Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

ウドンタニー・タイ東北部の中心都市(タイ)

2020年03月29日 | 旅の情報
 19世紀に出来た新しい街で、フランスがメコン川東岸(現在のラオス西部)をタイから
奪って植民地とした時に、メコン川沿いのタイ領内に25キロ幅の非武装地帯を設けることを
タイに要求し、認めさせた。
川沿いのノーンカーイにあった総督府はウドンタニーに移された。総督府は現在も残存し、
敷地内には郷土博物館が建っている。


今も現存する旧総督府の建物

 ベトナム戦争が始まりアメリカ軍は北爆のために空軍基地を設けた。街は急成長したが
1976年ベトナム戦争の終焉とともにアメリカ軍は撤退。
街は経済的な打撃を受けるが、近隣の農村からの農作物の集約地として生き延びる。
 ラオスのルアンパバーンからビエンチャン、タイのバンコクへと縦断する陸上交通の「要」
とし、東北部タイの中心都市として今も繁栄している。

 タイ国鉄のウドンタニー駅から時計塔ロータリーのあるプラチャッタ通り(Prajak Rd)
周辺が繁華街で怪しげなマッサージ店が何軒も目に付く、健全なタイ伝統マッサージを望む人には
ノーン・プラチャック公園前にやたらマッサージ店が並んでいるが、こちらを勧める。


市民の憩いの場「ノーンプラジャック公園」

こじんまりした街で街中に見るべきものはないが、郊外には「バーンチェン遺跡」、
奇岩で有名な「プー・プラ・バート歴史公園」、
幻想的な睡蓮の海として有名な「タレーブァデーン」がある。
 街中にフードコートが至る所にあり、イサーン料理は美味いと聞いていたが、
本当に、ご飯はピリリと舌に響いて美味い、「美食の街」でもある。


駅前のフードコート、海鮮フライドエッグ焼きそば 50バーツ(約175円)


         ムール貝のサラダ 200バーツ(約700円)

ベトナム戦争時に空軍基地があった関係か?
年老いたアメリカ人の旅行者が多いのもウドンタニーの特徴。


データ:ウドンタニーへの行き方
    バンコクから飛行機で約55分、チェンマイから飛行機で1時間30分
    タイのバンコクから長距離バスで8~9時間、国鉄で約10時間
    ラオスのビエンチャンからバスで約2時間、タケークからバスで約5時間。

ビエンチャン観光案内(1)ラオス

2020年03月21日 | 旅の情報
戦争の惨禍を伝える
コープ・ビジターセンター
COPE Visiter Center


戦火におののく母子と義足で「COPE」と記された看板

 ベトナム戦争当時、アメリカ軍はベトナムの北部から南部にかけて軍事物資の輸送路であった「ホーチミンルート」を壊滅しようと、
ラオスに390万トンのクラスター爆弾を投下した。
その爆弾の30パーセントが不発弾として地中に埋もれ、ボール代わりに遊んでいた子供や
耕作中に触れた農民が爆発によって犠牲になるなど、今も不発弾被害が続いている。


おびただしい数の義足の展示


クラスター爆弾の子爆弾が降り注ぐ様子

 館内に入ると、おびただしい数の義足とクラスター爆弾から散布された大量の子爆弾が拡散し天井から降り注ぐ様子が模型で展示され、
展示物やビデオ映像などで、ラオスが抱える不発弾問題の現状を訴えている。
戦争が残す被害の恐ろしさ、今でも50年前のベトナム戦争の被害が続いていることが分かる。
戦争の悲惨さや平和の尊さがひしひしと身に浸みて伝わってくる。






クラスター爆弾が拡散するビデオ映像

データ:
開館時間 8:00~17:00
休館日  無休
入館料  無料

行き方
タラートサオから中央バスターミナルの方向へ、クービエン通り(Rue Khouveng)を歩いて15分程、
グリーンパークホテル(Green Park Hotel)の向かい、国立リハビリテーションセンターの敷地内にある。




