松尾さん
あなたと初めてお会いして10年です。
もう10年かと思うもまだ10年です。
『おっかなびっくりだったよね』
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/0abd7c85313fffceaae91d0c186863d5
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/f5daa46cea75bd6d0cd928f1c6d1adc6
初めてお会いした時の事を話すと松尾さんは笑ってそう言います。
先月の9月19日 帳場の前のソファーでいつものように2人で煙草を吸いながら話した時も
『(熱海の)初心者でこの宿に泊まるのはハードルが高いだろうね』
あの時勇気を出して超えたハードルのお陰で私には熱海が行く場所ではなく「帰る場所」になりました。
また熱海に行くの?職場ではみんなからそう言われます。
それだけ行っているなら色んな旅館やホテルを知っているでしょうと言われます。
でも私はあまり熱海の他の宿を知りません。私自身もっと色んなホテルや旅館に泊まり熱海の宿を知ろうと思っていました。
松尾さんからも『気にしないで色んな熱海を知って欲しい』と言われました。
でも結局「せっかく熱海まで行くのだから福島屋旅館でくつろごう」
と自然福島屋旅館となってしまうのです。
でも今はそれで良かったと心から思います。
数年前から私の人生で福島屋旅館の松尾さんに巡り会えた事が幸せだ、と思っていました。
普通の旅館では考えられないやりたい放題な事か出来ました。
旅館のご主人と遊びに行ったり部屋で一緒に飲んだりするなんて職場で話しても不思議がられます。
なんでそんなに福島屋旅館にこだわるの?
他にも木造旅館なんてたくさんあるでしょ?
理由は何なの?
友人からそう問われた事があります。
その答えを私は返せませんでした。
悪意は無いけどこの宿の魅力を言葉に出来ない自分が情け無くなりヘコみました。
その事を松尾さんに話すと
『好きになる事に理由なんかないじゃないか』
あの時の暖かさがこの宿の魅力だと気付くと共に松尾さんの人柄に改めて惹かれました。
『彩雲さんと遊びに行くなら(女将さんも)許してくれるんだ(笑)』
コルトで熱海昭和名所巡りに行くと笑いながらそう仰った事、嬉しく楽しかった。
赤電話を内緒にしていきなり持って行った時玄関の一角をお借りしたいと言うと
『また何かやるの?イシシシ(笑)
後で楽しみにしています』
とイタズラを一緒に企てるような友達の笑顔でしたね。
いつしか松尾さんは旅館のご主人から私の友達となっていました。
今迄、たくさんの人とお別れをしてきました。 でも「友達」とお別れするのは初めてです。新幹線で熱海を通過する時も思っていたのは松尾さんと福島屋旅館でした。
今何をしているかな、黙って通過するのは何だか悪いな。せっかくだか会って行きたいな、とすら思っていました。
そんな私を友人から「熱海に行っているんじゃなくて松尾さんに会いに行っているんだよ」と言われた事もあります。
きっとそうだったんだと今は心から思います。
福島屋旅館の建物は残るけど松尾さん、あなたはもういません。
でも・・・・
私の心の中では玄関を前にするといつでもあなたはあのソファでタバコを吸いながら私を待ってくれている姿が浮かぶのです。
朝の福島屋で一番風呂に入っている時の
『彩雲さ~ん、熱かったら水で埋めてくださいねー!』
と外からの声がどこからか聞こえて来るようです。 松尾さん、楽しい10年間でした。 福島屋旅館の松尾さんにお会い出来ていなかったらここまで熱海に来ませんでした。 色んな事を教えてくれてありがとうございました。 心身共に疲れを癒してくれてありがとうございました。 好き勝手にさせてくれてありがとうございました。 たくさんの人と合わせてくれてありがとうございました。 私に出会ってくれて… 本当にありがとうございました。 2016年10月2日 彩雲4号
松尾さんのように誰からも愛される人ってなかなかいないと思います。
松尾さんのいない熱海…
この町にとって大きな大きな痛手になることでしょう。
まだ信じられませんが、ご冥福をお祈り致します。
不思議な魅力のあるいい宿でしたね。
謹んでお悔やみ申し上げます。
2015年の夏には家族皆んなで泊まりました
とっても気さくで親切なご主人でしたよね
人伝に訃報は伺っていたのですが寂しくなります
先週の月曜日に久々に立寄り湯行きました
再開されて良かったです
それにしてもあの、赤電話そうだったのですね
ご主人から話は伺ってましたが
ここで赤電話の主に出会えるとは