goo blog サービス終了のお知らせ 

風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

3750)先輩、遠方より来る(一関市 祭畤大橋 -大震災から169ヶ月-)

2025年04月11日 | 東日本大震災
 本日は東日本大震災の月命日ですが、「先輩、遠方より来たる」の続きです。先輩のリクエスト先である中尊寺・達谷窟と巡りましたが、ここまで来たので足を延ばし、ご案内したいと思っていた祭畤大橋に向かいました。
 
 国道342号線を西へ進むと、平泉一関では目にしなかった残雪が道沿いに現われ、祭畤大橋に至りました。2008年6月14日の岩手宮城内陸地震で崩壊した橋で、仮橋を経て2010年12月に2代目の祭畤大橋が架かりました。初代の祭畤大橋は災害遺構として保存され、「祭畤被災地展望の丘」から見ることができます。


(地震発生時の様子を残す祭畤大橋 ー一関市厳美町祭畤ー)

 現在は見下ろすようにら眺めていますが、昔はもう少し低い目線でしたね(こちら)。覚えていないものですね。

 東日本大震災で被災した建物を「震災遺構」として残すことには各箇所で様々な議論があり、残したもの、撤去したものそれぞれでした。様々な思いが入り混じりますから、判断する人は大変だと思います。どちらを判断しても、批判されるのですから。

にほんブログ村 ←岩手の情報はコチラ♪


2024/04/11の一品・・・お休みでした
2023/04/11の一品・・・お休みでした
2022/04/11の一品・・・3643)超特急一ノ関行(大震災から133ヶ月)
2021/04/11の一品・・・3523)復刻版「東日本大震災」(大震災から121ヶ月)
2020/04/01の一品・・・3273)東北夢の桜街道(大震災から109ヶ月)
2019/04/11の一品・・・2955)山田線はどこへ行く-10-(大震災から97ヶ月)
2018/04/11の一品・・・2750)それでも桜咲く-7years after-(大震災から85ヶ月)
2017/04/11の一品・・・2521)住田町の後方支援(大震災から73ヶ月)
2016/04/22の一品・・・2273)TSUNAMIが歌える日(大震災から61ヶ月)
2015/04/11の一品・・・2042)消えたステッカー(大震災から49ヶ月)
2014/04/11の一品・・・1829)それでも咲いていた桜たち(大震災から37ヶ月)
2013/04/11の一品・・・1612)遺すか否か(大震災から25ヶ月)
2012/04/11の一品・・・1287)海は変わらない(大震災から13ヶ月)
2011/04/11の一品・・・923)それでも桜咲く(千葉市中央区 千葉公園)
2010/04/11の一品・・・696)友、遠方より来たる(県内1周鉄道の旅1)
2009/04/11の一品・・・483)栃木散歩 栃木の桜
2008/04/11の一品・・・227)視察同行

3744)伝えるということ(東日本大震災から168ヶ月)

2025年03月11日 | 東日本大震災
 

 本日は東日本大震災から14度目の3月11日ですが、いわゆる「震災を知らない子供たち」がこれから増えていく中、「震災を伝えていくのが課題である」という報道を目にしました。震災時に生まれた子は14歳、覚えているか否かということで考えれば15・16歳あたりまでが、震災を知らない世代となりましょうか。
 
 「伝える」って難しいですね。これは震災の伝承に限った話ではなく、日常でも同じことであろうかと。私の奉公先はここ数年で東京圏からやってきた人が増えてきました。かくいう私も17年前にやってきた「外様」ですが、17年もいればそれなりに「歴史・背景」を知っているわけで、新たにやってきた若人にはその「歴史・背景」を理解した上で、新しい事にチャレンジして欲しいと思うのです。

 なので何かコトが起こると、どのような経緯で現在に至っているかを説明したくなり、説明するのですが、それが「アドバイスを与えた」のか「昔話を聞かせた」のか、後で自問自答してしまいます。

