さるも木から落ちる??こともある♡

今までの自分の経験、知見など様々なことを記していきます。新しい知見は自分の財産。更に成長させたいですね‼

異国での教育並びに生活に学ぶ。。。♡

2020-05-12 | 思い出など





アメリカ合衆国ネブラスカ州立大学オマハ校のワンカット・・・




懐かしいなあ・・・




公務出張で行った初めての異国の地である




ミネアポリスを経由地に14時間の行程だった




経由地とはいえ初めてアメリカの大地に下りたときには感動した




当然のことながら、自分の周囲は全部外国人であり、自分はマイノリティなのである




こんな思いを外国から日本に来ている方々は感じているんだろうなあと素朴に感じた




アメリカの大学は学生を大切にしていた




全てが学生のためにあるように配慮が行き届いていた




誰でもが入れる(高校での標準テストはあるが、入学試験はない)が、それなりの成績を残さないと卒業は出来ない仕組みである




当然、多くの学生がドロップアウトしていくんだろうなあ・・・




学生食堂では学生が本当によく勉強していた




授業でもとても熱心だった




日本の学生とは大違い・・・もちろん、日本でも真面目な学生も多いが・・・




留学生からよく聴いた話だが・・・




日本の学生は、質問もしないし、平気で寝ている・・・あんなんで卒業させてくれるのか?・・・





アメリカの現実を目の当たりにし、日本はこれでいいのか、とても不安に感じたものである





異国での生活に学ぶ異国での生活に学ぶ




およそ1ヶ月の間、様々なプログラムが用意されていた




これらのプログラムを設定せっていしてくださった先方の職員の方々とボランティアの学生ににとても感謝している




もう一つ確認したい思いがあった




一人でも異国の地で生活できるか・・・これが自分の個人的な思いだった




そんな憂いもマイノリティとなる日本人の思いも吹っ飛んだ思いがした




アメリカ人は子供への躾が行き届き、かつ他人に対してはとても親切で、礼儀を重んじていた




英語はと言えば、中学英語で十分意思疎通は出来た




牧場での生活のプログラムの中で、夜外に出て星を眺めたことがあった




この眺めている星を、日本の家族も眺めていると考えたとき、台地が繋がっている不思議さを感じた




家族に電話をしてみる・・・昼、夜が逆転している不思議さも感じた




まさに地球は丸いんだなあ・・・





一生のうちで出来るかどうかの経験が出来た自分はとても幸せ者だと思う








想い徒然に。。。ですね(#^^#)

2019-09-26 | 思い出など
自分の思いつくままに、今までの実家の思い出、これから先のことを記してみたいと思います。。。




私は静岡県の山深く(笑) の実家で育ちました。。。





今は都会っ子(笑) 地方ね。。。




自分の生活の中に、当たり前に自然があったんですね。




ただ、私は、いつの季節の中にあっても自然がある嬉しさを大いに享受してきましたよ。




大人になって、自然と離れた自分でも、いつでも故郷の自然は心の中にありました。




帰省すると、まず、昔のように山や川へ行き、幼かった頃と同じように、自然の中にもぐりこんだものです。(#^^#)




そうね、、、当たり前のことに目を向けた時に本当のことが見えてくる、というのは真実だと思いますね。




それは日々の生活での人間の渇きであるからのように思いますね。




慣れとは怖いものです、そして成長を阻害する一因なのかも知れないですね。




常に新しいことに目を向け実行してゆくことが必要ですね。




人は、特に成長志向の強い人に言えることなのかな??




そうですね、プラスの当たり前を作る、そして感じ、実行へと。。。




有意義な人生を送ることが必要ですよね。。。。




自分の人生を有意義なものに出来るのは自分だけですね。。。




積極的に生きて行きたいですね。




近頃は、昔と違って、山と人里の区別がつかなくなっている動物が多いようですね。。。




私の実家では、イノシシが大天竜川を300mも渡って畑を荒らしにきますね。。。



お猿さん然り、鹿さんしかり、ハクビシン、アナグマ、その他もろもろです。。。



動物も人間と共存しなければならない時代がやってきているようですね(笑)











