神戸ファッション美術館で、講座がありました。
『移動する布・更紗』大阪芸術大学の井関先生の講座でした。
更紗(さらさ)は、インド起源の木綿地の文様染め製品、及び、その影響を受けて
アジア、ヨーロッパなどで製作された類似の文様染め製品を指す染織工芸用語。
英語のchintzに相当する。日本ではインド以外の地域で製作されたものを、
産地によりジャワ更紗、ペルシャ更紗、和更紗などと称している。
(ウィキペディアより)
布の歴史から説明がありました。
狩猟時代、布は皮でした。
木の皮、魚の皮、動物の皮・・・
その後農耕するようになり、
チグリス・ユーフラテス川周辺では、羊を飼ってウールが作られ、
インダス川周近では、コットンが作られ
黄河流域はシルク
そして、細かい柄模様が発達して、更紗模様は唐草模様やペーズリー、花柄等・・・
始めは、この柄を機織りで織っていたそうです。
カシミール地方等で・・・
こんな細かい柄を機織り機で、織るってすごいですよね~
1日1人2㎜~5㎜しか進まないとか・・・
その後、機織りから刺繍模様になり
(刺繍での柄)
大量に生産できる、プリントになったそうです。
ダッカ綿は、インドの高級な木綿。こんなに細い糸を作ることは難しいそうで、
細い糸で織った布に刺繍をするのも、高度な技術が必要とのことでした。
幻の綿織物
幻の綿織物ダッカ・モスリンは、日本人技術者、大正紡績の近藤 健氏の手によって機械織りで再現され、「ダッカの霧」と名づけられました。
番手といえば、綿の原産国であるインドには、かつて、300番の超極細綿糸で織り上げた伝説の布がありました。
17世紀のムガル王朝時代、旧ベンガル州のダッカやヴァラナシで織られた綿布、モスリンが、それ。
極細の糸を紡ぐためには湿度が必要で、海岸から立ちのぼる朝霧の中で、熟練職人たちが手で紡ぎ、人類最高の芸術品と言われたものです。
その布は蝶の羽のように軽く繊細で、何重に巻いても肌が透けて見えたとか。
ダッカ・モスリンの熟練職人はムガル皇帝によって完全に庇護され、その製品は皇帝に献上されました。
神々しい極薄地の織物は人々を魅了し、やがて世界に広まりましたが、18世紀末、イギリスで起こった産業革命がダッカ・モスリンの悲劇に。
機械紡績での大量生産をめざしたイギリスの資本家は、ダッカ・モスリンのあまりの品質の高さと人気に嫉妬し、
職人の腕を切り落として、その技を根絶やしにしてしまったのです。
究極の綿織物をめぐる悲しい歴史は、綿という素材がもつ奥深い魅力をも教えてくれます。
『移動する布・更紗』大阪芸術大学の井関先生の講座でした。
更紗(さらさ)は、インド起源の木綿地の文様染め製品、及び、その影響を受けて
アジア、ヨーロッパなどで製作された類似の文様染め製品を指す染織工芸用語。
英語のchintzに相当する。日本ではインド以外の地域で製作されたものを、
産地によりジャワ更紗、ペルシャ更紗、和更紗などと称している。
(ウィキペディアより)
布の歴史から説明がありました。
狩猟時代、布は皮でした。
木の皮、魚の皮、動物の皮・・・
その後農耕するようになり、
チグリス・ユーフラテス川周辺では、羊を飼ってウールが作られ、
インダス川周近では、コットンが作られ
黄河流域はシルク
そして、細かい柄模様が発達して、更紗模様は唐草模様やペーズリー、花柄等・・・
始めは、この柄を機織りで織っていたそうです。
カシミール地方等で・・・
こんな細かい柄を機織り機で、織るってすごいですよね~
1日1人2㎜~5㎜しか進まないとか・・・
その後、機織りから刺繍模様になり
(刺繍での柄)
大量に生産できる、プリントになったそうです。
ダッカ綿は、インドの高級な木綿。こんなに細い糸を作ることは難しいそうで、
細い糸で織った布に刺繍をするのも、高度な技術が必要とのことでした。
幻の綿織物
幻の綿織物ダッカ・モスリンは、日本人技術者、大正紡績の近藤 健氏の手によって機械織りで再現され、「ダッカの霧」と名づけられました。
番手といえば、綿の原産国であるインドには、かつて、300番の超極細綿糸で織り上げた伝説の布がありました。
17世紀のムガル王朝時代、旧ベンガル州のダッカやヴァラナシで織られた綿布、モスリンが、それ。
極細の糸を紡ぐためには湿度が必要で、海岸から立ちのぼる朝霧の中で、熟練職人たちが手で紡ぎ、人類最高の芸術品と言われたものです。
その布は蝶の羽のように軽く繊細で、何重に巻いても肌が透けて見えたとか。
ダッカ・モスリンの熟練職人はムガル皇帝によって完全に庇護され、その製品は皇帝に献上されました。
神々しい極薄地の織物は人々を魅了し、やがて世界に広まりましたが、18世紀末、イギリスで起こった産業革命がダッカ・モスリンの悲劇に。
機械紡績での大量生産をめざしたイギリスの資本家は、ダッカ・モスリンのあまりの品質の高さと人気に嫉妬し、
職人の腕を切り落として、その技を根絶やしにしてしまったのです。
究極の綿織物をめぐる悲しい歴史は、綿という素材がもつ奥深い魅力をも教えてくれます。