GWが終わり、世間と同じように我が家も平常運転に戻りました。
いっぱいお休みがあったのだから疲れが取れているはずなのに、肉体的にも精神的にも、どっと疲れているのは何故なのでしょうねぇ。
特に遠出したわけでもありませんが、四六時中龍くんの大きな声に振り回され、ときに機嫌をとりながら宥めすかすを繰り返していると、さすがにヘトヘトになりますね。
さてさて、たまには仏教ブログっぽいことも書かなくてはっ!と思いまして、今回はGW中に龍くんに取りまくった【機嫌】という言葉を取り上げることにします。
この【機嫌】という言葉、もともとは【譏嫌】と書き、【譏】は【そしる】を意味し、【そしりきらう】ということを表していました。
仏教の戒律には、この言葉を用いた【譏嫌戒】というものがあります。
元来、出家者は自らの修行にのみ励むものであり、経済活動とは無縁の生活を送っていました。
ゆえに彼らの衣食住は、全てお布施によって供給されていたということになります。
集団で生活する出家者たちの、ただ1人の非行であっても、そしりを受けるようなことがあれば、他の出家者たちの生活は破綻し、修行の妨げとなってしまう怖れがありました。
世の人から、そしられる行為を嫌う。
そして、そしられ嫌われる行為を戒める。
それが【譏嫌戒】という戒律でした。
加えて、仏典には【譏嫌を護る】という言葉が見受けられます。
つまり、【譏嫌】は【護る】ものであり、【取る】ものではないということ。
相手の顔色を窺いながら機嫌を取る前に、まずは相手にそしり嫌われる行為をしていないかと自身を省みることが、他者との関係性を維持する上で大切なことなのではないかという気づきを、【機嫌】という言葉が促してくれているような気がしました。
…ん?
ということは、私は龍くんに後ろめたい思いがあるから、ついつい機嫌を取ってしまうってことかしら?
イヤイヤイヤイヤ(笑)