宇宙の歩き方

The Astrogators' Guide to the Charted Space.

宙域散歩(番外編3) ソロマニ・リム戦争概史

2014-03-03 | Traveller
「……人類の最たる理想と称されていたソロマニの気高き名が、今や偏狭な人種主義の同義語と成り果てた事は残念である。開放的な社会を建設する方法を銀河に教えたのはソロマニ人であった。しかし自治区の我が同胞たちは、尊敬する祖先の素晴らしき成果を穢してしまった。自由を愛すると主張する彼らは、他者を抑圧する自由と引き換えに自らの自由を売ったのだ」
「『テラの守護者』たるマーガレット2世の名において、本日を以ってソロマニ自治区憲章を取り消し、そして我々の直接統治下に置くために必要なあらゆる措置を取る事を政府の全機関に命ずる」

――帝国暦940年292日の緊急勅令


 自力でジャンプ航法を開発して銀河系に飛び出した「地球人」はすぐに、悠久の歴史を持つ『同じ人類』のヴィラニ人が治める「星々の大帝国(ジル・シルカ)」と接触し、やがて恒星間戦争(Interstellar Wars)が始まりました。地球連合(Terran Confederation)を結成し、幾多の戦いの末にヴィラニ帝国を打倒した地球人は、それに替わる「人類の支配(第二帝国)」を打ち立てました。この頃から、地球出身者以外が大多数となっていた「地球人」の呼び名は(諸説ありますが)「ソルの人」を意味する「ソロマニ人」に変わりましたが、そのソロマニ人の進歩性をもってしても数千年の間に積み重なった停滞と腐敗は拭い去れず、わずか400年で新国家は崩壊してしまいました。その後1700年間続いた暗黒時代は、ソロマニ人のクレオン・ズナスツ(Cleon Zhunastu)が率いる「シレア連邦」が勢力を拡大し、国号を『帝国(第三帝国)』と改めた帝国暦0年に終わります。

 帝国暦102年にマギス・セルゲイ・オート=デヴロー(Magis Sergei haut-Devroe)によって発表された『ソロマニ仮説(Solomani Hypothesis)』は、宇宙各地に存在する「人類」が太古の昔にテラ(ソロマニ・リム宙域 1827)から何らかの目的でばら撒かれた、とするもので、その説の正しさは588年にそのテラ星系が第三帝国に編入されてから考古学的研究が進んで証明されました。ソロマニ仮説自体に人種間の優劣を論じた部分はありませんが、帝国内乱(604年~622年)の時代にヴィラニ人貴族や企業が勢力を盛り返したこともあり、第二帝国以来宇宙各地の指導者層として君臨していたソロマニ人たちは、彼らに対抗するためにソロマニ仮説と過去の歴史を根拠としたソロマニ人優越思想、俗に言う『ソロマニ主義(Solomani Cause)』に染まっていきました。内乱を終わらせたアルベラトラ帝の時代には宮廷内のソロマニ主義派は最盛期に達します。
 しかしアルベラトラの子で666年に即位したザキロフ(Zhakirov)は、679年にヴィラニ人貴族のシイシュギンサ家から令嬢アンティアマ(Antiama Shiishuginsa)を后に迎えて人種間の融和と帝国の安定を図る一方、ソロマニ主義者を宮廷から一掃しました。当然ソロマニ主義者の不満は高まったので、彼らをなだめるためにザキロフの子であるマーガレット1世(Margaret I)は704年に、テラを中心として半径50パーセクを『ソロマニ自治区(Solomani Autonomous Region)』(通称「ソロマニ圏(Solomani Sphere)」)として制定し、ソロマニ主義者たちをそこに封じ込めました。ちなみに自治区領は「半径50パーセク以内の帝国領内」とされていたはずでしたが、自治区政府は「半径50パーセク以内」と拡大解釈して帝国領外だったアスラン氏族の居住星系をも領土に含めてしまい、後々まで続く緊張の源となりました。


テラから半径50パーセク以内の『ソロマニ圏』
(必ずしも当時の自治区領土を表したものではない)

