業務&ITコンサルタントのひとり言

コンサルティング活動を通じて感じることを勝手気ままに記載

NPT(核拡散防止条約)会議での会議演説の価値

2022年09月10日 14時55分57秒 | 経済
日本は長年、唯一の被爆国として核廃絶を訴えてきた。1970年には核拡散防止条約(NPT)が発行され、そして2017年には核兵器禁止条約(TPNW)が採択されたが、残念ながら核の脅威はより深まってる様に感じる。より多くの国が核を持ち又は持とうとし、そしてウクライナでの戦争では核保有国であるロシアに対して西側諸国はイマイチ強気に出られないでいる。
そんな中、核廃絶を唱える事がどんな意味または価値があるのか、もうそろそろ真剣に考える時期に来ているのではないだろうか?何十年も核廃絶や核不拡散を唱えているが、その効果が殆ど無かったと反省する必要があるのではないだろうか.?唱える事が目的ではない。本気で核廃絶や不拡散を進めたいのであれば、言葉による発信ではなく、何等かの行動が必要であり、それを本気で戦略的に取組む必要がある。
そんな中賛否両論はあるが、8月1日に核拡散防止条約(NPT)再検討会議で岸田首相が演説を行った。そして特に来年のサミットは広島で開催されるが、これらは多少ではあるが、効果がある。これについては最後に述べたい。

実際、今まで政府が本気で核廃絶を考えていたとは到底思えない。本気で考えていたなら、核廃絶に向けた言葉以外の行動を今まで幾らでも取る機会は沢山有った。しかし、日本政府はなにもしなかったし、マスメディアも殆ど何もしなかったと思われる。マスメディアの細かい行動については流石に数十年も遡れないし、全部記憶している訳ではないので、”思われる”と云わせて頂きたい。
その”具体的な行動を取る機会”の具体的な例としてODAをいの一番に上げたい。ODAは1950年代から始まった後進国に対する支援なのだが、日本の対中国のODAは1979年から始まり、その後42年間で3兆6千億円超を支援したのだが、この活動が核廃絶または核不拡散の活動と全く同期を取れていない。中国は1964年に核実験を行い、その後原子爆弾の保有を続けている。そしてその爆弾の多くが日本をターゲットにしている。その様な、原子爆弾を持てる様な国力を持っている国に、ODAをする必要があったのかどうかをその当時何故真剣に議論しなかったのか、甚だ疑問である。

当時はアメリカを中心とする世界情勢または圧力から、中国に対する支援を望む声が有ったのだろう。それから間違った歴史観を持った政治家の中国に対する負い目から、支援を決定した面も有るであろう。しかし、本当に核廃絶やや不拡散を実行したければ、核を持っている国にはODAによる支援を行わないと世界に宣言すべきであった。もしその当時にこれを言えていたならば、世界に対して大きなメッセージになっていたであろうし、多少は核に対する世界の認識、少なくとも世界の日本への認識はい大きく変わっていたであろう。筋を通す国として...。
もし、日本の核に対する対応を分かってたならば、インドそしてパキスタンなどの国々は、核を保有する事を決めていたであろうか?そして万が一核を保有する事を決めたなら、ODAでの支援は即刻中止すべきであった。これが政治家が核廃絶/不拡散に対して取るべき”本気”の行動であろうし、マスメディアがそれに向けた報道をすべきであった。

二つ目の方策として、核を無力化または核の脅威を減らす取組みを継続的に行うべきである事だ。今まで、核を無力化または脅威を減らすための科学技術の研究や軍事兵器の開発・導入を、どの程度行ってきたのだろうか。科学技術や軍事の話になると、若干空想じみた話になってしまうが、日本は敵国が打ってきた弾道ミサイルに対処する事のみを一生懸命考えてきた。具体的には敵のミサイルをこちらで誘導する技術や、弾道ミサイルを途中で打ち落とす技術がそれで有ろう。しかしこれらは超高速のミサイルや大量にミサイルが発射された場合は全く無力であると云われている。そのため、最近になって漸く敵基地攻撃能力と云う言葉が出てきた。
”ミサイル”と云う定義では、世界では既に40~50カ国以上の国々が保有している様だが、中長距離の弾道ミサイルとなると、ほぼ核を保有する国々のみが保有しているのではないだろうか。そしてどの国も核を使う事については躊躇するが、弾道ミサイルの使用を躊躇しない傾向にある。それはウクライナやシリアでの紛争を見れば明らかである。中長距離のミサイルを持つ事で、十分な抑止力と成り得るのではないだろうか?十分とは云えないとしても、多少の足しにはなる事は間違いないであろう。しかし、先日政府が発表した”長射程巡航ミサイル、1000発以上の保有検討”とあるが、”長射程”と云いながら、実際の飛距離は1000Km程度で敵基地攻撃能力としては殆ど役に立たないし、また”巡行ミサイル”と云う定義ではこの技術は既に時代遅れのモノらしく、今の最新の技術を使えば打ち落とられるとの事である。そのため、射程距離及び最新の技術を使ったミサイルの開発が望まれる。

世界の人々は、広島や長崎での惨劇を殆ど知らないと云っても良いだろう。三つ目の方策として、それを世界に知らせるための今までの活動に改善点はないのか、これも真剣に考える必要がある。今まで行ってきた活動の中で、安部元首相がアメリカのオバマ大統領を広島に来てもらった事は大きかったと云える。そして来年開かれるサミットを広島で行う事も、原爆による惨劇を知ってもらうためには効果があるのではないだろうか。
因みに、実際のアメリカでの教育では、核によって戦争を終わらす事が出来たと子供達に教えている。既に多くの人が知っているが、この歴史認識(教育)は大きな間違いで、単なる実験として行われたとの認識が正しいと云える。この認識の変える上での広島でのサミット開催は有意義と云える。核の使用によるその惨劇を今の世界の指導者に知ってもらう事ができるからである。そして毎年広島でサミットを開催する事は無理だが、人々を啓蒙できる国際的な会議を行うベキではないだろうか?NPTを改善していくのか、または別の有意義な活動を発足させるのか、考える必要がある。今のNPT会議では、そこに集まった人達とそれに関係する人達だけが知っている会議なので、殆ど価値はなかろう。
しかし、原爆のみならず、悲惨な戦争であっても時がたつにつれて忘れ去られてしまう。忘れると云うよりは、それを経験していない人間が生まれる訳だから、知らないのも当然である。それを忘れないように伝え続ける努力は必要であろうが、今までの歴史を見る限り、その惨劇は新しい人達には理解される事は期待できないだろう。
であれば1番目、特に2番目述べた事に注力を注ぎ、今後の活動をすべきではないだろうか。
コメント
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