拝啓 陸の孤島から

いいことがあってこその 笑顔じゃなくて
笑顔でいりゃいいこと あると思えたら それがいいことの 序章です

手袋を買いに

2006年09月24日 21時56分31秒 | 日々の話
【手袋を買いに】


「窓の杜」で紹介されているんですけど、
新美南吉の童話「手袋を買いに」を読めるソフトが公開されています。

さっそくDLして読んだんですけど、
懐かしいですね!
作品自体もものすごくノスタルジイなんですけど、
この作品を読んでいた頃の純真(?)な気持ちが蘇りました。

教科書では編集されている部分などもあって、
なかなか面白かったです。
やっぱり本当にいいものはその価値は時代を超えて不変ですね。

お風呂で読書

2006年09月24日 09時16分43秒 | 日々の話
最近さぼってました、すいません。


つくもは必ずと言っていいほどお風呂で読書します。

半身浴で長風呂なので本は欠かせません。
あんまり小難しい本は読みませんけどね。
ついでに言うと、手を湯につけないと汗が良く出ますね。

あとは、お風呂に入ってると、
なんだかその日の嫌なことや将来の不安なんかをいろいろ考えてしまうので、
別のことに集中してる方が楽だからっていうのもあります。
音楽なんかも風呂場に聞こえるように流してますしね。

恐怖

2006年09月18日 18時58分21秒 | 日々の話
え~っと、今日は書こうと思っていた話があるんですけど、
昨日のPV数(サイト閲覧回数)が331回という、
普段では考えられないほどの回数だったので、
今日は無難な当たり障りのない記事を書くことにします。
(書こうと思っていた話は勤務場所を特定してしまうモノなので…)






え~と。






ん~と。





あ。





FF3、浮遊大陸を脱出しました☆
フォント変えてまでする話か?

時に運命は残酷

2006年09月17日 22時06分30秒 | お仕事の話
おとといは某大学のAO入試の1次試験合格発表の日でした。

夏休み中につくもが合宿に連れて行ってまで志望理由を書き上げさせたあの3人が受けた入試です。


結局3人受けて1人だけ1次入試に合格することができました。
1次入試の倍率がおよそ3倍だったようですので、
うちの学校でもその倍率が適用されてしまったようです。

もちろん、うちの学校から1人でも合格したのは、
手前味噌ながらすごいことだと思います。
田舎の商業高校から国公立大学の推薦1次に受かっちゃったわけですから。
本人も泣いて喜んでました。
(まだ合格したわけじゃないですけどね)


ただ、推薦は落ちて当たり前と良いながら、
やはり全員を受からせてあげたいという思いはあります。
それで二人が落ちるというのはやはりショックなもんですね。
そういう失敗を糧にして成長していくんでしょうが、
やはり落ち込んだ姿を見るのは辛いです。
特に、3人ともつくもが指導して、
それぞれの志望理由書に思い入れがありますから、
責任の一端を感じてしまいます。


ここまで来たら、一人だけ受かった子、2次も合格させてやりたいなあ…。
ここ1週間、3人のうち一人だけ落ちる夢を見続けたそうです。
発表の日が近づくと、毎日つくもの前で泣いていました。
一生懸命がんばる子(受験する子はみんなそうなんだろうけど)だから受からせてあげたい…。

普通科から出願してる奴は一般入試でも受かるだろ! だから譲れよ!って言いたい(笑)
商業科の子は一般入試ではまず無理ですからね…。

臼杵石仏

2006年09月13日 21時06分49秒 | 日々の話
こないだ仕事で臼杵石仏に行く機会がありまして。


御利益の所を見ると、
「リストラ除け」って。
なんかちょっと切ない…。

まさか大仏如来も「リストラ」なんていう単語に出会うとは思わなかっただろうなあ。

オチはおぎやはぎ風。

2006年09月11日 20時36分33秒 | お仕事の話
生徒が絵本をスキャナーで読み込んで、
その画像をパワーポイントでの発表に使おうとしていたときの話。







生徒(女子):先生、先生。画像を何種類かスキャナーで読んだんやけど、
   どの画像が一番綺麗かなあ?











つくも:ん? お前が一番綺麗だよ。












・・・何か問題でも?(笑)

VOCALIST2

2006年09月10日 21時46分55秒 | 観た・買った・聴いた・読んだ
【このCDをAmazonで見る】


いや~、このアルバムはいいわあ。
前作の「VOCALIST」もすごく良くて、
特に「ハナミズキ」は背筋がぞくぞくっとするほど出来の良い作品でした。
(そこにはもちろん、楽曲自体の良さと一青窈の前提があるのだけど)

そして、選曲が素晴らしい! ツボだよね。
「自分が歌って合う自信のある曲」と「日本人女性の良さが表現されている曲」
という二つの選択基準があるそうだけど、
どれもこれも心の琴線に触れる曲ですよね。

世間的に今回の目玉は「雪の華」(中島美嘉)みたいだけど、
もちろん、それもすごくいいのだけど、
つくも的おすすめは「M」(プリプリ)と「未来予想図Ⅱ」(ドリカム)!

