団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

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2014-03-22 18:34:35 | 日記
母が闇市に露店を出して売る品は限られてたが、兄の担任の教頭先生の実家が米問屋だったようで、家族の多い我が家に陰で援助してくれてた。小麦を脱穀して小麦粉を取って残った皮のことを「ふすま」と言って、これも食料品だった。母はこれを分けて貰って露店で売ったのだが、私が母の代わりに一人で何時もの場所に店を広げて(と言っても例の木箱の上に1合升を置いて、ふすまを1杯置いただけの事)待つこと暫し、隣の店は何時もの世話人の年寄りの店で、何を売ってたんだか、思い出せない。ゾロゾロ店の前を人が歩いていくのを、ボーっと眺めていたその時、4、5m向こうから歩いて来た3人連れのおばさん達、「アッ、ココ、ココ、此処よ!」と言って私の目の前に立つと、しゃがみ込んで指差しふすまに向かい「コレ頂戴!」連れの二人も「私も!」「私にも!」最初に声を掛けてくれたおばさんが「此処のふすまは、其の侭、固まるのよ!」その後それを見てた周りの人たちも次々に買ってくれたので、持ってきたふすまは瞬く間に完売。世話人のおじさんが売り上げのお金を纏めて呉れてニコニコして「良かったな~坊や、これで今日はもうお帰り」・・帰り道ふすまを売ってる他のおじさんの畳4畳程の大きな露店、おじさんの横に大きなふすまの袋、人々はそれを横目に通り過ぎて行く・・バラックの自宅に帰り、今しがたのことを告げると、「やっぱり山岸先生のお蔭、先生は奥さんには内緒で私が持ち帰るふすまに小麦粉をわざわざ升一杯分混ぜて持たしてくれたの」良い大人たちに恵まれた戦後では有ったようです。

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