拝啓 陸の孤島から

いいことがあってこその 笑顔じゃなくて
笑顔でいりゃいいこと あると思えたら それがいいことの 序章です

選ぶということ①

2006年01月21日 23時17分30秒 | 日々の話
みなさんは現代の高校生がどのようにして彼氏・彼女を作っているかご存じだろうか。


いや、その前に、高校生にして彼氏・彼女の一人もいないのは、
「人に非ず」というような風潮であるという前提を知っていただいて欲しい。
高校生は言うに及ばず、中学生も相方捜しに血道を上げ、
最近では小学生も低学年のうちから彼氏・彼女を作ろうと必死らしい。
そう、今は「21世紀」なのである。好むと好まざるとに関わらず。
しりあがり寿氏の言葉を借りれば、
「お前ら、毛も生えないうちから大変だな」という感じである。


さて、最初の話に戻ると、
もちろん、同じクラスや同じ学年の子と仲良くなって、
つきあい始めるというパターンも今なお健在である。
だが、「プリ帳」を見てカッコイイ・カワイイ子を見つけ、
そのプリ帳の持ち主にメールアドレスを教えてもらい、
メル友から始めて、次第に発展していくというパターンが非常に多い(らしいよ)。
まあ言わば、お手製の出会い系サイトのようなものであるが、
暇さえあればプリ帳の編集をしている姿を見ると、
「お前は女衒か」とでも言いたくなってしまう。


しかし思うのは、
「世界の中心で愛を叫ぶ」とか「いま会いに行きます」など、
純愛を望んでいながら、
プリクラを見て彼氏・彼女を捜すのは果たして純愛なのか? ということ。
内容が(彼ら彼女らにとっては)純愛でありさえすれば、
出会いやきっかけはどうでもいいんだろうか?
いや、どうでもいいんだろね。必死だから。


そこで注目してみたい概念が「選ぶ」である。


世の中はとても便利になった。
企業は消費者を捉えて放さないために、
非常に親切で楽しみを含んだ仕組みを整えてくれた。
それが「選ぶ」という仕組みだと考える。

つくももいつもお世話になっている仕組みなので余り強くは言えないのだが、
年賀状だってテンプレートから選べばすぐ作れる。
ハンバーガーのセットもサイドメニューを選べるようになった。
就職先だって冊子のフローチャートから自分に適した仕事を選べる。
我々は知らず知らずのうちにいろんなものを「選ぶ」ことによって生活が成立させている。


であるなら、高校生がプリ帳で恋人を選んだって無理はないのかもしれない。
「好きになる」という言葉は、
20世紀では男女が生活の時間帯や空間を共有することによって、
徐々に情愛が増していく様子か、
突然の出会いによって突如恋に落ちる様子を言っていたが、
21世紀の「好きになる」は、
いくつかの選択肢の中から自分のお気に召すものを「選ぶ」という様子を意味するのであろう。
それはあたかも、ブランド品を嗜好するような感覚に似ている。

(続く)

泣けるめちゃイケ

2006年01月20日 22時18分23秒 | 日々の話
つくもはめちゃイケが好きです。

その中でも「岡村オファーシリーズ」は特にお気に入りで、
その中の中でも「ライオンキング編」は泣けます!

先日、部屋の整理をしていたら、以前録画したビデオが出てきて久しぶりに見てみると…、
いや~、良かったですね。
岡村さんが本番までできなかった(とされる)左3回転ができたところは感涙ものです。

めちゃイケで泣くなんて変な感じですけど、
この回は是非見て欲しいですね。

14歳からの仕事道

2006年01月19日 20時19分28秒 | 観た・買った・聴いた・読んだ
二日続けて本の話。
でも、ちゃんと仕事はしてますのでご心配なく。


理論社という出版社の「よりみちパンセ」というシリーズの一冊。
この「よりみちパンセ」シリーズ、
中高生をターゲットとしたヤングアダルト本なのだが、
なかなかどうして侮りがたい。
みうらじゅんの「正しい保健体育」は最高に笑えたし、
しりあがり寿の「オヤジ国憲法でいこう」はそのタイトルとは裏腹に、
かなり哲学的な面に踏み込みながらもそれを感じさせない語り口で、
生徒向けに買ったつもりのつくもが見事に引き込まれた。

