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随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

和紙の歴史  中国古代の紙

2006-06-13 09:17:18 | 紙の話し
中国古代の紙

中国では、紙の発明以前に、「紙らしきもの」は作られていた。   
 最初の紙らしきものの発見は、1933年に新彊(しんきょう)のロプノールの近くの前漢時代の烽火台(のろしだい)跡から発見されている。同時に出土した木簡に記年があり、紀元前四九年の表記がある。このロプノール紙は一九三七年の戦火で焼かれ現存しない。
この紙は「麻紙」で、紙質がきわめて荒く紙面にまだ麻の筋が残っていたという。
 その後、紀元前140~87年頃の前漢時代のものと推定される「麻紙」が1957年に西安市で発掘された。四川大学で化学検査をしたところ、大麻と少量の苧麻が含まれていることが判明した。           
 さらにこれより古いとされる麻紙が、1986年天水市の古墳で出土している。これは「放馬灘紙」(ほうばたんし)と呼ばれており、埋葬者の胸部に置かれていた長さ5.6㎝、幅2.6㎝の小さな紙片で、前漢時代の紀元前179~141年頃のものと推定されている。これは現在知られている中国で出土した最古の紙で、地図らしき物が描かれている。           

中国で発見されているこれらの古代の紙は、むろん世界最古の紙である。
 ただこれらの紙は、麻の繊維から出来ているが織物に近く、銅鏡などを包むのに使用された「包装紙」で、この上に文字や絵を書くにはあまり適さないものであったようだ。 ただ、もともと紙の用途は多用途で、物を書き記したり絵を描いたりするだけでなく、物を包む、汚れや水分を拭き取る、水やその他の溶液を濾過する、ものに張るなどさまざまな用途がある。


和紙の歴史  貝多羅(ばいたら)

2006-06-12 10:12:02 | 紙の話し
貝多羅(ばいたら)
   
インドでは古くから、ターラという樹の葉を書写材料に用いていた。
ターラは棕櫚(しゅろ)の葉に似たパルミランヤシ、コリハヤシの若い扇子状の葉を、幅七~八㎝、長さ六〇㎝ほどの長方形に整え、束ねて乾燥させる。乾燥したターラに、墨壺と糸を用いて五本の線を付け、先のとがった筆で葉の両面に文字を彫りつける。
 そこに油にすすを混ぜたインキを流し込み、熱した砂でふき取ると、文字の部分だけが黒く染まる。その各片をパットラといい、サンスクリットでは葉を意味し、漢訳では「貝多羅」「貝葉」とした。
貝葉は、一つの穴を開けて、紐を通してまとめられる。二つの穴を設けて、ノートのようにめくれるようになっているものあった。

玄奘三蔵(602~664)が、はるかな天竺へ行ったのは、中国で紙が発明されてから五百年以上もたってからであったが、インドから持ち帰った経文は、貝多羅を重ねて、両端を版木で挟み縄で結んだものであった。
玄奘三蔵がもたらした経典は五百二〇夾(きょう)であったと記されているが、「夾」とは、はさむという意で、貝葉の束を意味する。
むろん、その頃にはインドにも、紙は商品として渡っていたはずだが、まだ製紙法は伝えられておらず、高価で一般的ではなかったようだ。
或いは、聖なる仏典は、昔ながらのターラに書くべきだという、保守的な考え方が強かったのかも知れない。


