さるも木から落ちる??こともある♡

今までの自分の経験、知見など様々なことを記していきます。新しい知見は自分の財産。更に成長させたいですね‼

私の新入社員像 ~回想~ ♡

2016-09-09 | 追憶




どんな人にも将来への夢と希望があり、それは昔も今も変わりません。



これから社会人となる私達も同じであるが、大学生の今まで、私達は親の庇護のもとに甘えてきた感があります。





さて、これから社会人一年生となる私にも幼いころからの夢がありました。


それは成長するにつれ、希望となり、目標となり、今、正に夢を叶えるスタートに立ったばかりです。


心の奥から、力がみなぎるように湧いてきます。



このスタートに際し、『5通の手紙』を拝読しました。。。


いづれの方々にも、会社黎明期から無我夢中で『仕事』に取り組んできた歴史を綴っています。


社会と接したことのない自分にとって、新鮮な感動ばかりでありました。



『仕事』っていうのは理屈じゃあないんですよ。


マニュアルも何もありません。


自分で『仕事における夢の実現』という目標に向かい、一本づつ『夢』の糸というものをまざまざと感じ取ることができました。



「理屈じゃあないよ! 情熱と行動あるのみだよ!」


そういう声が聞こえてきます。



社会人として、気取らずに、裸になった自分と消費者との闘いは、今始まろうとしています。



私の夢は何・・・?



〇〇食研という大舞台で会社への貢献と自己成長をするように望み、ただひたすらに、がむしゃらに実行に移すことで、後からついてくるであろう成果というものを見つめ、更に消費者が求めているものを先読みし、その周期を積み重ねていくことにより、達成されるでありましょう。


正にそれは『自分自身』なのであり、それ以外の何者でもないのです。


仕事という修練の積み重ね、それが自分の夢を具現化していくはずです。






新入社員・・・。


それは駆け出しでしょうか??


いや、『5通の手紙』中から、心に染み入る言葉の中にそのヒントは隠されているはずであります。


いや、隠されているというより、昔も今も、先輩も後輩も同じ土俵の中で闘うために闘志を燃やすこと・・・。



ただそれだけでいい・・・。






ひたすらに一瞬一瞬を『仕事での夢の実現』という目標に向かって、ただ驀進するのみなのですね。


先輩の教えを心の中で咀嚼し、同僚となる、同期となる仲間たち・・・。


もちろん、数年後には同期たちは、間違いなくライバルとなるでありましょう。。。


ひがみや妬み・・・そして最後には顔も合わせたくない、目も合わせたくない、・・・お互いがそうなる可能性が大なのですね。。。


それは、やがて実感として自分自身の身に伝わってくるのであります。



しかし、自分たちがそうであるように・・・後輩となる人間が必ず、後ろからついてくるはずです。。。


後輩になる人達に、そうなる厳しい現実を伝える、しかし、それだけではなく、常に夢を語り合える人間になりたい・・・。


そして、そのような試練に耐え、大きな希望や夢を抱いてほしい・・・。



そんな企業人、社会人となるよう、切磋琢磨されんことを切望いたします。。。







それが私の『新入社員像』であることと信じます。。。












遥か昔の受験対策などなど・・・回想・・・♡

2016-08-27 | 追憶




一昨日は素晴らしいお天気に恵まれた日でしたが、現在は台風の心配が・・・。



一昨日のような天気の日には、外へ出るのも良いのですが・・・



空の青さと、真っ白な雲を見て、物思いにふけるのも良いのでは・・・とも思いました。



夏休みも終了し、追い込みの時期に入りましたね。



市内の有名進学塾でも、夏期講習も終了したことでしょう。



これからは最後の追い込みなのかな??



