さるも木から落ちる??こともある♡

今までの自分の経験、知見など様々なことを記していきます。新しい知見は自分の財産。更に成長させたいですね‼

きのみやさん♡

2015-12-24 | 神社参拝




地球温暖化が進みつつある今日であるが、今年の秋・冬は、とりわけ、冬は異常な暖かさが続いている。。


私の大好きな冬の到来である。


もうクリスマスを迎えてしまってはいるが・・。



夏や秋といえば、そこかしこの神社で祭典が行われていた。


夏の祭礼と違って、秋の祭礼もまた嬉しいものであった。


幼いころ、故郷の唐渡神社で毎年のように祭礼が行われた。


祭囃子とたくさんの出店で賑わったものである。



祭礼の行事でお神楽さんが舞われる。


今となっては優しそうに見える神楽の頭であるが、幼かった当時は、魔物か妖怪のように見えた。


特に舞の中で口をパクパクさせ、いきなりこちらに近づく場面があると思わず泣き出してしまったものである。


ちなみに神楽には雄と雌があるというのを昔、聞いたことがある。


故郷の唐渡神社の神楽は雌であるということである。


少し離れた集落には、やはり雄の神楽がいた。


とても興味深かったのを覚えている。






神社ということでは忘れられないことがある。


いや、すべきではないことかも知れないが嬉しいことだったので敢えて投稿させていただきたい。


熱海の来宮神社ではなく、東伊豆河津町にある、杉鉾別命神社(旧社名:木野宮明神)通称、きのみやさん(木宮神社)』。


一生に一度だけ命を救ってくださるというのはあまり知られていないのではないかと思う。




今をさかのぼる事、20数年前の年末のことであった。


私の母は私の結婚式を控えた60才の年末に病で生死の境をさまよった。


病床の母から聞こえて来るのはうわ言であった。


私のことばかり気遣ってくれているないようばかりであった。


私はいたたまれず、この『一生に一 度だけ命を救ってくださる』という伊豆の河津にある神社のことを思い出し、徹夜で車をとばして参拝した。


故郷から河津までは8時間余り。


天城の道路は凍結し、脇には雪があった。


そんなことは気にも掛けず に車をとばした。



やっと夜明け方到着。


願掛けで心を込めて参拝した。


もうその時は必死の思いであった。


結果、口伝えのとおりに、想いが神様に通じたのか、母は直後に回復し、おまけに正月には、なすびが畑にたくさんなってい る夢を見たとのことである。


祈りは通じたのだ。


信ずる者は救われるというのは本当のことだと、この時確信した。

おかげで今は88才を迎えようとしている・・ありがたいことである。



ちなみに、結果として、孫は10人生まれた。。


たくさんのなすびというのはこの孫たちのことであったのであろうか( *´艸`)