堕ちた深紅の空。。。♡

2019-01-31 | 思い出など
君への熱い想いを 綴った手紙



すべての気持ちを 込めた手紙




あの日もそうだった 紅い 紅い 夕焼けの空



そんな空の下で 君への 初めての告白をした




追いかけてくる 君の熱い吐息



パタパタという 速足 君の足音




そんな熱さとは 裏腹に



冷たい 君からの 想い




がっかりした というより 自分の中で 何かが崩れた



私の想いは 何故 伝わらなかったのか




渾身の気持ちを 綴った 熱い手紙



返された 君の気持ちは 




あの 深紅の夕焼けが 落ちて



迎えた 空の暗闇に 似ていた




やがて 冷たい星々の煌めき



あの日の気持ちは そんな煌めきも 輝きを失っていた








営業の経験と言えば・・・♡

2017-12-02 | 思い出など
営業と言えば、ある社会教育施設での利用を促進させるために、東奔西走した経験がある。







じっくりと下ごしらえしたうえで、後は口八丁手八丁であった(笑)






きっと、こんな仕事に向いてはいたのだろう。。







出張しては企業、法人辺りを狙い、後は勇気と度胸あるのみ。。。







不思議と、どんな場においても恐れおののくということはなかった。







きっと、下ごしらえが出来ていたからに相違ない。







ここからくる自信はいつ身に付いたのであろうか。自分でも分からない。







本番を迎えると武者震いではないが、くそ度胸とでもいうものが生来あったのであろう。







そのおかげで、その成果は100%近くに上った。







確かに、企業などに於いては、営業部門といえば、最前線において結果を出してこそ良しとされる厳しい部門である。







まして、信用そのもの、企業の顔を抱えながらの業務である。







失敗もあるであろう。そこから得られるものも大きい。







失敗を恐れていては何も大成はしない。







業種にもよるが、いろいろなしがらみの中での経験の積み重ねがものをいうものだ。







ただ、がむしゃらに、と動けば良いというものでもない。







計算に、計算を重ね、そして真心、相手への読みなども必要になってくるであろう。







そんな経験の積み重ねは買ってでもしたいと思う。







これから先の人生がどう展開するのかは見当もつかないが、とにかく誠実に物事に当たってということしかない。







スピードが大事だと言われるビジネスの世界。。。







しかし、物事に誠実にあたる。信用を勝ち得るということが一番大事なことなのではないだろうか。







もちろん戦略を考えた上でのことである。。。




















思い出の県東部の沼津から長泉町へ。。。♡

2016-04-16 | 思い出など



思い返せば、30年前、私の就職してからの一番最初の赴任地は県東部の沼津であった。



沼津は素晴らしいところだった・・・。



田舎が県西部と言うこともあり西から東への大移動(かな??)であった。



新幹線で三島まで、そしてバスに乗り換え向かった自分の住まいは沼津市大岡南小林・・・。



まだ田畑の残る田園地帯の中にそれはあった。



住まいの横には“黄瀬川”という素晴らしい川が流れていて、自然あふれる等で居住環境はとても良かった。



大家は大きな家の農家さんで、その庭の中にあり、一室が3畳半という鰻の寝床のような住まいであった。



布団ひと組で転がりこんだ身としては、それでも天国であったろうか・・・。



2階建の10室がそこにはあり、主に高専や日大の学生が暮らしていた。



それでもその狭さが故に空き室はいくつかあったようだ。




家賃が安いのであろうか、学生だけでなく多種の職業の方がそこには居住していた。



壁が薄く隣の声もよく聞こえてくる部屋にはいろいろな声や音が聞こえてきた。



若者が友達を連れてきて楽しく酒盛りをしている声や、ある部屋には背中や腕にタトゥーをしている方もいて結構いざこざも絶えることはなかった。



しかし・・・例え狭くても幼い頃から個人の部屋持たない自分にとっては、一国一城の主だったのである。



多少気になることはあっても仕事が終われば、こんなに楽しい、そしてこんなに嬉しいことはなかったのを覚えている。



沼津は素晴らしいところだった。



歴史もあり、何と言っても各観光地への起点となっていた。



バスの便も良く、伊豆箱根バス、富士急行、箱根登山バスなどなど数社が沼津名店会館を起点に走っていたのである。