和紙の歴史 パピルスとパーチメント

2006-06-11 14:56:26 | 紙の話し
パピルスとパーチメント

 古代の西方世界での書写材は、初は粘土板であった。         
 湿った粘土板に、葦の茎で楔形の文字を刻みつけた。乾燥すると極めて固くなり、保存性に優れていたが、やはり重く嵩張るために保管に苦労したであろう。
やがて、古代エジプトで、パピルスという優れた書写材料が発明されて、広く用いられるようになった。 
パピルスは、紀元前2500年頃のエジプトで、文字の使用と共に使用され始め、古代エジプトの重要な輸出品で、貿易の通貨の役割も担っていた。
パピルスは多年生の草本で、食料、船の構造材、縄、書写材など様々に利用された。書写材としての「パピルス」は、水草のパピルスの根に近い部分の髄を取り出し、薄い片にして水に漬けて叩き、長さを揃えて縦と横に並べて圧搾脱水し、乾燥させた後、表面を動物の牙などで擦って滑らかにして使用する。今日的な感覚では、紙というよりも原始的な布のようなもので、欠点としては文字が書きにくいことと、脆いことであった。片面しか記入できないことと、また曲げに弱いため30㎝四方のものを二十枚くらいつないで5mほどの巻物として利用した。
 「volume(巻物)」は、パピルスの巻物のラテン語表現を語源とする。
 「bible(聖書)」は、ギリシャ語でパピルスに文字を書いたものをbibloと表現した事を語源とする。そして、紙を意味するpaperがパピルスを語源としていることは周知のことである。これらのことは、古代世界でいかにパピルスが広く利用されたかの証左である。

パピルスの製造と流通は、エジプト王朝の管理下に置かれ、書写材のパピルスの製法は秘密にされていた。まさに国家の戦略物資としての地位を占め、それはサマルカンドで盛んに製紙が行われるようになるまで続いた。

古代における優れた書写材を開発したエジプトは、プトレマイオス一世(BC283没)の時に文明の象徴として、古代最大のアレクサンドリア図書館を作った。パピルスの書物は、天文、科学、文学、歴史、信仰、慣習などあらゆる分野に及んでいる。息子の二世フィラデルフォスがその充実に努め、蔵書は数十万巻といわれている。エジプト文明を彷彿とさせる壮挙であった。                     
 ところが、アナトリアのペルガモン(現トルコ共和国ベルガマ)におこった王朝のエメネウス二世(在位BC197~159)は、アレクサンドリア図書館の司書長を引き抜き、エジプトに対抗して二十万巻の書物を蔵する大図書館を作った。

 新興国のペルガモン王朝は、世界に文明国家としての存在を誇示したのだろうか。
 エジプトはアレクサンドリアを越える図書館の出現を喜ばず、パピルスの輸出を停止した。
このために、エメネウス二世は、パピルスよりも優れた書写材料の開発を命じて、生まれたのがパーチメント(羊皮紙)である。        
 羊の他に牛や鹿等の獣皮を、水に漬け石灰乳に浸して不要な毛や肉を取り除き、木枠に張り付けて乾燥させ水洗い後、軽石で表面を磨いて平らにし、最後に白色の鉱物の粉をすり込み不透明化した。

羊皮紙は、パピルスに比べてはるかに書きやすく、また強靱で冊子本を作るのに適しており、さらに保存性にも優れていた。このため、紙が普及するまでは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教などの聖書に使用され続けている。            
 ただとにかく高価で、バイブル一冊を書くのに羊五百頭分の皮が必要であったという。羊皮紙のパーチメントの名称は、ペルガモン王朝の名に由来している。




和紙の歴史 絹と紙

2006-06-09 10:15:42 | 紙の話し
絹と紙

紙が発明される前から、「紙」という文字はもともと中国にあった。
紙以前の「紙」はもともと絹の一種を指していたようだ。
紙の「糸」偏は「生糸を併せて一本に撚った形」、旁の「氏」は砥で砥石のように平らなことを意味している。

紙が発明される以前の書写材として、主として竹簡や木簡に筆墨で記録され、また紀元前七~六世紀以降には、「紙」という絹帛(細かく織った絹)などに記された。 
「紙」は貴(たか)く、役所の記録には竹簡や木簡が使用されたが、重く嵩張るため不便であった。

