Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

ディエンビエンフー戦跡観光案内

2017年10月12日 | 旅の情報


バスコ・ダ・ガマの喜望峰ルート開拓からアジア植民地侵略が始まった。
ディエンビエンフーに関しての、ガイドブックの記述が少ないせいか、交通の便が悪いのか、外国人旅行者の姿を見かけることは稀である。
苛烈な搾取と圧制、現地住民の抵抗には暴力的な弾圧でもって制圧してきた、フランスのインドシナ植民地支配の実態を知る上でも、ディエンビエンフーの戦いによりフランスが敗北し、インドシナ植民地支配が終焉した「地」であること考えると現代史を理解する上で、是非、訪れるべきだと思います。
 ディエンビエンフーの街の中心は四方2キロばかりで、こじんまりとしており、戦争遺跡はメインストリートであるDuong7/5(5月7日通り)とHOANG VAN THAI(ホアン ヴァン タイ通リ)に点在しており観光には便利である。


勝利の丘






勝利の丘のモニュメントはド・カストリ―総司令部の屋根の上で
国旗を振りかざしたベトミン兵の姿と言われている。
勝利の丘は街を見下す展望台になっていて、ディエンビエンフーの街の
全景が見渡せる。


ディエンビエンフー戦勝歴史博物館






当時、使用された武器や写真、実物大の人形などを使って、
険しい小道を物資を運ぶ少数民族の姿や「A1」の丘での戦闘風景など、戦争の
様子が具体的に分かるように展示されている。


「A1」の丘


ベトミン軍が丘の数キロ先から堀進み、フランス軍司令部の
真下で960キロもの爆弾を炸裂させてできたクレーター。


塹壕跡


戦車、爆撃機の残骸




戦車や爆撃機の残骸など戦争の痕跡は街中に展示されている。


ド・カストリ―の司令部跡


ベトミン軍の攻撃を避けるために地下構造の塹壕が作られ、
深さは2メートル半ぐらい、かまぼこ状の波型の鉄板で覆われている。


旧ムオンタイ橋


フランスによってナムゾム川に架けられた長さ30メートル、幅5メートルの橋、
現在も生活橋として人とオートバイが頻繁に通っている。


ノン二ャイ記念碑


フランス軍の空爆により死亡した少数民族444人の鎮魂碑




ディエンビエンフーの市内中心部地図


データ:
ディエンビエンフーへ
ハノイから 飛行機で1日2便 所要1時間
      バスで便は多数 所要約11時間
サパから  バスでライチヤウ(LAI CHAU)まで行き
     ディエンビエンフー行きに乗り換え、約8時間
      直行便もあり(現地で要確認)
ラオスから バスでラオス各都市からディエンビエンフー行きがある









最新の画像もっと見る