 その後2世紀の間、ソロマニ主義者たちはリムワード方面の自治区内で自治を謳歌し、帝国は彼らを無視してスピンワード方面の植民・開発に勤しみました。860年頃に自治区中の星系でソロマニ主義政党の「ソロマニ党」が次々と政権を握り、871年045日の自治区全ソロマニ党大会(Solomani Party Congress of the Solomani Autonomous Region)で「自由ソロマニ諸邦連合憲章(Charter for Confederation of the Free Solomani States)」が決議され、自らを「人類唯一の正当な恒星間政府」とする『ソロマニ連合(Solomani Confederation)』の「建国」が宣言された際も放置されました。古の偉大な地球連合を模した(と言ってもソロマニ党独裁の)ソロマニ連合は、独立国を標榜はしていましたが、帝国から見れば自治区内の統治機構改革に過ぎず、自治区時代と変わらず帝国との通商や技術交流や徴税は行われていたからです。それでもソロマニ圏で帝国貴族の政治的影響力が完全に失われたことと、自治区が引き起こす度重なるアスランやハイヴとの「国境紛争」に巻き込まれることを嫌った帝国は、トムトワ2世(Tomutova II)の時代にソロマニ圏内全星系の海軍と偵察局基地を閉鎖しています。それによって生じた力の空白は、ソロマニ圏の植民地海軍(Colonial Navy)が「国軍」に昇格することで埋められました。

 帝国がソロマニ問題に本腰を入れ始めたのは皇帝マーガレット2世(Margaret II)の治世の920年頃からでした。その頃、帝国宮廷には自治区内の非ソロマニ人たちから、ソロマニ主義に基づいた差別政策の不当さを訴え、自治区からの離脱を求める嘆願が相次いでおり、帝国政府としても無視することはできなくなっていたのです。帝国は外交攻勢や軍事的圧力による介入政策を採り始めます。ソロマニ軍に経済封鎖された非ソロマニ人星系に帝国海軍が「人道支援」に向かうなどして、摩擦と緊張は増していきました。またこの頃からソロマニ・リム宙域の群小種族ヴェガンや、オールド・エクスパンス宙域のヴィラニ人たちが散発的ながら抵抗運動を開始し、それが徐々に組織を拡大していったのは、後の戦争の発端とも言える出来事でした。
 940年、事務総長セルジオ・ボルドーニ(Sergio Bordoni)を首班とするソロマニ連合政府は、704年憲章違反となる帝国による「内政干渉」への抗議を正式に行い、領内に展開している帝国軍の全面撤収を求めました。それに対応してマーガレット2世は、同年292日を「選んで」ソロマニ自治区の廃止を命じ、領土の再統合のためにあらゆる手段を取ると宣言しました。ちなみにこの日はソロマニ人の暦で5461年3月15日にあたりますが、この「3月15日」というのはテラ星系が帝国に編入された日であり、奇しくもザキロフ皇帝とアンティアマ妃が結婚した日でもあるのです。
 当然ソロマニ連合は抵抗の姿勢を見せ、930年代後半から続く帝国海軍とソロマニ「私掠船」の小競り合いはさらに増加しました。マーガレット2世は準備が整っていないソロマニ連合との戦争も視野に入れていましたが、945年に彼女が病死したため中止され、後継者となった孫のスティリクス(Styryx)は軍事よりも外交を(そして何よりも趣味を)好んだので、戦争計画は先送りされました。970年代後半にスティリクス帝は(周囲に促されて)ソロマニ連合との全面衝突に備え始めましたが、スピンワード・マーチ宙域で第三次辺境戦争(979年~986年)が勃発したため(※ゾダーン軍は帝国の目がソロマニ方面に向いている隙を狙って攻勢をかけた、とも言えます)、帝国の注意と資源はそちらに振り向けられることとなりました。その間、ソロマニ側は将来的に戦争は不可避であると認識し、軍備拡張を続けていました。
 982年のソル領域大公オヴァール(Archduke Ovalle of Sol)による領域首都移転騒動(※自領が戦火に包まれる夢を見た大公が遷都を命じたものの、まもなくして大公が死去して中止となった一件)や、第三次辺境戦争の「敗戦」を受けた989年クーデター(スティリクス帝の退位)といった帝国の政治的混乱に乗じ、ソロマニ連合はソロマニ圏全てにおける完全なる自治、つまり事実上の独立要求を帝国に突きつけました。新皇帝ガヴィン(Gavin)を戴いた帝国はそれを宣戦布告と捉え、ソロマニ・リム戦争(ソロマニ側での呼称は「ソロマニ解放戦争(War of Solomani Liberty)」)は990年に正式に開戦されました。

