団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の50年80(紅赤)

2015-10-25 16:46:46 | 日記
NHKで三芳町の紅赤サツマイモの収穫を報じていた。近頃耳慣れない名前だが私には懐かしいあの紅赤である。戦後間もなくの頃、母が近所のお友達と一週間に一度買出しに行ってはこの紅赤と言う上手いサツマイモを5貫目位リュックサックに背負って帰って蒸した紅赤を頂いたものだ。やがて母はその友人と仲が悪くなったようで私を連れて以後二人で西武線(当時は高田馬場が終点で有った、従って西武新宿線とは言わなかった)で川越の一つ手前の駅、南大塚で降りて歩いて入間川を渡って(当時は橋が無かった、歩いて川を渡ったような記憶が有る)又、歩いて一軒の農家にたどり着く。母は5貫目(1貫目は3.5㎏?)私が3貫目それぞれのリュックに背負って夕暮れ道を駅まで無言で歩いた気がする。母は後ろから私を何時も気遣って呉れてたようだが・・・
それまでは西武線東村山駅の近くの農家で菊芋と言う農家が配給用に作った収量の多いサツマイモが買出しで買える芋で有った、そんなサツマイモでも母は必死に食い盛りの男の子5人(兄が中学、私が2番目以下一つ置きに5人の男の子、母も大変だったろう)を食わせなければならなかった。父が仕事をしてたが機械職人で当時買出しに来た事は無かった。それが不思議では無かったのは今でも解らない、父とはそう言う者だと思っていたようだ。話が逸れたが東村山の農家で、若い嫁さんがいて、ある時買出しに行った時、母に「明日は金時を掘るよ・・」と教えてくれた。途端に母は「えっそうなの?明日又来て良い?」翌日私は学校が有るので母一人出かけて金時芋を何貫目か買ってきて、これはご馳走で有った、今でもその金時芋の事は忘れない。でもその農家ではそれからも菊芋しか分けてくれなかった。自家用に美味しい芋を、供出用には供出用の芋を、それがその農家では普通で有ったようだ。いつの間にか母は川越に近い南大塚駅から入間川の先のこんな遠い農家に(若しかしてそこが三芳村だったのかも)買出し先を見つけたらしい・・それが紅赤であり紅赤金時と言う美味しい美味しいサツマイモなのである。そうそうその時、時々その農家でカンロク(たいはくとは違う)と言う中が白いのに蒸すとホクホクしてして、冷たくなっても美味しいサツマイモが有ったが、あれは如何したのか、もう作られてはいないのか三芳町の農家の人「教えて下さいませんか?」

最新の画像もっと見る