骨董屋の独り言

骨董屋九代目の日々を紹介します。

田辺玄々さんッ 渾身のいろはッ!!

2012-02-01 02:35:08 | Weblog

今晩はッ! 皆様ッ!!

今宵はまずッ ひらがなのお稽古をばッ いたしましょぉーでございましょぉーかねッ!!

さんハイッ!

いろはにほへとッ はひふへほッ ・・・・???????


あぁ~~ッ ・・・・  ちゃまぁーーーッ ・・  いろはぐらいちゃんと言えなくちゃッ 骨董屋さん失格でございます

ですよぉーーッ!!


ではでは改めましてッ お手本を見ながらッいきまっせぇーーーッ!!!


ッてなわけでございましてッ!

早速ッお手本さんにご登場願いましょほぉーーいッ!!!





ホッホッホォーーイッ!!!

どぉーーでございましょぉーーかッ! 皆様ッ!!!

実にッなんとも力強いと申しましょうかッ 荒々しいと申しましょうかッ!!!


ぇぇッ ・・・・  おおきな声じゃ言えないけどッ ・・・

へたくそじゃんッ ・・・・   だってぇ~~~ッ ・・・・・


コラコラコラァーーーーッ!!!

何をおっしゃるッ兎さんとッ亀さんとッお猿さんでぇーございますぞぉーーッ!!!


   何を隠そぉーッ こちらのいろはをお書きになられたお方様はッ!!

今を遡ることッ 江戸後期ッ!!!

かのッ! 頼山陽さんをッはじめとするッ 当時の超著名人さん達のッ ハンコをばッ手掛けられたッ!

書家でありッ 篆刻師であるッ!

田辺玄々さんッ その人でぇーーございますッ!!!!

うぉッほんんーーッ!!!


・・・・・・・・・・・・・

つぅーてもねぇーーッ ・・・  

その玄々さんをッ ご存知のお方ッてぇーとッ 今では少のぉーございますでございましょぉーかねぇーーッ・・・


 


ならばッ!  ちょいとこちらでッご説明をばッ ・・・・・


えぇ~~ッ 玄々さんはッ 寛政年間(1790年代)にッ 京都でお生まれになりッ

幼い頃よりッ 書道及びッ 画法をッ 立派なお坊様や有名画家さんなどに教わってッ

後々なんとッ!  京都は東寺のッ 候人としてッ法眼にまでッなっちゃった御仁なんでぇーございますッ!!

してしてッ その玄々さんッ!

何といってもッ 篆刻師としての腕前はッ! 天下一品ッ!!




さっきもッ言ったけどッ・・・

その腕前を買われてッ 当時のそーそーたる方々のッ 磁印を沢山手掛けたッ 

ちゅぅーわけでございますんでございますよッ!!!


でッ ございますからねぇーーーッ ・・・・





確かにッ こちらのいろはッ ・・・・

ちょいとッ独特な書体ではございますんでございますがッ ・・・・

それこそッ 様々な経験を積んでのッ いろはさんなんじゃぁーないでございましょぉーかねッ!!


しかもッ! しかもでございますよッ 皆様ッ!!!

  こちらのッ 記述によりますればッ ・・・・

時戊午春 玄々翁六十五云々・・・   つまりはッ 安政五年の春ッ 玄々さん六十五歳のときのッ

書ッ つぅーことなんでございますがッ ・・・・・・

実はッ この年こそッ!  玄々さんのお亡くなりになられた年なんでございますッ!!!


だからだからねッ!  いわゆるッ最晩年のッ書ッ てぇーことになるんでございますよッ!!!


てぇーことはッ ・・・・

もしかしたらッ このいろはさんッ ・・・・  玄々さんのッ絶筆だったりしてぇーーッ ・・・・


いやいやッ それは残念ながらッ お亡くなりになられたのはッ その年の12月ッ ・・・・

絶筆ではッなさそぉーでございますなッ ・・・・・


でもでもッ その数ヵ月後にはッ 玄々さんはッ天に召されるわけでございますからッ ・・・

  このいろはさんはッ 衰えゆく力をばッ 振り絞ってのッ一筆だったのかもッ

しれないでございますやねッ!!!


そぉー思うとッ 尚更にこのいろはさんッ!!!





鬼気迫るよぉーーなッ キョォーレツなパワーをばッ 感じてしまうでございますでございますなぁーーッ!!



ちゃまぁ~~ッ ・・・・

こいつぁーちゃんとッ いろはを覚えなきゃ 玄々さんにッ 怒られちゃうでございますよぉーッ!!


ふぁいッ! 了解いたしましたぁーーッ!!!


本気で聞いてんのぉ~~ッ ・・・・・????