 戦争の初期段階ではソロマニ軍にとても有利に戦況が進みました。帝国軍は質でソロマニ軍を上回ってはいましたが(※当時の帝国軍はTL14、ソロマニ軍はTL13で編成されていました)、境界線沿いに広く展開していたために密度が足らず、練度や士気の面でもソロマニ軍に劣っていました。ソロマニ軍はディアスポラ宙域やダイベイ宙域で過去半世紀に帝国に併合された世界だけでなく、ソロマニ圏外の世界をも占領していきました。
 しかし993年、オールド・エクスパンス宙域の旧領回復を目論んだ大規模侵攻が現地のヴィラニ人を中心とした強烈な抵抗に遭い、大損害を出して撃退されたあたりから戦線は膠着状態に陥りました。ソロマニ軍部は軍隊の再建のために領土拡張を狙った開戦当初の計画を断念し、オールド・エクスパンス宙域を捨てて戦線をまとめたかったのですが、(現地ソロマニ党政府からの要望で)連合政府の命令により資源や戦略的価値のない世界までも「広く薄く」守らされ、戦争の主導権を握り続けることができなくなりました。消耗戦で失われた人的資源を補う徴兵によって連合内の物流や生産にも悪影響が出始め、徐々に補給も滞っていきました。それでも連合市民は、情報操作が行われていたとはいえ、献身的に戦争を後方で支え続けていました。一方で帝国は持ち前の工業生産力でソロマニ軍を量的にも上回り始め、スピンワード方面の情勢が安定化したこともあり、998年には戦略的な優位を確保することができました。
 新任の帝国軍最高司令官アリエル・アデアー大提督(Grand Admiral Arielle Adair)は、かつてのヴィラニ帝国が犯した誤ちを繰り返す気はありませんでした。懲罰されただけの「地球人」は後にヴィラニ帝国を打倒しました。ならば、今度こそ「ソロマニ人」は帝国旗で押し潰されねばならないのです。帝国軍最高司令部は、ソロマニ主義の拠り所である首都テラを攻略すればソロマニ連合は崩壊する、との結論を出しました。

 それ以降帝国軍は、ソロマニ圏の中心部へ向けて2つの集中戦力が平行してひたすら前進し、そこから散開した分艦隊がソロマニ軍や星系を孤立化させて各個撃破していく戦略を展開しました。ソロマニ軍は帝国分艦隊への戦術的勝利を時折収めはしましたが(例えば1002年の「カグカサッガンの戦い」のように)、帝国軍全体の前進を押し留めることはできませんでした。地上部隊も死に物狂いで帝国軍に抵抗しましたが、不足した補給は愛国心では補えず、孤立した部隊が生き残る道は断たれました。
 1001年のヴェガン区域(エスペランス・ヴェガ両星域内でヴェガンが多く居住する星系群)の解放によって、帝国はリム宙域攻略に必要な橋頭堡と造船力、そして戦後の統治拠点を得ることができ、それはソロマニ軍に決死の賭けを強いることとなりました。少数の地球連合が多数のヴィラニ帝国を破った故事に倣い、ソロマニ軍は残る艦船を一つの「ソロマニ連合艦隊(Solomani Grand Fleet)」に集め、それをソロマニ海軍最高の名将イワン・ウルフ(Ivan Wolfe)に託しました。また地上戦力もキダシ(ソロマニ・リム宙域 0528)、ガシッダ(同 1127)、ディンジール(同 1222)といった重要星系のみに集め、最後の決戦に備えました。その結果、無防備となったソロマニ・リム宙域の多くの世界では降伏や非ソロマニ人による政権転覆が相次ぎ、他宙域と違って帝国軍との凄惨な地上戦が避けられて、皮肉にも帝国による戦後復興の大きな助けとなったのです。
 ヴェガン区域から進出してきた帝国海軍を叩くべく、イワン・ウルフ率いる連合艦隊はまず、ラガシュ→ヌスク→アジッダと先に進軍してきた帝国第17艦隊に対して「アジッダの戦い」で勝利すると、素早く転進して1002年初頭にはディンジールの帝国第1艦隊との戦いに挑みました。しかしウルフ大提督の誤算は、敗走した第17艦隊が予想よりも早く再編を済ませてディンジールに駆けつけたことでした。後背を突かれたソロマニ連合艦隊は壊滅し、ウルフの旗艦を含めた生き残りの艦船は牛飼座星団(カペラ・ジェミニ星域)まで逃げ延びるしかありませんでした。
 テラへの道は、帝国軍に対して開かれました。

