さらふわ日記

さらちゃん
素敵な女の子になってね!

久々華やかな世界へ

2013-04-28 00:38:51 | Weblog
PAPAちゃんのお仕事関係のレセプションへお邪魔してきました
    
久々の夕刻からのお出掛けに華やかな世界
足の長いモデルお兄さんに、キラキラお姉さん
プレゼントやイベントがあって
SARAはなんだかハイテンション
お手手にヌードジュエリーをつけてもらって
ルーレットで当たりを出して、大満足

仕事をするPAPAの姿を見るのも久しぶり
見かけたら走って駆け寄りたいのを、かわいそうだけど我慢してもらいました
お仕事中だからね
後々「PAPA、頑張っていたね★」
  
シャンパンのサービスに気をよくするMAMA
「なんだか良い気持ちだね」
「酔っ払って帰れなくなったらどうするの?」
「大丈夫さ」
「SYOUJI君との時みたいになったらどうするの?」
と危機感を募らせるSARAでした

平日中日で、お天気も雨模様なので、行くのに躊躇しましたが
たまにはこんな華やかな世界もいいものでした


四十九日から納骨へ

2013-04-13 16:28:47 | Weblog
じじちゃんをお家からついにお墓にいれなくてはならない時がきました

寂しいです

25年4月13日
真栄寺で供養をし、そのままお墓へ
お天気がとってもよくって温かい日
じじちゃんが気持ちよくお空へいったのを感じる一時でした

四十九日は親族だけで
皆がじじちゃんを偲んでくれてありがたいです
よかったね、お父さん
 

もりもり成長しています

2013-04-12 23:40:56 | Weblog

まあしっかりご飯を食べるSARAです
レバーや野菜・肉・魚なんでも好き嫌いなく食べてくれます
肉付きが結構良いので・・・
お菓子はある程度で制限するようにしていますが
MAMAが大食いなだけに、基本量が多いのかもしれません・・・
この度の身体測定
身長120.6センチ 体重24キロでした
着実に育っていってます




お勉強も難しくなってくるそうです

2013-04-12 00:49:58 | Weblog

有難いことに「お勉強は結構好き」というSARA
一番好きな科目は「図工・生活・学活」だそうですが
算数も国語も先生の教え方がいいのか、全く苦ではないようで、良いことです

入学してすぐ「ひらがな⇒カタカナ⇒漢字」へと移行
学校でやる時間はあまり設けられないから、自宅宿題学習がメインとなってるようです
保護者会ではしきりと「難しくなるから家でのケアを」と言われ
「ゆとり」が終わり、指導要綱も大分変更されているそうです
確かに漢字がぐっと難しくなってきました

家での勉強は宿題のみ
漢字がこれから2文字になるそうです

字はとっても綺麗なんだけど
よく言えば丁寧、悪く言えば本当に遅い・・・
我が家のルールは「宿題を終えて遊びに行く!」
習い事前も必ず公園へ向かいたいSARAなので、
遊ぶ時間がなくなるから、となんとか終えるよう頑張っていますが
てきぱきが身につくといいなと思います

算数は自分の中で得意意識があるらしい
こういう意識は良いことだなと感じています
が、そろばんはもう掛け算を終えて、今は割り算をやっています
学校の勉強とは違い、ものすごく脳みそを使うらしく
ぐっと頭が疲れる日があるそうです

始業式

2013-04-11 13:18:55 | Weblog
1年生最期の日

黄色の帽子とランドセルカバーもお別れです

2年生最初の日

カバーを取った自分のランドセル「こげ茶×ピンク」が改めて「可愛い~」と大満足
「シンプルにして良かった~」だそうです

初・溶連菌

2013-04-09 13:22:33 | Weblog

「ようれん菌」とは名前は聞いていましたが
幼稚園や仲間内で流行っても、SARAは今まで感染することもなかったので、特に気にしたこともなかった名前
言われて見れば一昨日位に「頭が痛い」「目が痛い」と口にしたのですが
その日ちょうどDVDを借りてきて、連続して見たこともあって、「TVの見過ぎだね」と判断してしまったMAMA
ちょっとお疲れかな?という感じはあったのですが、熱もまったくなかったのでその日はそのまま就寝

ところが翌日学校から帰ってきたSARAの足に赤い斑点がっ!
ほぼ膝下だけに出たので、変な虫の刺されたのかも?と皮膚科を受診
そちらでも「虫による蕁麻疹」との診断で、塗り薬だけをもらって帰宅しました

翌朝、ひどい赤い斑点が太ももからした全体に広がり、腕にも少しだけ出ていました
土曜朝にやってる病院を探し、受診すると、的確に「これは溶連菌です」との診察
併設の内科も受診で菌を感知、お薬を無事いただきました
薬を10日間しっかり飲むことで完治するから必ず飲みきるように、との忠告

お腹にもお顔にも全く出ずに、足と腕だけ赤い斑点が出るのはこの病気からの特徴らしく
「紅形斑点」というらしい
皮膚科の先生が的確で助かりました
今夜は熱が出るかも?と言われましたが、熱症状はまったくなく過ぎました

薬も飲みきり、斑点も引いた頃
なぜかすっきりしないSARA
足を見てみると、また新たな赤い斑点がほんの少し出てきてるっ!
慌てて受診すると、また溶連菌が軽く出てるとのこと。
残っているのかもだからと再度薬を替え5日間飲みました
ようやくすっきりかな?