で、この「14歳からの仕事道」なんだけど、
(タイトルが「13歳のハローワーク」を想起させるのは意図的であろう)
中学2年生を対象としていながらも、
実際に働き始めてから、
仕事の光と影のどちらかというと影の面に目がいきがちな我々世代の方が、
「ああ、そうそう。そうだよなあ。」と納得させられるような内容。

印象的だった部分をあげると、
「『普通』や『みんな』はなるべく言わない」
「『すみません』ではなく『ありがとう』と言おう」
「学校とは『わからない』という状態に慣れておくべき場所」
「壁にぶつかったら、乗り越えるのではなくジタバタしろ」
などというもの。

やや現状追認に走る、後手後手なきらいがあるにせよ、
「努力しろ」とか「夢を持て」とか「昔はみんな…」などという、
説教臭さもなく、職業観の育成にはもってこいの一冊かなあ、と。

しかも、ハリーポッターに負けないくらいのルビ数。
こりゃ、読みやすかろう。(逆に読みにくいか?)

小説版 容疑者室井慎次

2006年01月18日 22時42分50秒 | 観た・買った・聴いた・読んだ
映画見てないんだけど(笑)。


だいぶ前に買ったまま放置していたものをようやく読了。

いや、まあ、あれだね。
悪くはないんだけど、小説というよりは台本?
たとえば「いま会いに行きます」みたいに、
小説ありきでそれを映画化というのではなく、
映画を元にそれを活字に起こしたって感じですなあ。
でも、小説(風)にしたからと言って面白さが消えているわけではないのは、
おそらく、映画自体がもつ魅力の為せる技なんでしょう。
DVDの発売が待たれます。

ま、映画を見ていないと、感想の言いようがない本ですね(笑)


ただ!

初版本だからかもしれないけれど、
(もちろん、初版だからといって許されるわけではないけど)
誤字・脱字が多すぎる!
流し読んだだけでも4、5箇所あった! ちゃんと校正したのか?

恋○ナもひどかったけど、これも結構ひどかった。

私って何なのかしら

2006年01月16日 22時36分25秒 | 日々の話
東洋大学が、毎年「現代学生百人一首」というコンクールを開催しておりまして、
今年も百首が選ばれております。

その中から一首、紹介させていただきましょう。


〈私って何なのかしらと問う鳥に貴方は貴方と言い放つ空〉

この短歌を詠んだのは中学2年生の女の子だそうですよ。
正直、青いっちゃ青い作品なんですけど、
非常にセンスを感じますね。末恐ろしい。
中学二年の時に「私ってなんなのかしら」とか思ってたかなあ・・・。


他の受賞作はこちら → 東洋大学ホームページ

男にはわかりづらい重さ。

2006年01月15日 21時53分10秒 | 日々の話
ゆうべは高校時代の友人と久しぶりに飲んでいたのですが、
その中にいた女性の一人の話。

その女の子(27歳の女性に「子」は失礼か?)は、
数年ぶりに実家暮らしをするようになってから、
なぜか、しばしば墓掃除をするようになったそうなんですが、
(時々様子を見に行くんだそうですが、
 娘が突然墓に頻繁に行きだしたら親は不審がったでしょうね:笑)
その時にふと思ったんだそうです。


「私はこのお墓には入らんのやな・・・。」


・・・


・・・


Σ( ̄□ ̄) 重っ!!  