 連合の最先端世界ゆえに帝国軍と同等の装備を整え、かつ膨大な防衛戦力を抱えるテラ攻略のために、ソロマニ艦隊の残党狩りを中断して大戦力が集められました(その結果、ウルフの麾下により多くの戦力が再結集することとなりました)。テラ防衛よりも艦隊再建を優先させたウルフの方針もあって、大した抵抗もなくテラ星系に到達して惑星上の軍事基地や衛星ルナを攻略した帝国軍は、帝国史上最大の三軍合同作戦を展開しました。数に優る帝国軍はまずソロマニ軍のモニター艦やバトル・ライダーの戦隊を殲滅しましたが、1700隻もの惑星防衛艦が帝国軍にテラ軌道上からの安全な降下点を確保させまいと一撃離脱戦法による抵抗を続けました。しかしソロマニ軍の奮闘も虚しく、帝国海軍は海兵隊を降下させるのに十分な制空権の確保に成功しました。
 1002年095日に海兵隊第4217、第4545、第6701連隊が地表に向けて降下し、テラ攻略戦(作戦名『放蕩息子(Prodigal Son)』)は開始されました。最初の作戦目的はテラの三大地上宇宙港の確保でした。105日にはオーストラリア大陸のラグランジュ宇宙港を第4217連隊が陥落させ、第4545連隊は連合精鋭の第101反重力化降下猟兵師団との2週間に及ぶ激しい戦いの末に北アメリカ大陸のフェニックス・メサ宇宙港を制圧し、倒壊しかけた管制塔に日輪旗を掲げました。アフリカ大陸のAECO宇宙港も同様に陥落しました。
 それに続いて多数の帝国軍兵士が地表に降下し、帝国海軍が惑星防衛艦を掃討したので軌道上から火力支援も受けられるようになりました。北アメリカ大陸に降り立った帝国軍は、大陸南西部を抜けて中央平野を横断し、工業化の進んだカリブ海や産業の中心である中南米の都市群に向かいました。
 テラの地表各地で戦闘が激しくなるにつれ、テラ攻略戦に参加した約200師団(傭兵も含めて推計200万人)の兵士は、約180師団のソロマニ正規軍やドルフィン部隊やイハテイ傭兵との交戦だけでなく、精鋭ソロマニ特殊部隊に支援された何千ものゲリラ部隊(大部分はテラの一般市民)による補給線寸断などの恒常的な妨害活動にも悩まされたため、戦闘の犠牲者は極めて多くなりました。最悪のものでは、AECO宇宙港からの補給線を断たれてスペイン戦線で孤立した5万人の第713反重力化歩兵軍団が、2日間の戦闘で生存者1000人足らずとなってしまった例も存在します。それでも大西洋を越えた反撃と軌道からの絶え間ない爆撃によって流れを変えた帝国軍は、ソロマニ陸軍第124反重力化機械化歩兵軍団を包囲殲滅してヨーロッパ・アフリカ方面での戦いを終えました。さらに、環太平洋地域のアーコロジー周辺で発生した反重力戦車戦は、集結したソロマニ軍の敗北に終わりました。
 戦闘の最後の数週間は厳しい掃討戦となりました。孤立しつつも生き残ったソロマニ正規部隊が帝国軍を釘付けにし、ゲリラたちが再起の日のために武器庫を隠匿していたからです。最終的に、ファラロン山(※サンフランシスコ沖に同名の「島」がありますが、地殻変動で「山」になったのかもしれません)に立て籠っていたソロマニ軍が降伏し、山頂に帝国旗が掲げられた1002年313日をもって組織化された戦闘は終了し、ついにテラは陥落しました。

