あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

犬山モノレール廃止へ

2007-12-18 22:01:23 | モノレール
大阪から無事に帰ってきましたが諸事情によりブログを書けなくなってしまいました。
物理的にも精神的にも。

こんなブログですが楽しみにしていて下さる方もいるので何とか書こうと思っているのですが書けません。

年が明けて暫くしたら復活するつもりです。

年内最後の更新となります。
国内最古参のモノレール車輌を使用する名鉄の犬山モノレールが来年に廃止となるそうです。

名鉄モノレール線、採算合わず来年末廃止へ(朝日新聞) - goo ニュース



(犬山モノレール駅舎 6年前に撮影)
今から6年ほど前に乗りましたが5、60年代の「クラッシックモノレール」を
味わえる唯一の路線に感動しました。
昭和37年開業時の車輌が今でも使われている事がスゴイ。


(犬山モノレール)


羽田の飛行場と浜松町駅を結ぶ東京モノレールは
犬山線の技術と経験を活かして造られました。

(開業時の東京モノレール)


東京オリンピックの人員輸送の為に造られた東京モノレールの
初代車輌はとっくに退役しているがその前身となった犬山モノレールの
車輌は今でも使われている事が奇跡。

胡座式といえど東芝式と日立アルウェーグ方式とで違いはあるものの
かつての横浜ドリームランド線のモノレールもこんな乗り心地だったのかなと
思いを馳せてしまう

(横浜ドリームランド線)

現代のモノレール車輌が普通の電車みたいにスムーズに「スー」っと走るとすれば
犬山線は低速ギアで「グオーン」と走る感じでしょうか。

ドリーム交通、よみうりランドモノレール、姫路市営モノレール、向ヶ丘遊園モノレールと
60年代にはたくさんのモノレールが開通したが現在でも当時の姿で残っているのは
ここだけだ。


廃止前にもう一度乗っておきたい。

ではしばらくサヨウナラ
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大分旅行 12 0系新幹線と姫路市営モノレール?

2007-01-13 23:26:49 | モノレール
前回、ビュッフェの事を取り上げて調べてみると大阪の交通科学博物館に保存されてい
4両の新幹線の内のビュッフェ車は営業当時そのままに保存されているそうだ。
http://www.jijoweb.com/tx5e1.html
↑公衆電話も残してあるなんて素晴らしい!
もし私が特別展示時に、さまひさんと訪れたら聖徳太子の一万円札を振りかざして電話の順番を争うんだろうな・・・(分かる人《以下略》)

さて、
一号車の席に戻るとまもなく姫路駅に停車とのアナウンスが流れた。

ここで降りる訳ではないが姫路の名所といえば「姫路城」だろう。
一瞬だが見る事が出来れば幸いだ。

おお!見えた!城だー!


姫路博覧会跡のお城である!(画像は数年前に訪れた時のもの)
姫路城って西洋チックなんですね
この公園から見える景色が本当に良いのだ。


判りづらいが一枚目の画像の真ん中に姫路モノレールのレールが見える。

『東のドリーム交通モノレール、西の姫路市営モノレール』と呼ばれるそれです。
本当は新幹線が姫路モノレール軌道の上を通る時の一瞬に「ロッキード式」の特徴である「レール上の鉄レール(新幹線と同じとの話し)」が見えたのだが撮りそこなってしまった。

姫路には今も廃線となったレールが半分以上残っている。(下の画像は2003年撮影)




姫路モノレールについての詳細はここをご覧下さい↓
http://www.geocities.jp/charger60up/


途中、どこかの駅で超特急の通過待ちがあったので車外へ出てみた。


反対のホームには短くなった100系が通過待ちだった


08:43 こだま629号は広島駅に到着した。


終点の博多駅まで乗っていたいのだが広島でも訪れたい所があるので本当に残念だが0系とお別れとなった。

いつまで0系が現役でいられるのだろう?
出来る事なら高度経済成長時代の象徴のような列車を1編成、動態保存して欲しいと願ってしまう。(無理だろうけど)

運転手を交代した0系は雨の中尾灯を輝かせ博多へと走って行った。




おまけ?

だいぶ前に古い新聞を読んでいて見つけた新幹線の事故車両


前回の記事に載せた試作電車1000系は東海道新幹線開業後に試験車両として改造されて活躍した事は知られておりますが昭和41年に事故にあっていた事はあまり知られていないようです。
画像を見ると256㌔達成を記念した三角のプレートが見えます。

興味のある方はこちらをご覧下さい↓ ↓

昭和41年4月26日読売新聞

今回は0系のお話しなので載せてみました。





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モノレール初の事故

2006-09-23 17:13:13 | モノレール
ドイツのリニアモーターカー実験線で痛ましい事故が起きました。
「こんな時になんだ」と思われるかもしれませんが我が国初のモノレール事故は浜松町と羽田空港を結ぶ東京モノレールで起こったようです。



