歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

1日1000秋

2013年11月21日 | 旅録 -travelogue-
【秋の東北・十二湖への旅 パート4。】

「リゾートしらかみ」の超ゆったりシートで、
滅多にご縁の無い ぜいたく気分を味わいながら。



さっき、十二湖駅の地産売店で買った大福もちを。

左から、
緑=笹もち。 オレンジ=ふかうら雪人参大福。 白=くるみ大福。

中身はみんな あんこ。



一気食い。


そうこうしているうちに、景色は流れて。






昼一時すぎ、無事、秋田駅にカムバック。

夕方の用事までに、温泉につかって、疲れと汗を流して、、、


、、にしても時間が余るので、

まず、もうひと汗。

駅から程近い

「千秋公園」へ。



元々は、「久保田城」なる、秋田藩・佐竹氏のお城だったそうな。

なので、ちょっとした山になっています。滝あり、池あり、
茶室あり、物見やぐらあり、
神社あり。


木々は大きく、
苑路はたくさん入り組んでいて、
けっこう広いんです。





ふもとのお堀端の紅葉も、
十二湖ゾーンに負けず劣らず。色とりどりな、良い感じ。



実は、

今年。ちょこちょこ訪れていました、秋田。
だいたい毎回、格安夜行バスで日帰り強行軍で。


秋田市の中心街って、けっこうガッツリ都会的。
(昔住んでいた‘秋田’は、山間の、ほんとに素晴らしきド田舎だったので、結構なギャップ。)


そんなシティな秋田駅前に着くと、だいたいまず、‘もっと自然なところ’を身体が欲し、
この公園を訪れる。

それが、なんとなくパターン化しました。




四季を彩る樹種も多いし、

回遊のパターンも多く、なかなか飽きない作り。

この日、すでに



桜がきれいな紅葉を迎えて居ました。





北国の紅葉は しっかり寒さに当たるためか、
しっかり色づくので、
とても鮮やかで、美しい。



東京では生育が難しい苔も、たわわに。





で、この日。

なんかアート関係の何かの催しが展開されてたらしく。

あちこちに、



謎の‘おばけ’たちが。



あっちにも、こっちにも。




結構よ~く考えられた、なかなか巧みなポイント押えてる感じの、配置。

感心。



ついつい、どこやどこやと、探し回ってしまいました。

まんまとな。


さながら、おばけのかくれんぼ。といったコンセプトなのかしらん?

地方で展開される地元密着型トリエンナーレ系のアートイベントっぽいけど、
もっと親和性を感じる。

これは、ありだな。と思いました。




(以下、ちょっと分析的。)


まず、「環境アート」がやってしまいがちな
変な違和感(=「それここでやる必然性あるの?」っていう感じ)とか、
ただただ余計なノイズ(=「それむしろ無い方が良くない?」っていう感じ)とかに

このおばけたちは陥ること無く、
この公園本来の良さを殺してもいない。
と思いました。

ひとつとして同じ物が無いので、宝探しみたいな遊び感覚で公園内をあちこち巡ることが出来るんですが、
そうこうしていると、この公園を縦横無尽に巡れる、という。

(かくれんぼ探しみたいな遊び体験によって、元来の苑路のもつ複雑な回遊性の面白さが引き出されるっていう、マリアージュ(笑)的な)


そして、
可愛らしい‘おばけ’のモチーフってのも、巧い。巧いっていうか、「正解」だと思う。


こういう自然の森の中って、

「目に見えないけど 普段からほんとはそこに居るかもしれない」

 =おばけがいるかも

っていう潜在性が、元々ある。

簡単な例えで言えば、「トトロ」みたいな。




(勝手ながら、あくまでも個人の持論であるが、断言してしまいますと:)

自然の樹々というものは、一般の人の目に見えない世界=霊的な世界とつながっています。


この‘オバケ’のインスタレーションは、その仕組みをうまいこと引き出している。

白い色であること、同じ材質・質感に統一していることも、
ちゃんと考えてあるなあと思う。

白っていう色は、光にも影にもなりうる、特別な色。

その存在を全く消すこと(=影になる)も、
またクリアに現出すること(=光になる)も出来る。

感覚的なことなんだけど・・・うまく説明できなくてすいません;





これは、アート作品に対峙するときの、私の個人的な鑑別法ですが:


ある場所に ある日突然据え置かれた「アート作品」の価値を見定めるには、


「では、もしそれが再び姿を消したら、その場所の雰囲気はどうなるか?」

っていうのを、想像してみる。



今回のオバケの場合。

今目の前に居るオバケを、一旦、目の前からすうっと、消してみる。

本来の「何も無かった」状態を、イメージしてみる。

(白いので、そのイメージングはとてもやりやすい。)




すると?


さっきまで 其処此処の樹の陰で‘かくれんぼ’していたオバケの姿が、
ぼんやり、滲み出すように、再び浮かびあがって見えてきません?


そしてまた消えたり、また浮かび上がったり。しません?



まるで、
「元々そこに隠れて居て、目に見えないようにしていたのを、つかの間、見えるようにしてもらっていました。」

っていう感じに。




おばけの白い残像(=影)が、もう消えない。
消してみても、また現れる。

そんなイメージが、見えて来ませんか?




「まるで、元からそこにあったかのような」感覚。

「再び姿を消させたときに、その不在に、喪失感や欠落感すら覚えるほどに、
 そこにあるのがもはや当たり前のようにすら感じる、そんな存在感」

っていう感覚を、
少なくとも私という個人約1名に植えつけることが出来た、という点で、

この環境アートは「成功」と言える。と、思う。



・・・なんつって。



面白かったし、感心したもので、ちょっと分析的に考察してみました次第です。

皆さんはどうかしらん。






オバケのおかげで、公園散歩がより楽しくなりました。
作者の方、ありがとう。


 ※後で調べたら、

 「あきたアートプロジェクト」の「千秋公園の精霊たち」っていうやつだったっぽいです。・・・なのかな?→☆☆☆





この後、
スーパー銭湯みたいな温泉に行って汗を流し、汚れを流し、疲れを流し、


夕方。

今回の旅の本目的である、とある、のっぴきならない類の お目出度き会に、参じたのでした。
集合時間の17時半に、ちゃんと間に合いました。

あの時、十二湖で走っていなかったら、今頃やっと秋田駅に着いて居たところ。汗だくで。



この会に参列するため、バックパックにスーツを詰め込んで来たんです。

「スーツをしわにならないようにバックに詰める方法」なんぞをネットで検索してみたりして。

これがどんな会だったかは、

、、えーと。

ちゃんと報告できるようになったら、ご報告します。

のっぴきならない類の、お目出度き会です。





以上。


そんなこんなで、
秋の強行東北旅日記、おしまい。

お粗末さまで御座いました・・・m(_ _)m


締めに




これ。



十二湖からの帰りのバスの、運転手(兼ガイド)さんが、

バスを降りる際に、くれました。



十二湖のブナの、落ち葉。

(中の池の写真をバーチャル背景に。)



今も大事に、財布に入れています。


また十二湖に、行けますように。




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