伊豆へ、三島へ、箱根へ、富士へ・・・そして食べ物も美味しく・・・。



何より沼津からの大好きな西伊豆への海が素晴らしかった。




休日になると西伊豆へは釣りに、観光に良く出掛けた。



特に戸田、土肥、松崎が好きだったかな・・・。



波の荒々しい東海岸と違って西伊豆の静かな海、その風景、夕焼けの素晴らしい光景などなど・・・自分にとっては素晴らしい環境に恵まれていた。



まだまだその間の生活で書き記したいことは山ほどあるが、それは次の時まで残しておこう・・・。



そんな生活から、あることをきっかけにもっと広い住居へという思いが強くなり、駿東郡長泉町下土狩へ引っ越すことになった・・・。



次の住まいは新幹線の高架が近いところであった・・・。



結構騒音も気になったが住めば都である。



自由を大いに満喫した・・・。




下土狩からは三島市がすぐ近くであり三島の街へも、夜、車で流したものである・・・。



若い時とは言え、かなりの無茶なことを楽しんでいた・・・。



若さゆえであろうか・・・危ない目にもあったことは度々である・・・。



仕事も、遊びも・・・その他のことも全てこの東部地区にいたからこそ満喫できたのではないか・・・。



今になって振り返るとそう思う・・・。




青春時代を謳歌するには沼津市、長泉町、三島市は素晴らしいところだった。



この素晴らしい土地に住んでいたからこそ今の自分がある、と言えるのであろう・・・。





あれから〇十年、沼津市、長泉町、三島市は大きく変貌して素晴らしい街になっている。



特に沼津駅の北側の再開発、リコー通りの活性化、原地区の国道い号線沿いの変貌ぶり、沼津港湾の観光地としての名所の数々など、久しぶりに訪れてもまるで分からない・・・。



この先、静岡県東部地区は益々の発展を遂げるであろう・・・。





若き青春の日を過ごした5年3カ月を忘れることはないであろう・・・。



歴史多き沼津の今後の発展を期待してやまないのである。



私は県内西部から中部、東部に至るまでを転勤にともない素晴らしい体験を重ねてきた。



どこの地域も素晴らしいところばかりだった・・・。



今、自分があるのもそれぞれの地域で頑張ってきた証でもある。



自分が住んできた、住んでいる街をそれぞれ誇りに思いたい・・・(^_-)-☆







(追伸)WEBマガジン『ハタラク』 もよろしくごらんくださいませ(^_-)-☆





武道の集い in 御殿場の社会教育施設♡

2016-02-05 | 思い出など

先日、押し入れを整理していたら、私の昔(と言っても、それほど昔ではないか・・・)勤めていた、社会教育施設での写真が出てきました。。。


1998年ころのお写真だろうと思いますが、大変懐かしい写真です。。。


それが、こちら(あまり綺麗な写真とはお世辞にも言えませんが・・・顔がハッキリ見えないから丁度いいか(笑))・・・








実施されたのは、12月20日以降です。


場所は、朝夕氷の張る(#^^#)御殿場ですね。


「武道の集い」と銘打った事業だったでしょうか・・・


県内の中学校から参加校を募って行われたものでした。


その中で、中学校クラスの剣道大会が行われまして・・・


その中での、優勝校です。


男女、いずれも浜松地区の学校でしたが、なかなか身も凍るような寒さの中での大会でした。


もちろん、私は撮影担当。


他にも、いろいろと役回りがありましたが・・・




あれから、現在、2016年ですから、優勝校の男女生徒たちも立派な大人になっていると思われます。


18年の歳月が流れたのですね・・・


・・・ということは、彼ら、彼女らも、既に32歳ということになりますでしょうか。


時の流れは、過ぎ去ってしまえば、実に短いものです。


それぞれ、企業で活躍したり、結婚して子どもさんなどもいたり・・・自分の夢を追いかけているかと思います。


学校を卒業して、高校、大学などを経て社会に出たりすれば、山あり、谷ありの人生を迎えられることもあるでしょう。


また、自分の描いた夢をトレースした方々もおられるでしょう。


この武道で鍛えた心と体を糧にこれからも頑張って欲しいですね( *´艸`)





自分の生き方って、人それぞれなんですが・・・


決して、ストレートに障害なく、生きておられる方ばかりではないのでしょうね。


そういう、私も、いろいろありました。


でも、いろいろと歩んできた過去があるから、今の自分がいるのですね。



過去の自分は、今の自分。。。今の自分は、未来の自分。


決して何が起こっても自暴自棄にならずに、過去を糧としより良い未来を作っていくのも自分の与えられた定めです!


