北海道の四季登山と読了記

週末の休みを利用して登山しています。ときどき本も読みます。

(023-0304) 10代が考えるウクライナ戦争

2024年03月08日 | 四季の山登り(2024.1.1~2024.12.31)

「10代が考えるウクライナ戦争」(岩波ジュニア新書編集部 編 岩波ジュニア新書2023.2.21 第1刷 196ページ)
21世紀に起きた大国による軍事侵攻を若者たちはどのように受け止めているのか。衝撃、不安、怒り、苛立ち、不信、果たして自分に何ができるのか。各地の高校生に聞いたのが本書だ。
若い世代の人たちはよく物事を知っている。渋谷教育学園渋谷中等高等学校の生徒「国連のことを考えると安保理で拒否権を持っている国がなにかやらかすとどうにもならない。中学受験の時にはじめて国連の制度を勉強して、この五か国がなにかしたらこの世界はもうムリじゃんって思った」「第二次世界大戦の戦勝国だという理由で、主張の違う国にそれぞれに拒否権を与えたことに無理がある」
玉川聖学園高等部生徒「人間学という授業で、ほかのクラスの祖父母の聴き取りをしたとき、1人ひとりの戦争の辛い思い出を知って、戦争は一人ひとりに辛い思いをさせるものだと知りました。(略)戦争は、一生、心の深い傷として残ってしまう。そうう人を無くしていくためにも、戦争を辛い思いをする人のことを深く知っていかないといけないと思う」
「若者が行動するということに影響力があると思う。(略)だからこそ、いま、若者がたくさん知って、たくさん行動すべき、いま行動することに意義があると思います。」
奈倉有里氏(文学者)
なぜ(戦争)が起きたのかの答えは、もはや止めるべきときに権力者を止めることができない社会構造になっていたからです。戦争の特徴として「強大は権力を握った人間が、手にした武器を爆発させた」という面が強くあります。シュリマンもいうように、そこに必ずある問題は、その社会構造において権力に対する抑制が不充分である、ブレーキが効かない」ということです。ロシアでは二〇〇〇年から現在まで、徹底した言論統制と中央集権化がすすめられ、反戦思想を持った人々や人権擁護団体への弾圧にはじまり、小規模な市民グループや社会活動までもことごとく潰されてきました。
(略)人々が黙らせていくうちに、肥大化した国家権力の一存で戦争がはじめられる社会ができてしまっていました。
国家は国民の人権を守る義務がありますが、国家をそれ以上の存在と認識するべきではありません。まずはいかなる国家も国民に戦争を強いる権利などないのだという民主主義と平和の原点に立脚しなければなりません。とりわけ、現在のロシア政府がおこなっている侵略行為と国民に対する弾圧がともの犯罪的な暴力によるものである限り、犯罪者を捕らえずもせずにその主張を主張として受け入れるべきではなく、まして脅された国民も同じ主張であるかのように報道するべきではありません。
(略)まずは私たちが、人命の尊重、人権の保護、国民主権、権力の分立、憲法や法律による国家権力に対する制約といった基本的な問題に立ち返ることが重要です。権力者に武力を暴発させないような社会構造を作らなくてはいけません。そのためにも、学問や文化は、支配者とは異なるそれぞれの枠組みを基準とし、世界規模で互いを理解し協力しあうための可能性を持った営みとして、その自律性を保障されなくてはいけないのです。
10代が考えるウクライナ戦争 (岩波ジュニア新書 963)

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