さらふわ日記

さらちゃん
素敵な女の子になってね!

じじの最期

2013-04-05 22:06:30 | Weblog
3月5日私達の優しいじじちゃんがこの世を去ってしまいました

じじが調子を崩したのは今年の2月の頭のことでした
12月のクリスマス会では誰よりも沢山食べて飲んで、サンタさんの格好をして孫を喜ばせ
1月のお正月会でもやはり誰よりも良く食べて飲んで、いつもの元気な姿を見せてくれていました
顔色もいいし、食欲もあるし、毎日15000歩歩いて鍛えているし、元々頑健な体の持ち主なので
すっかり安心しきっていました

喉に食べ物がつまり始め「老化の一つ」と診断されて胃薬をのんでいた1月
でもやっぱり症状が変だと地元の総合病院に行ってもらうも、同様胃薬を出され、
念のための検査の日時はのんびり2月14日。
そうこうしている間に、やっぱり変だと、気乗りしない父を急かし、
検査日程を早めてもらったのが1月30日だったででしょうか

2月にはいると体の痛みが出始めていました。
出始めたらあっという間、日に日に痛みが増し、体調が悪くなっていきました。
首を長くし待った検査結果「食道癌」の告知が2月6日。
既に紹介先をと段取っていたので、国立癌センターには翌日7日には診察予約がとれました。
本当優遇してもらえ最短での検査日程、結果が一週間後でしたが
父は痛みに耐え抜いた1週間となりました。

2月14日
「食道癌、肺にも肝臓にも転移、そして骨にもリンパにも転移している」
「もう手術はできない」これが最初の外科での診断結果。
手術は出来ないからと「抗がん剤と放射線の治療を」と内科の先生に担当が替わります。
が、当日の血液検査の結果がひどく悪く、このまま緊急入院の運びとなりました。
この日が歩いた最期の日でした。


「抗がん剤治療の副作用を考えると、逆に命を短してしまう。治療はもう放射線だけ」
「とにかく痛みを抑えましょう」とモルヒネの治療が即始まりました。

入院後、痛みはどんどん強くなり、モルヒネの数値もあがっていきます
顔も急に黄色くなりました。
点滴をしてるのもありますが食欲はいっさいありません
大好きだったお酒は1ヶ月口にしなかったね

おトイレに行くのが一苦労
痛みと戦いながらも、我慢強い父は日々懸命に治ろうと頑張っていました
母・姉・私の3人で、本当父に寄り添い、傍に居れるように勤めた2週間
「産まれた時は男の子が欲しかったけど、娘2人でよかった」
と笑いながら口にしてくれました

その矢先「緩和病棟」ホスピスを薦められました

入院が決まった初日から宣告された余命
心の準備はせざる負えなくて
でもあまりの展開の速さに追いついていかないような日々でした
症例どおりに弱っていく父
せん妄も出始めました
ちょっとしたことに一喜一憂しながら
より一層に一日一日を本当大事に夜も付き添い
今出来ることをしてと家族でつとめた日々でした

最期の最期の時もあっという間でした
穏やかで辛抱強くしっかりしたお父さんのまま
優しくて気遣いで紳士的なお父さんのまま
みっともない姿もうろたえる姿も見せることのないまま
その堂々とした姿のまんまで、
3月5日最期の時を迎えました

家族皆が見守る病室で静かに息を引き取りました
立派な後姿でした
桜の花が散るように、パッと去っていきました

生意気な娘だったけれど
本当に愛情を注いでくれ、支えてくれ、大きくしてもらいました
伝えたいのは本当にありがとうの言葉だけ
感謝の気持ちだけです
ありがとう

1年生のSARAは分かるような分からないような
でもよーくじじちゃんの話をしてくれます
よーくじじちゃんのことを考えちゃうんだと言ってくれます
いつまでも優しいじじちゃんのことを覚えていてくれますように