決して今の自分を疎かにはしないようにしましょう( *´艸`)


そんな、未来を作ってゆく方々に、覚えていて欲しい教訓の動画があります。


どうぞ、ご視聴を。。。


[これは知っておこう] 人生7つの基本原則

https://youtu.be/zTVT395AaeY







思い出の香水の香り♡

2016-01-26 | 思い出など








過日、駅近くにある大型商業施設のあるお店で、香水を買ってきました。



フレグランスには疎い私ではありますが・・・



香りにはとても敏感で、好きな香水があるのです。




それは・・・男性物ではなくて女性物なんでしょうね( *´艸`)



「ゲラン ミツコ  オードトワレ」なんですね(#^^#)



ちなみに、アマゾンで価格調査を行いましたところ・・



市場価格が30ミリリットルで7020円のところ・・アマゾンでの販売価格は3950円でした・・・。



このオードトワレの香りには、〇十年前の酒場での思い出が蘇ってきて・・・



多分香りがしただけでその頃を思い出してしまいます(#^^#)




クラクラッとしてしまったんです(#^^#)




大人の女性の、品のある香水だと思います。




ところが、これに近い香りを見つけてしまったのです(^_-)-☆



値段は・・・と言いますと・・・10ミリリットルで3400円"(-""-)"



これって、高くない??・・・と思いましたが・・・



ミツコを思い出させるような、独特の香り・・・



つけた本人は、末香臭くもあり、ちょっと離れた香りはとても甘いような香りがします(#^^#)



ほんの少しの塗布で、香りが1日中抜けないのです。



なんか、お得のような、お得でない、派手な香りのような・・。




ちょっと行き違いがあって、自分の予想していた値段のものとは内容量が違ってしまいましたが・・



香りだけを楽しんで、自分の癒しにするには十分でした。




この次は、「本物のミツコ」が入手出来ればいいかな??(#^^#)と思っています(^^)/。




可笑しいかな??


えっ・・・男のくせにおかしいですか??






でも~~、香りが癒しになるんでしたらね~~(@@;)。。








青春の日 ~想い彼方に~

2015-12-28 | 思い出など



日本の鉄道技術の粋を集めた夢の超特急のぞみ号。


ひかり号を更に進化させた流麗なフォルム。。


まるであひるのくちばしのようである。


駅を通過する姿は白鳥のはばたきのように流麗であり、空を飛ぶジェット機のようでもある。


日本人のものづくりへの姿勢は昔と変わらない。


実に誇らしい。


この走行する姿を見ると、冬の定番ソングを思い起こす。


今年も既に過ぎてしまったが・・・


「きっと君は来ない 一人だけのクリスマスイヴ サイレントナイト ホーリーナイト・・・・・♪」


何とも夢を誘ってくれる乗り物である。


また、これから青年期への旅立ちという郷愁を誘ってもくれる。




             22才の別れ


   あなたに「さようなら」って言えるのは今日だけ
   明日になってまたあなたの暖かい手に触れたら
   きっと言えなくなってしまう
   そんな気がして・・・・・
   私には鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに
   私の目の前にあった幸せにすがりついてしまった


   私の誕生日に22本のローソクをたて
   ひとつひとつがみんな君の人生だねって言って
   17本目からはいっしょに火をつけたのが
   きのうのことのように・・・・・
   今はただ5年の月日が永すぎた春と言えるだけです
   あなたの知らないところへ嫁いでゆく私にとって
   ウウウ・・・・・・・・・・

   ひとつだけこんな私のわがまま聞いてくれるなら
   あなたはあなたのままで
   変わらずにいてください そのままで

                (作詞作曲:伊勢正三  歌:風)




