さっと

東北・秋田県南での田舎くらし

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2024-03-09 07:27:21 | 日記
今まで一番感謝していることは?

感謝の心って(残念な事に)あんまり持っていませんわぁ。
産まれてきたことや、今まで生きてこられたことに感謝しないといけないのでしょうが、そもそも、家を継ぐために生まれてきただけの人なものですから・・
それでも病弱で「二十歳まで生きていられるかどうか・・」というご信託のようなモノをいただいた私が、こうやって生きていられることに=色々な方々のお力によって生かされていることに感謝しないといけないのでしょうけれども、既存の宗教心のようなモノが無い私にとって、具体的な感謝を表すことは出来なくって・・・こういうのが、人間として弱いところなのかもしれませんね。




今日は旧暦一月(小)廿九日 茨木鹿島時神宮祭頭祭 六白 大安 みづのえ・さる 廿八宿は「氐」の土曜日
ここいら辺の地域・一斉に中学校の卒業式がある日です。



昨日、月に二回しかない一般部の夜の書道練習に行って22時過ぎに自分の部屋に戻って来たら、テレビで「ボブ・ディランとフォークソング」についての放送がありました。
私たちは、フォークソングが本当はどういう内容のものなのかを理解しないで、自然にその中にどっぷりつかって育ちました。
(英語の歌詞をちゃんと理解できていた人もいたのでしょうが、私にはそういう時代・時流なのだ・・としかわかっていませんでした。)
世代的には多分、ちょうどフォークソングとグループサウンズの過渡期の世代なのではないのかと思います。
私たちが物心がつく頃の学校の先生方は、反戦活動に熱が入って時期だったのだと思います。
その頃におしえられた歌は、そういう傾向の歌だったような気がします。
今考えると、教科書には載っている・載っていないに関わらず、沢山の反戦歌(原爆でなくなった女の子の「とびらをたたくのはわたし・・」から始まる歌や”マイ・ボーニイ・イズ・オーバー・ザ・オーシャン”と歌うのも反戦歌ですよね?)ピアノを引く女の先生やギターを弾く男の先生がいろんな歌を教えてくださいました。


♪ 学生でにぎやかな この店の
片隅で聴いていた ボブ・ディラン


「ボブディラン」という言葉・人の名前は、こういう歌詞で知りました。
「かぜにふかれて」という反戦歌も、まだ幼かったこともあって、
歌詞がわからないのですから、ただメロディを聞いてその曲だと分かるだけでしたし。

こういうのは随分前の話で、歴史の彼方の話なんだと思っていたのですが、
そのころの関係者が、高齢にはなっていても、アメリカではまだたくさんの方が生きていらっしゃるのですね。

私が社会に出たころには、いえ、その前から、もう日本のフォークソングは、反戦歌ではなくなっていたような気がします。


さて、今日は施設勤務者を送って行って、今夜の書道教室会場の準備をしなくっちゃ。
温泉行きの電話も、今、入りました。忙しい一日が始まります。


東成瀬村ではなく、横手駅前ゆうゆうプラザに5月31日まで有効の券があったので、300円引で800円の入館料となりました。女風呂は一階でした。


御昼の食事は、メニュー見開きのここにはのっていない税込1298円のお手軽御膳で、ご飯は半分にしていただきました。


夕方からの衝動教室は、半分しか参加が無くって・・早目に終わりました。
そうはいっても、終わってから自分の3月号の14種類を一枚でも清書・消化することはできませんでした。
あと十日かぐらいで、全部を仕上げなくっちゃ・・
気合を入れて、せめて一枚ずつは書かなくっちゃいけないんだけれども。
コメント
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