人の反帝国感情を増幅しただけで、わずか5年で撤収の憂き目に遭っています。
 アルカリコイ大提督は戦後、かつてオラヴが行ったように艦隊を率いて帝都を目指し、相変わらず内乱を続けている「自称」皇帝を打倒しました。しかしオラヴと異なり、自分が新皇帝には即位せずに一歩引いた「摂政」となって、前皇朝の正統な継承者の捜索を命じたのです。
 結果的にその愛国的な行動は内乱に倦み疲れた貴族や帝国市民の好感を得られましたが、その裏で彼女は皇位指名の権限を握る貴族院(Moot)での支持基盤を抜け目なく固めていきました。そして7年間に及んだ継承者探しが空振りに終わったことを受け、629年に貴族院は摂政アルベラトラに新皇帝となるよう「要請」を行ったのです。
 「皇帝」アルベラトラの治世は内乱で傷ついた国力を蘇らせ、現在まで続く「アルカリコイ朝」の基礎を固めました。その中でも最大の功績は帝国の隅々まで専用の高速船で結ぶ「Xボート網(X-boat Network)」の整備で、これにより懸念だったスピンワード・マーチ宙域と帝国中央との通信時間は(当時はジャンプ-3であっても)大幅に短縮されました。またこの内乱を境に宙域公爵の強大な権限は弱められ(※この影響でデネブ大公の指名が有耶無耶になったとされます)、帝国海軍の編成上からも宙域艦隊は姿を消しました。「大提督」の称号も過去のものとなり、やがて「総司令官」ぐらいの意味を持つ慣用句に成り下がりました。
 そして、アルベラトラは功臣に対する恩賞を忘れてはいませんでした。海兵隊を率いて大提督不在の宙域の安定に尽力したリジャイナ侯爵カランダ・アレドン(Marquis Caranda Aledon of Regina)は戴冠翌日に初代リジャイナ公爵に、第二次ジマウェイ会戦で奮闘したアラミス男爵マローヴァ・オート=ハヤシ(Baroness Marova hault-Hayashi of Aramis)は631年に初代アラミス侯爵に叙せられています。

 600年代以降、超能力研究所は帝国各地で認知を広める宣伝活動を行っていましたが、それが実を結んで650年頃には超能力ブームが到来し、700年代後半にはそれは頂点に達します。学問としての超能力研究は大きく進み、人々は超能力に親しみました。ところが790年代になると各地の研究所で金銭的・倫理的醜聞が次々と発覚し、帝国市民の超能力への感情は一気に悪化してしまいます。それは800年から826年にかけて「超能力弾圧(Psionics Suppressions)」と呼ばれる国家規模の集団ヒステリーにまで拡大し、スピンワード・マーチ宙域でも数々の悲劇と少なからぬ亡命者を生みました。リジャイナや各地にあった超能力研究所も勅令で全て閉鎖されています。
 そしてこの結果、国是として超能力への態度が真逆となった帝国とゾダーンが対立を深めていくのは必然でした。

 帝国政府は610年に、将来の帝国領化を見据えて「第267区・第268区」を未開発の最辺境に設置しましたが、740年になって皇帝パウロ1世の号令で第267区改め「ファイブ・シスターズ星域」の本格的な開発が始まりました。しかし800年には海軍による異例の星域統治体制が布かれ、802年にはドロインの母星候補であるアンドー(0236)などが偵察局によって進入禁止とされました。このような事情もあり、何よりも飛び地という要因も重なって、民間による開発はこの300年間ほぼ停滞しているのが実情です。アル・モーライ社による定期便就航も951年からと遅れています。
 また、第268区の方の開発は941年になってようやく解禁されました。こちらは既に親帝国・反帝国・中立様々な立場の星系が点在しており、複雑怪奇な近隣関係もあって帝国領化はなかなか進展していません。むしろ、長らく捨て置かれていた感のある隣の現グリッスン星域が、「新天地への玄関口」として見直されたことの方が影響は大きかったようです。