身体は老齢で弱ってきて、あちこちと怪我はすることはある が、健在である。




更に、父は70才で大腸がんという大病を患い生死の境をさまよった。


手術が必要であった。


例え手術をしても助からないかも知れない。


再び、一生一度のお願いで、同神社に参拝した。


2セ ンチもあった癌細胞は摘出され、12時間に及ぶ手術は一応成功した。


後日談であるが、手術の際、必要な神経をきってしまったということでて、介護が必要となったが、無事、生命は助かった。


今年、無事に、88歳の米寿を迎えることが出来た。


足、腰とも弱っており、介護が必要であるが健在である。




この、神社、通称 『きのみやさん』 の境内には、樹齢何千年にもなるそれはそれは見事な楠が何本かあった。


見るからに霊験あらたかであった。


もちろん、お礼参りにも出掛けた。


それほど大きな神社で はなかったが、私にとっては、正に神様そのものであった。


私も将来、命の危機が迫った際には 『きのみやさん』 に願掛け参拝し、一生に一度だけでよいから命を救っていただきたいと願っている。


この神社の神力もさることながら、信ずる者は救われるのである。










夢への可能性♡

2015-12-24 | 想いなど



春に咲く花。


夏に咲く花。


秋に咲く花。


冬に咲く花。


秋は特に実りの秋。


木をつたう植物もある。


蔦は大木に寄生しながらも、きちんと主張するところはとても素敵である。


とてもけなげだ。


植物はとても強い。


種子さえあればどんな土地でも芽を出し、やがて花を咲かせる。


宅地造成地にどこからか土が運ばれる。


とてもこんな土からは、芽を出さないだろうというようなところからも、やがて芽を出す。


どんな土の中でも、種子は腐らずにいつか咲くだろう時期を待って何年も耐え続ける。


米の種子などは、古代に使われていた茶碗に残っていたものからも発芽し、実をつける。


地球上で一番強い生き物は、動物、昆虫など動くものよりも植物なのかも知れない。


たくさんの実をつけ、やがて子孫を残す。


鳥に運ばれ、昆虫に運ばれ、場所を移して自分の居場所を見つける。




人間もこれくらいの粘りがあればいい。


どこへ出しても生活していけるように。


どこで働いても生きていけるように。


本能が衰えても知能がある。


二本の足でどこへでも行ける。


二本の手で何でも作れる。


やろうとする意欲と行動力があれば何でも出来るのだ。


生きていくために、不可能の文字はないのかも知れない。


ただ安穏としてばかりいない限り・・・。




子供たちは生まれながら個性を持ち、みな大きな可能性を持っている。


夢を持ち、実現しようとする意欲がある限り・・・。


私にもまだまだ大きな夢がある。


それが、自分の目標となった時に大きく前進出来るのかも知れないなぁ~・・♡


たとえ芽を出す場所が違っていたとしても、努力の2文字がある限り・・・♡







SNSもいろいろだけど、ブログというツールが一番楽しい♡

2015-12-24 | ブログ



空にはくっきりと青空が澄み渡り、時折、ウロコ雲の浮き上がる気持ちのいいシーズンになった。


イヤイヤ・・今年の季節は誠に異常であるが・・これもまた嬉しいことなのかな??


秋から冬にかけて落葉樹は今年のあかをそぎ落とすように、葉を黄色、赤色、茶色時には紫色も混じった葉を落とし、来年の発芽に向けてしっかりと養分を吸収すべく、畜養状態に入っている。


人間はといえば、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、レジャーの秋、ファッションの秋、など、人によっての秋を満喫し、来るべき冬のレジャーシーズンに備えることになる。


冬は冬で、マラソン、スキー、スケート、スノーボード等冬のスポーツを満喫できる季節となる。


これからの、それぞれの季節とそれに拘わるイベントが楽しみである。


私はといえば、ブログを始めて1ヶ月余り、双方向によるコミュニケーションを満喫している。


・・というか、仕事から帰ってから食事後、直ぐにPCを触るので、毎日が寝不足となり、家族のひんしゅくをかっている。


ブログを始める前は、少しの期間、ブログとはどのようなものかを、拝見させていただいていた。


投稿記事によっては、IT関係、経済面、社会面などをレクチャーしてくれている内容の濃いものから、純粋に毎日の日記をつづっているもの、画像だけをを載せてあと一行か二行程度のコメント程度を載せているものから様々である。


自分はブログ初心者なので、まだ奥深くまでその魅力を発揮できてはいない。


まだまだ、自分から情報を発信することの奥義というものがよく見えていない。


また、ブログは人気ブロガーを主人公として、それを媒体にした企業の宣伝効果もあることもわかってきた。


ホームページと明らかに違うところは何だろうか?


創造する手軽さ?


手軽双方向コミュニケーションの手軽さ?


知らない人とバーチャルの世界で会える楽しさ?


志を同じくする人達の連絡ツール?


個人の表現方法を楽しむツール?


それとも、広告収入を得るためのツール?


個人の情報発信のためのツール?


ブログ仲間を通しての集まりを楽しみ、人間関係コミュニケーションを楽しむためのツール?



人それぞれで楽しみ方がちがうだろう。


また、情報発信を通してのコメントも楽しみの一つでもある。


それによって、バーチャルの世界での人間の印象からその人の人柄まで知ることのできる楽しみもあるであろう。



まだまだ楽しみの奥深さを知りたい。


ブログではランキングという楽しみもある。


上位に食い込みたいがために様々な手法を使うということもある。


それはそれで努力もするから報われたときには嬉しいものであるが、何かやりきれないものを感じてしまうけれども・・。


もっと楽しく、もっといろいろなことをこのブログの世界でいろいろと教えていただきたいと思っている。

SNSの世界では、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどなど、これからも、また新しい形の情報発信方法が出てくるかもしれない。


マナーを正しくして(何が正しいのか私にはまだわからないので、この先また勉強したいと思うが)これからもこのブログの世界を楽しみたいものである♡





夕焼け ~燃えるような朱色~

2015-12-24 | 季節



静岡の夕焼けもまんざらすてたものではない。


冬至を迎えた今でも、素晴らしい夕焼けが手近に見られる。


青空と夕日、それからその夕日から照らされる朱色、コントラストがとても美しい。


自分の今の心はこの夕焼けのように染まっているか?


この夕日の画像を見て、心底美しいと感じているだろうか?