「紙」と呼ばれた絹帛 は、一匹(約50㎝×9m)の値段が米六石に相当したという程、貴重なものであった。
古代中国では絹を作るときに派生する質の悪い繭から、絮(じょ)という真綿をとり、防寒用に利用した。この絮を作るには、絹の繊維くずを竹筐の中で水につけながら、竹竿で叩いて晒して作った。この時に、簀の上に微細な繊維が薄い膜状に残り、それを乾燥させると、薄いシートになる。    
 これを漢代には、「紙」と呼んで書写材料として利用した。紙の一歩手前のものではあるが、原料がクズ繭とはいえ高価な物で、大量に作ることは不可能であった。 

 日本語では紙をカミと読むが、その語源には諸説ある。
紙の発明以前は、ガバノキ(樺)の樹皮に書いた(様々の樹皮や獣皮を利用した)ので、カバがカミに転じたという説と、竹簡・木簡の「簡」はカヌ、で音の変化でカミとなったとの説がある。
いずれにしても、ものを書き記すために、さまざまなものを「紙」として利用してきた。
農業が発達して、多くの人々が定住して村落を形成して暮らすようになると、それなりの組織を必要とし、その組織の維持のためのさまざまな記録が必要となっていく。
 記録のための文字の発明と同時に、さまざまな書写材料が試行錯誤で利用されていった。特に国家の成立は、組織的な記録の保存が重要な命題となった。
「紙」の開発には、多くの時間と研究投資が必要で、試行錯誤が繰り返されて開発された「紙」は、時として国家の戦略物資として、製法が秘密にされて、重要な交易商品となった。



和紙の歴史 連載企画 1

2006-06-08 10:39:16 | 紙の話し
随縁記を暫く休んだが、内容を一新して紙の歴史をシリーズでUPしていきます。


(1)章 紙の発明とその伝播


(一)紙以前の紙

筆と墨

記録のため文字が発明され、次いで文字を記すための筆記具が作られた。紙よりもはるかに早く筆と墨が発明されている。
通説では、筆は古代中国の秦の始皇帝の時代(BC221年に中国統一)に、蒙恬(もうてん)が発明したとされている。                    
 しかし、近年の研究により、今からおよそ3500年も前の殷の時代(BC1600年頃成立)に、すでに筆や墨が使用されていたと言われている。遺跡から出た甲骨文にも筆を表す象形文字がみられ、長沙地方で楚の古墳から、竹の軸にウサギの毛を糸で巻き、漆(うるし)で固めた筆が発掘されている。

墨は、黒い土や石墨(グラスファイト)、また炭を水で練るか溶かせば容易に作ることが出きる。このような原始的な墨は、筆よりも遙かに古く、紀元前3000年の新石器時代には知られていたという。
墨は、炭素の粒子が細かいほど筆記には都合がよい。現代のような油煙の煤(すす)を用いるようになったのは、周の宣王(BC827即位)の時代に考案された。 
明の時代の『天工開物』には、墨の作り方が詳しく図解入りで残されている。
煤は膠(にかわ)で丸く固め、必要に応じて適当な濃さに溶いて用いるようになった。 墨をする硯は、すでに漢の時代から使用されており、岡と池を持った現代のような形になったのは、唐の時代のころといわれている。 


 ■この記事の全文は、HP http://sano-a238.hp.infoseek.co.jp
の「和紙の歴史」に掲載しています。ご参照下さい。

水と和紙

2005-09-14 12:22:53 | 紙の話し
水と和紙

紙を抄造(しょうぞう)するには、植物から繊維を分離し、細かく砕いて水に懸濁(液体中に分散)させ、水だけを濾(こ)して、繊維を薄く平らに絡み合わせてシート状にして、乾燥させるという工程を経る。
近代的な洋紙の工業生産では、紙の生産量の約一〇〇倍もの水が使用される。
手漉き和紙の生産には、もつと多くの割合の水が使用される。

従って紙郷(手漉き和紙の生産地)は水に恵まれた所に立地しているが、その水は良質でなければならない。
大蔵永常の『紙漉必要』には、

「紙を漉くには山川の清き流れ有りて 泥気なく 小石にて浅く滞りなく 流るる川の浄地を佳とす。・・・ その所の水によりて 紙の善悪あれば まず水を見立てること第一なり。 」
とある。   