数年ぶりの再会はは突然やってきた。


彼女は手紙を私にくれた。


「あなたは私にとって、特別な存在です。でも今私には、そういうお付き合いをしている人がいるの・・・」


私は彼女に手紙を出した。


「そんなことはどうだっていいじゃないか。君への気持ちは変わらない、彼に殴られてもいいし、土下座でもなんでもやる・・・」


しばらくの日が経過して、再び手紙が私の元に届いた。


「あなたの真摯な手紙は彼に見せたわ。彼はこう言ったの。お前を幸せにしなきゃあなって・・・」


再び、彼女からの最後の手紙が私の手元へ。


「あなたはわたしにとってこれからも特別な存在です。私は嫁いでゆくけど一生この気持ちは忘れないでしょう・・・」


彼女の心には私の存在がしっかりと刻み込まれていたのである。


茫然自失。タイムラグがなんと恨めしかったことか・・・。


所詮、彼女と私の間には赤い糸での繋がりはなかった。



縁が無かっただけのことであった。。



それから数年、赤い糸は突然やってきた。


私の今があるのもこの赤い糸のおかげ・・・。



若き日の甘く切ない出会いと別れ。


運命は思うように事を運んでくれなかった。


しかし、時はその甘い切ない思い出をちゃんと心の片隅にしまってくれていた。


これが人生なのかも知れない。


私は・・・もっと妻に感謝すべきなのだろう・・・。


今、こうして安穏としていられるのも、全て彼女のおかげなのだから。。



もちろん・・妻のひた向きな努力、そして、お互いの忍耐もの賜物なのだから。。。





三つ子の魂、百まで。。(#^^#)

2015-12-23 | 思い出など



幼い頃からおもちゃを与えられた記憶があまりない。

兄妹の3人の真ん中であったので、どうしても長男、長女に愛情が注がれていたのだろう。


それが証拠に真ん中の私の写真は極端に少ない。

これは仕方のないことなのだろう。二番目の宿命なのだ。

服は兄のお下がりばかり、おもちゃも兄のお下がり、食事はといえば兄にはてんこもりで私は普通盛り。

食べさせてくれだけでもいいが・・・。

兄がオーディオに興味があれば、父は遠く離れた町まで兄を連れて買いに行ってくれたものである。


私はといえば、クリスマスの日に父から兄へのプレゼントを横目で見ながら、『自分にはないんだ』の思いを父に問うてみたところ、「お前はまだ小さいから、兄ちゃんと一緒に遊べばいい」などと、自分の所有欲が満たされたことは何一つなかった。