確かに写真として撮った時には、心底感動していた。


でも、今は、何か心が晴れない気分だ。



まあ・・・人生、長くやっていればいろいろなことがあるだろう。。


ちょっとしたことで、心の奥底にあるものが微妙にくるっている。


この投稿記事は何のために書いているのかわからない。


ただPCに向かって指が勝手に心情を吐露してしまう。


何が原因なんだろうか??


自分では分かってはいるつもりだが、何故か正直に言葉に表せない。


日常あるいろいろなことが鬱積してはけ口を見つけ出そうとしている。


電話を受けても何かなげやりな感覚が襲ってくる。

申し訳ない・・・。



この画像の朱色は、燃えるような感動ではなくて、無意識のうちに自分に対する怒りと悲しみをを表してしまったのかも知れない。


微妙に揺れる最近の自分の心・・。


ほんのちいさな歯車の滑りを感じる。


歯車はかみ合ってこそ、一つの目的に向かってその役割を果たしている。


こんな日があってもいいかも知れないが、何故かそんな自分が許せない‼


美しいものが美しいと感じることの出来ない日は何故か哀しい。



しかし・・・明日がある・・・。


夕焼けの色が、もっとカラフルに、もっと素晴らしい色に変わるまでのぼりつづけよう。。


そんな千変万化を、自分で全ての楽しみに変えてみたい。。


いや・・・変えて見せよう。。


そうしたら、毎日が素敵な夢で覆い尽くされるに違いない。。


明日を信じてみよう‼♡




三つ子の魂、百まで。。(#^^#)

2015-12-23 | 思い出など



幼い頃からおもちゃを与えられた記憶があまりない。

兄妹の3人の真ん中であったので、どうしても長男、長女に愛情が注がれていたのだろう。


それが証拠に真ん中の私の写真は極端に少ない。

これは仕方のないことなのだろう。二番目の宿命なのだ。

服は兄のお下がりばかり、おもちゃも兄のお下がり、食事はといえば兄にはてんこもりで私は普通盛り。

食べさせてくれだけでもいいが・・・。

兄がオーディオに興味があれば、父は遠く離れた町まで兄を連れて買いに行ってくれたものである。


私はといえば、クリスマスの日に父から兄へのプレゼントを横目で見ながら、『自分にはないんだ』の思いを父に問うてみたところ、「お前はまだ小さいから、兄ちゃんと一緒に遊べばいい」などと、自分の所有欲が満たされたことは何一つなかった。