思い出し怒り。

2006年01月13日 23時05分30秒 | お仕事の話
思い出し笑い、というのはあるけれど。




部活が終わったあと、ある生徒(仮称:A)と話をしていました。
その場にいなかった別の子(仮称:B)が少し悩みを抱えているようで、
昨日、少し彼女(B)と話をしたのですが、
むしろ、それがプレッシャーの一端になってしまったようなのです。


つくも:「Bがいろいろ思い悩んでいるみたいだから、
     昨日少し話をしたんだけど、もしかしたら逆にプレッシャーになっちゃったかもねぇ…」

A:「ああ、昨日先生と少し話をしたって言ってましたあ」

つくも:「なんか言ってた?」

A「ん~、(機密事項)とか言ってましたねえ」

つくも「ああ、そう…。Bには良かれと思って言ったんだけどね。
    Bも賢いからその辺はわかってても、
    結構、我慢の限界ギリギリのところでちょっとダメ押ししちゃった感じかな…」
   (注:そこまで追い込んだのはつくもじゃなくて別の人ですよ! 念のため)

A:「Bもわかってると思いますよ。先生の気持ちは。」

つくも「そうならいいけど。
    Aもな、つくもの言うことがちょっとうっとおしかったり、ウザかったりすることもあるかもしれんやん?」

A:「………」

つくも:「でもな、それはつくもにとってAとBが大事な存在やからな。
     ちょっと小うるさいと思っても言わずにはおれんのよ。」




という会話の後、話は別の話題になったのですが、
家に帰ってから、ふと、


「あいつ、『うっとおしい』ってトコ否定しなかったな・・・」


って思い出して、ちょっとカチン。
なんとなくノリツッコミみたいな思い出し怒りでした。



いやまあ、本当は怒ってなんかないですけどね(笑)
読んでる皆さんも子どもを持てばわかりますよ。
(実の子じゃないけど)

27連続防衛。

2006年01月12日 21時26分05秒 | 日々の話
故・ジャイアント馬場はPWFのベルトを38度防衛しましたが、
私つくもが27連続防衛しているものがあります。


それは特別に防衛戦が行われるものではなく、
つくもがある行為をした時点でつくもの防衛が決まるのです。


その王座とは。


「こぼし王座ベルト」


私つくもは、幼少の頃から、
みそ汁をこぼす、飲みかけのコップをひっくり返す、醤油差しをこぼす・・・などと、
非常にそそっかしい性分でございまして。
そこで昔から家族には「こぼしのつくも」という不名誉な称号を与えられているのです。
その「何かをこぼす」癖は今なお治っていなく、
成人してからもこぼし続けているのです。


しかし!
2005年は何一つこぼすことなく1年が終わろうとしていたのです!
今年こそ汚名を返上できる! と思っていたのです。


それは師走も押し迫った日のことでございました・・・。
その日はもう学校も冬休みに入っており、
昼から年休をとって帰宅し、
昼食をとりながら「徹子の部屋」を見ておりました。
折しも、その日は年末恒例のタモさん出演の日で、
タモさんが「密室芸」をやっているのを、
「タモさん、おもれ~な~」と思いながら見ていたのですが・・・、


その時!


服の袖がみそ汁のお碗にひっかかって・・・。



こうして、つくもは見事、王座の27連続防衛に成功したわけであります。


今年こそは返上したい!

身近な人の名言・格言

2006年01月11日 19時01分29秒 | 日々の話
今さらながら、今年の手帳を買いましてね。


で、その手帳のメーカー、高橋書店さんが、
思わずメモしたくなった「身近な人の名言・格言」という企画をしてまして、
これがなかなか秀作で心打たれました。

現在のHPでは2005年の受賞作が掲載されているんですが、
つくもの手帳の折り込みにはなぜか2004年の受賞作が掲載されていまして、
(思わず手帳の日付を確認しましたよ!)
その中でも印象的な一編を紹介させていただきます。


思うに どこ向いていようと、
自分が向いている方が前なんよ、きっと。


投稿者の方が心の病気で入退院を繰り返していたときに、
友人がメールで言ってくれた言葉だそうですが、
すごく良い言葉ですね。

人間誰しも、自分の見通しがわからなくなるときがあって、
その不安を弱音として誰かにすがってしまうときがあるけれど、
この言葉は柔らかい言葉の中に強い肯定感が潜んでいます。
なんの根拠もないけれど、親しい友人に「きっと」と背中を押してもらえること、
そのことがとてもこの投稿者の方を勇気づけたのだと思います。


つくもも、こういう言葉がかけられる人間になりたいです・・・。