バスコ・ダ・ガマの喜望峰ルート開拓からアジア植民地侵略が始まった。
ディエンビエンフーに関しての、ガイドブックの記述が少ないせいか、交通の便が悪いのか、外国人旅行者の姿を見かけることは稀である。
苛烈な搾取と圧制、現地住民の抵抗には暴力的な弾圧でもって制圧してきた、フランスのインドシナ植民地支配の実態を知る上でも、ディエンビエンフーの戦いによりフランスが敗北し、インドシナ植民地支配が終焉した「地」であること考えると現代史を理解する上で、是非、訪れるべきだと思います。
ディエンビエンフーの街の中心は四方2キロばかりで、こじんまりとしており、戦争遺跡はメインストリートであるDuong7/5(5月7日通り)とHOANG VAN THAI(ホアン ヴァン タイ通リ)に点在しており観光には便利である。
勝利の丘
勝利の丘のモニュメントはド・カストリ―総司令部の屋根の上で
国旗を振りかざしたベトミン兵の姿と言われている。
勝利の丘は街を見下す展望台になっていて、ディエンビエンフーの街の
全景が見渡せる。
ディエンビエンフー戦勝歴史博物館
当時、使用された武器や写真、実物大の人形などを使って、
険しい小道を物資を運ぶ少数民族の姿や「A1」の丘での戦闘風景など、戦争の
様子が具体的に分かるように展示されている。
「A1」の丘
ベトミン軍が丘の数キロ先から堀進み、フランス軍司令部の
真下で960キロもの爆弾を炸裂させてできたクレーター。
塹壕跡
戦車、爆撃機の残骸
戦車や爆撃機の残骸など戦争の痕跡は街中に展示されている。
ド・カストリ―の司令部跡
ベトミン軍の攻撃を避けるために地下構造の塹壕が作られ、
深さは2メートル半ぐらい、かまぼこ状の波型の鉄板で覆われている。
旧ムオンタイ橋
フランスによってナムゾム川に架けられた長さ30メートル、幅5メートルの橋、
現在も生活橋として人とオートバイが頻繁に通っている。
ノン二ャイ記念碑
フランス軍の空爆により死亡した少数民族444人の鎮魂碑
ディエンビエンフーの市内中心部地図
データ:
ディエンビエンフーへ
ハノイから 飛行機で1日2便 所要1時間
バスで便は多数 所要約11時間
サパから バスでライチヤウ(LAI CHAU)まで行き
ディエンビエンフー行きに乗り換え、約8時間
直行便もあり(現地で要確認)
ラオスから バスでラオス各都市からディエンビエンフー行きがある