「つくも的おすすめ」という割には、超メジャーな選択というツッコミはさておき。

奥井香の歌う「M」は終盤の感情爆発が圧倒的な声量によって表現されるんだけど、
(特に「So once again...あ~あ~~」って続くラストのサビとか)
徳永バージョンの「M」はねえ、なんかいじらしいのよ。
決して興奮することはないんだけど、相手に対する愛情がにじみでてしまいました! って感じ。

で、吉田美和の歌う「未来予想図Ⅱ」は年相応なのね。
確か、「就職するから髪切った」みたいな歌詞があるから大学生ぐらいだと思うんだけど、
その頃の年齢特有の愛情と不安と未来への期待が入り交じってる感じ。
それに対して徳永は大人!
そういう味方もあるんやなあ、って感じがします。
アレンジもすごく落ち着いた感じで、歌声に対していやがおうにも注目します。


総じて、徳永英明が女性の曲を歌うと、
「押さえきれない感情を抑えた女性の美しさ」のような姿を想起します。
つくもは門外漢なので音楽のことは云々言えませんが、
それぞれの歌をカバーにするにあたって、
原曲を何度も聴いたり、歌詞を熟読してイメージをふくらませたんだろうなあ、というのが、
ものすごく伝わってきます。


音楽不況の昨今、
トリビュートやカバーアルバムは数あれど、
この一枚は間違いないなく秀逸です。

平成生まれは徳永英明を知らないだろうけど、
ぜひぜひ聴いてもらいたい一枚です。

かつめし

2006年09月09日 18時29分23秒 | 観た・買った・聴いた・読んだ
【ほか弁九州地区ホームページ】


最近、仕事の日の昼食はもっぱらほか弁です。
「ほか弁ばっかりじゃ栄養が偏るよ!」と言われそうですが、
近隣にほか弁しか配達してくれる業者がないのだから仕方がない。


で、昨日から発売された「かつめし」をさっそく食してみました!


結構うまい! かつなのにくどくない!


和風だしにわさびをのせてってさっぱりさが、
残暑がまだ厳しいこのごろにぴったりだし、
かつなのでスタミナつきそうです。


かつめしが発売されているほか弁の地域にお住まいの方、
ぜひぜひおためしあれ。

希望。

2006年09月06日 21時02分35秒 | お仕事の話
勝手に毎学期頭初の恒例にしているんですが、
A4一枚に生徒にその時その時に伝えたい言葉をしたためています。
今回はかなり暗いものになってしまいましたが、
これから就職して行く子たちにどうしても贈りたかったです。

改行メチャクチャだから読みにくいかもです。


「希望」

 しつこいようだが、ミスチルの「くるみ」という曲が好きである。

  希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみるんだよ     (Mr.Children「くるみ」)

 しかし、現在はこの「希望」が危機にさらされている。

 現代ほど、「希望」という言葉が注目されている時代はないと言っても過言ではない。ある調べでは、「希望」という言葉が題名に入っている本の数が、1998年から急増しているという。また、「希望」という言葉をインターネットで検索してみると、約一億一千万件ヒットした(ちなみに、「夢」は九千万件、「愛」は八千五百万件だった)。ではなぜ、「希望」という言葉がこれほどまでに注目されるのか。

 それはもちろん、人々が社会に「希望」を見出せなくなって来たからである。

 「格差社会」という言葉を聞いたことがあると思う。「勝ち組」だとか「負け組」だとか。この「格差社会」が何を基準に勝ち負けを判定しているのか、と聞かれれば、ほとんどの人がお金と答えるだろう。連日テレビを賑わせるIT長者の姿を見れば、「ああ、あいつらが勝ち組か」と思うだろう。しかし、自分が「負け組」だという自覚はあまりないのではないか。「勝ち組」でなくても、海外旅行に行ける、家にはケータイやパソコンがあり、時々であればちょっと贅沢な外食もできる。決して「負け組」=「貧乏」ではないのである。

 だが、この図式は「一億総中流」という考え方に支えられている。日本が戦後に高度経済成長を遂げて、いかにも日本的な横並び意識によって日本人全員が「金持ちというわけではないが貧乏ではない。自分はいわゆる「中流」なんだ」と思った考え方である。そして、努力して良い学校や会社に入れば上流にもなれると信じていた時代だ。

 しかし、この「一億総中流」は崩れてしまった。日本がアメリカ型の市場主義を受け入れていく以上、金持ちに金が集まるシステムは強化されていく。マイクロソフトの社長ビルゲイツ一人で、下位45%(およそ一億五千万人)分の資産を有していることは有名な話である。アメリカの南部を襲ったハリケーン・カトリーナを思い出してほしい。あの時、自家用ジェットなどを持っているわずかな富裕層は真っ先に逃げた。その他の大多数の下流層は避難することもできず、電気や水道がストップして衛生状態の悪化によって病気になっても、健康保険を納められないために病院にも行けなかった(そのかわり、ここぞとばかりに街を襲って略奪を繰り返したが)。現在、アメリカは1%の富裕層と99%の下流層によって構成されている国である。

 やがて、日本も、そうなる。

 経済的に格差が出始めると、次第に「希望」にも格差が生まれてくる。金持ちはますます金持ちに、貧乏はますます貧乏にというシステムが見えてくると、教育・就職・結婚などの局面で「どうせがんばってもはい上がれない…」という思いが芽生えてくるのだ。これを社会学者の山田昌広は「希望格差社会」と呼んだ。日本が資本主義社会、つまり競争を強いられる社会である以上、すべてが平等というわけにはいかない。それに関しては、「スタートラインが同じならゴールで少々差が出るのは仕方がない」として目をつぶってきた。しかし、「希望」の喪失はスタートラインにも格差を生む。現在は、平等な社会などでは、ない。これらの弊害は日本においては、フリーターやニートという形で出てきたし、不満は「ナンバーワンよりオンリーワン」や「自己責任」という言葉で誤魔化されている。

 暗い話ばかりである。右を向いても左を向いても。時代のせいだと言ってしまえばそれまでだが、じゃあ、戦争やってた時代に戻るか?と言われるとそれも困る。大変陳腐な結論で申し訳ないが、どんな時代状況であろうと、一生懸命に「希望」を持って生きるしかないのである。自分に見切りをつけてはいけない。自分を諦めちゃいけない。安西先生だって言ってた。「諦めたらそこで試合終了だよ」と。