 約350年に渡って続いていた不安定ながら平和な時代も、帝国暦979年にとうとう終わりを告げます。ケリオン星域方面で影響力を強めていたゾダーンに対する国境付近での小競り合いが全面攻勢を招き、「第三次辺境戦争(Third Frontier War)」は始まりました。まずゾダーン軍は(過去の辺境戦争と同じく)リジャイナ星域の重要な星々を陥落させてジュエル星域を孤立させる戦略を採り、それに対応して帝国はリジャイナ戦線に増援を送りましたが、その戦力は十分ではありませんでした。というのも、当時の皇帝スティリクスは不穏な情勢であったソロマニ・リム宙域の方を注視していたのです。
 その後ゾダーン軍はヴィリス・ランス星域方面で突出した攻勢に出て、全力でライラナー(2716)陥落を目指しました。計画通りにジェ・テローナを落とし、そこを拠点にポロズロ(2715)も奪ってライラナー包囲網は更に強まりましたが、帝国軍がリジャイナ方面から引き揚げたことでライラナー戦線は膠着し、どちらも決定的勝利は得られませんでした。やがて後方からの増援が到着して、帝国軍はゾダーン軍を押し返すことに成功します。981年には両軍の勢力圏は開戦前の国境線とほぼ同じ状態にまで戻っています。
 その後は両軍ともに惑星の奪い合いよりも通商破壊が主な戦術として採用されました。このため一般社会への影響は深刻となり、市民の厭戦気分は海軍の作戦に影響を与えてしまうほどでした。983年には、849年に帝国属領となったばかりのマージシー(1020)が(この戦争には不参戦の)ソード・ワールズ連合に鞍替えしています。
 結局、ゾダーンに有利な休戦条約が986年に結ばれました。ゾダーンはジュエル・クロナー・ケリオンの各星域で新領土を獲得し、帝国が国境線を後退させる形で非武装緩衝地帯が設けられました。この力の空白域には同年、アーデン(1011)を首星とする中立国「アーデン連邦(Federation of Arden)」が誕生し、1006年にユートランド(1209)とジルコン(1110)を版図に加えています。
 そして事実上の敗戦の余波は帝国中央にも及び、責任を取ってスティリクス皇帝は長子ガヴィンへの譲位を余儀なくされました。
(※この政変劇はDGP版設定のみ「市民の不満を背景にしてディエンヌ将軍率いる近衛兵がクーデターを決行し、隠れていた皇帝に銃を突きつけて譲位を強いた」とあります。皇室にとっては不名誉な出来事のため、表沙汰にされなかったのかもしれません)

 その新皇帝ガヴィンは991年、モーラ公の働きかけによって現在のグリッスン星域の首都をティレム(2233)からグリッスン(2036)に遷す勅令を出します。これには、先の辺境戦争においてグリッスンが資源産出や経済の面でより戦争に貢献しており、宇宙港規模や人口もティレムを上回ったことが理由とされています。

 1014年001日、モーラ公ルテティア(Lutetia Ammon Muudashir)の退位と、その長女であるデルフィーヌ・アドラニア・ムウダシル(Duchess Delphine Adorania Muudashir of Mora)の第15代モーラ公爵就任の式典が執り行われました。新公爵となった彼女は979年021日に生まれ、(424年の公爵家設立から)綿々と続く家母長制の伝統に則って爵位を継承しました。続く1018年には、ガヴィン皇帝から「宇宙船と王冠勲章(Order of Starship and Crown)」を授けられています。
 それから約1世紀に渡り、彼女は堅実かつ狡猾な政策運営で自領内に限らず宙域全体を大きく発展させてきました。それが故に、自分こそが初代宙域公爵どころかデネブ領域の大公に相応しいと公言して憚りませんが、彼女には気位は高くとも傲慢で冷酷な一面があり、追従者どころか政敵も多く作ってしまうことがその道を妨げていると言えます。
 現在、126歳となったデルフィーヌ公はさすがに肉体の衰えは隠せませんが(※彼女はヴィラニ人なので長寿です)、その精神力と野心は変わらず若いままです。

 さて、ロクサーヌ・オベルリンズ(Roxanne Oberlindes)によって487年に創業されたリジャイナの企業「オベルリンズ運輸(Oberlinds Lines)」は、海軍関係の仕事を受注して成長したものの辺境戦争の度に巨額の損失を出してしまい、とうとう株主たちは990年に当時の社長アマンダ・オベルリンズ(Amanda Oberlindes)を辞任させ、結局その4年後には同社は廃業に追い込まれました。
 ところが破産手続き中に、8隻の貨物船が実はオベルリンズ家の私有財産であって、会社に貸与しているだけだったことが判明します。この結果、オベルリンズ家はアマンダと息子エリックの2代に渡って「家族経営の自由貿易業者」として生き延びます。
 そして1049年、オベルリンズの名を広く知らしめた「エミッサリー号事件」が発生します。弱冠22歳のマーク・オベルリンズ(Marc Oberlindes)が、官僚機構の間隙を縫って帝国海軍の巡洋艦を「武装解除せずに」払い下げさせ、それをすぐさま国境外に出すことで合法化してしまったのです。鮮やかな(詐欺的な)手腕を見せた彼はそれから16年間、巡洋艦エミッサリー号を旗艦とする通商艦隊を率いてグヴァードン宙域のヴァルグル国家との間に新規の交易路を開拓し、事業を拡大させていきます。