それではということで、親戚の叔父さんから、吸盤式のピストルのおもちゃを買ってもらった。

そうしたら、それは人に向けたら危ないということで、父に取り上げられてしまったこともあった。


私が小学生中学年に上がった頃、父は兄にグローブを買ってあげた。

私もねだってみた。

ところが、私がまだ小さいということで、またもやお預け。。

憤懣やる方ない私は、どうしてもグローブ欲しさに、遠く離れた親戚の祖父に手紙を出すことにした。

当時としてはどきどきものであった。便箋いっぱいにグローブの絵を書いた。

これくらいのだよという説明書きを付けて・・・。

ところが、手紙を出す段になって母親にその手紙を見つかってしまった。

母は私の手紙をじっと眺め、物も言わずに便箋にしまってくれ、切手も渡してくれた。子供心に嬉しかった。


手紙を出してから、数日して大きなダンボールが私宛の名前で届いた。

急いで中をあけてみた。

ダンボールからは、まず、お菓子の詰め合わせが上段に山ほど詰まっていた。

気がせいていた。グローブ、グローブはと、急いで下の段に手を突っ込んでみた。

柔らかい皮状のものが手に触れた。

急いで外に出してみた。

紛れもない、柔らかい皮で出来ている、本物のグローブだあ。。

私は飛び上がって喜んだ。

初めての自分だけの物、しかも一番欲しかったグローブであった。

小躍りして喜んだ。母が言った。

「お爺ちゃんに感謝しなさいよ。お礼の手紙を出さなきゃあね。お前の願いがかなって良かったじゃあないか」


この時ほど母と祖父に感謝したことはなかった。

母に手紙を見つかった時に、黙って手紙を返してくれた母。

自分の気持ちを察してくれたのだろう。

あの瞬間に母からの愛情を感じた。

それまで叱られることこそあれ、褒められたりしたことはなかった。

また、遠くにいる祖父に自分の心を伝え、その思いをうけとめ、私の宝物として返してくれた、祖父の孫に対する愛情を子供心に感じたものである。


それから○○十年、おもちゃ、特にミニカーを見ると、昔の思い出がよみがえるのか、目を皿のようにして欲しいものを探して買ってしまう自分がいた。

建て前は、『これは息子の○○の為に買っているんだよ』と自分勝手な屁理屈をつけて・・・。


ふっ・・三つ子の魂百まで・・とはよく言ったものであるなぁ~と、我ながら、ヒシヒシと感じている今である。。。




青を発色するモルフォ蝶。。

2015-12-23 | 趣味など



モルフォ蝶。。


中央アメリカから南アメリカにかけて80種ほどが生息する大型のチョウの仲間。


身体の大きさに比較して非常に大きな翅をもち、さらに翅の表面に金属光沢をもつのが特徴である。



この光沢はほとんどの種類で青に発色する。


これは翅の表面にある櫛形の鱗粉で光の干渉が起きるため、光沢のある青みが現れる。


このような現象を構造色という。


また、不規則な軌跡を描いて速く飛ぶのも特徴である。


鮮やかな翅の表にくらべると翅の裏は褐色や灰色のまだら模様がある。


また、翅の裏には目玉模様がある種類がほとんどで、分類上はジャノメチョウに近縁とされている。(ウイキペディアより)


静岡市内で開催された「世界の大昆虫展」でひときわ目を引いた。


こんな綺麗な蝶が中央・南アメリカでひらひらと舞っている。


宝石が空を舞っているようなものだ。


観ているだけ美しく輝く青色に癒される。


息子はカブトムシに夢中になっていたが、私はこの蝶の美しさに見入ってしまった。


生きた宝石である。。


鱗粉に光の干渉が働き、金属色を帯びた光沢のある青色を発色する。


昆虫標本で観るのは容易いことであるが、本物はどんなに美しいことであろうか‼


この世に光がなかったならこのような美しさも、色を感じることもできない。


自分の健康へのありがたさを感じる。



過去に米国へ行った際に、ハチドリ(ハミングバード)を北アメリカコロラド州で見たことがある。


南米にいるとばかり思っていたので、この鳥に出くわした時には驚いた。


こんなところにも住んでいたのか、というのは私の無知とするところであるのであろう(#^^#)



チッチッチッと独特な鳴声で宙を舞っていた。


花の蜜を吸っていろところも見て、感激し、感動してしまった。


目の前にあのホバーリングする小さな美しく輝く宝石がいるのである。。



ハチドリの色も多種多様でモルフォ蝶のような発色をしていたものもいたような記憶がある。


とても美しく綺麗な青であった。



こんな綺麗な生き物を見られる異国の人達は幸せである。


人間に捕らえられてときにはどんなにストレスを感じていたのだろうか。


そんなことを考えるのも、人間のエゴであろうか。。



生き物は自然の姿の中に暮らすのが一番美しく輝けるものであるのだと思う・・・。






大都会に生きる。。。

2015-12-22 | 追憶



出張で東京へ行った帰りのこと。


新宿駅西口で友人との待ち合わせ。


相変わらずの駅へ向かう人、駅からでてくる人の波。


それぞれが目的が違うものの、まるで川のように流れていく。


待合広場は日が暮れているにもかかわらず、電飾光により明るく照らされて、相変わらずにぎやかだ。


待ち人達は思ったよりマナーが良い。


これは以外だった。


捨てられたタバコの吸殻はごく僅かだ。


タバコをふかし、携帯灰皿へ入れる者。


楽しそうに携帯で話している者等々。




1時間ほど経過しただろうか。


私は相変わらず植木横の柵に掛けて友人を待っている。


私の隣にいた若い青年。


服装はピンストライプの入ったダークの派手なスーツ。


靴は白いエナメルで相当派手に感じた。


いわゆるとっぽい兄ちゃんというところだろうか。


やがてサングラスをはずした。


こげ茶色に染まったその顔はどこか照りさえも感じられる。


青年のケータイが鳴る。。。


スイッチを押した途端に思いがけない電話口調。




「はい、○○です。今新宿駅西口で△△様をお待ちしているのですが、まだお会いすることができません。・・・その件につきましては店長のおっしゃるとおりでした。私はこのまま、引き続き△△様をお待ちいたしますが、もし、すれ違いという結果になりましたら、お電話をいただけますとありがたいのですが・・・。申し訳ありませんがもう少々お時間をいただけますでしょうか?よろしくお願いいたします。」