盛夏には、駐輪場には所狭しと学生の自転車が並んでいました。



高校受験、大学受験ともにやや後半に入って、基礎固めの復習、過去問題などにも精力的に取り組んでおられたことでしょうね。



該当される学生さんには、この夏を制した者は、本番を制す、とばかりに気合が入っていたことでしょうね。



親御さんはと言えば、夜を徹しての援護とばかりに夜食などで、お子さんの援護射撃などに力が入っておられたことでしょう。



でも・・・確かに、この時期は大切な期間ですが、夏休み明けからが本当の後半戦の詰めに当たるのではないのかとも思いますが・・・。



学生さんにとっては、塾などでは、百戦錬磨の実力に磨きをかけている方もいるのではないかと思います。



でも・・・中には塾で心を疲弊させて、折れそうになっている方もおられるのではないかとも思います。



受験などは、私にとっては遥か昔のことでもあります(#^^#)



高校時代のお話になりますが・・・私の経験、そして私の同級生を観ていて、受験に対して感じていたことがあります。



そして、一般の中間テストとか、期末テストなどでも・・・。



ある期末テストの頃のことではありますが・・・



あれは、数学のてすとだったかな??



私は、その時、何故か裏付けのない自信を抱いていて、日頃の授業も上の空・・・



ただ集中力には自信をもっていましたので、授業だけでも聞いていれば、何もしなくても出来るわい・・・というような妙な自信があり、その時に限ってテスト勉強など、少しもしていなかったことがありました。



そして、テスト当日、プリントを手渡されて、始め!の合図が聞こえたと同時に、思わず真っ白になってしまったのです。



そして、身体が自然と震えて、その震えが止まらなくなってしまったのです。



プリントを開いて、ざっと解けそうな問題から探したのですが、解ける問題がそこには感じられなかったのですね。


そんな経験は初めてのことでした。。。



多分、級友から見たら、顔面蒼白状態になっていたのでは、と思われます(笑)



思わず、そのテストの担当教員に「気分が悪いので保健室に行きたいのですが・・・」と。。。



教員には「落ち着いて、しばらく休んでいなさい。」とも言われたのも覚えています。



ひとしきり、震え続けたのち、ようやく冷静になることが出来て、少しづつ問題を見返し、何とか埋めることが出来ました。。。



しかし、その時のテストの結果は散々だったように記憶しています。



何故このようになったのか??



それは、慢心が作用して、その準備と努力を怠っていたからではないのかと今更ながら、思い返しています。



そのために、「答案を白紙で出すことは出来ない!このままではいけない・・・」の焦りが、身体を震えさせていたのでした。



自分の常としていた、「人事を尽くして天命を待つ」の心の隙間に入り込んだ、大いなる慢心であったようにも思います。



やはり、日頃の準備を怠ったために、目の前の難問をクリアできなかったことを、とても後悔していました。




私の通っていた田舎の学校ではありますが、私のクラスには殆どが進学を目指す級友たちでありましたので、優秀な学生が多かったのですが・・・



私は、どちらかと言えば劣等生の方でしたでしょうか。。。



でも、プライドだけは他の級友たちに負けないくらいのものがありました(笑)


小中高の先生になった方も多数おりましたし、東京近郊の有名大学(東大クラスではないですが・・・)に行って、研究者や大学教員になった旧友も多くいました。



その受験シーズンの時には、こいつら、どんな勉強をしているんだろうか??と密かに、じっと見つめていると・・・



それは、やはり個々の努力が見えていたのだと思います。。。



ある級友は過去問題を一生懸命に解いている者もいましたし、ノート一冊を黒のボールペンで、これでもか、というくらいに書き記し、真っ黒になったノートを、誇らしげにしている者もいました。



そして、女子学生はと言えば、やはり、授業態度も良かったし、授業の内容もしっかりと聞いて、びっしりとノートに記していたと思います。



やはり、皆が目標をしっかりと持って努力していたのでしょう。



ここが大事だということです。。。



入りたい大学に入る、ということも大事ですが・・・将来、こういう風になりたい、そしてこのような人生を送りたい、という人生設計図が出来ていたように思います。


現役で合格出来た級友達は、そのような目標がしっかりと自分の中にあったのだと思います。



だから、結果を出せた。。。



でも、中には天賦の才能を、そのまま結果に繋げたという級友も多くいたのですよ。



レベルは違うのかも知れませんが、市内の某有名進学校などの学生に多いのだと思います!




