団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の54年 8 私とラーメン2

2019-01-23 21:32:24 | 食いしん坊

中学校時代の友達S君は戸塚4丁目(現在の高田馬場4丁目)の米屋の次男坊です。

私も次男坊で気が合います。

今年のクラス会も一緒でした。

彼は商才に長けていたのか、60代に高田馬場周辺の土地を買い不動産会社として成功し、地元の大地主になっています。一方同じクラスのY君は戦前から、この界隈の大地主で一人っ子60代でクラス仲間としては早い他界でした。

今、Y君の家は跡形も無く家族も何処かへ引っ越したか?消息はS君にもサッパリ解らないそうです。

S君と私は当時も今も親友同士で早稲田の中学校に通った3年間お互い帰り道が同じなので良く二人で語らいながらの下校でした。

早稲田から高田馬場駅迄、今思えば何を喋ったか、或は口角泡を飛ばしてペチャクチャと・・高田馬場駅迄で青臭い議論が終わらずに、再び早稲田迄語り続けた事も有りました・・文字通り楽しい青春時代の1ページです。

ところでラーメンの話、当時は中華そばなのですが、当時、麺の上に乗っているチャーシューは必ず1枚と決まっていたようです。勿論、麺の上にチャーシューが何枚も敷き詰められた豪華なチャーシュー麺も有ったでしょうが、私達中学生の小遣い銭では中々食べられなかったのです。

学校の帰り道、お腹も空いて来て、何時しか食い物の話になりました。「な~Sよ、中華そばに乗っている薄っぺらのチャーシューだけど・・もっと厚い奴食ったら旨いだろうな~」「それもそうだな~・」「ウン・・」

偶々高田馬場駅近くにY君の親戚で大きな肉屋さんが有ったのです。近くには中華そばの店も有ったのですが、今回は二人の会話の目の前に青柳と言う肉屋さんが有ったのです。

肉屋ですからコロッケとかメンチとかも有ったでしょうが、二人の目的はチャーシューのみ・・

「幾ら位するんだろう?100gか?200gか?・・」私が握りこぶしを作って「こんなもんだろう・・」

話し合った結果、一人50円づつ出し合い合計100円の予算で肉屋さんへ・・・

店の主人は何も知らないから目方を計って丁度100円分の塊を・・大きさは正解、中学生の握りこぶし程のチャーシューの塊が紙の袋に入れられて私達の手にはいったのです・・

流石に人の多い駅前通りで此れを分ける訳にはいかず、鞄を肩から下げた学生服姿の二人は、傍らの横町へ入り込み、袋から取り出したチャーシューの塊を私が両手両指で二つに千切って(勿論包丁等は持って無い)・・と言っても中々上手くは二つに割る事も難しい・・然し幸い辺りに人は来ない・・やっと二つにして・・向き合って二人同時に「ガブリ?・・」と・・・???

チャーシューは中華そばの上で食べるのが1番・・でも二人には満足のチャーシューだったのです。

 今日のお昼は懐かしい京樽のお寿司です。「お父さん茶巾を食べて」「ウン」半分こにしようとしましたが、結果無惨?久し振りなので茶巾の縛りに気が付かない食いしん坊の私です。茶巾寿司を含めて殆ど私が平らげてしまいました。ゴチソウサマ

 

 

 


常盤平団地の54年 7 私とラーメン 1

2019-01-22 21:29:35 | 食いしん坊

朝ドラでは今朝から即席ラーメンを思い付く映像が流れています。

小さいときから食いしん坊の私には発明など縁も有りませんが・・

ラーメンの関する思い出なら幾つか・・

今から70年余り戦前の事、あれは私が国民学校(現在の小学校)1年生か2年生の頃の話です。

戦争の影が忍び寄って来てはいたのでしょうが、戸塚町3丁目(今の高田馬場4丁目の辺り)の大通りから横町に入ったこの路地の中程左右には銭湯青山湯、遠山理髪店が向き合って昼夜近辺の人で賑わっていたのですよ・・

 今残っているのは米屋さんだけです。 戦前からの老舗に挟まれて大通りは右も左も国際色豊かな学生さんが行き来する繁華商店街です。

その他この横町には、入り口角に熊田畳屋、松田米屋、守屋魚屋に・・他に神田川に近いこの地域では以前から染物屋、染み抜きや、織物の卸店も・・夜になると、灯りが付いて、どこかギヤマン?異国情緒のカフェも有ったのですよ・・私の家は数年前下谷(上野の近く)から家族で引っ越して来た町工場でしたのでお客の出入りは有りませんでしたが・・騒音だけは酷かったようですが当時は「煩い!」なんて苦情も無く・・でも当時は軍需で父は工員さんを数人雇って・・話が長く横道に逸れそうなので、そんな話はさて置いて・・・

