東日本大震災で被災した鉄路のうち、JR大船渡線の気仙沼~盛間はBRT(バス高速輸送システム)に生まれ変わりました。基本的にJR時代の路盤を専用道路に転用する一方、一般道で主要施設を経由したり被災地の復興に合わせて経路を変更したりしながら今日に至っています。
その中で気仙沼~陸前高田間は旧大船渡線から外れ、気仙沼~上鹿折・陸前矢作~竹駒~陸前高田というそれぞれ盲腸線のようになっています。本日はそのうち先日立ち寄った陸前矢作駅です。BRT化されましたが、国道340号線には今も列車が描かれた「陸前矢作駅」という標識が建っていました。

(国道340号線の標識 -陸前高田市矢作町 2020/07/26-)
標識に従い折れて数分で陸前矢作駅に至ります。2年半前に訪れた時、BRTの陸前矢作駅はここではなく国道340号線上にありましたので駅舎や構内はそのままでしたが、昨春に旧陸前矢作駅まで延長され、駅舎は解体されていました。

(旧陸前矢作駅舎 -陸前高田市矢作町 2018/03/10-)

(更地となった駅舎跡 -陸前高田市矢作町 2020/07/26-)
旧駅跡に建って気仙沼方を見ると、線路はすっかり撤去され、砂利道と化していました。この後自然に還るのでしょうか?

(旧駅跡から上鹿折方面を望む -同上-)
反対を見ると、数十メートル先にロータリーが見えました。BRTは旧陸前矢作駅まで延長されたと先述しましたが、新しい陸前矢作駅があるのは旧駅よりもやや高田寄りで、大船渡線から転用された専用道路が伸びてきてロータリーと「駅」が設けられていました。

(BRT陸前矢巾駅 -同上-)
駅というよりはバス停ですが水洗トイレがあり、待合室もありました。待合室には走行しているBRTの現在位置が表示され、1台の表示が陸前矢作駅に向かってきていました。
ほどなく専用道路の向こうから赤いバスが近づき駅正面に停車しましたが、降車はゼロでした。

(専用道路をやってくる陸前矢作行 -同上-)
大船渡線が鉄路復旧を断念した理由のひとつに復旧コストと利用者減少があったかと記憶していますが、2019年度の陸前矢作駅1日あたりの乗車人員は14人でした(JR東日本HPより)。同駅を発車するのは1日18本ですから、1本平均1人に満たない計算になります。
数年後にはBRTの存続が議論される・・・そんな気がします。
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2019/09/11の一品・・・3060)立丸第一トンネル(大震災から102ヶ月)
2018/09/11の一品・・・2832)山田線はどこへ行く-9-(大震災から90ヶ月)
2017/09/11の一品・・・2617)災害公営住宅(大震災から78ヶ月)
2016/09/11の一品・・・2387)分かっていても(大震災から66ヶ月)
2015/09/11の一品・・・2139)RADIOは今も(大震災から54ヶ月)
2014/09/11の一品・・・1929)公衆電話(大震災から42ヶ月)
2013/09/11の一品・・・1692)JR山田線の今(大震災から30か月)
2012/09/11の一品・・・1440)JR大船渡線の今(大震災から18ヶ月)
2011/09/11の一品・・・1074)アンパンマンの弁当箱(大震災から6ヶ月)
2010/09/11の一品・・・787)盛岡散歩(はやてからの岩手山)
2009/09/11の一品・・・お休みでした
2008/09/11の一品・・・お休みでした
2007/09/11の一品・・・028)前略 出張(たび)の空から
その中で気仙沼~陸前高田間は旧大船渡線から外れ、気仙沼~上鹿折・陸前矢作~竹駒~陸前高田というそれぞれ盲腸線のようになっています。本日はそのうち先日立ち寄った陸前矢作駅です。BRT化されましたが、国道340号線には今も列車が描かれた「陸前矢作駅」という標識が建っていました。

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標識に従い折れて数分で陸前矢作駅に至ります。2年半前に訪れた時、BRTの陸前矢作駅はここではなく国道340号線上にありましたので駅舎や構内はそのままでしたが、昨春に旧陸前矢作駅まで延長され、駅舎は解体されていました。

(旧陸前矢作駅舎 -陸前高田市矢作町 2018/03/10-)

(更地となった駅舎跡 -陸前高田市矢作町 2020/07/26-)
旧駅跡に建って気仙沼方を見ると、線路はすっかり撤去され、砂利道と化していました。この後自然に還るのでしょうか?

(旧駅跡から上鹿折方面を望む -同上-)
反対を見ると、数十メートル先にロータリーが見えました。BRTは旧陸前矢作駅まで延長されたと先述しましたが、新しい陸前矢作駅があるのは旧駅よりもやや高田寄りで、大船渡線から転用された専用道路が伸びてきてロータリーと「駅」が設けられていました。

(BRT陸前矢巾駅 -同上-)
駅というよりはバス停ですが水洗トイレがあり、待合室もありました。待合室には走行しているBRTの現在位置が表示され、1台の表示が陸前矢作駅に向かってきていました。
ほどなく専用道路の向こうから赤いバスが近づき駅正面に停車しましたが、降車はゼロでした。

(専用道路をやってくる陸前矢作行 -同上-)
大船渡線が鉄路復旧を断念した理由のひとつに復旧コストと利用者減少があったかと記憶していますが、2019年度の陸前矢作駅1日あたりの乗車人員は14人でした(JR東日本HPより)。同駅を発車するのは1日18本ですから、1本平均1人に満たない計算になります。
数年後にはBRTの存続が議論される・・・そんな気がします。

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