じじちゃんが具合悪くなってから1ヶ月、亡くなってしまってからの1ヶ月
追われるようにずっと忙しかったので、SARAにも無理させることが多かったのかもしれません
21時就寝を守れない日々も結構あったし、免疫力が少しさがっていたかな?
健康第一なので、休養しつつ、新学期生活に向かわなくては!です

練乳いちごパン

2013-04-07 16:56:45 | Weblog

美味しい練乳イチゴパンがあるらしいと
PAPAが連れて行ってくれました
三宿にある「LA TERRE」
お目当てはラスト2個、ギリギリセーフでした
これももちろん美味しかったけど、細いフランスパンに中は小豆たっぷりのがMAMA的にもSARA的にも美味でした!
SARAは相変わらずフランスパン好きです


御経と写経

2013-04-06 17:57:55 | Weblog
 

父の葬儀から
初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日と七七日(四十九日)まで
真栄寺のお坊さんが家にきてお経をあげてくださいます
SARAも経本を見ながら大きな声で唱えています
経本がひらがながふってあるのと
音とリズム、大きな声を出すこと、がなんだか新鮮で楽しいようです

写経も四十九日法要に備えMAMAと書きました
じじちゃんに見守られ、じじちゃんを想いながら書いていました
「為 じじがお空でもしあわせでありますように」

きっとじじが喜んでいるよ
ありがとうね

じじの最期

2013-04-05 22:06:30 | Weblog
3月5日私達の優しいじじちゃんがこの世を去ってしまいました

じじが調子を崩したのは今年の2月の頭のことでした
12月のクリスマス会では誰よりも沢山食べて飲んで、サンタさんの格好をして孫を喜ばせ
1月のお正月会でもやはり誰よりも良く食べて飲んで、いつもの元気な姿を見せてくれていました
顔色もいいし、食欲もあるし、毎日15000歩歩いて鍛えているし、元々頑健な体の持ち主なので
すっかり安心しきっていました

喉に食べ物がつまり始め「老化の一つ」と診断されて胃薬をのんでいた1月
でもやっぱり症状が変だと地元の総合病院に行ってもらうも、同様胃薬を出され、
念のための検査の日時はのんびり2月14日。
そうこうしている間に、やっぱり変だと、気乗りしない父を急かし、
検査日程を早めてもらったのが1月30日だったででしょうか

2月にはいると体の痛みが出始めていました。
出始めたらあっという間、日に日に痛みが増し、体調が悪くなっていきました。
首を長くし待った検査結果「食道癌」の告知が2月6日。
既に紹介先をと段取っていたので、国立癌センターには翌日7日には診察予約がとれました。
本当優遇してもらえ最短での検査日程、結果が一週間後でしたが
父は痛みに耐え抜いた1週間となりました。

2月14日
「食道癌、肺にも肝臓にも転移、そして骨にもリンパにも転移している」
「もう手術はできない」これが最初の外科での診断結果。
手術は出来ないからと「抗がん剤と放射線の治療を」と内科の先生に担当が替わります。
が、当日の血液検査の結果がひどく悪く、このまま緊急入院の運びとなりました。
この日が歩いた最期の日でした。


「抗がん剤治療の副作用を考えると、逆に命を短してしまう。治療はもう放射線だけ」
「とにかく痛みを抑えましょう」とモルヒネの治療が即始まりました。

入院後、痛みはどんどん強くなり、モルヒネの数値もあがっていきます
顔も急に黄色くなりました。
点滴をしてるのもありますが食欲はいっさいありません
大好きだったお酒は1ヶ月口にしなかったね

おトイレに行くのが一苦労
痛みと戦いながらも、我慢強い父は日々懸命に治ろうと頑張っていました
母・姉・私の3人で、本当父に寄り添い、傍に居れるように勤めた2週間
「産まれた時は男の子が欲しかったけど、娘2人でよかった」
と笑いながら口にしてくれました

その矢先「緩和病棟」ホスピスを薦められました

入院が決まった初日から宣告された余命
心の準備はせざる負えなくて
でもあまりの展開の速さに追いついていかないような日々でした
症例どおりに弱っていく父
せん妄も出始めました
ちょっとしたことに一喜一憂しながら
より一層に一日一日を本当大事に夜も付き添い
今出来ることをしてと家族でつとめた日々でした

最期の最期の時もあっという間でした
穏やかで辛抱強くしっかりしたお父さんのまま
優しくて気遣いで紳士的なお父さんのまま
みっともない姿もうろたえる姿も見せることのないまま
その堂々とした姿のまんまで、
3月5日最期の時を迎えました

家族皆が見守る病室で静かに息を引き取りました
立派な後姿でした
桜の花が散るように、パッと去っていきました

生意気な娘だったけれど
本当に愛情を注いでくれ、支えてくれ、大きくしてもらいました
伝えたいのは本当にありがとうの言葉だけ
感謝の気持ちだけです
ありがとう

1年生のSARAは分かるような分からないような
でもよーくじじちゃんの話をしてくれます
よーくじじちゃんのことを考えちゃうんだと言ってくれます
いつまでも優しいじじちゃんのことを覚えていてくれますように