パークセー・南ラオスの玄関口(ラオス観光案内)

2020年03月18日 | 旅の情報

メコン川とパークセーの街、左下に見えるのが日本大橋


パークセーホテルの屋上から見た街並み


パークセーのメインロード(朝食付き5ドル程度で泊まれるゲストハウスが並んでいる)

 パークセーはラオス南部の中心都市、西のタイと東のベトナムとの東西交易の要衝として栄えた。
古代から様々な王朝が盛衰し、その歴史の痕跡としてワット・プーなどの遺跡を残している。
 美しい街でフランス植民地時代の建物が残っている。


パークセーホテル


ダーオフアン市場のバスターミナル(午前中)


午後には景色が一変して市場になる(注意:同じ場所です)

 街の中心はパークセーホテル近辺と、ダーオフアン市場周辺の2か所あり、トラベルオフィスやレストランが沢山ある、
パークセーホテル近辺に宿をとるのがおすすめ。

 日本大橋(Lao Nippon Bridge)を渡り、少し歩いて左折したところにワット・プーサラオがあり、
山の中腹に黄金に輝く大仏様が鎮座している。そこからパークセーの街が眺望できる。


プーサラオ寺の本堂


境内の仏様たち


黄金に輝く大仏、メコン川とパークセーの街を見守っている

 国道10号線に面している、ムアンマイ食堂(XUAM MAI RESTOURAN)ではラオス、ベトナム、タイ料理が食べられ、
価格が手ごろで美味しい。いっも、お客でいっぱいである。


ムアンマイ食堂

 日本人の観光客を見かけることは滅多にない。欧米系、特にフランス人が多いが、意外とドイツ人も目に付く。
パークセーを起点として、サワンナケート、タケーク、ビエンチャンと北上する方法、
シーパンドンからカンボジアへ、プークアの国境からベトナムへ、チョーンメックの国境からタイへ抜ける方法もある。


パークセーからワット・プーへ


霊験あらたな雰囲気、男根が並ぶワット・プーの参道

 パークセーホテルのツアーデスク(パークセートラベルではない)で尋ねると、
英語のガイドツアーが32ドル(約3、500円)、往復の車の手配のみのツアーで12万キープ(約1、500円)、
ソンテウ(乗合バス)だと往復4万キープ(約500円)ですむ。
よくよく考えてソンテウで行くことにした。
 タオファン市場、8時10分発のワット・プー行のソンテウで日本大橋を渡り、
メコン川に沿って約1時間でワット・プーに着いた。
途中、ソンテウの車内で、乗客に采配を振るっているお兄さんが「お前は今夜、ワット・プーで眠るのか?」とジェスチャーで、
「いや、明日はホーチミンだ」と言うと不思議な顔をしていた。
ワット・プーを十分に堪能して帰ろうとすると、パークセー行のソンテウは明朝8時10分発の一便だけで、
帰りの交通手段がないことに気付いた。お兄さんの不思議な顔つきの意味がやっと理解できた。
とにかく、パークセーに帰らなければと思い、チャンパサックまで行けば何とかなると思い、
炎天下10kmを歩くことにした、東南アジアの日差しはけっこうきつい。
途中、4kmぐらい歩いたところで、バイクのサイドにリヤカーをつけ、荷物を山ほど積んだおじさんが「どうした」と声をかけてきた、
事情を話すと、5万キープでパークセーまで送ってやると言うのでOKをした。
この荷物を届けて戻ってくるので20分ここで待てとのことで、どうせ1時間はかかるだろうと思い、
近くの食堂で缶コーラーを飲んで待っていると40分後にバイクのオジサンが戻ってきた。
このおじさん見かけに寄らず英語が達者で、「僕と同じような旅行者が結構いて、いい小遣い稼ぎをしているんだ」と思いながら、
何とも言えない乗り心地の悪いサイドリヤカーでパークセーまで戻ることができた。