流暢に話し終えた後、ケータイのスイッチを切った。


驚いた。というより、何故かほっと安心した。いや感心したと言ったほうが当たっている。 


こんな格好をした青年が、少なくとも上品な敬語を流暢に使う様は想像できなかった。



そこには生き生きと働く青年の「日常生活」が感じられた。


人は見た目で判断するもんじゃあないなあ、少なくとも自分が上司へ電話するよりも数段上手だ。



東京の人間ウォッチングはとても好きだ。

皆んなそれぞれの日常生活をがんばって生きている。






遅い冬の到来 ~日々是好日~

2015-12-22 | 季節



この秋から冬にかけては、あまりにも暖かかったものだから、庭のつつじの花が咲いてしまった。


紫色がとても綺麗で思わず撮影してしまった。


地球温暖化のせいなのでしょうね??もう冬至を迎えたにも拘わらず、朝夕を除いては、暖かい日が続いていた。


そういえば、昨年も12月くらいまで暑かったような・・・。


秋の紅葉も遅れていたような気がする。


暖かいとはいえ、朝夕はかなり冷えているが、本格的な冬の到来にはまだまだである。


お話はまったくとんでしまうが・・・ 富士山も、一時期は7・8合目まで雪が積もったようだ。


富士山の紅葉前線はもう、とっくに枯葉をちらせてしまったに違いない。。


こどもが小さいときはこの時期2・3回は富士宮口まで行っていた。


富士宮口5合目は、標高2400メートルにも達しているが、その周辺ではは紅葉はそれはそれは綺麗だった。


それから御殿場に続く道を楽しみ、御殿場5合目大駐車場で一休み。。


5合目から観るパノラマは最高だった。


小さい頃のように、雄大な風景に胸が躍ったものである。


御殿場口(標高1700m)の5合目から少し登って林の中を楽しむ。


運が良ければ、和鹿や日本カモシカにも巡り合えることが出来る。。



やがて、溶岩が露出した岩肌に出あうことになる。


ここからも素晴らしい眺め・・・自衛隊の東富士演習場も見える。


まるで、この雄大な景色を独り占めしている様であった。


そこからまた少し登り、やがて西部劇のような風景を見ることになった。


そこから、双子塚と言われる二つの丘陵までまた歩く。


なんという素晴らしい風景だろう( *´艸`)

しばらく堪能した後は、ズボンを(敢えてパンツとは言わないが・・・)砂走りを下って5合目へ戻る。



富士山の楽しみは頂上ばかりではない。


わずか、短時間で驚きの、素晴らしい風景に出会えるのである。




そして、御殿場へ向かう。。


御殿場では、美味しい蕎麦をいただく。


こちらでは、「みくりや蕎麦」と言われていた。。


農協のお母さんたちが開いているちいさな蕎麦屋さんだ。


地元の蕎麦粉から打ち出された、手作りの味はまた格別であった。。


こどもたちは今でも、ここの蕎麦が一番美味しいという。


他の蕎麦では駄目と言うのだ。


そして、帰りには必ず牛乳「乳搾り」を購入した。


こんな美味しい牛乳は他にはない。


御殿場の小中学校ではこの乳搾りが給食に出ていた。


とても甘みがあって美味しい。




・・・と、こんな感じでこの季節のドライブコースも終点を迎える。


今年も、このコースを走ってきた。



こんな自然に恵まれた環境に暮らせることに感謝したい。。。





軽自動車モータリゼーション黎明期の人気№1。。

2015-12-21 | 趣味など



なつかしの軽自動車シリーズ。。。


お気に入りのスバル360です。


東京モーターショーの展示車ではないですよ(笑)。


某メーカーの傑作ミニチュアカーです。



本物だと思ったでしょ?(笑)


ミニチュアとはいっても、その出来は、もうほとんど本物に近いです。


ただ、動かないだけ・・・(笑)。



この軽自動車は、昭和30年代に自動車の普及をはかる国民車として登場しました。


国民車とは言っても、その頃のサラリーマンではチョットやソットでは買えない額でした。


当時の値段で30ウン万円もしました。


その頃は、スズキフロンテ360、ホンダN360、ダイハツフェローなどがしのぎを削っていたものです。


スバル360は、フォルクスワーゲンビートルに良く似せて出来ていて、愛称はテントウムシでした。


ドアは前開きのユニークな造りです。


一見不便そうな乗り入れかと思いきや、なかなか出入りが楽しかったのを覚えています。


その後、ヤングSS、フロンテSS、ホンダN3(水冷)、フェローマックスなどの登場でスバルの牙城も崩れてゆきました。


・・・が、その血統は今のR2、R1に引き継がれ、とても軽自動車とは思えない走りになっています。


もちろん、その形状の一部も懐かしさとともに、先端を行くデザインとして、軽自動車の中ではとてもユニークで新鮮なものとなっています。


オールドファンとしては、是非、昔の形状(リアエンジン、リアドライブ)で復活させていただきたいというのがその願いですね。。(笑)





駐車場整理の達人とは・・・❢?

