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風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

3662)野蒜駅(大震災から138ヶ月)

2022年09月11日 | 東日本大震災
 本日9月11日は東日本大震災発生から11年半です。ローカルニュースで沿岸の様子を報じていましたが、全国ニュースではウクライナやコロナ、台風12号といった話題が主で、震災関連は最後にちょっと触れていました。かくいう私、大震災発生以降毎月11日は欠かさず震災に関する話をしたためてきましたが、7・8月は筆を執ることができませんでしたので、報道に対してとやかく言う資格はありません。

 3ヶ月ぶりの11日ご覧いただくのは、JR仙石線の野蒜(のびる)駅です。ひょんなことから訪れる機会を得ました。震災を機に「野蒜」を読めるようになった方も多いのではないでしょうか?私も震災報道で頻繁に耳にするようになってから、野蒜駅や地区の存在を知った次第です。

 震災時の仙石線のこの区間は海沿いを走っており、津波の被害を受けました。復旧に際しては内陸に線路を敷き直し2015(平成27)年5月に営業を再開し、旧駅舎は「震災復興伝承館」となりました。その旧駅舎には津波浸水深が掲げられ、3.7メートルの高さまで津波が押し寄せたことを示しています。


(東松島市野蒜 ー2022/09/11ー)

 旧駅舎の山側には1面2線のホームが残されています。当然に津波に襲われたホームですが、震災遺構として整備・保存されています。


(同上)

 その旧野蒜駅から内陸に500メートル、海抜22メートルの高台に移転したのが現、野蒜駅です。震災後に山を切り開いて造成した場所に建っており、駅周辺には真新しい家ばかりです。そんな現、野蒜駅からは遠くに野蒜海岸が見えます。


(野蒜駅から見た野蒜海岸 ー東松島市野蒜ヶ丘1丁目 2022/09/11ー)

 震災遺構として残された野蒜駅ホーム、伝承館となった旧駅舎、10年度も震災を伝える場となっているのか、「役目を終えた」となっているのか・・・。世の中全体がどうなっているのか・・ですね。それ以前に。

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3652)大槌川の水門(大震災から135ヶ月)

2022年06月11日 | 東日本大震災
 公務で盛岡→宮古→釜石→盛岡(あるいはその逆)と回る際、最近は列車利用が増えてきました。眠くなったら居眠りできることや、社内で仕事が多少は進めることができるから、というのがその理由ですが、それでも沿岸に出ると車窓に目が向いてしまいます。仕事でこんな風景を眺められるなんて、バチが当たりそうです。

 私の目が向いてしまう宮古~釜石間は旧JR山田線、東日本大震災による大津波で大きな被害を受け、2019(平成31)年3月に三陸鉄道に移管されました。

 移管された宮古~釜石間は山あり海ありの車窓ですが、海が近づくと防潮堤が視界に現われます。海が見えないことには賛否両論ありますが、事実としては東日本大震災以降防潮堤は増えたと思います。

 東日本大震災では川を遡上した津波でも大きな被害が発生しましたから、水門も増えたのではないかと思います。津波で大きな被害を受けた大槌町を流れる大槌川にも、がっしりとした水門が造られました。


(大槌町大槌 ー2022/05/24ー)

 こちらは12年前の大槌川です。大震災の約3ヶ月、冬の日差しを浴びたのどかな車窓だったのを覚えています。


(同上 ー2010/12/17ー)
 
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2021/06/11の一品・・・3542)時刻表2011年6月号(大震災から123ヶ月)
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3649)津軽石駅の貸付財産票(大震災から134ヶ月)

2022年05月11日 | 東日本大震災
 東日本大震災で三陸沿岸は津波により大きな被害を受けましたが、それを教訓として後世に伝えるため、様々な石碑などと合わせて、津波の高さを示す「津波浸水深」があちこちに示されています。三陸鉄道に移管された津軽石駅もその一つで、駅舎正面に「津波浸水深」の看板が書か掲げられています。震災で不通になり閉ざされた駅舎につけられ、三陸鉄道に移管されてもそのまま掲げられています。