でも、人間、いろいろなタイプがいます。



三つくらいのタイプにわかれるでしょうか??



天賦の才能を持っていて、授業を適当に訊いているだけで、結果に繋げてしまう人。


次には、目標を自分の胸にしっかりと抱きながら、自分の努力だけで、夢を結実させてしまう人。
相当な努力をされたのでしょうね。。。頭が下がります。



そして、少しの天賦の才能と自分の努力をもって、夢を結実させてしまう人。。。



私は、残念ながら家庭の事情で、公務員を目指すしかありませんでしたが、そこにも他のクラスの学生と比較して明暗が分かれました。



私は、もちろん国家資格合格で、その後の50倍余りの競争試験にも打ち勝ちましたが。。。



でも、のちに、夢を叶える一助として、通信制の大学でも学ぶことが出来ました。。。結構たいへんでしたが・・・(^^♪



もちろん、その下地は自分の努力というほかはないのでしょう。





松下村塾を開いた吉田松陰の言葉の中に、次のような言葉があります。

決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。・・・と。。。






くだらないことを回想してしまいましたが、今の学生たちにとって参考になれば幸いです。







もちろん、自分の将来に大いなる目標とか夢の実現に向かって努力するということは、言うまでもないことなのでしょう( *´艸`)




来年、高校並びに大学を受験される多くの学生の皆さん、頑張ってくださいね。



夢は必ず実現できる・・・この強い信念と努力があればこそ、結果は実りあるものになることでしょう( *´艸`)




拙い、アドバイスで大変お見苦しいところをお見せしました(^_-)-☆ 



追憶♡ ~人間関係ファシリテーション講座の感動~

2015-12-27 | 追憶




ファシリテーションという言葉を聞いた事がありますか?



数年前の事になりますが・・・その時のことをご紹介させていただきます・・・もしも興味が湧かないようでしたら、スルーしてくださいませ。。。(^^)/


記憶が無くならないうちに( *´艸`)書き記しておきたいと思います。。




焼津簡易保険保養センターを会場として、3日間、人間関係ファシリテーション講座が開催されました。


個人の能力に頼る時代からチーム力で勝負する・・・社会はそのような時代に変化してきています。


人間関係に焦点をあて、人間関係構築をもとに、チーム力の強化を高める、その育成のためのファシリテーターとしてのマインド、技術を学習することを目的として開催されました。


内容としては、講義に頼らず体験学習を用いて参加者同士が学びを深め、また楽しく交流することによりファシリテーションを学ぶものでした。


普段あまり聞き慣れない言葉、ファシリテーション。


ファシリテーションとは企業内や学校内、地域のコミュニティーなど、組織での会議の場などで、発言を促したり、話の流れを整理したり、参加者の認識の一致を確認したりする行為で介入し 相互理解を促進し、合意形成へ導き組織を活性化(協働を促進)させる手法・技術・行為の総称です。


コミュニケーションスキル以外にも、プロセスデザインとしてグランドルールが必要な場合の設定内容の検討、ミーティング自体の進め方なども含み、さらに会議の場所や参加者の選択、日程のデザインなど、オーガナイザーの役割を含む場合もあります。


会議の場に限定せずとも、日常での組織コミュニケーション全般において、ファシリテーション技術は活用することができます。


また、会議の場などで、コンテンツ(議論の内容)に対して中立な立場にたち、話し合いのプロセス(流れ)に介入してファシリテーションを行う者のことをファシリテーターといいます。