2015-12-21 | 日常のこと




某総合複合商業施設の駐車場誘導員の方・・・。


いつもながら、見事な自動車誘導のさばきである。


常にこの施設を利用するたびに感心してしまう。



決してオーバーアクションではないが、左右の腕の使い方はその指示する意図は明白である。


また、自動車の止め方には、身体全体を使って、しかも腰をかがめ、頭を低く下げ自動車の運転手への配慮は忘れない。


歩行者への気の使い方も、忘れない。


大きな声と、ボディアクションで安全に気を配っている。


他の係員さんも一生懸命だが、この方の右には出られないではないだろうか。


あのボディアクションと大きな声で、一日中、駐車場整理員として自分のステージに立つ。


大変な仕事であるが、まさに、プロフェッショナルを感じる。


日頃、この施設を利用する身にとっては、この方々がいるおかげで安心してこの施設を利用できる。


どのような苦労があるかは、大方察しがつくだろう・・・。


お客からいろんな苦情が出るだろう。


罵声も浴びせられるであろう。


嫌味の一つも二つも言われるであろう。


しかし、仕事とはいえ、お客さんの安全を、また、施設の依頼者からも完璧な整理を期待されているのであろう・・・。


少しでも、効率よく、かつ、安全にを目指しているのがありありと伝わってくる。


駐車場整理のプロフェッショナルとして、今日も身体を酷使しながら、整理に立つ。


頭が下がる思いである。


一つの仕事として見習うべきことはたくさんあるように見てとれる。


どんな小さなことでも、それを知り尽くして実行に移せば、それはプロフェッショナルであると思う。


自分はこのような意識をもって仕事を遂行しているか?


この姿を見るたびに、感謝の気持ちと、自己反省の日々である。


自分も常に自分の仕事の中でこの姿勢を見習っていきたいものである。




(なお、このお写真をブログに掲載することは、事前にご本人に了解は得ています。念のため申し添えておきたいと思います。。)







清水港に昔の思い出を垣間見る。。

2015-12-20 | 思い出など



用事を済ませた後、久しぶりに清水港を尋ねてみた。


やっぱり海はいい。


ゆったりとした波の感じ、深さを表わす海水の色。




戸肥へ向かう連絡船が着いた。


戸肥港からの乗船客を降ろすと同時に、清水港からのお客を乗せて再び戸肥港へ向かう。


白波をかき分けて発進する。


近くにはJAPAN COAST GURDの文字を船体につけた海上保安部の船が巡視から戻って接岸する。


今日も日本の海を守っての帰還だろうか。


長い真っ白な船体は、日本の最前線で働くにふさわしい。


感謝の気持ちをもって、暖かく迎えてあげたい気持ちになった。




今日は雲も目立ったがおおむね快晴で遠くに雪を纏った富士山が見える。


8合目あたりからの雪だろうか、うっすらとしている。


やはり清水港には様々な働く船と富士山が良く似合う。




穏やかなゆったりとした波。


香ってくる潮のにおい。


対岸には造船の基地が見える。


時間がゆったりと流れているような錯覚さえ覚える。




我が奥様との初デートの帰りもやはり清水港へ立ち寄った思い出がある。


海は全てを包んでくれるような感じがする。


雄雄しい山々に比べて、母なる優しささえ感じる。




静岡の地にこんな美しい港があって良かったとつくづく感じる。


マグロの水揚げ日本一。。。


かつて、私の小学校の修学旅行の地は、静岡市役所、日本平、久能山東照宮、清水港だった。


笑われるかも知れないが、山間部から見れば、静岡、清水は大都会だったのである。


日本平もプラネタリウムがあって、それはそれは賑やかだった。


今は当時の面影は感じられないがそれでもあこがれの地であった。




今、山あり、海あり、水の美味しい静岡の地に住めることの幸せをひしひしと感じている。







魅力的な映画から。。。

2015-12-20 | 趣味など




自分への、あるご褒美として、購入しちゃいました(^^)/


「レミーのおいしいレストラン」のフィギュア(^^)/


まだまだ、売っていたんですね~~。


それぞれ個性が光った配役だったけど。


特に左から2番目のコレット(Colette)が大好き。


魅力的で優しい前向きな女性だった。




たかが、アニメと思うなかれ。


3Dアニメでは群を抜く映画だった。


左から、Skinner(調理長)、Colette、Linguini(見習いだった店の後継者)、Gusteau(先代の店主)、そしてRemy。




どれだけ気に入ってたかわかるでしょ?