昭和41年5月20日読売新聞より


そういえば今は無きyahoo掲示板「大船モノレール休止中」で子供の頃に線路内に入ってドリームランドモノレールを急停車させてしまいこっぴどく怒られた、という思い出を書いていた方の話しを思い出しました。
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最後のレールも姿消す

2005-07-14 01:23:51 | モノレール
今日は(13日)休みだったので小雀信号所へdebopacerさんと行ってきました。
まだレールは残っているかな?と期待していましたが見事にお無くなりになっておられました。


いつの間に!?
やはりこの前の夜に見たのが最後となってしまいました。
悔しいので強引にコルトを置いて記念写真を撮りました。


これでドリームランド線からレールは全て消えてしまいました。

追伸:debopacerさん、夕飯ごちそうさまでした!
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夜間飛行 -続き-

2005-07-10 20:14:30 | モノレール
前々回このブログを読んだ方の大半は「小雀信号所って何?」と思っている事と思われます。
ブログを開設するにあたりいつかは書こうと思っていたモノレールの話しです。

横浜は戸塚の住宅街にこのような建築物があります。

初めて御覧になる方は「?」と思う事でしょう。
実はこれ単線モノレールの交換施設なのです。
60年代の大遊園地「横浜ドリームランド」と国鉄大船駅の5.3㌔を結んでいました。
通称「ドリームランド線」とか「ドリームランドモノレール」と呼ばれています。
昭和41年5月に開通し翌年の42年9月に「休止」となり一昨年に正式に「廃止」となりました。
まさにドリーム、夢のモノレールでした。

休止だったのでモノレール施設は殆どそのままに放置されて周辺には住宅が出来てしまいました。
家の前に走らないモノレールのレールと橋脚がある、という異様な世界が展開されていました。
今ではその殆どが撤去されてしまい中間地点の「小雀信号所」だけが何故か残っていた。

この「ドリームランドモノレール」の事を語ってしまうと止まらなくなりますので省略致します。
(いつか書こうと思います。)
今回、訪れてみようと思ったのはその小雀信号所も取り壊されようとしている、と情報が入ったからです。

昼間は渋滞している国道1号線も夜遅くともなるとさすがに空いている。


渋滞の名所「原宿交差点」を難なく通過するが雨足はますます強まってくるばかりだ。
かつてはドリームランドモノレールと一国が交差した場所に既にレールはない。
レールのあった頃には行きも帰りもここまで来ると
「もうここまで来たんだな」と一つの目安となっており楽しみにしていたのだが、それも今はない。
少し先の「am.pm」を左折して目的地の小雀信号所を目指す。
極端に車の数が減った暗い道を走っていると雨も手伝ってか
「既に信号所は無くなっているのでは」
と不安が頭をよぎり、この頃は足を運んでいなかった事を後悔した。
信号所近くになると「工事中」の看板が目に付きだす。
狭い道を抜けると信号所の周りは工事用のフェンスで囲われていた。
「やはり解体工事が始まっていたのか・・・」
周囲にひと気は無く雨の音だけがする。
見ると2本のレールの下にあった信号所のコンクリート造りの小屋が無くなり
ショベルカーが鎮座していた。
コルトを停めエンジンを切ると雨音は更に激しくなった。

舗装されていない足元に注意しながら傘を差しコルトから出る。

何度、何度ここに来たのだろう

小雀信号所を初めて訪れたのは小学六年の時だったと思う。
現在レールが残っているのはこの信号所の2本だけ。

いつか書こうと思っているがこのモノレールは私の少年時代の大切な夢と思い出が詰まっている。
それが今、目の前から完全に消えようとしている
残ったレールと橋脚のコンクリート表面は、あの頃の私と友達を確かに見ていた筈なのに

場所を移動してみると遠くに黒い物体が見えた。
信号小屋があった時にはこの角度からは見えなかったドリームランドのホテル・エンパイアだった。
窓の灯りは全て消えて外部電源で点灯する航空機障害灯だけが点灯している姿は
今日は異様に見えた。

どうしようもない寂しさが込上げてきた
帰ろうと振り返り雨に打たれるコルトを見ると思い出した。

「(ドリームモノレール)大船駅舎解体時も雨の中コルトで来たっけ」

今から13.4年前に雨の中、ガスバーナーで解体される駅舎を見て居たたまれなくなった時
振り返るとコルトはヘッドライトを点灯しワイパーを時折り動かしながら待っていた。
あの時のコルトの佇まいは普段のコルトとは違うものだった。
その姿はとても優しく慰めてくれるようだった。
けっして忘れる事のないコルトの姿だった。

そんな事を思い出しながら車内に戻った。
レールを見るのはこれが最後になるのかもしれない。

「君ともいつまで一緒にいられるのかな・・」
消え行くモノレールを見ていつか来るであろうコルトとの別れをふと、思った。


「モノレール」という字体にも何故か60年代な趣きを感じてしまうのは私だけでしょうか?
コメント (5)
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