Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

偽ガンダーラ仏

2011年09月28日 | アート全般
 1987年に奈良国立博物館で開催された、特別展「菩薩」の目玉展示のガンダーラ仏が贋作と指摘され、奈良博は偽物と気付きながら、ニセモノと認めず、あくまでも本物と主張する。政治家、文部省などからの圧力、仏像の検査妨害と、ありとあらゆる手段を使い、贋作指摘派を潰しかかるが、圧力をかけても効果がないと分かると、あとは沈黙をつづける。
 X線検査の結果、「寄せ石づくり」の贋作であると判かると、館長の西川杏太郎は、税関の確認書から奈良博が購入したものと確認されているにも関わらず、「館は仲介しただけで館の学芸員が個人的に売買の話のリレー役になっただけ」と新聞にコメントし、奈良博の責任を学芸員個人に転嫁する。贋作騒動の中でも最も醜い事件である。
 その後、当時の館長の西川杏太郎は横浜美術短大(現大学)学長、神奈川県立歴史博物館の館長を歴任している。真理を折曲げ、国民を愚弄し、文化に泥を塗る、こんな人物が要職に就いている事が日本の文化行政の貧困である。今もガンダーラ仏はニセモノと言う人が多いが、西川はこの事を、どのように考えているのか。

出版人の良心

2011年09月23日 | 社会学/社会批評
 中島誠之助と言えば、おたから鑑定団というテレビ番組で「いい仕事してますね」の言葉で有名になった人である。彼の著書、角川新書の「ニセモノはなぜ、人を騙すのか?」を読んだ。
主張が曖昧で、ニセモノに対する彼の態度がはっきりしない。日本の伝統に拘りすぎて、日本と日本人を矮小に考えているように思える。文化を論ずるなら、もっと正しい知識と広い視野で物事を考えてもらいたい。
 180ページに「日本は気候温暖で・・・農耕民族だから、狩猟民族に比べて略奪を好まないという風土がある」と書いてあるが、世界の歴史を見れば、狩猟生活から農耕生活に移行した時から略奪が起こり、殺人がおこったことは自明のことである。
 彼が述べているように日本人が農耕民族なら「狩猟民族とちがい略奪を好み、殺戮を好む」とすべきだろう。だが、そうすれば、彼が述べようとする日本の伝統や日本の文化に対する論理が根底から成り立たなくなる。
 飯田橋に行く道すがら、角川書店に記述内容に間違いがあると問い合わせた。そうすると「一読者の意見として聞いておきます」とのことであった。角川書店にとつて、一読者はこんなにも軽い扱いなのかと思ったが、売り言葉に買いコトバ「こんな素人さんの書く文章、編集部でちゃんとチェックしてないんですか?」と言い伝えてきた。それ以降、今日まで何の回答もない。
 読者から、間違いを指摘されれば、検討し、間違いがあれば訂正するのが出版人の良心だと思うが、角川という大手出版の奢りか、読者の指摘など、どうでもよいのか、こんな出版社が日本の文化をダメにしている様に思うが。
 青山通りの骨董店での、中島誠之助の評判はすこぶる悪いが、この本を読めばなんとなく評判の悪い理由が理解できる。
骨董と言う魑魅魍魎の世界で「いい金儲けしてますね」とヒトコト言いたい。

偽物博物館

2011年09月17日 | アート全般

 奈良国立博物館が醜態をさらした「贋ガンダーラ仏」事件、大阪、枚方市にある関西記念
病院に安置されていると聞き、是非、ニセモノのホンモノを見たいと思い立ち、アポなしで
行った。残念ながら、受診者以外は見られないとの事であった。
 パリ―郊外、ブーローニュの森の近く、メトロPorte DAUPHINEに偽物博物館がある。家電
製品からブランド品まで、本物と偽物を並べ解説がされている。解説によれば、世界で一番
偽物が溢れているのはBigのボールペンとカミソリとの事であった。
 贋作を購入するのが、鑑識眼を高める一番の方法だ。本物を見ると同時に偽物を見るのは鑑識眼を高めるのに良い方法だと思う。是非、贋ガンダーラ仏も公開をお願いしたい。
 ところで、骨董市に行った折に思ったことだが、桃山古陶の志野、織部茶碗の贋作など
Bigのボールペン以上に、巷に溢れていると思うが。みなさん如何、お考えでしょうか。


永保寺観音堂

2011年09月07日 | アート全般
 ポーランド国鉄の車掌さんは外国人の乗客を見ると、ちょっぴり嬉し
そうな顔をする。事情に疎い外国人だから、何らかの乗り間違いをして
るだろう、悪意がなくとも乗車間違いは罰金を取られる、それがうれし
いらしい。
 本を読んでいて時々、間違った事が書いてある、それを見付けたとき
は、チョッピリうれしくなる。秀学社が発行していた「時代別美術鑑賞
美術の流れ」を見ていた時、岐阜の多治見にある『永保寺観音堂』が鎌
倉時代の建立となっていた。ハて?室町以降の建築様式なのに鎌倉時代
の建立はあり得ない。
 早速、発行元に問い合わせた。秀学社の編集部から丁寧な回答をいた
だき、「多治見市文化財保護センターに問い合わせたところ、寺に残っ
ている文献では1314年の建立になっている。しかし建築様式から判
断すると、14世紀末から15世紀の初めではないか」とのことであっ
た。ハハハんと・・・洋の東西を問わず、お寺の創設にまつわる話には
嘘が多い。その寺に残っている文献にハッタリが書かれていた。
 執筆責任者が京都芸大美術教育研究会との事だが、まんまと騙された
と言うべきか。古文書の真贋を見分ける能力に欠けていたと言うべきか。
歴史や美術史に関わるなら、お寺の創設に関わる話には見栄から来る嘘
が多い事は認識しておくべきだろう。
 「ご指摘いただき調べ直し、次回改訂の折には、ご指摘を踏まえ、
作品の差し替えを含め、再検討をしたい・・・」間違った事はともかく、
間違いを認め訂正しようとする気持ちは、出版人としての良識だと思う。