こんなものを買って喜んでいるなんて、まだまだ精神的には子どもなのかな??(笑)


でも、癒しの対象としてはもってこい。




気にいったものから、映画の内容をあらためて想像する。


あの場面はこうだったなあ・・・とか。




おたくではないけれど、こんな楽しみもあっていい。


映画は夢を与えてくれる。


想像の世界に浸るには読書が一番いいが、エンターテイメントが観たい。


作者の言わんとする世界が、想像より予期せぬ展開となって、心に焼きつく。




ある意味、自分の経験できない世界の物語。


それだけに映画への思い入れは強い。



今、邦画でも素晴らしく感動を与えてくれる映画は多い。


佐藤浩市さん主演の「愛を積む人」は感動的だった。。


人生の機微を観せていただいた。。






はてさて・・・今後の感動作は何だろうか・・・。


心から感動出来るもの、満足するものを与えて欲しい、いや、自らが選ぶのだ・・・。






大輪の花でなくてよい。。。ただ、木々のように。。。

2015-12-19 | 想いなど



大好きな秋の終焉を迎え、本格的な冬のシーズンに入った。


冬至まであと3日あまり。


平野部では、やっと紅葉も見事なるところも多いと思われる。。




林を歩けば、もう色あせた落ち葉が踏まれて心地よい音を奏でる。




ヴィヴァルディ『四季』が頭の中に流れてくる。


静岡では『四季』の冬のイメージは感じられないか・・・。




木々もそろそろ葉を落とし始め畜養の時期を迎えようとしている。


1年の盛りを過ぎ幹を太くし、着実に成長し、また春を待ち芽吹きを始める。



私はそんな秋から冬にかけてが大好きな季節である。



物悲しい雰囲気も感じるが、葉が紅葉するところなどはまるで花が咲き誇るようである。


実をつけるために花を咲かし、さらにもう一度晴れがましい姿を見せるのである。




人間にもこんな時期が人それぞれにある。


あるものは成功の花を咲かせ、栄耀栄華のうちに一生を閉じる。


だが、そのような人は数少ない。


とにかく努力の花を咲かせるのだ。


結実しなくてもいい。


結果はあとでついてくる。


たとえ結果がでなくても、そのプロセスが大事だ。


努力している姿を己が褒めてあげることがあってもいい。



何事も一朝一夕に成功の実はならないだろう。


ひたむきな努力、その中で感じる葛藤、結果に対する自己評価。


すべて自分がなす事なのである。




人間、好調、不調の波はいつでもある。


その中から、小さくてもいい、結果を出したい。


たとえ一人の人からでもいい。


賛辞の言葉一つでもかけられたらそれで満足じゃないか。



次へのステップにしよう。。


徐々に、徐々に大きな実に成るようにしていけばいいじゃないか。



誰かに自分の名前を呼ばれたい。


そんな小さな存在価値でもあれば頑張れる。


自分の持っている名前の意味は大きなものがある。


自分が自分の存在を、その生きている価値を確認できるからだ。


自己満足ではない、大輪の花はいつかは咲くと信じている。



その日を期待して明日という日を頑張ろうと思う。










開拓の名のもとに。。。

2015-12-18 | 思い出など



米国コロラド州にある国立公園。


西部開拓地を感じさせる大地を背景にサボテンのような、綿の木のような植物が実をつけている。


日本にある植物と似ているところもあるが、非常に興味深い植物が多い。


米国出張に行った際に立ち寄った。


公園内を歩いて頂上まで上った。


この辺はガラガラ蛇がどこにでもいるという。


1時間をかけて周囲を回った。


途中、ガラガラ蛇の尻尾の音が聞こえた。


猛毒があって、人が噛まれると1時間もしない間に死にいたるという。


案内人の丁寧な計らいがあって何とか噛まれずに済んだ。


大自然の中で、人と多種多様な生き物が共生している。



かつては、ネイティブアメリカンの支配していた土地。


開拓の名のもとに、ヨーロッパの多くの人々が奴隷を連れてこの地に渡った。


開拓の名のもとに、多くの渡米者とネイティブアメリカンが多くの血を流した。


今はネイティブアメリカンは許された居留地のみに住んでいる。


ここでも支配者が実権をもっている。



自由の国、アメリカは彼らからすれば自由の国でも何でもない。


勇敢な戦士だった先祖からの伝統を受け継ぎ、ほそぼそと工芸品などを作って生計をたてている。



自由の国、アメリカは今は人種の坩堝であるが、様々な人々の犠牲のうえに成り立っている。



自由って何だ?