日ラオ友好親善、この荷台で46キロの道のりはきつかった

データ:
飛行機、国内線はビエンチャン、ルアンパバーンから
    国際線はホーチミン、バンコク、シェムリアップから

バス
ビエンチャンから 多発 ローカルで13時間、エクスプレスで10時間 VIPバスで8時間
サワンナケートから7:00、17:30の2便のみ4時間
タケークから 8:30(エアコン)、10:30 23:00の3便 6時間

パークセーのバスターミナル:
VIPバスターミナル
   ビエンチャン、サワンナケート、タケーク方面のVIPバスや夜行バスが発着。
   タイからの国際バスもここに着く。
北バスターミナル
   ビエンチャン、サワンナケートへのローカルバスが発着。
   ベトナムのフエやダナンへの国際バスが発着。
南バスターミナル
   シーパンドン、パークソン、サーラワン、セーコーン、アッタップ行のバス。
   カンボジアへの国際バスが発着。
ダオファン市場バスターミナル
   チャンパサック、ワット・プー、パークソン行、ワンタオ(タイ国境)への乗合バスが発着。

アドバイス:
南部ラオス、サワンナケート以南は交通の便が非常に悪く、一日1便しかない場合があるので注意。
ビエンチャン、ルアンパバーンからは飛行機を利用するのが良い。
ワット・プーやシーパンドンへ行く場合、トラベルオフィスのツアーをすすめる。
長距離バスのチケットもトラベルオフイスで手配してもらったほうが、結果的に安くつく。
トラベルオフィスはパークセートラベルがやや安め。(現地で確認のこと)





幻のメコン川を探してー村上春樹の旅エッセーを読む

2020年03月16日 | 社会学/社会批評
 村上春樹が僕をラオスへといざなう。
彼は「本当にラオスへ行ったのであろうか?」と言った単純な疑問が、わだかまりとして心に残る。
彼が旅エッセー「ラオスに一体何があるのですか?」で描いている内容は、100年前に宇宙旅行をしたと、
空想にもとづいて書かれた「読み物」と同じくらいに荒唐無稽である。事実とあまりにも乖離しているのだ。
その表現を、メコン川の描写から読み解こうと思う。
 ガイドブック的に言えば、メコン川はチベット高原に源を発し、中国雲南省を経て、インドシナ5カ国を貫く全長4800㎞、
ラオス領内では1898㎞におよぶ、いつの時代にもラオスの人々の生活を支えてきた川である。
悠々と流れるメコン川を船上から見ると、波がなく、滑るように船はすすむ。
小さい村々が目の前を次へと、次へと通過していく。
メコン川が村々への入り口であり、交通輸送の「要」としての役割をはたしてきた事がわかる。


悠々と流れるメコン川


メコン川の渡し船


メコン川が村々への入り口、物資運搬の「要」(小舟が浮かび村へ通じる階段がある)

 しかし、村上春樹の描くメコン川は「平和で穏やかな川ではなく、川の流れは荒々しく速い、
水は大雨の降った直後のようにどこまでも茶色く不吉に濁っている。
メコン川の持つ深く神秘的な、そして薄暗く寡黙なたたずまいは、湿った薄暗いヴェールのように僕らの上に終始垂れ込めている。
そこには「不穏な」「得体の知れない」とも表現したくなるような気分さえ感じられる。
おそらく、あまりにも流れが激しく、そしてあまりにも濁りすぎている、こんな川は今まで他のどこでも見たことがない
そこには泥のように濁った水が雄々しく流れるメコン川があり、プーシーの丘に登ると、
蛇行しながら緑の密林の間を流れるメコン川を遥かに望むことができる」と言い切っている。
 過去12年間に11回インドシナ半島を訪れ、ルアンパバーンには今回で8回目の滞在となる。
メコン川は一部の地域を除き、タイのチェンコーンからベトナムのメコンデルタまで、幾度も見つめて来た。


夕陽の沈むメコン川


ナムカン川との合流点、(手前がナムカン川、遠くに見えるのがメコン川)

