Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

カダフィーの最後

2011年10月27日 | 社会学/社会批評
 カダフィーが捕えられ、殺された。あまりにも哀れな最後である。喜劇的でもある。
中東の狂犬と呼ばれ、世界を敵に回し、アフリカの多くの国々に影響を与えた人物にしては「みじめな死」と言えるだろう。反カダフィー派の自国民をドブネズミと蔑み、皆殺しにせよと命じた男が、最後は下水道管の中に逃げ込み、捕獲されたとは、ほとんど笑い話である。
 上半身を裸にされ、地面をころがされ、袋叩きにされている、黄色い自動車から突き落され、よろめくカダフィーの映像をメディアが執拗に映し出している。
 チュニジアのベンアリはサウジアラビアに逃げ込み、もはや忘れられた存在であり、エジプトのムバラクでさえ、屈辱的な姿をテレビに曝け出しただけである。
 袋だたきされ、損壊した死体が「さらし者」にされているのは、40年に及ぶ独裁の不満と恨みと憎しみが、リビヤ国民にとって、余りにも大きすぎたのか。
 意見の相違は議論を尽くし、お互いが納得する結論に導く事が大切なのに、自分と意見の違う人間を排除し、虐殺する。多数で少数者を抑圧する、恫喝行為でもって人の心を支配する。このような独断的な人間は周囲にいくらでも見られる。
 独裁者は概して、その風貌や言動と異なり、気が小さく臆病者である。権力者に迎合し、「長いものに巻かれろ」式の生き方は楽かもしれないが、そこからは何も生まれない。
権力の横暴には、正論を通して抵抗をするのが、人間の生き方として大切だと考える。

違法和田中「夜スぺ」裁判

2011年10月20日 | 社会学/社会批評
 リクルート出身の民間校長の藤原和博は和田中学校を営利企業のサピックスに無償で貸し、月、水、金の夜と土曜日に「夜スぺ」と称する塾をやらせた。
一部の成績優秀な生徒のみが対象で、該当しない生徒は希望しても受講できない、サピックスの社員が夜間に家庭訪問をして受講を取りやめる様に説得した経緯がある。
 藤原和博は常々、「ふきこぼれ」と称し、上位の成績を伸ばす事で学力の向上を図ると公言してきたが、全体の成績を伸ばし、底上げをし、学力の向上を図ることが教育ではないのか。一部の生徒だけの私塾有料授業はおかしいと杉並区の住民が「学校施設の目的外使用許可と使用料免除の適法性」を訴え、住民訴訟を起こした。
 裁判の過程で「夜スぺ」は藤原和博の独断で杉並区の事前審議もされておらず、教育委員も新聞報道によって「夜スぺ」を知ったほどである。地域協議会から脱退し、区の校長会も脱退しいている。PTAも一方的に解散させ、地域本部と称するものもSAPIXが連れてきた私塾関係者で杉並区の住民はいない。会計も不透明で、教材とか多額の金が動いているのに契約書もなく領収書もない、区も監査を行っていない等、金銭疑惑も生じている事が分かった。三者面談の日に、サピックスが独自に進路相談を行い、私立に推薦入学の斡旋をするなど、学校本来の教育活動に支障をきたしている。公教育が企業の食い物にされている実態が明らかになった。
 和田中の新入生160名の内、杉並区の生徒はわずか50名、公教育の中に私塾を導入することにより、地域破壊が行われ、異常な雰囲気の中で公教育の破壊が公然と行われている。地域からそっぽを向かれ、誰からも評価されない、その教育破壊の実態は一切隠されている。
 2007年7月21日、正規の授業中にプール事故が発生、心肺停止状態になり現在も昏睡状態が続いている。本来再発防止対策をとり、管理職の管理責任が問われるべき事案であるのに、事故を隠蔽、そのことをリークしてもメディアは一切報道をしていない。
2009年12月から翌年の1月にかけて56歳の数学科教諭が「夜スぺ」の補習授業中にわいせつ事件を起こすが、生徒に口止めをし、隠蔽しようとしていたが、2011年6月に隠し切れなくなり発覚、6カ月の停職処分となったが、わいせつ事件は本来懲戒免職である。
 藤原和博は「実世界に役立つ教育、効果的な教育、生徒のために良いか悪いかが判断材料」と言っているが、義務教育の機会均等に反し差別、選別、格差を助長する教育がよくない事は明白である。
 「夜スぺ」の実施によって、学力の向上も見られない、何の成果も上げていない、リクルートの手法は教育の現場では通用しない事を藤原は実証したにも拘らず、藤原は教育者ヅラしてニセ教育者ヅラを見せている。初の民間校長、教育改革?の旗手の偶像を壊したくないのか、マスコミは彼を持ち上げ、ちょうちん持ち記事を書き、提灯番組を作り続けている。