 1055年には、モーラ公デルフィーヌ(Delphine Adorania Muudashir, 15th Duchess of Mora)がスピンワード・マーチ宙域公爵に任命されました。そして彼女の老獪な政治運営は、この宙域の中心地としてのモーラの地位を更に押し上げました。
 ちなみに今年で126歳になるモーラ公は、いまだに現役です。
(※おそらく「初代」宙域公爵です。ただし、最新の資料では「宙域公爵はいないが、実質モーラ公が代々担っている」と、GURPS版設定以前に一般的だった解釈が明言されています。よって今後、この1055年の出来事は幻になる可能性があります)


 1082年、帝国海軍が停戦条約で中立化されたクォー(0808)に基地を建設したことが偶発的事件に繋がって「第四次辺境戦争(Fourth Frontier War)」は始まりましたが、これまでと違って双方が開戦を全く予期していなかったことから国境付近の小競り合い程度に留まり、最終的にイリース(1802)~メノーブ(1803)間の深宇宙における「二星間の戦い(Battle of Two Suns)」で帝国軍が辛勝を遂げたことでわずか1年半で休戦に至りました。帝国はゾダーン国境沿いの2星系を失いましたが、代わりにソード・ワールズ連合からマージシーを奪い返しました。
 あまりに早く戦争が終わったため、中央政府が開戦を知ってから送った増援と行動指令は全く間に合いませんでした。この教訓から帝国は軍制を改革し、国境付近の重要星系に最新鋭の艦船を配備して守りを強化する一方、それ以外の星系防衛力は削減して後方に振り向けました。つまり、増援が到着するまで国境防衛艦隊が敵の前進を遅らせることを戦略上明確にしたのです。同時に、ストレフォン皇帝は辺境での戦争に素早く対処するために宙域公爵の権限を強化し、「宙域艦隊」も復活させました。

 ヴァルグル交易と第四次辺境戦争での後方輸送で莫大な利益を得たオベルリンズ家は1084年に、もはや無理のあった「家族経営」の建前を捨てて「国境間貿易企業」としての勅許を再び帝国政府から得ました。かつて会社を追われたアマンダの孫であるマークの辣腕によって、こうして「オベルリンズ運輸」が復活したのです。そして法的には繋がりはないものの、旧会社と同じ社章を掲げました。それは、祖母や父が自家用貨物船に目立たぬよう塗装し続けていたものでした。
 1101年の時点で同社は100隻以上の船を抱えるリジャイナ星域最大手企業となり、新たな商圏としてアラミス星域進出を見据えるほどになりました。そしてマーク社長はこの年、第四次辺境戦争での貢献を讃えられて、フェリ男爵マーク・オート=オベルリンズ(Baron Marc hault-Oberlindes of Feri)となります。

 1098年、第14代リジャイナ公爵としてノリス・アレドン(Duke Norris Aella Aledon of Regina)が就任します。彼は前公爵ウィレム(Willem Caranda Aledon)の第二子だったため本来は兄ウィリアムが公爵位を継ぐはずでしたが、兄と父が相次いで不慮の死を遂げたことで海軍から呼び戻されたのです。
 母方のイーラ家を通じてストレフォン皇帝と遠縁関係にあるノリス公は、その人脈をも利用して巧みな統治を見せています。それが宙域一の実力者であるモーラ公やその一派との摩擦にも繋がっているのですが…。

 ちなみに同年、前の戦争からゾダーン占領下にあったエサーリン(1004)が「帝国とゾダーンの共同保有」とされました。両国民が共存するこの星には、今後の関係改善と外交窓口としての役割が期待されます。
(※DGP版以降の設定では「共同保有」ではなく「中立」とされましたが、今回はあえて最初期の設定に倣いました)