 結果的に帝国はテラを占領はしましたが、さらにソロマニ領へ進出し、残るソロマニ軍(※再結集したウルフ艦隊に加えて、アスラン国境方面の第二線の艦隊もまだ残っているのです)を駆逐するだけの戦力や補給物資が失われたため、最高司令部はソロマニ軍との休戦を模索し始めました。ソロマニ軍側としても残存戦力を再編成する時間が必要だったため、それは渡りに船でした。これ以上無駄に人命が失われることを嫌ったウルフ大提督は、牛飼座星団などの穏健派を味方に付け、徹底抗戦とテラ奪還を主張して更迭をもちらつかせる政府強硬派をなんとか説得しました。何よりも経済面での疲弊が限界だったこともあり、双方は無期限休戦に同意しました。休戦条約は、ソロマニ連合艦隊司令イワン・ウルフ大提督と帝国軍最高司令官アリエル・アデアー大提督が実際に顔を合わせて、スメード・プラネット(ソロマニ・リム宙域 2433)にて調印されました。

 歴史学者たちは、ソロマニ主義やソロマニ連合を崩壊させる目的でのテラ侵攻には、戦力を浪費した割に得られたものが特になかった、と指摘しています。帝国はソロマニ主義が独裁政党に押し付けられたものと捉えていましたが、実際にはソロマニ人たちは「血の繋がり」で帝国に抗していました。もはやソロマニ主義は彼らの文化であり、生活様式でした。自分たちは帝国人ではなく、独立した民族と考えていたのです。聖地テラが失われてもソロマニ連合が崩壊しなかったのは、ソロマニ人にとっては必然のことでした。
 しかしながら、ソロマニ・リム戦争全体としては帝国の勝利と考えられています。新たな「国境」は帝国軍の進撃が停止したリムワード・ギャップ(※テラから見てリムワード方面に広がる星のまばらな地帯)沿いに引かれ、帝国はソロマニ圏の25%を再併合した上で新領土やソロマニ連合を監視する目的でヴェガン区域に「ヴェガ自治区」を1004年に設置しました。ソロマニ主義が色濃く残る星系では帝国軍が統治を担い、その後100年をかけて徐々に自治が回復されていきました。なお、リム方面艦隊大提督アリエル・アデアー男爵は戦時の功績によって1003年にソル領域大公に叙せられ、イワン・ウルフ大提督も1004年から1012年までソロマニ連合事務総長となって、両者とも戦後復興に努めました。


(※GDW版エイリアンモジュール6(とそれを原本としたマングース版)では、マーガレット2世によるソロマニ自治区廃止の勅令が出た日を「950年292日」と誤り、それを西暦換算して「5471年3月13日」としています。しかし945年に死去したマーガレット2世が950年に勅令を出せるわけもなく、誤差の10年の間に閏年が2回入るので、独自に「3月15日」と修正しました。このことから、帝国によるテラ併合は「帝国暦588年206日(西暦5109年3月15日)」、ザキロフ皇帝の結婚は「帝国暦679年229日(西暦5200年3月15日)」となるはずです。また、マングース版エイリアンモジュール5にてテラ陥落の日が「11月9日」となっていますが、これも帝国暦の「313日」をそのまま変換してしまったもので、おそらくは「3月22日」が正しいと思います)


【参考文献】
・Invasion: Earth (Game Designers' Workshop)
・Supplement 8: Library Data (A-M) (Game Designers' Workshop)
・Alien Module 6: Solomani (Game Designers' Workshop)
・Travellers' Digest #13,#18 (Digest Group Publications)
・GURPS Traveller: Rim of Fire (Steve Jackson Games)
・GURPS Traveller: Ground Forces (Steve Jackson Games)
・Third Imperium: The Solomani Rim (Mongoose Publishing)
・Alien Module 5: Solomani (Mongoose Publishing)
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