 彼の描くメコン川はルアンパバーンの何処に存在するのか?探して、探して、探しても何処にも見つからない。
単刀直入に言えば、ルアンパバーンの、何処にも存在しないのだ。彼の妄想の世界の「お話し」でしかない。
虚構の世界を描く小説ならともかく、旅エッセーは事実に基づいて書かねばならない。
事実を見つめることなく、妄想により筆を進めている。善良な読者を欺く、きわめて悪質な所業である。
メコン川ほど、ゆったりと悠々と流れ、「静止した時」を感じさせる川は他にはない。
 かって、ソビエトの宇宙飛行士ガガーリンは「地球は青かった」と述べた。
地球が「青いか、否か」はガガーリンにしかわからない。
しかし、メコン川がどのような川かはラオスに行けば誰にでも分かる。
 村上春樹の旅エッセー「ラオスに一体何があるのですか?」を読んで、このエッセーの何に対して僕は怒りを感じるのか。
村上春樹の思考の中に異文化を理解する視点が欠落している。
ラオスの歩んできた歴史に想いをはせることもなく、ラオスの文化、伝統を顧みることなく、後進国と決めつけ、ラオスを見下している。
ラオスに対する想い入れもなければ、畏敬の念もない。
 「噓八百」を積み重ね、きわめて空疎で、ラオスが抱えている「国家の貧困、国民の貧困」という、
社会状況に対する切込みもない。観光ガイドブックとしても百害あるのみである。
 何が目的で、このような旅エッセーを書いたのか、さっぱり理解できない。
一字なんぼの原稿料稼ぎか?ハルキで書けばどんな駄文でも金になる、出版社の商業資本主義のなせる業か
この駄文を読んで、村上春樹にとんでもない天才を感じる。
詐話師としての才能を、書かれている事のすべてが作り話である、彼の虚構の人生そのものを感じる。




メコン川の旅

2020年03月15日 | 旅の情報

メコン川鑑賞ポイント① 夕陽がメコン川に沈む、ロマンチックな風景 (パクーセ)

 ベトナムのホーチミン(サイゴン)からラオス航空でパクーセへ、サワンナケート、タケークを経て一度タイへ出国、ウドンタニーから
バンチェン遺跡を見学して、さらに北上しラオスに再入国、ビエンチャン、ルアンパバーンへとメコン川に沿って北上する旅であった。
行くたびに興味を増すラオス、気が付けば、12年前にラオスを訪れてから今回で11回目となる。
 そこには多くの国々が忘れ去ったアジアの原風景が残っている。アジアではどこでも見られたハズの風景が今も残っている。
ラオス人の笑顔、物腰の柔らかさ、しかし北には中国、東にベトナム、南のカンボジア、西にはビルマ、タイと大国に囲まれ、
常に重圧を受け続けて来て、なるべく摩擦を避けようとするラオス人の生活の知恵がみられる。


メコン川鑑賞ポイント② メコン川に架かる日本大橋 水はエメラルド色で美しい(パクーセ)


メコン川鑑賞ポイント③ サワンナケートのメコン川 流れは緩やかで水の色は翡翠色(サワンナケート)


メコン川鑑賞ポイント④ 静かな流れ対岸はタイ、ナコーンパトム (タケーク)


メコン川鑑賞ポイント⑤ 夕陽の沈むメコン川 対岸はタイ、ノーンカーイ(ビエンチャン)


メコン川鑑賞ポイント⑥ 悠々と流れるメコン川 (ルアンパバーン)


メコン川鑑賞ポイント⑦ 夕暮れ時のメコン川 (ルアンパバーン)

ラオスの人々の生活と深く関わりを持ってきたメコン川。
ラオス人のように穏やかに、ゆったりと流れている。
夕陽に沈むメコン川を見ていると「悠々とした時の流れ」に思いをはせる。
美空ひばりを彷彿させる「真っ赤な太陽」は夕暮れ時、メコン川のどこでも見れることができる。