煙突の聳える銭湯青山湯の横丁の角っこに、店主オヤジ一人の小さなチャンポンそば屋があって・・夕方になると赤っぽい灯りが付いて・・お風呂上がりのお客などがカウンターだけの店内でイッパイ引っ掛けて帰る寸法です・・

昼間、この辺りで蝋石で路上に丸い土俵を描いてお相撲遊びや缶蹴りしたり、入り組んだ横町でカクレンボしたりで遊び疲れた五、六人子供達・・夕食前のひと時、チャンポンやの前の道路脇の縁に並び、しゃがみ込んで何と無く灯りが点いた提灯と店内の灯りが照らす曇りガラスに目が行きます・・

ボ~っと薄明るい店の窓に、やがてカウンターのお客らしいの人の横顔が映りだして・・・

お客はお酒を呑み出したのでしょうか・・コップでしょうか持ち上げてグイっと一杯・・旨そうです・・

待ってましたとばかり私達ガキ一同は「イッパ~イ!・・・」飲み終わると人影は静かに動きません・・ガキどももジッとして、固唾を飲んで次のお客の動きを見つめます・・次の瞬間「二~は~い!・・」・・暫らくの間、路地は静寂と沈黙が重なります・・・その時「君ちゃーん・・ご飯よ~・・」子供達今日も仲良く元気に遊びました・・辺りは暗くなって夫々が直ぐ近くのお家に散っていきます・・

大通りから高田馬場駅方面は当時も賑やかな商店街でしたがラーメン屋はおろか中華そば屋も存在してた記憶は無く、子供の足で動ける範囲では、この居酒屋風のチャンポンそばが唯一の戦前の中華蕎麦屋だったように思います。

そう、今思い出しました・・下谷稲荷さんの脇、父が一人の町工場の隣で小さな煎餅屋を営んでいた母、高田馬場に引っ越してからでも、私を連れて高田馬場駅向こうの早稲田通りのお店にお煎餅を買いに一緒に付いて行ったことが何度か有りました。

お煎餅屋さんの隣のお店の決して綺麗とは言えないショウケースの一番下に大きな鯉の丸揚げ(今思えば蝋細工の商品見本だったと思いますが)が一匹飾られていたのです。ホコリを被って黒っぽい鯉の丸揚げでしたが、値段は書いて無かったか?或いは時価の表示だったかも知れません。

「こんな大きな鯉の丸揚げが・・」と見つめる私に母親はお店には興味なかったみたいで・・或は私に鯉を食わせろとねだられるのが怖かったのかも知れませんが・・

何度か母とお煎餅屋へは行ったのですが鯉の姿はいつも変わりなく魅力的で、どんなお店だったかは覚えていないのです。若しかして中華料理のお店だってかも知れませんが・・そして中華そばが有ったかも知れませんね・・

朝晩血圧を計り始めてから、お煎餅は口にしていません。中華そばも、カップ麺も残ったおつゆは胃袋迄運ばない昨今の私です。

 野菜中心で具が沢山入った酒粕入りのけんちん汁を作って呉れました、これならおつゆも飲み干しても大丈夫と・・ゴチソウサマ

ウインドウズが如何のときな臭いメッセージが出て来てます。今夜はこれで・・シャットダウンします。

 


常盤平団地の54年 6 IXY180

2019-01-20 10:21:19 | 日記

外出する時は右のポケットに使い慣れているIXY180を入れて持ち歩きます。故障IXY180と新しいIXY200とスナップ写真のニ刀流でご機嫌なんて・・一時のショックはスッカリ忘れているお調子者の私です。 

 お月さんコンニチハ~ 

 


常盤平団地の54年 5 今年は遅めの成田山初詣

2019-01-19 11:56:04 | 夫婦

13日日曜日成田山遅い初詣・・但し家内は兎も角、正直私は全く仏様を信じません・・ダメ男

楽しみは、下り坂参道の商店街冷かしと昼飯に利用する参道途中脇道を入った場所に位置する中華料理店豚珍肝の馬賊ラーメン、そして妻は好みの五目炒飯。

 いつもの通り、食いしん坊食べかけバカリで絵にならず。

他に餃子を一人前注文、仲良く二人で食べようとしたけど、妻は一つだけ、勿体ないのであとの4つは私の胃袋に詰め込んで・・

食べている最中も店内に入れないお客様が外でお待ちになっています。

二人は休む時間も無く、一生懸命食べて、席を立ち腹いっぱいの儘レジへ急ぎました。

フッと気が付くとレジの下に張り紙が「3月末を持ちまして当店は閉店とさせていただきます、永い間ご贔屓戴きまして有難う御座いました」とは・・「お母さんこれ見て!」「アラ~・・・」ガッカリ・・