 自分では「伝えている」つもりでも相手からすれば「昔話を聞かされた」となっているのではないでしょうか?そんなことを考えた今年の3.11でした。



にほんブログ村 ←岩手の情報はコチラ♪



2024/03/11の一品・・・お休みでした
2023/03/11の一品・・・3685)千葉県道1号線(大震災から144ヶ月)
2022/03/11の一品・・・3639)宮古駅前にて(大震災から132ヶ月)
2021/03/11の一品・・・3515)オンライン写真展(東日本大震災から120ヶ月)
2020/03/11の一品・・・3242)もうすぐ・つながる(大震災から108ヶ月)
2019/03/11の一品・・・2938) 釜石道全通-前編-(大震災から96ヶ月)
2018/03/11の一品・・・2737)ガソリンスタンドの看板(大震災から84ヶ月)
2017/03/11の一品・・・2505)ラジオからこんにちは(大震災から72ヶ月)
2016/03/11の一品・・・2250)あの日からの風景(大震災から60ヶ月-宮古市宮古湾-)
2015/03/11の一品・・・2038)もうひとつの救出 (大震災から48ヶ月)
2014/03/11の一品・・・1805)大日如来像(大震災から36ヶ月)
2013/03/11の一品・・・1594)それぞれの2周年(大震災から24ヶ月)
2012/03/11の一品・・・1256)14時46分+α(大震災から12ヶ月)
2011/03/11の一品・・・904)私的岩手通史の旅 第76回(前九年合戦 第21幕)
2010/03/11の一品・・・669)岩手散歩 県道1号冬景色(西和賀町 雪あかり)
2009/03/11の一品・・・お休みでした
2008/03/11の一品・・・204)栃木散歩 日光市(金精峠と金精道路)

3733)元朝の釜石湾(大震災から166ヶ月)

2025年01月11日 | 東日本大震災
 東日本大震災から166ヶ月目となりました。大震災発生以降、毎月11日に震災に絡めた一品をご用意し10年以上続けてきましたが、135ヶ月目となる2022年6月11日で中断してしまいました。そもそもの営業が滞ったこともあり、それ以降は2年半で3回しか触れていませんでした。必然的にそうなってしまったのですが、10数年が経ち、その後の大きな災害が続く中で、東日本大震災が話題になることもほとんどなくなってもいます。

 さて、今年の元日は半公務で釜石へ出向きました。本日ご覧いただくのは釜石市平田の釜石湾です。当初は釜石大観音から釜石湾を望もうかと思いましたが、同じようなことを考える方は多く、釜石大観音の駐車場はかなり混んでいましたので、予定変更、国道45号線から平田漁港へ折れ、誰もいない漁港で今年の初日と、日差しを浴びる釜石湾を眺めました。

 湾を挟んで対岸からはおはやしが聞こえてきました。元日朝ということもあり、新年を祝う舞でも行われているのでしょうか。


(-釜石市平田 2025/1/1-)

 遠くまで静かなこの海が、その姿を変えて多くのものを飲み込んでいった・・・もう少しであれから14年になりますね。

にほんブログ村 ←岩手の情報はコチラ♪


2022/01/11の一品・・・3627)吉浜漁港(大震災から130ヶ月)
2021/01/11の一品・・・3492)その時の雰囲気は・・?(大震災から118ヶ月)
2020/01/11の一品・・・3182)続・災害公営住宅(大震災から106ヶ月)
2019/01/11の一品・・・2900)世界を待つ釜石(大震災から94ヶ月)
2018/01/11の一品・・・2697)寺院の再建(大震災から82ヶ月)
2017/01/11の一品・・・2466)冬の節電(大震災から70ヶ月)
2016/01/11の一品・・・2218)希望郷いわて国体冬季大会(大震災から58ヶ月)
2015/01/11の一品・・・2006)20年後は?(大震災から46ヶ月)
2014/01/11の一品・・・1759)全線再開カウントダウン(大震災から34ヶ月)
2013/01/11の一品・・・1550)秋刀魚・若布・牡蠣・・・(大震災から22ヶ月)
2012/01/11の一品・・・1196)もうひとつのクリスマス・イブ(大震災から10ヶ月)
2011/01/11の一品・・・851)南部藩中退旅行(はやて31号)
2010/01/11の一品・・・620)盛岡散歩 盛岡三十三観音(第10・11番)
2009/01/11の一品・・・432)岩手散歩 西和賀町(ドカンと一発カマドケシ)
2008/01/11の一品・・・145)山口県つまみ食い6 光市(普賢寺)

3716)大震災から5000日

2024年11月17日 | 東日本大震災
 日本人だけなのか世界的なのか分かりませんが、物事が起こってからの日が区切りを迎えると話題になりますね。100日・1000日・10年・50年といった下一桁が0になった節目がその例でしょう。その考えで行くと、本日2023年11月17日は、東日本大震災から5000日(発生日を0日目として)となります。「13年と8か月」と表現されるより5000日と表現する方が、時間の経過を強く感じる気がするのですが、いかがでしょうか?