 ところでこの看板の下に「貸付財産票」が錆びた画鋲でピン止めされていました。貸主はJR東日本、借主は宮古市。津波浸水深を示す標識部分をJRが宮古市に貸していたのでしょう。後世に伝えるという公的な目的であっても、そこはしっかりと・・ということなのでしょう。契約期間は2020(平成32)年3月までとなっていますが、山田線が三鉄に移管したのはその前年ですから、現在三鉄が宮古市に貸付しているのかはわかりません。

 

 標識ひとつ付けるにも、こういうこともあるのですね。

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2021/05/11の一品・・・3533)東北デスティネーションキャンペーン(大震災から122ヶ月)
2020/05/11の一品・・・3303)続・続・災害公営住宅(大震災から110ヶ月)
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3643)超特急一ノ関行(大震災から133ヶ月)

2022年04月11日 | 東日本大震災
 福島県沖を震源とする強い地震から26日経ちました。この地震で東北新幹線「やまびこ223号」仙台行が脱線、設備にも大きな被害が発生し、那須塩原~盛岡間が不通になりました。その後部分的に復旧し、4月4日には一ノ関~仙台間が復旧、残る仙台~福島間が3日後の4月14日に復旧し、29日ぶりに全線がつながります。

 本日の1枚は一ノ関~仙台間が復旧する前、すなわち一ノ関~新函館北斗間での運転となっていた時の盛岡駅発車時刻表です。一ノ関を始発・終着とする列車は通常ありませんから、ある意味レアですが、あまりお目にかかりたくない表示でもあります。



 先週末、秋田のお取引様とのメールで「新幹線が14日に全面復旧しますね」と書いて送信したら「無事の運転再開を祈るだけです」と返事がきました。

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2021/04/11の一品・・・3523)復刻版「東日本大震災」(大震災から121ヶ月)
2020/04/01の一品・・・3273)東北夢の桜街道(大震災から109ヶ月)
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2012/04/11の一品・・・1287)海は変わらない(大震災から13ヶ月)
2011/04/11の一品・・・923)それでも桜咲く(千葉市中央区 千葉公園)
2010/04/11の一品・・・696)友、遠方より来たる(県内1周鉄道の旅1)
2009/04/11の一品・・・483)栃木散歩 栃木の桜
2008/04/11の一品・・・227)視察同行


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3640)深夜の地震

2022年03月21日 | 東日本大震災
 今更ですが、先週の地震の話です。16日深夜、見ていたビデオが終わり通常のテレビ画面に戻った刹那、画面に緊急地震速報が現われ、ほどなく拙宅が揺れ始めました。

 その揺れが収まらないうちにまたテレビ画面に新たな緊急地震速報が現われ、携帯電話からあのエリアメールが鳴動しはじめました。このまま揺れが収まらないのでは?と思ってしまいました。

 昨年2月の地震(こちら)同様、岩手県の被害より宮城・福島県の被害が大きく、特に新幹線の脱線は大きく報じられています。少なくても今月中の全線再開は難しいようです。



 那須塩原~盛岡間で寸断された東北新幹線。秋田新幹線は盛岡駅の田沢湖線ホームから発着しており、大きな看板が新幹線改札前に立っていました。17日は改札内に立っていましたが、誤って新幹線改札を入ってしまう人が多いのでしょうか?おりしも3月22日は秋田新幹線開業25周年。この3連休に様々なイベントが予定されていましたが・・・。



 16日深夜の地震に続き、18日深夜にもエリアメールが鳴動しました。この時の最大震度5強は野田村で観測、盛岡では震度3で大きな揺れは感じませんでしたが、他県の人からすれば岩手県全体が震度5強と思われたようで、心配をいただきました。



 それにしてもこの2回の大きな揺れは深夜、昨年2月も深夜でしたね。 

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