ファシリテーターにはファシリテーション技術もさることながら、参加者または組織に対して良心に基づいた、達成イメージへの情熱と信念も合わせて必要とされます。



以下は講座の説明から始まります。


1日目は、『組織活性化』と人間関係・・・人間関係の視点からコンサルティングを学ぶ。


2日目は、『自分らしさ』と人間関係・・・自分らしさを学ぶことにより本物の行動を学ぶ。


3日目は、『チーム力強化』と人間関係・・・チーム力育成への関わりかたについて学ぶ。


といったものでした。


私は、2日目と3日目しか参加出来ませんでしたが、結果として非常に感動的な、人と人との結びつきへの気づきを学ぶことができました。


この感動を忘れることは出来ないというほどの、感動以上のものを学んだのです。


簡単に学んだ経過を記したいと思います。


参加者は講師を含めて、ニックネームでお互いを呼び合います。


メイン講師は、ファシリテーターでは日本での第一人者とうかがっています、ニックネーム『まろさん』


それから、プロフェッショナル・ファシリテーター『せのちゃん』と『ワインさん』


私は1日目、残念ながら欠席でした。( ;∀;)


2日目は、『自分らしさと人間関係』です。参加者は23名。


午前中は、模造紙に自分に影響を受けた人との出会い、自分のこれまでの歩み等の自己開示的な意味合いで色紙、のり、マーカーなどを使い作品に仕上げました。


そして午後、グループに6人づつのチームにに分かれての作品の説明。


ここでは、これまでの自分の人生を他の人に開示し、その時、その時の自分の気持ち、状況について披露し合いました。


そして、それについての質問などをし合いました。


他人の人生を開示し合うのです。


いろいろな人生があって一生懸命に生きている様、これからの自分の人生についてを話しました。


そして、全体のふりかえりです。


ふりかえりがないとただの作品作り、ゲームのみになってしまうのです。


ふりかえりのテーマは・・・

1 作品をとおして(時間を通して)気づいたこと。

2 作品を創ってみて(創っている間)感じたこと、気づいたこと。(出来上がった作品を見ての作品を創る過程。)

3 自分について今感じていること

4 これからどのような自分になりたいかということとその理由。


以上について語り合い、また、そのことについて、お互いに疑問に思ったこと、感じたことなどをふりかえりました。


そして全体が輪になってのふりかえりです。


お互いがこれについて感じたこと、学んだことを参加者一人ひとりが自分の気持ちについて語り合いました。


3日目は『チーム力強化と人間関係』。参加者は24名。


6人から7人がチームを組んで、次のことについて、意見を出し合います。


課題1 グループに集まった顔ぶれを見て

課題2 私が自慢できること

課題3 今、話してみて私が感じているのは?

課題4 私が大切にしたいこと

課題5 このグループに私が感じていること

課題6 このグループと他のグループの違いは?


ここで、これまでの小さなチームから参加者全体の輪にになります。

課題7 大きな輪になって今感じていること


ここでまた元の小さなチームになります。

課題8 今(今のチームになって)感じていること


そして、チームのふりかえりです。

1 自分の中で起こっていたことと、その理由
2 グループで起こっていたことと、その理由(大きなグループと小さなグループ)
3 その他、今の体験で気づいたこと、感じたこと、学んだこと