 安定した平和を享受しているかのように見える現在の宙域の不安定要因として、反帝国テロ集団「アイン・ギヴァー(Ine Givar)」が挙げられます。民主化を求めて984年に獄死した指導者の名を冠した彼らは、990年代末にはデネブ領域各地に支部を持つほどに拡大し、やがてゾダーンに接近して(取り込まれて?)無差別テロに走ります。1075年にはジヴァイジェのカシャー市で核融合爆弾を炸裂させて死者500万人の大惨事を引き起こし、第四次辺境戦争では戦線各地でゲリラ攻撃を展開しています。現在はイフェイト(1705)などで盛んに活動が見られます。
 国境付近では再び緊張が増しており、そのうち「第五次辺境戦争(Fifth Frontier War)」が始まるのではないかと見る向きもあります。1103年にスピンワード・マーチ宙域艦隊の宙域提督(Sector Admiral)にはオットマー・マノリス侯爵(Marquis Ottmar Manolis)が就任しましたが、これは近々提督の娘婿となる、モーラ公爵子飼いのフレデリック・サンタノチーヴ男爵(Baron Frederic Muudashir Santanocheev of Solstice)にその地位を継がせるための地ならしと見られています。
(※大提督や宙域提督は本来男爵級の人事に過ぎず、コア宙域の武門マノリス家ともあろうお方がわざわざ「名誉男爵」に格下げしてまで辺境の提督をやるからには、何か裏があると見られても仕方ないのです)

 国境付近では再び緊張が増しており、そのうち「第五次辺境戦争(Fifth Frontier War)」が始まるのではないかと見る向きもあります。近年、スピンワード・マーチ宙域艦隊の宙域提督(Sector Admiral)の座は様々な政治的思惑から空席のままとなっていますが、その後継者の最有力と見られているのが、候補者の中で最も格下であるはずのフレデリック・サンタノチーヴ少将(Rear-Admiral Fredrick Muudashir Santanocheev)です。彼はフォーニス伯爵家に生まれ、ルーニオン公爵の妹と婚約し(※1105年初頭に結婚します)、そして何よりもモーラ公の「お気に入り」である、という強固な後ろ盾を持ち、昨今の艦隊再編計画に「待った」をかけたことで各地の有力者の支持も得ています。
(※大提督や宙域提督は本来男爵級の人事に過ぎませんが、サンタノチーヴ卿は旧設定では「伯爵家の第二子」ということで、持っている爵位は「ソルスティス男爵(Baron of Solstice)」でした(つまり格は釣り合っています)。が、新設定では既に「フォーニス伯」になってしまいました……)
 一方で敵が多いのも事実です。海軍の上層部がモーラ閥で占められることは当然政敵のリジャイナ公には好ましくないでしょうし、再編計画が政治の駆け引きに使われたことで一部の将兵から不満の声も上がっています(そもそも指揮官としての力量も疑問視されています)。それ以上に、帝国海軍情報部(Imperial Naval Intelligence)は彼が宙域提督に就任することで「報復」が始まるのではないかと危機感を募らせています。というのも、サンタノチーヴ卿はかつて情報部提供の情報を基に行動して「失敗させられた」ことを今でも恨んでおり、海軍情報局(Office of Naval Information)という重複組織を設立してその長になってまでして対抗心を顕にしているのです。ただし、情報局の人員は能力よりも忠誠心を重んじて選抜されていますが……。

 「今の」スピンワード・マーチ宙域は、数百年数千年に及ぶ大小の、そして公になったもの隠されたもの様々な出来事の積み重ねから出来上がっています。過去の出来事は現在に影響を与え、現在の出来事は未来に影響を与えます。それは誰にも予測できません。
 しかし一つ言えるのは、帝国暦1105年のスピンワード・マーチ宙域は「旅する価値がある」場所です。


(※本稿は帝国視点での「スピンワード・マーチ宙域開拓史」に焦点を絞ったため、ダリアンソード・ワールズについては別稿を参照してください)
(※文中の3つの辺境戦争図は、実線:開戦前国境 着色部:停戦後領土 となっています)


【ライブラリ・データ】
アングリック Anglic
 古代テラの英語(イングリッシュ)を起源とする、第三帝国の公用語の一つです。その話者数の多さから銀河公用語(ギャラングリック)とも呼ばれますが、多くの人々にとっては現地語に次ぐ第二言語に過ぎません。また、他種族・他国民との共通語(交易語)としてもよく用いられます。
 第一帝国を打倒した地球連合海軍が標準語として英語を採用していたことから、第二帝国では必然的に公用語として用いられるようになり、ヴィラニ語などの影響を受けながら宇宙各地に広まっていったのがアングリックです。第二帝国崩壊後も交易語として命脈を保ち、第三帝国の母体となったシレア連邦でも公用語として採用されたことから、帝国の拡大とともに人々の共通言語としての地位を不動のものとしていきました。それでも方言の発生を防ぐことはできず、大まかに分けて5つの、細分化すれば星の数ほどの「訛り」が存在します。
 アングリックの筆記法には、古代テラから使われているアルファベットと、ヴィラニ文字でアルファベットを換字したものの2種類があり、どちらも正式とされています。