紙を漉く水は、浮遊物や鉄分やマンガンを含んでいないもので、しかもカルシュウム・イオンやマグネシュウム・イオンの含有量の少ない軟水であることが望ましい。
硬水は軟水のようには、粘剤(ネリ)を効果的に作用させることができない。
清らかな水から生まれる紙は、水に対して親和性があり、墨やインキで書くことができ、絵の具で絵を描いたり、染料で着色もできる。
また、紙に親水性があることは、水に対して極めて弱いという欠点も有している。
しかし、水によって紙が分解されるということは、一度使用した紙を何回も再生できるという長所にもなっている。

そして紙は、微生物によって分解されても、火によつて燃やされても、本来の炭酸ガスと水とに分解して行く。
(現代の洋紙では、さまざまの紙力増強剤により、単純に水だけでは分解しないものも多くなっている。)


紙はセルロースの水素結合

そもそも植物繊維の主成分のセルロースは炭水化物で、水と炭酸ガス(二酸化炭素)が太陽エネルギーを得て、光合成によって生成した化合物である。
分子中には無数の水酸基(OH)を含み、水となじみやすい特性(親水性)を持っている。セルロースは、非常に多数のブドウ糖(グルコース)が長く一列に連なった線上の高分子である。                        

この長い分子が多数集合してフィブリルという微細組織を作り、これがさらに多数集合して繊維を形成している。
このようにセルロース分子が集合するときに、分子が密接に平行した部分(結晶領域)と、分子が無秩序にまばらに分散している部分(非結晶領域)とができる。各分子は非結晶領域から始まり、いくつかの結晶領域と非結晶領域と交互に連なり、非結晶領域で終わる。

植物から取り出した繊維を、水の中で叩解(こうかい)すると組織が緩み、水が非結晶領域の中まで入り、セルロース分子の各水酸基は水分子と結合し、繊維の組織の結合が緩んで膨潤して柔軟になり、繊維表面はセルロースを最小単位とするフィブリルという微細組織に分かれ(フィブリル化という)、全表面席が増大する。

このように微細繊維化(フィブリル化)した繊維を、簀(す)ですくい上げて絡み合わせて、圧搾して水を除くと、微細繊維は相互に密着する。感想によって、膨潤していた繊維は収縮して硬くなり、繊維の接触点では水酸基の間に水素結合が行われ、紙全体が形状と強さを保つようになる。
紙はこのように、水を触媒としたセルロースの水素結合である。

日本の紙幣

2005-09-10 10:38:47 | 紙の話し
日本の紙幣は、ひとつに「紙」に特徴がある。
つまり、三椏(みつまた)を主原料にした(詳細は機密である)「和紙」で出来ている。
和紙は長繊維で出来ており、肌触りがよく、しかも丈夫なのである。
和紙の主原料は、紙幣にも使われている三椏(みつまた)と、雁皮(がんぴ)、楮(こうぞ)である。

三椏は、春を告げるように一足先に、淡い黄色の花を一斉に開くので、サキサクと万葉歌人はよんだ、ジンチョウゲ科の落葉低木で、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分岐する特徴があるため、三枝、三又、とも書く。
古い時代には、植物の明確な識別が曖昧で混同することも多かったために、同じジンチョウゲ科に属する「雁皮」も「三椏」を原料としたものも、斐紙(ひし)(美紙ともいう)と総称されて、近世まで文献に紙の原料としての三椏という名がなかった。 
後に植物の知識も増え、製紙技術の高度化により、雁皮と三椏を識別するようになったとも考えられる。

「みつまた」の最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の慶長三年(1598)に、伊豆修善寺の製紙工の文左右衛門に三椏の使用を許可した黒印状(諸大名の発行する公文書)である
「豆州にては 鳥子草、かんひ みつまたは 何方に候とも 修善寺文左右衛門 より外には切るべからず」                         
とある。「かんひ」は雁皮(がんぴ)のことで、鳥子草が何であるかはよくわからないが、当時は公用の紙を漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じていた。