それではということで、親戚の叔父さんから、吸盤式のピストルのおもちゃを買ってもらった。

そうしたら、それは人に向けたら危ないということで、父に取り上げられてしまったこともあった。


私が小学生中学年に上がった頃、父は兄にグローブを買ってあげた。

私もねだってみた。

ところが、私がまだ小さいということで、またもやお預け。。

憤懣やる方ない私は、どうしてもグローブ欲しさに、遠く離れた親戚の祖父に手紙を出すことにした。

当時としてはどきどきものであった。便箋いっぱいにグローブの絵を書いた。

これくらいのだよという説明書きを付けて・・・。

ところが、手紙を出す段になって母親にその手紙を見つかってしまった。

母は私の手紙をじっと眺め、物も言わずに便箋にしまってくれ、切手も渡してくれた。子供心に嬉しかった。


手紙を出してから、数日して大きなダンボールが私宛の名前で届いた。

急いで中をあけてみた。

ダンボールからは、まず、お菓子の詰め合わせが上段に山ほど詰まっていた。

気がせいていた。グローブ、グローブはと、急いで下の段に手を突っ込んでみた。

柔らかい皮状のものが手に触れた。

急いで外に出してみた。

紛れもない、柔らかい皮で出来ている、本物のグローブだあ。。

私は飛び上がって喜んだ。

初めての自分だけの物、しかも一番欲しかったグローブであった。

小躍りして喜んだ。母が言った。

「お爺ちゃんに感謝しなさいよ。お礼の手紙を出さなきゃあね。お前の願いがかなって良かったじゃあないか」


この時ほど母と祖父に感謝したことはなかった。

母に手紙を見つかった時に、黙って手紙を返してくれた母。

自分の気持ちを察してくれたのだろう。

あの瞬間に母からの愛情を感じた。

それまで叱られることこそあれ、褒められたりしたことはなかった。

また、遠くにいる祖父に自分の心を伝え、その思いをうけとめ、私の宝物として返してくれた、祖父の孫に対する愛情を子供心に感じたものである。


それから○○十年、おもちゃ、特にミニカーを見ると、昔の思い出がよみがえるのか、目を皿のようにして欲しいものを探して買ってしまう自分がいた。

建て前は、『これは息子の○○の為に買っているんだよ』と自分勝手な屁理屈をつけて・・・。


ふっ・・三つ子の魂百まで・・とはよく言ったものであるなぁ~と、我ながら、ヒシヒシと感じている今である。。。




清水港に昔の思い出を垣間見る。。

2015-12-20 | 思い出など



用事を済ませた後、久しぶりに清水港を尋ねてみた。


やっぱり海はいい。


ゆったりとした波の感じ、深さを表わす海水の色。




戸肥へ向かう連絡船が着いた。


戸肥港からの乗船客を降ろすと同時に、清水港からのお客を乗せて再び戸肥港へ向かう。


白波をかき分けて発進する。


近くにはJAPAN COAST GURDの文字を船体につけた海上保安部の船が巡視から戻って接岸する。


今日も日本の海を守っての帰還だろうか。


長い真っ白な船体は、日本の最前線で働くにふさわしい。


感謝の気持ちをもって、暖かく迎えてあげたい気持ちになった。




今日は雲も目立ったがおおむね快晴で遠くに雪を纏った富士山が見える。


8合目あたりからの雪だろうか、うっすらとしている。


やはり清水港には様々な働く船と富士山が良く似合う。




穏やかなゆったりとした波。


香ってくる潮のにおい。


対岸には造船の基地が見える。


時間がゆったりと流れているような錯覚さえ覚える。




我が奥様との初デートの帰りもやはり清水港へ立ち寄った思い出がある。


海は全てを包んでくれるような感じがする。


雄雄しい山々に比べて、母なる優しささえ感じる。




静岡の地にこんな美しい港があって良かったとつくづく感じる。


マグロの水揚げ日本一。。。


かつて、私の小学校の修学旅行の地は、静岡市役所、日本平、久能山東照宮、清水港だった。


笑われるかも知れないが、山間部から見れば、静岡、清水は大都会だったのである。


日本平もプラネタリウムがあって、それはそれは賑やかだった。


今は当時の面影は感じられないがそれでもあこがれの地であった。




今、山あり、海あり、水の美味しい静岡の地に住めることの幸せをひしひしと感じている。







開拓の名のもとに。。。

2015-12-18 | 思い出など



米国コロラド州にある国立公園。


西部開拓地を感じさせる大地を背景にサボテンのような、綿の木のような植物が実をつけている。


日本にある植物と似ているところもあるが、非常に興味深い植物が多い。


米国出張に行った際に立ち寄った。


公園内を歩いて頂上まで上った。


この辺はガラガラ蛇がどこにでもいるという。


1時間をかけて周囲を回った。


途中、ガラガラ蛇の尻尾の音が聞こえた。


猛毒があって、人が噛まれると1時間もしない間に死にいたるという。


案内人の丁寧な計らいがあって何とか噛まれずに済んだ。


大自然の中で、人と多種多様な生き物が共生している。



かつては、ネイティブアメリカンの支配していた土地。


開拓の名のもとに、ヨーロッパの多くの人々が奴隷を連れてこの地に渡った。


開拓の名のもとに、多くの渡米者とネイティブアメリカンが多くの血を流した。


今はネイティブアメリカンは許された居留地のみに住んでいる。


ここでも支配者が実権をもっている。



自由の国、アメリカは彼らからすれば自由の国でも何でもない。


勇敢な戦士だった先祖からの伝統を受け継ぎ、ほそぼそと工芸品などを作って生計をたてている。



自由の国、アメリカは今は人種の坩堝であるが、様々な人々の犠牲のうえに成り立っている。



自由って何だ?



責任のともなった行動を果たすという条件付で自由という言葉が許される。


自分勝手に振舞うことができることとは違うのだ。


アメリカは現在世界に名だたる大国として存在している。


政治にしても、経済にしても、国が保持する戦力としても世界をリードする。


それも近年では某新興国のおかげで危うくなってしまったが・・・。



しかし、出会えたアメリカ国民は皆、紳士的だった。


家庭内の躾も行き届いている。


これらの真摯な国民性が今のアメリカの精神に代表される。



もちろんそのような人たちばかりではないよと知り合った米国人から訊いた。


異文化の交流の中でアメリカの独自性が花開いている。


アメリカンドリームという言葉は今でも通用しているのだろうか??



限られた才能を持つ人達だけがこの夢を掴むことができる。


才能を開花させるには人並みの努力では追いつかないだろう。


才能プラス努力、これが人種の坩堝といわれるアメリカでつかめる花なのだろう。



もし、昔に戻れたならばこの国でアメリカンドリームというものの一端にでも触れてみたい。