責任のともなった行動を果たすという条件付で自由という言葉が許される。


自分勝手に振舞うことができることとは違うのだ。


アメリカは現在世界に名だたる大国として存在している。


政治にしても、経済にしても、国が保持する戦力としても世界をリードする。


それも近年では某新興国のおかげで危うくなってしまったが・・・。



しかし、出会えたアメリカ国民は皆、紳士的だった。


家庭内の躾も行き届いている。


これらの真摯な国民性が今のアメリカの精神に代表される。



もちろんそのような人たちばかりではないよと知り合った米国人から訊いた。


異文化の交流の中でアメリカの独自性が花開いている。


アメリカンドリームという言葉は今でも通用しているのだろうか??



限られた才能を持つ人達だけがこの夢を掴むことができる。


才能を開花させるには人並みの努力では追いつかないだろう。


才能プラス努力、これが人種の坩堝といわれるアメリカでつかめる花なのだろう。



もし、昔に戻れたならばこの国でアメリカンドリームというものの一端にでも触れてみたい。






真心の料理 ~ある映画より~

2015-12-17 | 追憶



古い話題で恐縮であるが、過日、映画『レミーのおいしいレストラン』をある映画館で観たことがある。


今となってはDVDをレンタルして観ることしか出来ないのであるが・・・。


知人のお勧め映画であったこと、また、子供連れだったこともあり、迷わずにこの映画に決めたものであった。


内容の下分析もしなかったため、3Dのアニメぐらいにしか思っていなかったが、始まるやいなや、口角はあがりっぱなし。。


しかも何故ネズミがシェフなのかも解らなかったが、内容が進んでいくうちに、これは、ありきたりのアニメとは違うなという印象を徐々に深くしていった。


フレンチレストランに何故女性がいるのかも疑問だったが、そこがまた面白いところ。


彼女は努力に努力を重ね、厨房の座を手にいれたのであった。


彼女はまた魅力的な女性であり、実力も厨房の仲間も認めるところ大であった。


この物語の中で、彼女なくしてはストーリーには欠かせない。


それほど私には彼女が魅力的に映った。


彼女の魅力には誰かしらイメージが似ている人がいるなあと最初から最後まで感じていたが、それが誰であるかは、映画が終了してから頭に閃いた。


その存在は実写映画に例えたなら、助演女優賞ものであるといえるだろう。


ともかく、主人公はレミーと名のついたネズミであった。


人間の残したものではプライドが許さない。


自分の食べる料理というものはもっと品格があるものでなければならない。

紆余曲折があり、レミーは、レストランを継ぐこととなる若い下働き人を通して、その才能を発揮することとなる。


頑固な料理長に従っていた厨房はやがて、一通の手紙から、若き下働き人がそのレストランの後継者となり調理長は解雇となった。


しかし、レミーに操られていた若き後継者は、評判のその腕の真実を、厨房の仲間に知らしめてしまうことになる。


自分の才能は一匹のネズミに操られていたものだと・・・。


当然、厨房の仲間は事実を知り、皆辞めてしまった。


若き後継者は挫折してしまった。レミーは自分が所詮、ネズミだと知りつつも一人奮闘することになる。


そこへ料理批評家の登場であった。


批評家曰く『このレストランの名声は先代の存在でもっていたもの、このレストランはそれを失った』と。。。


悲嘆にくれた若き後継者を尻目に、レミーは一人奮闘する。


その料理は、この料理評論家の舌をうならせてしまった。


当然店は繁盛。その実態を知るべく厨房に入った評論家はその事実を知ってしまった。


しかし、その味を表現したのは紛れもない、ネズミがこしらえた料理だったのである。


料理評論家は記事にその味の批評をしたためた。


レストランは評判を取り戻し、レミーと若き経営者を救うため、仲間のネズミ達が立ち上がった。


レミーの指示で次々とお客の口元へ運ばれる料理。。


しかし、心無い元料理長の仕業で保健所に通報され、やがてレストランは閉店に追い込まれた。


しかし、料理批評家の英断で、レミーのレストランは新規開店となった。


批評家は記事にしたためた。


『誰が料理したかなどは問題ではない。大切なのは料理人の真心である』と。。


新しい店は繁盛した。


その名も『ラタトゥーユ』。


最後は感動で涙があふれ、うろ覚えであったが、これでよかったのだろうか。。。


やがて幕は閉じ、感動のうちに帰途についたのであった。


幕の最初のころの場面ででこんな言葉があったのが印象的だった。



『後ろばかりを見ていると、前にある大切なものを見失ってしまう』と・・・。



3Dアニメと言えど、実写映画と対等に張り合える。いや、むしろ私の最近見た数少ない映画の中でも、これほどの強烈な印象を残してくれた映画は、この『レミーのおいしいレストラン』であった。