そして全体の輪になってふりかえりです。


どんな体験を学んだのか、どんな体験をしたのかをテーマに意見を各々が述べ合いました。


そして、この中に私にとっては、それぞれのチームごとに印象深いというより、感動したことがあったのです。


それは、チームがそれぞれ結束できたこと、今ここにいることの感動、飾る言葉だけではない、相手を認め合うことの大切さ、そして心の受けとめ合い。


これは参加したものでなければ、わかり得ない感動でした。


人間関係は、まだまだ、チームになることで、その関係性の可能性を秘めているということが解ったのでした。


そして、最後の別れ、参加者が一人ひとり理解できあった、また、また会いましょうのかたい握手での別れでした。


そして、私は最後に『まろさん』との握手。ここまで抑えてきた思いが、溢れるものとなって噴き出しました。


こんな感動は今まで経験した研修、講座では味わえないものでした。


この講座ならではのものでしょう。


私は、その後、職場環境が変わったので参加する機会が無くなってしまったので、その後も企画されているということでしょう。


この感動をまた味わうことの出来る機会がまた訪れたのでしょうね。(^_-)-☆


このような機会を、ファシリテーションの気づきを皆さんにも味わっていただきたいと考えています。


まだまだ、私のこの記事では記憶が曖昧で(#^^#)、言い表せていないことも多いことでしょうが、ご容赦いただけたらと思います。


最後に、この講座の企画から運営に参加していただいたスタッフ、参加した皆さん、感動をいただけた皆様方、一人ひとりにお礼申し上げます。



次の画像は、焼津簡易保険保養センターからの焼津市、焼津港、駿河湾の景観でした。
とても素敵なところですよ~~(^_-)-☆










大都会に生きる。。。

2015-12-22 | 追憶



出張で東京へ行った帰りのこと。


新宿駅西口で友人との待ち合わせ。


相変わらずの駅へ向かう人、駅からでてくる人の波。


それぞれが目的が違うものの、まるで川のように流れていく。


待合広場は日が暮れているにもかかわらず、電飾光により明るく照らされて、相変わらずにぎやかだ。


待ち人達は思ったよりマナーが良い。


これは以外だった。


捨てられたタバコの吸殻はごく僅かだ。


タバコをふかし、携帯灰皿へ入れる者。


楽しそうに携帯で話している者等々。




1時間ほど経過しただろうか。


私は相変わらず植木横の柵に掛けて友人を待っている。


私の隣にいた若い青年。


服装はピンストライプの入ったダークの派手なスーツ。


靴は白いエナメルで相当派手に感じた。


いわゆるとっぽい兄ちゃんというところだろうか。


やがてサングラスをはずした。


こげ茶色に染まったその顔はどこか照りさえも感じられる。


青年のケータイが鳴る。。。


スイッチを押した途端に思いがけない電話口調。




「はい、○○です。今新宿駅西口で△△様をお待ちしているのですが、まだお会いすることができません。・・・その件につきましては店長のおっしゃるとおりでした。私はこのまま、引き続き△△様をお待ちいたしますが、もし、すれ違いという結果になりましたら、お電話をいただけますとありがたいのですが・・・。申し訳ありませんがもう少々お時間をいただけますでしょうか?よろしくお願いいたします。」




