団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

線路から我が家へ

2014-06-21 19:34:24 | 日記
焼け跡に父の建てたバラック住宅、私達3人を母が迎えてくれた。母の眼に一年余りの疎開で痩せ細った我が子の姿がを見て、無事帰って来た安堵の気持ちが交差したか、対面の母の顔は覚えてるが、その後、暫らくの様子には、今全く記憶に無い。只それから数週刊で終戦を迎え、焼け跡の銭湯の煙突の上空をグラマン機が飛来、機胴体から米兵が手を振っているのを見て、思わず手を振ってそれに応えてる自分を思い出した。周りに誰かが居たか不思議に覚えてない。爆音だけ、そして次々上空を通り過ぎて行くアメリカの飛行機を眺めてる自分がいた。屋根も壁も焼けトタンノのバラックに7人の家族の内の一人としての貧しかった、生きるための生活の始まりだった・・(いつか山手線線路で子供の頃の危険な遊びも、草軽電鉄の線路の楽しかった思い出もお話させて下さい)

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