古い話題で恐縮であるが、過日、映画『レミーのおいしいレストラン』をある映画館で観たことがある。
今となってはDVDをレンタルして観ることしか出来ないのであるが・・・。
知人のお勧め映画であったこと、また、子供連れだったこともあり、迷わずにこの映画に決めたものであった。
内容の下分析もしなかったため、3Dのアニメぐらいにしか思っていなかったが、始まるやいなや、口角はあがりっぱなし。。
しかも何故ネズミがシェフなのかも解らなかったが、内容が進んでいくうちに、これは、ありきたりのアニメとは違うなという印象を徐々に深くしていった。
フレンチレストランに何故女性がいるのかも疑問だったが、そこがまた面白いところ。
彼女は努力に努力を重ね、厨房の座を手にいれたのであった。
彼女はまた魅力的な女性であり、実力も厨房の仲間も認めるところ大であった。
この物語の中で、彼女なくしてはストーリーには欠かせない。
それほど私には彼女が魅力的に映った。
彼女の魅力には誰かしらイメージが似ている人がいるなあと最初から最後まで感じていたが、それが誰であるかは、映画が終了してから頭に閃いた。
その存在は実写映画に例えたなら、助演女優賞ものであるといえるだろう。
ともかく、主人公はレミーと名のついたネズミであった。
人間の残したものではプライドが許さない。
自分の食べる料理というものはもっと品格があるものでなければならない。
紆余曲折があり、レミーは、レストランを継ぐこととなる若い下働き人を通して、その才能を発揮することとなる。
頑固な料理長に従っていた厨房はやがて、一通の手紙から、若き下働き人がそのレストランの後継者となり調理長は解雇となった。
しかし、レミーに操られていた若き後継者は、評判のその腕の真実を、厨房の仲間に知らしめてしまうことになる。
自分の才能は一匹のネズミに操られていたものだと・・・。
当然、厨房の仲間は事実を知り、皆辞めてしまった。
若き後継者は挫折してしまった。レミーは自分が所詮、ネズミだと知りつつも一人奮闘することになる。
そこへ料理批評家の登場であった。
批評家曰く『このレストランの名声は先代の存在でもっていたもの、このレストランはそれを失った』と。。。
悲嘆にくれた若き後継者を尻目に、レミーは一人奮闘する。
その料理は、この料理評論家の舌をうならせてしまった。
当然店は繁盛。その実態を知るべく厨房に入った評論家はその事実を知ってしまった。
しかし、その味を表現したのは紛れもない、ネズミがこしらえた料理だったのである。
料理評論家は記事にその味の批評をしたためた。
レストランは評判を取り戻し、レミーと若き経営者を救うため、仲間のネズミ達が立ち上がった。
レミーの指示で次々とお客の口元へ運ばれる料理。。
しかし、心無い元料理長の仕業で保健所に通報され、やがてレストランは閉店に追い込まれた。
しかし、料理批評家の英断で、レミーのレストランは新規開店となった。
批評家は記事にしたためた。
『誰が料理したかなどは問題ではない。大切なのは料理人の真心である』と。。
新しい店は繁盛した。
その名も『ラタトゥーユ』。
最後は感動で涙があふれ、うろ覚えであったが、これでよかったのだろうか。。。
やがて幕は閉じ、感動のうちに帰途についたのであった。
幕の最初のころの場面ででこんな言葉があったのが印象的だった。
『後ろばかりを見ていると、前にある大切なものを見失ってしまう』と・・・。
3Dアニメと言えど、実写映画と対等に張り合える。いや、むしろ私の最近見た数少ない映画の中でも、これほどの強烈な印象を残してくれた映画は、この『レミーのおいしいレストラン』であった。
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