 5000日の間に復旧復興は進み、その後に大きな災害が続いていることもあり、「話題」としては次第に小さくなっているとは思います。それこそ、節目(3月11日や半年後の9月11日)には取り上げられることもありますが、まだまだ復旧途中の能登半島、風水害に見舞われた地域が多々あり、ニュースとは文字通り「New」sですから、節目以外は話題になりにくくなるのは必然的なのでしょう。かくいう私お5000日だからと目新しいことを記すことはできません。

 次の5000日後は、2038年7月27日・・・もし何事もなければ私は70歳ぐらいのはずです。世の中どうなっているのでしょうね?


(大槌町大槌 ー2024/10/28ー)

にほんブログ村 ←岩手の情報はコチラ♪


過去の11月17日・・・こちら

3685)千葉県道1号線(大震災から144ヶ月)

2023年03月11日 | 東日本大震災
 昨年からともに忙しくなり、営業もままならぬ状態が続いています。「商売繁盛」と言えばそれまでですが、毎月11日に暖簾を上げることもままならぬまま、東日本大震災から12年を迎えました。

 本日は12年前の1枚です。写っているのは千葉県道1号線です。画像ナンバーは7885、撮影日は2011年4月3日です。この1枚前(№7884)の撮影日は同年3月7日でしたので、約1ヶ月空いています。当時千葉に住んでいた私は暦通りの仕事でしたので、週末の度あちこちに出かけていました。都度デジカメのシャッターを切っていましたので、画像と画像の間で1ヶ月近く空いているのはそうそうありません。当然に東日本大震災発生後の様々な空気が外出を控えさせていました。

 とはいえ落ち着きのないここの店主は、約1ヶ月後に市川市まで出向いていました。どういう経緯で市川市まで行ったのかは覚えていませんが、時節柄桜も影響していたのかもしれません。その道中で最初に撮ったのが、この1枚です。


(市川市市川 ー2011/4/3-)

 まだ1ヶ月で世の中には重い空気も残っている中、厚い雲の下だったこともあり、気分が晴れることもなかったことは覚えています。それだけ東日本大震災の影響が大きかったということでしょう。

にほんブログ村 ←岩手の情報はコチラ♪


2022/03/11の一品・・・3639)宮古駅前にて(大震災から132ヶ月)
2021/03/11の一品・・・3515)オンライン写真展(東日本大震災から120ヶ月)
2020/03/11の一品・・・3242)もうすぐ・つながる(大震災から108ヶ月)
2019/03/11の一品・・・2938) 釜石道全通-前編-(大震災から96ヶ月)
2018/03/11の一品・・・2737)ガソリンスタンドの看板(大震災から84ヶ月)
2017/03/11の一品・・・2505)ラジオからこんにちは(大震災から72ヶ月)
2016/03/11の一品・・・2250)あの日からの風景(大震災から60ヶ月-宮古市宮古湾-)
2015/03/11の一品・・・2038)もうひとつの救出 (大震災から48ヶ月)
2014/03/11の一品・・・1805)大日如来像(大震災から36ヶ月)
2013/03/11の一品・・・1594)それぞれの2周年(大震災から24ヶ月)
2012/03/11の一品・・・1256)14時46分+α(大震災から12ヶ月)
2011/03/11の一品・・・904)私的岩手通史の旅 第76回(前九年合戦 第21幕)
2010/03/11の一品・・・669)岩手散歩 県道1号冬景色(西和賀町 雪あかり)
2009/03/11の一品・・・お休みでした
2008/03/11の一品・・・204)栃木散歩 日光市(金精峠と金精道路)