流暢に話し終えた後、ケータイのスイッチを切った。


驚いた。というより、何故かほっと安心した。いや感心したと言ったほうが当たっている。 


こんな格好をした青年が、少なくとも上品な敬語を流暢に使う様は想像できなかった。



そこには生き生きと働く青年の「日常生活」が感じられた。


人は見た目で判断するもんじゃあないなあ、少なくとも自分が上司へ電話するよりも数段上手だ。



東京の人間ウォッチングはとても好きだ。

皆んなそれぞれの日常生活をがんばって生きている。






真心の料理 ~ある映画より~

2015-12-17 | 追憶



古い話題で恐縮であるが、過日、映画『レミーのおいしいレストラン』をある映画館で観たことがある。


今となってはDVDをレンタルして観ることしか出来ないのであるが・・・。


知人のお勧め映画であったこと、また、子供連れだったこともあり、迷わずにこの映画に決めたものであった。


内容の下分析もしなかったため、3Dのアニメぐらいにしか思っていなかったが、始まるやいなや、口角はあがりっぱなし。。


しかも何故ネズミがシェフなのかも解らなかったが、内容が進んでいくうちに、これは、ありきたりのアニメとは違うなという印象を徐々に深くしていった。


フレンチレストランに何故女性がいるのかも疑問だったが、そこがまた面白いところ。


彼女は努力に努力を重ね、厨房の座を手にいれたのであった。


彼女はまた魅力的な女性であり、実力も厨房の仲間も認めるところ大であった。


この物語の中で、彼女なくしてはストーリーには欠かせない。


それほど私には彼女が魅力的に映った。


彼女の魅力には誰かしらイメージが似ている人がいるなあと最初から最後まで感じていたが、それが誰であるかは、映画が終了してから頭に閃いた。


その存在は実写映画に例えたなら、助演女優賞ものであるといえるだろう。


ともかく、主人公はレミーと名のついたネズミであった。


人間の残したものではプライドが許さない。


自分の食べる料理というものはもっと品格があるものでなければならない。

紆余曲折があり、レミーは、レストランを継ぐこととなる若い下働き人を通して、その才能を発揮することとなる。


頑固な料理長に従っていた厨房はやがて、一通の手紙から、若き下働き人がそのレストランの後継者となり調理長は解雇となった。


しかし、レミーに操られていた若き後継者は、評判のその腕の真実を、厨房の仲間に知らしめてしまうことになる。


自分の才能は一匹のネズミに操られていたものだと・・・。


当然、厨房の仲間は事実を知り、皆辞めてしまった。


若き後継者は挫折してしまった。レミーは自分が所詮、ネズミだと知りつつも一人奮闘することになる。


そこへ料理批評家の登場であった。


批評家曰く『このレストランの名声は先代の存在でもっていたもの、このレストランはそれを失った』と。。。


悲嘆にくれた若き後継者を尻目に、レミーは一人奮闘する。


その料理は、この料理評論家の舌をうならせてしまった。


当然店は繁盛。その実態を知るべく厨房に入った評論家はその事実を知ってしまった。


しかし、その味を表現したのは紛れもない、ネズミがこしらえた料理だったのである。


料理評論家は記事にその味の批評をしたためた。


レストランは評判を取り戻し、レミーと若き経営者を救うため、仲間のネズミ達が立ち上がった。


レミーの指示で次々とお客の口元へ運ばれる料理。。


しかし、心無い元料理長の仕業で保健所に通報され、やがてレストランは閉店に追い込まれた。


しかし、料理批評家の英断で、レミーのレストランは新規開店となった。


批評家は記事にしたためた。


『誰が料理したかなどは問題ではない。大切なのは料理人の真心である』と。。


新しい店は繁盛した。


その名も『ラタトゥーユ』。


最後は感動で涙があふれ、うろ覚えであったが、これでよかったのだろうか。。。


やがて幕は閉じ、感動のうちに帰途についたのであった。


幕の最初のころの場面ででこんな言葉があったのが印象的だった。



『後ろばかりを見ていると、前にある大切なものを見失ってしまう』と・・・。



3Dアニメと言えど、実写映画と対等に張り合える。いや、むしろ私の最近見た数少ない映画の中でも、これほどの強烈な印象を残してくれた映画は、この『レミーのおいしいレストラン』であった。







口卒(そつ)琢同時 ~若き日の師の教え~

2015-12-16 | 追憶



あるセミナーで聞いた言葉「(口卒(そつ)・・字が出ません)啄の機」

印象深い言葉だった



その時は初めて聞いたような印象だった

しかし・・・どこかで聞いたことがあるような・・・

それは〇十年前に剣道をたしなんでいた頃

顧問でもあり、師範でもあった教師からの言葉であったことを思い出した・・



練習を終え、そして「黙想」するのが常であった

そしていつもの講和の際にこの言葉があった

そして講和の中には「交剣知愛」そして「口卒(そつ)啄同時」なることについて

常に話されていた



教師は剣道の師範であり

われわれは生徒であった

ともに師弟関係

当時私達剣道仲間はそれをあまり理解できていなかったように思う



清々しい疲れからであろうか

それとも練習を終えた安堵の気持ちであったろうか

黙想を終えて心を無にする

その開放感からだったろうか

いまとなっては昔のことである



剣道においては師弟関係

私はありがたいことに特に目をかけられていたが

無念なことに大怪我をおってリタイアしてしまった

今でも悔いが残っている

若き日に挫折してしまったことを・・・

師の期待に応えられなかったことを・・・

それ以上に成長するということを閉ざしてしまった自分に・・・



今必要なのは

全ての物事に通ずる「口卒(そつ)啄同時」



世の中はすべてにおいて上下関係があり

師弟関係があることが多い

タイミングを逸すれば成長できない

我を張っていても成長できない

相手のことを考えなければ人間関係も

事を上手に運べない



機が熟すということは

相手を知り

己を知ることである



そこに自分の師となるべき人間がいれば

成長できる機になることがあるはずである

〇十年ぶりに思い出した素晴らしい言葉

ありがとう・・・



すべての成長ははこの言葉に通ずる・・・