矢張り、店主及び従業員が高齢になって経営が厳しくなったとの事、跡継ぎの事は聞けずに今日はお腹一杯でお店を後にしました。「お腹一杯ね~」「餃子は余計だったかな~・・でも旨かった、馬賊ラーメンも・・でも来年はもう食べられない・・」

成田市の豚珍肝は食べログ等で参照してください。

食いしん坊 おせちの食べ過ぎ 未だ懲りぬ 満腹で 下り参道 転げ落ち 本堂へ 登り石段 仏縋れず

昨年7日の初詣の時は参道がギュウギュウ詰めで身動きならず正門迄の500mが1時間以上掛かったけれど、この日はマアマアの混雑で正門迄辿り着き、休む間もなく急な本堂への階段を登り始めたが・・腹一杯で、息が切れかかっても後ろからの参拝客に急かされて、小さい声を絞って「イッチニサンシゴオロク・・・」・・

登り終わった瞬間に妻が「?段よ・・」と言ったのだが覚えていない・・ヒシヒシと寄る年波、そして体力の衰えを激しく感じながらも、ヨロヨロと賽銭箱の前に近づくと私の手の平にお賽銭?・・見ると100円玉1個、躊躇する私を尻目にサッサと賽銭箱にコインを投げ入れて拝んでいる。如何したかは本堂の奥深くに鎮座されているご本尊と私一人が知っている?・・ヒントは私は生き仏様を見た事が無いから・・・

賽銭の小銭自腹で出し惜しみ仏心を疑う吾は

それでも例年通り成田山裏の公園を一回り・・未だ一向に腹は空く気配が無いし足も重くなるばかり、今日は何と階段の多い道ばかり歩く羽目になってしまったのかと嘆きつつ正面口迄下り坂を歩きます・・陽射しは西に傾いても成田詣での人の列は止まりません。

 参詣終わって成田山直営の休憩所で無料のお茶を戴いてやっと一息・・

帰りは成田線で我孫子へ千代田線で新松戸乗り換え新八柱乗り換え(又階段かよ)新京成で常盤平駅へ、陽の有る内に団地我が家へ辿り着く・・行きも帰りも皆様に席を譲られて年寄り気分に浸る夫婦でした。

腹一杯で歩くのは久し振りの事、1月13日は石段、階段、坂道が多くてエネルギー消耗の日でした。

来年の豚珍肝は有りません。この街に、あの町で気楽に入れるラーメン屋さんが閉店に追い込まれるのは、本当に悲しい限りです。

勿論団地周辺にもチェーン店はあるでしょうが、何でしょうか、何かが違うのです。

次はラーメン屋さんの事を考えたいと思っている食いしん坊の私です。ゴチソウサマ

 

 

 

 

 

 


常盤平団地の54年 4 冬の散歩道

2019-01-18 14:22:49 | 夫婦

幾つか在る私の散歩コースもの内、一番楽しいのがこのコースです。

常盤平団地から新京成線五香駅まで歩くと往復5千歩チョッとで「年寄りの散歩には最適だ」と自分で勝手に思い込んでいるのです。

五香駅周辺はアーケード商店も有って、私みたいに買い物もしないで冷かし気分の散歩には毎回充分の変化が有ります。

 散歩途中のネギ農家さんとはご家族が外へ出て来られて、お見掛けした際は、私の方からご挨拶して色々お話を聞いたりしています。

 この大根、私の目には伸びすぎているように見えるのですが、前方の葉っぱ野菜も葉緑素タップリ?・・この次にネギ農家さんをお見掛けしたら訊いて見たいと思っています。

きっと叱られるでしょうね。「勝手に育ったんだから・・」プロに下手な質問は失礼ですから・・

今年は家内が付き添い?での同伴散歩が増えると思います・・有難迷惑と言いませんが、話しかける妻に耳が遠い私は只々聞き流しで「ウンウン・・」・・辺りには人の気配も無く、赤い冬の陽が広い畑に老夫婦の長い影を落として沈んで行きました。