Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

ボーテン・廃墟の街(ラオス)

2023年04月15日 | 旅の情報


大型免税店(前の広場は工事が中断されたまま)


工事が中断されたホテル


立派そうなホテル、営業している気配はない

 ルアンナムターの北方60Km、近距離バスターミナルからミニバスで約1時間30分、ラオス最北部、中国との国境にボーテンはある。
 日本のメディアは報道しないが、ラオス北部は中国政府が推進する一帯一路の「海外進出」のもっとも著しい所である。中国は自国のようにラオス開発をすすめている。
ボーテンは特に「ここは中国か?」と錯覚するほど街中に中国語の表記が目に付き、ラオス北部の中国化を象徴している街である。
 中国雲南省(昆明)からボーテンの国境を通過して、ルアンパバーン、フアイサーイを経てタイを縦断、バンコクに至るルート。景洪からムアンシンの国境を通過してフアイサーイ、ルアンパバーン、ビエンチャン、タイ、カンボジアを経て、ベトナム(ホーチミン)に至る2つの幹線道路が計画されている。
中国企業のラオス進出によってインフラストラクチャー(インフラ)が整備され、ラオス国民の雇用も拡大されることで、ラオスも恩恵を蒙っているではないかと言う人もいるだろうが、結局は中国企業と一部のラオス人が潤うだけで、一般のラオス人には実入りがない。
 ラオス政府は国内各地の国境地域に経済特区を設け、関税、所得税の減免など優遇措置をとり、外資の誘致を計画している。
2003年にボーテンは中国企業がカジノを中心とする観光開発に乗り出した。ギヤンブル好きな国民性なのに、中国では賭博は御法度、そこで国境を越えた地にカジノをつくり、中国人観光客を呼び込む算段だった。
山奥のうらぶれた集落、未舗装の道路と民家が少しだけの村は激変し、ラオス建築にはあり得ないピンクや黄色、バイオレットの、まるで「おとぎの国」のような街が出現した。カジノ建設にともないリゾートホテルやレストラン、ショッピングモール、大型免税店ができ、投資用のマンションが次々と建設された。
カジノ誘致によって、暴力団が利権を求めて進出、治安が悪化し、麻薬、暴力事件などの犯罪が頻発し、中国からの出稼ぎ売春婦が闊歩し、カジノで大負けして、金を払えなくなった客が殺されるという事件も発生した。
 2010年にラオス政府はカジノを閉鎖した。カジノ経済特区でラスベガスのように賑わっていた街の終わりはあっけなくやって来た。人工的に造られた街はゴーストタウンと化している。現在、ラオス政府はゴルフ場を建設し中国からの観光客を誘致しようと再開発を目論んでいる。
 日本ではカジノ法案が可決されたが、カジノを合法化しギャンブルによって泡銭で収益を得ようとする「さもしい考え」は、そこに暴力団が進出し、治安が悪化するというマイナス面も考えなければいけない。

追:雲南省の昆明からボーテン、ルアンパバーン、ビエンチャンまでの鉄道敷設も計画されている。

データ:
ルアンナムター近距離バスターミナルから 約1時間30分、25,000キープ(約335円)
(ボーテンにはバスターミナルがない、ルアンナムター行のミニバスが道路の所々とイミグレーション周辺に停まっているが、予め、ルアンナムターの観光案内所でボーテンからルアンナムター行のバス停留所を聞いた方が良い。)



あなたの知らない台湾(13)

2023年04月01日 | 旅の情報
霧社事件を考えるー真実は霧のなか

 台中から日月潭へ行く途中、バスは埔里という街に寄る、この埔里のバスターミナルから
北東に20kmの山間に霧社という集落がある。日本では霧社事件で知られた村である。
 霧社事件とは、1930年大日本帝国植民地支配下の台湾で日本人巡査が原住民の若者を殴打
したことが発端で、原住民が反発して蜂起、モーナ・ルダオをリーダとして霧社各地の駐在所を
襲った後、霧社公学校で行われていた運動会場を襲撃、日本人140人を殺害した事に起因する
一連の事件である。
武装蜂起の背景には、日頃からの差別的な取り扱い、原住民に対する侮辱、森林伐採などの過酷な
労働の強制について原住民たちの間に不満が募っていたと言われている。
 台湾総督府が駐留日本軍や警察を使い武力による鎮圧を開始、大砲や機関銃、航空機、毒ガス弾
などを使い暴動部族を制圧。村が全滅する悲劇的な結果をまねいた。
日本側の投降呼びかけによって投降した蜂起部族はみな殺しにされた。
 霧社事件を代表する記念碑として「日本人犠牲者追悼碑」が建てられ、野蛮な原住民を文明化する
過程で起こった、やむをえない犠牲とされていた。
セゼック族のマヘボ社の頭目、モーナ・ルダオは警察の処罰によって地位を失うことを恐れて、
蜂起を画策したとも言われていた。 


モーナ・ルダオの像


モーナ・ルダオの墓


原住民抗日蜂起記念像


背後から撮影


拡大部分


霧ヶ岡神社跡

 日本の植民地終了後、国民党政権は抗日教育の一環として、「霧社山胞抗日起義記念碑」を設立、
ここに設置されていた日本人の犠牲者追悼碑は破壊された。
国民党政権では評価はまったく変わり、霧社事件は日本の圧政に対する英雄的な抵抗運動とされ、
蜂起の指導者たちは「抗日英雄」と讃えられるようになった。
その時の権力者の都合によって、歴史のストーリが簡単に書き換えられる。
台湾での植民地政策は天皇と帝国に対する忠誠を示した台湾人は優遇され、反撥する人間は徹底して
弾圧される二面性を持っている事を理解する必要がある。
モーナ・ルダオは英雄か逆賊か?真実は歴史の霧のなかである。


霧社への行き方
埔里バスターミナルから「翠峰」、「清境農場」、「蘆山」行き「霧社」下車。