和紙の原料の中では、楮の繊維が最も長く、肌触りやや荒いが丈夫さでは一番である。
雁皮の繊維は、楮の三分の一程度と短いが、その質は優美で光沢があり、平滑にして半透明でしかも粘性があり緊縮した紙質となる。
遣唐使と共に唐に渡った最澄が、わざわざ土産として筑紫の斐紙(ひし)を、二〇〇張りを持参している。紙の先輩国である中国に、土産として持参できるほどに高い評価を得ていたことになる。平安期の公家の女流詩人たちに、かな文字を書くのにもっともふさわしい紙として愛用され、中世から近世にかけて、「鳥の子紙」の名で紙の王としてその名を知られているのが雁皮紙である。
江戸時代の藩札は、殆どが雁皮で漉かれている。

明治になって、政府は雁皮を使い、初めての日本国紙幣を作る事を試みた。
しかし、楮や雁皮は古来、天然の物を使っており、栽培が困難であった。
天然の雁皮を原料として紙幣を作ると、天候に左右されて紙幣の安定供給ができない。
試行錯誤したが、どうしても雁皮の栽培が困難で有るため、栽培が容易な三椏を原料として、丈夫で平滑で印刷に適した紙幣として最適な紙漉の研究をした。
その結果、明治十二年(1879)大蔵省印刷局抄紙部で、苛性ソーダ煮熟法を活用することで、三椏を原料とした日本の紙幣が使用されるようになっている。 

それ以来今日まで、三椏を原料とした日本の紙幣は、その優秀性を世界に誇っている。
手漉き和紙業界でも、野生だけで供給量の限定されたガンピの代用原料として栽培し、現代の手漉き和紙では、楮に次ぐ主要な原料となっている。現代の手漉き鳥の子和紙ふすま紙は、三椏を主原料としている。

もうひとつの特徴は、黒透かしの技術である。
越前美術紙と呼ばれるさまざまな技法のなかで、透かし技術は生まれた。
和紙の透かし技術は、簀(すのこ)面に凹凸を付けて漉くと、凸の部分が薄く漉け、他の部分よりも光が透過し易く、透かし紋様となる。
普通は、渋紙を紋型に切り抜いて簀に縫いつけ、紗を用いる場合は、漆で紋を描いて凸部を造る。中国では、糸で編んだものを竹簀(す)に固定し、ヨーロッパでは銅線細工で紋型を造った。
越前では、黒透かしの技術も開発された。
一般の透かしは白透かしと呼ばれ、紙に厚薄をつけて、その薄い部分が透けて見えるというものである。黒透かしは、単に厚薄の部分だけで透けるのではなく、明暗のある透かしを特徴としている。
この黒透かしの技術は、明治政府が紙幣に贋造防止のため採用し、一般には黒透かしは禁止された。
この当時の黒透かしの技術者は、明治政府の大蔵省印刷局抄紙部に全員採用された。このため、越前和紙では白透かしだけしか造られていない。

このように、日本の紙幣は、世界に比類のない和紙で出来ており、手触りが良くて印刷適正に優れ、しかも抜群の耐久性を誇っている。折り曲げや引っ張り強度に関して、世界に誇る強度を持っている。
偽札を、例え外国で高度な技術で刷しても、この紙質だけは絶対に真似ができない。
お札を改めてじっくり触り、他紙と比較してみれば、自ずからその紙質の違いが分かる。
洋紙と和紙の違いは、やはり手触りである。目を閉じて、洋紙などの紙と、お札の紙質の違いを感じてほしい。
さらには黒透かしを確認する。そうすれば、一発で、偽札を見抜ける。

和紙については、詳しくは、http://sano-a238.hp.infoseek.co.jp
又は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「和紙」の項目を参照されたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8