アーデン連邦 Federation of Arden
 「アーデン連邦」とは現実には存在していない恒星間国家です――今のところは。アーデンを事実上動かしている地元財界主導の抑圧的な寡頭組織「社交界(Arden Society)」は、徐々に近隣世界へ政治面・経済面での影響力を強めており、今は僭称に過ぎない「連邦」が実態を持つのは時間の問題と見られています。
 アーデンは第三次辺境戦争の停戦条約で帝国から切り離された後、その地勢学的立地を生かして帝国とゾダーンに限らず周辺国をも天秤にかけた「中立」政策を採っています。宇宙港には(合法非合法問わない)数々の商品が各地から流れ込み、仕事を求める傭兵や犯罪者が訪れ、逃亡者と賞金稼ぎが相まみえ、カジノは多くの客で賑わい、大使館街では外交戦と諜報戦が日夜繰り広げられています。

宇宙船と王冠勲章 Order of the Starship and Crown
 帝国暦17年にクレオン1世が制定したもので、皇室への最高位の忠誠心を持つ者に与えられます。現在の存命中の叙勲者は200名程度と極めて少なく、帝国で最も権威ある勲章とされています。
 この叙勲者は皇帝への謁見の優先権があり(領域大公よりも先ですが、各大公も当然のように叙勲者です)、皇宮晩餐会にて皇帝と同じテーブルに着くことが許され、キャピタルの貴族院議事塔(Moot Spire)に隣接する豪華な専用施設に滞在することができます。

帝国貴族の命名規則 Naming rules of Imperial nobles
 現在の帝国貴族の名前は、ヴィラニの伝統に則って「爵位+名・母姓・父姓」の順で名乗られます。これにより、例えば皇帝アルベラトラ・カタミ・アルカリコイは、母がジヴァイジェ伯爵のカタミ家、父が(当時の)ライラナー公爵のアルカリコイ家ということがわかります。またアルベラトラの母親はマーヤム・プランクウェル・カタミ(Maryam Plankwell Khatami)なので、アルベラトラが奇しくもプランクウェル家の血を引いていることもわかります(※ただしマーヤムはオラヴの腹違いのきょうだいです)。
 貴族は基本的に夫婦別姓で(※夫婦同姓にすることもできます)、その子供はたいてい父方の姓を名乗りますが、子孫に有益と思われるなら母姓の方を継ぐ場合があります。例えばアラミス侯爵ハヤシ家は、17代目が名門テュケラ一族のボールデン=テュケラ家(Bolden-Tukera family)と縁組みしたことで18代目は「ジョージ・ハヤシ・ボールデン=テュケラ」を名乗り、その代以降のアラミス侯爵はボールデン=テュケラ家として引き継がれています。
 貴族を省略して呼ぶ場合は「デュリナー大公」「ノリス公」のように「名前+爵位」が基本ですが、ソル領域の方では風習によって「姓+爵位」で呼ばれています。ちなみに、姓の前に「オート(hault)」や「フォン(von)」を付けて貴族であることを示したり、「名・姓」のみで名乗るのもソロマニ系貴族特有の風習です。


【参考文献】
・Supplement 3: The Spinward Marches (Game Designers' Workshop)
・Spinward Marches Campaign (Game Designers' Workshop)
・Traveller Adventure (Game Designers' Workshop)
・Concise History of the Third Imperium (Clayton Bush, Travellers' Digest #18)
・Regency Sourcebook (Game Designers' Workshop)
・GURPS Traveller: Alien Races 2 (Steve Jackson Games)
・GURPS Traveller: Nobles (Steve Jackson Games)
・Secrets of the Ine Givar (Andrew Moffatt-Vallance, Steve Jackson Games)
・A Festive Occasion (Hans Rancke-Madsen, Mongoose Publishing)
・Behind the Claw (Mongoose Publishing)
・Fifth Frontier War (Mongoose Publishing)
・Integrated Timeline (Donald McKinney)
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